[ 事件 index / 無限回廊 top page ] 袴田事件 1966年(昭和41年)6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の「こがねミソ」製造会社専務である橋本藤雄(41歳)の自宅が放火され、焼け跡から藤雄、妻のちえ子(38歳)、長男の雅一郎(まさいちろう/14歳)、次女の扶次子(17歳)の一家4人が刺殺された姿で発見された。長女の昌子(当時19歳)は祖父母の家にいたため難を逃れていた。遺体はいずれも何者かに突き刺されるなどの致命傷を負ったのち、油を浴びて焼かれたものと判明した。静岡県警と清水署はただちに合同捜査本部を設置し、調査にあたった。そこで、橋本宅から集金袋1個が所在不明と分かった。また、現場には、雨ガッパと小刀用の木鞘(きざや)が焼けずに落ちており、屋内では黒く焦げた、くり小刀の刃体が見つかったが、捜査本部はこれを犯人の遺留品と見ていた。 翌日の7月1日には早く