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生活と訃報に関するkurobuchiのブックマーク (2)

  • 『この記事が公開されたという事は、いままでありがとうございました。』

    今晩はPajaです。 この記事が出たという事は、私の命の灯火が消えたという事です。 生前にこの記事を書いてにお願いして公開するように言ってあります。 皆様当にありがとうございました!! 皆様のおかげでここまで生きてこれました。 思えば2023年夏に年内厳しいという主治医の言葉から今日まで生きる力をくれたのは フォロワー様の応援があったからと言っても過言じゃありません。 もちろん、私の大好きな家族にも沢山支えてもらってここまで来れたんだと思います。 私は、癌に負けたんじゃありません。 たまたま、臓器が壊れてしまったからです。病に破れたんじゃないんです。 主治医の予想を大きく超えてここまで生きてこれたのがなによりの証拠!! 辛い抗がん剤治療、怖い手術や抜歯、緊急入院色々と貴重な経験しました。 お疲れ様、俺! よく、ここまで頑張った!! でも、なんか不思議だねwこの記事書いている時は、生きて

    『この記事が公開されたという事は、いままでありがとうございました。』
    kurobuchi
    kurobuchi 2024/04/02
    ガンの闘病生活をしていたガンプラのお父さんがついに… 本当は過酷だったのだろうけど、最後にこんなメッセージを書けるの凄い! お疲れ様でした。
  • 秋の日の旅立ち - ネタフル

    こんなに悲しい日記を書くことになるとは、1年前には思いもしませんでした。11月8日9時54分、母が息を引き取りました。 ちょうど1年前、約1ヶ月の咳が続き、その後の検診で肺に影があることが分かり、専門病院へ。 年が明けた2007年1月、告知。肺がんの3a期と診断されました。 3月から入院、抗がん剤投与、放射線照射による治療が3ヶ月。その後、イレッサを飲み6月、がん細胞が消えたり縮小していることが分かり、希望を見いだしました。 しかし8月、肝臓と脳に転移。再び入院。再度の抗がん剤投与、放射線治療を行います。 10月に発熱、入院。退院するも薬の影響からなのか寝たり起きたりの日々。このまま寝たままになってしまう不安から、薬を調整してもらい、再び意識がはっきりと戻りました。 10月下旬からは、父と二人で付きっきりで看病をしました。特に父は仕事も辞め、炊事に洗濯、掃除を全てこなしていました。 意識は

    秋の日の旅立ち - ネタフル
    kurobuchi
    kurobuchi 2007/11/19
    大手(?)のブログは運営者の顔が見えない印象なので余計に響く。ご冥福をお祈りします。
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