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ブックマーク / miyagi.no-blog.jp (34)

  • なごなぐ雑記: 状況に対する雑感

    誤解を招きそうだが、まったき個人の意見として、あまり整理もせずここに書いておく。 私は、鳩山首相やなんとかいう名前の官房長官の発言に、あまり怒ってはいない。かといって哀れんだり蔑んだりもしていない。 冷静に考えて、私が思うに追い込まれているのは日政府である。米国は地元同意がないプランに対しては交渉のテーブルにもつけない趣旨の発言をしているらしい。かっこつけやがってと思いもするが、日政府のほうが赤子と大人ほどレベルが違いすぎる。沖縄が、シュワブ陸上案や与勝沖埋め立て案で同意する道筋はない。 「少なくとも県外」と発言してきて、何ゆえにこんな出口に出るしか脳がないのか。不思議である。日政府は米国と、日国民が知らされていない決定的な「密約」を米国としているのではないかと疑いたくなるほどである。 「復帰」の際の「5.15メモ」などに明らかな、沖縄の米軍基地の自由使用などの日米合同委員会合意を

  • なごなぐ雑記: 「沖縄のこころ」―民衆の社会的連帯の再生

    明日(もう今日だ)の沖縄タイムスの読書欄「今週の平積み」に、『沖縄論』の私の書評が掲載されますので、チャンスがあれば読んでください。新聞社の方がつけてくれた見出し(タイトル)は、私が確認したゲラでは「『沖縄のこころ』実現の提言」となっていました。 編著者である宮憲一先生は『沖縄論』のなかで、「沖縄のこころ」を「現実主義的理想」といいます。我々の世代もそうだし、復帰などを知らない若い世代はもっと「沖縄のこころ」といわれてもピンとこないと思います。世代間のギャップもあるけど、時代の推移も大きいものがあります。 新聞に掲載する書評では字数に限りがあり、書けなかったことを、なんとなく整理もしないまま、今日はここに書いておきます。 「沖縄のこころ」など、単なることばです。「こころ」は人の数ほどそれぞれにあり、うつろいやすく、情緒的抽象的なものだといっていいのだと思います。 『沖縄論』には、「沖縄の

  • なごなぐ雑記: 新生・名護市へ捧ぐ

    名護市長選挙の結果を受けてなお、「ゼロベース」などという用語を繰り返し、政府は「辺野古」を手放さない。これまでの地元(行政的には名護市という基礎自治体)受入れという新基地建設の実現可能性の根幹が変わったのに、旧来のプランを残すことに固執する姿勢はゼロベース思考ではない。 首相は選挙前に「選挙結果も斟酌して」と発言していたのに、選挙結果が出たら官房長官が「斟酌する必要はない」などと言辞を吐く態度は、政府は「民主主義」的ですらないと公言しているに等しい。 市長選挙はもちろん住民投票ではない。しかし、名護市長選挙において新基地建設問題が大きく問われていたのは事実であり、当選した稲嶺進氏は「辺野古に基地はつくらせない」と公約し当選したことも周知の事実である。 ここで天下国家を論ずるつもりはないが、いよいよ政府は追い詰められている。 ■「変化」への市民の期待 市長選挙の最終結果は、稲嶺ススム17,9

  • なごなぐ雑記: ありがとう

    まだ投票箱は開いてもいないが、マスコミ各社が競って稲嶺ススム当確を打っています。間違いないだろうと信頼し、今日一日の緊張を解きます。 名護市民のみなさん。おめでとうございます。みなさんの一票一票が切り拓いた、新しい「まちづくり」へのスタートです。1977年の市民投票から13年。長くかかったけど、これでやっと主権者の意思決定と、市の意思決定をあわせることができる。ほんとうに名実共にノーサイドです。 比嘉鉄也さん、末松文信さん、島袋吉和さん、ほんとうに長い間の市政の舵取り、おつかれさまでした。大先輩に、若輩者が失礼な物言いばかりですみませんでした。 建男さん、私は鉄也さんが言うように死んでしまった人の考えや心を忖度することはしたくありません。でも、1999年と明らかに政治情勢も変わっています。沖縄に新たな移設先を沖縄が探すときではありません。あなたなら情勢の変化の中できっとそうしたであろうよう

    kojitaken
    kojitaken 2010/01/24
    さっきNHKがやっと稲嶺候補の当確を報じた。開票率55%で、稲嶺候補と島袋候補の得票数が同数でした
  • なごなぐ雑記: 新しい朝

    16:00現在(選管速報より) 次回選管速報は18:00 当日有権者総数 44,896人 投票者数 14,470人 +期日前投票者数14,239人=28,709人 投票率 32.23% +不在者投票31.72%=63.95 % --------------------------------------------------------------------- 嘉数高台の麓から、「おはようございます」です。名護市長選挙の投票率などの情報が入り次第。こちらに書いておきます。 昨日の名護の様子について、書かれているブログ等をいくつか読みました。とても盛り上がったようですね。 稲嶺候補打ち上げ式(海鳴りの島から) 明日への希望(北限のジュゴン調査チーム・ザン) 保革を超えた大きな広がりの中でうまれた「稲嶺ススム」の選挙態勢。ここで変えきれなければ、名護市が変わることはほんとうに難しいと思う。

    kojitaken
    kojitaken 2010/01/24
    投票率の低さや期日前投票の多さが気になってたけど、杞憂でした
  • なごなぐ雑記: 名護市民だけが混乱に終止符を打てる

    いよいよ明日、名護市長選挙は投開票日を迎える。各陣営の街頭での選挙運動も数時間後には終わる。 1997年の市民投票に参画した縁で、基地建設問題に真摯に向き合い続け人生を大きく変えてしまった私にとっては、重大な関心を寄せざる得ない選挙でした。 島袋ヨシカズ氏は、V字案で前政権とはいえ日政府と基合意している。稲嶺ススム氏は「辺野古に新しい基地はつくらさない」を明言している。ヨシカズ陣営が「市長選で基地問題は争点にしない」といっても、図式としてはとてもわかりやすい一騎打ちだったと思います。 これでヨシカズ再選になれば、「移設」先を探せずウロウロしている政府が辺野古に舞い戻る可能性は一気に高まります。「少なくとも県外」を公約して政権とって、辺野古以外の県内も含め検討しつつ結論先送りしているのが日政府であり、「舞い戻る可能性は薄い」とする考えは根拠薄弱です。 稲嶺ススム勝利で、名護市民が明確に

  • なごなぐ雑記: 振興を得るためにも、引き受けるべきは「基地」ではない

    1997年12月21日を忘れたことはない。起点であり終点となるべき、私にとって名護のまちづくりの基点である。 経済振興を渇望する気持ちを制して、名護市民は基地建設反対の意思を明確にしたが、それを踏みにじり比嘉鉄也氏が首相官邸で基地受入れと市長辞職を表明した。1997年12月24日のことである。あれから名護市民は引き裂かれ、市政は混乱し続けてきた。 たくさんのハコモノを、手柄として見せびらかす市長候補のパンフレットをみていると、1997年の「活性化促進市民の会」の方々の大きな看板やチラシとイメージがフラッシュする。市民投票で多数にはなれなかった彼ら彼女らが描いた「夢」を、実現したぞと誇示しているようだ。 しかし、その「夢」は捏造され誇張され操作されている。現実は、中心市街地の空き店舗率、土建業の倒産件数、失業率、すべてが増加/悪化の一途である。惨憺たる現実。「夢」は、看板に偽りありである。

  • なごなぐ雑記: 名護市長選挙の世論調査結果に思う

    読売新聞も「稲嶺氏先行」で報じている。タイムスと共同で調査を実施した朝日新聞も。各社の調査結果からは、有権者の約2割から3割が態度を決めていないという結果も出ている。   激戦であることはまちがいない。「やや先行」のレベルでは、数日で逆転する可能性は充分ある。先行している陣営にバンドワゴン効果が現れることを望むのも難しいだろう。この選挙、最後までわからなくなった。 1998年の市長選挙。革新陣営が全国規模の応援体制で、市民投票における反対多数の結果を追い風に選挙を戦い、田舎の首長選挙を地道に行なった保守側に1000票差で破れたことを思い出す。あのときと状況は明らかに違うが、もう泣き出したいくらいにヒリヒリする激戦だ。(…ここから先は、何度も書き直してしまったが、これがいま私が考え言えることの限界) 私は島袋陣営の「勢い」を過小評価するのは愚かだが、過大評価するのも誤りだと思う。 比嘉鉄也

  • なごなぐ雑記: 名護市長選挙におもう

    いよいよ今日、名護市長選挙が告示される。一週間は応援に名護に行こうかと思っていたが、仕事のやりくりがうまくいかず名護行きはあきらめなければならない。 新基地建設に反対する立場からは、稲嶺進新市長の誕生を願うしかない。いろいろ言いたい文句もあるが、市長になったあと議員やいろいろな方に認識を問うてもらうことにして、いまはただただ当選してもらわなければならない。 新聞紙上でみる限り、稲嶺氏は前市長で故人となった岸建男氏の後継を自認し、「岸氏は基地を造らせたくなかった。7条件をクリアしなければ(容認の)白紙撤回を約束している」などと発言している。 岸氏と歩んだ長い人生を振り返り、故人を偲びつつ、社会的な不名誉(と稲嶺氏や遺族が思う状況)からサルベージしたい気持ちは痛いほどわかるが、こんな発言を是認するわけにはいかない。 私は岸氏が市長であった2期8年間、市会議員として議場で相対してきた。2

  • なごなぐ雑記: 「基地返還計画 軍事から経済発展の拠点に」

    「基地返還計画 軍事から経済発展の拠点に」は、2010年1月11日付けの琉球新報社説のタイトル。私は概ね、この社説の主張を支持するが、少し異論というか別の角度からみえる風景もある。そのことについてメモしておく。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-155447-storytopic-11.html …(略)  「日米安保の危機」を懸念する日政府、嘉手納基地すらも失いかねないとの「脅威」が米政府をも動かし、県計画は「困難」とされた普天間を含む11施設の基地返還を打ち出す「SACO合意」を引き出す成果を挙げた。  政府や土財界、県内の一部には「米軍基地がなければ沖縄経済は破綻(はたん)する」との固定観念がある。  だが、県の調査や実際に返還された基地跡地を見ても、ハンビー飛行場(北谷町)のように返還で雇用効果が23倍、税収が50倍、経済波及効果で81倍、牧

  • なごなぐ雑記: 笑止、骨の髄まで基地誘致派でしかないヨシカズ名護市長が市民党

    2002年1月22日午後9時46分。岸建男前市長と初当選した島袋吉和が握手していたとき、私は市内某所で泣いていた。建男さんはこの基地建設問題に殺されたようなものだ。あの選挙で基地問題を終わらせるために私は必死だったが、人々の思惑が絡み合い縺れ捩れ選挙結果は出た。 島袋氏は政府の沿岸案に反対を公約し当選した。「妥協するな」という建男さんの末期の言葉をどのように聞いたか、3月27日に岸建男が永眠した11日後、沿岸案と同じ場所で規模を拡大したV字案で政府と合意した。 建男さん亡き後、私は張り詰めていた何かが弾け、市議落選を期に名護を離れた。現在は普天間基地のヘリが飛び交う宜野湾市に住んでいるが、人々が暮らす頭上を軍用ヘリが訓練で飛び交う日常は異常でしかない。「日常が異常」「異常が常態になった日常」―この現実を正確に伝えることばを私は持っていない。 あれから4年が過ぐる、来年は名護市長選挙の年

  • なごなぐ雑記: 断ち切れ「心の呪縛」

    左の画像は日の琉球新報7面に掲載されていた共同通信配信の記事。 共同通信編集委員・石山永一郎氏の署名入りの評論記事だが、全国の地方紙で扱われているところも多くはないだろうから、ぜひ紹介したいと思いスクラップした。 沖縄の新聞で各政党支部や社会面での人々の反応をみると「信頼できない」や「先送りではダメだ」という意見が多々ある。それぞれにもっともだと思いつつ、私は違うことを考える。 これまで新聞等で報道されていた閣僚や関係者発言の紆余曲折と、昨日の「基政策閣僚委員会」で決定を得たことは重みが違う。政府としてオーソライズしたことは重要である。 これまでの米側からのプレッシャーも、メディアの戦争前夜のような騒ぎ方も、ひとえにこのオーソライズをさせないことにあった。 確かに「先送り」というすっきりしないものだが、交渉ごとには相手がいる。オーソライズされた決定を得て、首相が肉声で明言した「辺野古以

  • なごなぐ雑記: 政府方針決定・普天間結論先送り

    【電子号外】普天間結論先送り 政府閣僚委が方針決定 (琉球新報2009年12月15日) 《政府方針骨子》 ◇移設先は年内決定を先送り、当分決めない ◇与党3党で実務者協議機関を設置 ◇移設関連予算を計上 ◇日米合意の名護市辺野古への移設計画を含め候補地を新たに検討 少しだけ感想を記す。 「年内決定せよ」との米国・マスコミ等のプレッシャーが異常に強い中での決定であり、一定程度は評価する。しかし、これぐらいのこと、総選挙時に公言してきたことにかんがみれば政権を執った直後に出て然るべき方針。 前政権から続く辺野古沿岸域での強引な「環境影響評価」は、法制度の内実を腐する行為である。改めるべきは改めるよう「移設関連予算」の執行を行なうべき。これは当該問題のみならず日国の環境政策・制度すべてに係る重大問題。 名護市辺野古への移設計画は、すでに死んでいるも同然だという事実を速やかに認識し名護市および

    kojitaken
    kojitaken 2009/12/16
    この件では小沢-鳩山ラインはそれなりに買えるね。彼らの真意はよくわからないけれど、政治は結果がすべて。
  • なごなぐ雑記: 続・環境破壊問題としての新基地建設

    日、下記のニュースに接した。米環境保護団体がオバマ大統領に辺野古基地建設中止を要請−JanJanニュース(2009/12/12)2009年12月8日付けで、アメリカの環境団体が連盟で政府に対して沖縄・辺野古新基地建設の中止を要請した。"We urge you to direct the U.S. secretaries of defense and state to cancel this project immediately." 「我々は、国防総省と国務省にこの計画の即時中止を求める。」という力強い内容である。生物多様性センター(Center for Biological Diversity (CBD))を先頭にした環境保護団体の連合に加え、Natural Resources Defense Council,(NRDC)、Earthjustice, Greenpeace and th

  • なごなぐ雑記: 岡田外相対話集会で激白。海兵隊がグアム行って空っぽになっても普天間は、新基地建設なければ返さない。えっ?

    岡田外相対話集会で激白。海兵隊がグアム行って空っぽになっても普天間は、新基地建設なければ返さない。えっ? 先週末から昨日にかけて、ある「会議」に参加するため二泊三日で名護市にいた。岡田外相が名護市に来たり状況がドラスティックに動き続ける中での「会議」だったが、そのような状況とは決して無縁ではないテーマをめぐって、韓国や日、沖縄の研究者や活動家が話し合うとても有意義な「場」だった。「名護会議」と名づけられたその会議についての報告は後日改めて、拙ブログでも行う。 岡田外相が名護で行った「市民との対話集会」については、小説家の目取真俊さんがその全容をテープ起こしなされて自身のブログで公開している。とても貴重な記録である。ぜひお読みいただきたい。下記リンク先からはじまり、7まで続いている。岡田外相と「市民との対話集会」 全面公開 1市民と対話した、説明を尽くしたというアリバイのごとき「場」にしよ

  • なごなぐ雑記: 怒髪天を突く-市民的不服従有理

    2009/11/30 15:25、テルヤ寛徳衆院議員が自身のブログに書く(容易ならざる事態の進行)。 「12月7日にも政府方針が決定される、との情報を得た」 日の新聞報道等をみるとテルヤ寛徳議員は、社民党の党首選に名前があがったり、様々な動きをなされているが、それもこれも「辺野古移設」という最悪の決定をさせないための「政治」なのだろう。テルヤ寛徳議員には最後まで奮闘して欲しい。 この情報に接してから、私も精一杯情報収集につとめたが、結果的に来週か再来週にでも鳩山首相が「辺野古移設」で決するという感触しか得られなかった。社民党の党首選がどうなろうと、最終的な結論を覆すことは至難の技なのだろうと思う。 民主党のデタラメさには、ほとほと呆れ返り、怒髪天を突く思いである。総選挙で当選した沖縄選出の民主党議員は全員辞職し、社民党・国民新党は連立離脱し、県民に懺悔した上で、政府に対する沖縄県民の抵抗

    kojitaken
    kojitaken 2009/12/03
    ←鳩山政権が。"来週か再来週にでも鳩山首相が「辺野古移設」で決するという感触しか得られなかった。"
  • なごなぐ雑記: 全国のそして全世界の友人へ贈る(その2)

    「普天間代替」という名の新基地建設を、「沖縄」の問題だと思い込んでいる人々が大勢いるような気がする。これは日国の沖縄差別としか言いようがない実態・現実の問題である。 事実だけ指摘しておきたい。 - 沖縄戦 1944年3月、アジア・太平洋戦争の最終段階で大日帝国大営直轄の沖縄守備隊(第三二軍)が創設される。沖縄は戦局の深刻化に伴い「国体護持」のための“捨て石”の役割を担わされることになる。 1945年3月、米軍上陸で沖縄戦始まる。米軍により日土への出撃拠点として、日軍から接収した飛行場以外にも飛行場が複数建設される。「普天間飛行場」はそのひとつである。 1945年8月、大日帝国がポツダム宣言を受諾する。 - 占領下から日国独立へ、沖縄は米軍占領続く 1947年9月、占領軍総司令官マッカーサーに対して「琉球諸島の将来に関する日国天皇の意見」(天皇メッセージ)が発せられる。この

    kojitaken
    kojitaken 2009/11/28
    この記事を読んでいて、ふと小学生の頃に知った「屋良朝苗」という名を思い出したのだった
  • なごなぐ雑記: 全国のそして全世界の友人へ贈る

    吹き渡る風の音に 耳を傾けよ 権力に抗し 復帰をなし遂げた 大衆の乾杯の声だ 打ち寄せる 波濤の響きを聞け 戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ鉄の暴風やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は 米軍占領に引き続き 一九五二年四月二八日 サンフランシスコ「平和」条約第三条により 屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた米国の支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した 祖国日は海の彼方に遠く 沖縄県民の声は空しく消えた われわれの闘いは 蟷螂の斧に擬された しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ 全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた見よ 平和にたたずまう宜名真の里から 二七度線を断つ小舟は船出し 舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ今踏まれている 土こそ 辺土区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ一九七二年五月一五日 沖縄の祖国復帰は実現した しかし県民の平和へ

    kojitaken
    kojitaken 2009/11/25
    コメ欄とここのブコメに何か湧いてるけど...
  • なごなぐ雑記: 憤怒の河を渡る

    怒ってる。とても、悲しくて、とても切なくて、とても怒ってる。 下記は昨日今日の私の“はてなブックマーク”「県外移転で気持ち一つに」 05年当時岡田外相、あの言葉は今いずこ - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース  nagonagu 政権についた途端に変貌する。属国の米国恐怖/沖縄差別は根深い。 2009/11/20 普天間移設 防衛省「辺野古」鮮明に 嘉手納F15削減など提案 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース nagonagu 政権交代してなお、ここに戻るのみか。ざわつく 2009/11/20 普天間問題/重いのは県民の意思/志位委員長 首相発言を批判 nagonagu 「一番重いのは作業部会の結論ではない。沖縄県民の意思だ」御意。つまらんから口にしたくもないが、私は共産党員でもシンパでもない、しかしこの問題でスジを通し続けていることを高く評価する。 2009/11/20

  • なごなぐ雑記: 寓話・FUTENMAの行方

    戦争があった。敗れた。占領された。国のあり方を変えた。占領者の指導を得て、平和主義で国民主権の民主主義国家になった。 しかし、国際社会に国家として認めてもらうときに、地上戦があった「島」を割譲し占領者の軍隊に統治させた。 占領者は、戦争中に「島」民から土地を取り上げFUTENMAという基地を造り、占領中もそのまま使い続けた。それから数十年を経て、FUTENMAの周りには都市ができた。 「島」は占領者から民主主義国家に生まれ変わった敗戦国に返還された。「島」民は、占領者の基地が無くなることを望んだが、そのままにされたのみならず、民主主義国家から占領者の基地が少なくなり「島」には基地が増える結果になった。 戦争から60年余も過ぎて、FUTENMAはとても古くて使いにくく危険な基地になっていた。占領者は基地を返すと決めた。「島」民は喜んだが、それは占領者のために新しい基地を造る条件付だった。それ