何のために生きているのだろう。 壁のシミを睨みつけながら、そんなことをぼーっと考える日々が続いている。 こんなものは本来、中学生あたりで卒業すべき問いなのだろう。 けれど、僕は中学生でそれを考えることをしなかった。なぜか。その頃は、それなりに生きることを楽しんでいたからだ。 生きることが楽しいなら、生きる理由などを、わざわざ理論武装する必要もない。楽しいから生きる、それで十分な理由に成り得る。 少し前まではその素朴な考え方で十分だった。でも今は違う。 今になってこんなことを考えているのは、お察しの通り、人生がつまらなくなったからである。辛いからである。 最初はその辛さから逃げようと思った。意識を低くして、できるだけ慎ましく生きようとした。 人と接するのは辛い。だから友達は作らない。勉強するのは辛い。だから勉強はしない。 そうやって、辛さからの逃避計画を少しずつ遂行していった。それとともに、