性愛は互いの器を通して互いの存在そのものを愛おしむ行為なのだから「ゴールなどない」。性交すら必要ない。そこに現にただ存在する、ということだけが前提にあるものだ。
この問題提起は非常にしばしば耳にするところで、基本的にはまったく同意しないのだが、しかしなぜ何度もおなじことを言われるのかを考えると、「救う」という言葉でおたがいに想定していることがらの範囲がちがうのだろうという気がする。 そんなことを考えていて思い出したのだが、ジェンダー論とかフェミニズムとかで文学や映画、あるいは絵画などをあつかっていると、贅沢品扱いというか、女性の生存にとってほんとうに大事なこともやらずになにをあそんでいるのか、という批判をうけやすい。このときの「生存にとって大事なこと」も、たぶん自分とはかんがえていることがちがうのだろうという気がする。 衣食住の保証とか身体の安全を脅かされないこととか、ひとが生きていくうえで大事なことはいろいろある。 「飢えたひとを前にしても芸術に意味があると言えるのは、そのひとが飢えたことがないからだ」という言い方があるが、そんなことが言えるのは
人は誰しも逆鱗を持っている──のかどうかは知りませんが、おそらく、「それを言われては怒らずにはいられない」一言とか、エリアとかを持っている人はそれなりに多いはずで、ご多分に漏れず、私にもそういう逆鱗があるのでした。……というようなことは、この日記を長いこと読んでくださっている方には自明の理で、ときおり明らかに怒っている記事があるのはそのせいなのだと思います。 ところが、「なぜそれが逆鱗なのか?」を説明するというのはとても難しいことで、これは例があった方がわかりやすいので今日、逆鱗にふれられてしまったエントリを引用すると、こういうのなのでした。 男が女と寝た後にチェックすること。Kさんの場合、ひと言で言えば、それは「女らしさ」なのだという。格闘技オタクなKさんは、男は男らしく、女は女らしくが理想。男なのに女々しかったり、腕っぷしの細いヤツは嫌いだし、女性は本能レベルで家事が好きだったり、「自
たとえば、「結局、人と人とはわかりあえないものなんだよ」という言い方があったりして、それはある種のストックフレーズなのだけど、しかし、これに反論しづらい状況というか、価値観というのはある。ちょっとした術語的なものを使うと、「他者は理解できない」とか、「理解できた時点で他者ではない」とか、「他者を自己の中に取り込む」とか、そういう話になるし、このあたりの言説というのは、まあ、ありふれていると言ってもいいのだろう。 で、このあたりには積極的に反論できないし、「そうだよね」とか思うのだけど、ただ、あまりにも簡単に「そうだよね」と思えてしまう状況というのは、あんまりよくないんじゃないか、と思う。 「他者は理解できない」、あるいは、「理解できないものが他者だ」というのは、完成された時点での物言いで、この、実のところ壮絶な言葉は、現状においては「カジュアル化」みたいな感じで、骨抜きになっているんじゃな
泣くのはおよしよ仔リスちゃん (マーブルコミックス) 作者: アユヤマネ出版社/メーカー: ソフトライン 東京漫画社発売日: 2006/02/23メディア: 単行本(ソフトカバー) クリック: 29回この商品を含むブログ (17件) を見る私が愛しているコミックス。ユリイカ2007年12月臨時増刊号 総特集=BL(ボーイズラブ)スタディーズ 作者: やまねあやの,西田東,京山あつき,草間さかえ,鈴木ツタ,トジツキハジメ,アユヤマネ,三浦しをん,金田淳子,玉兎出版社/メーカー: 青土社発売日: 2007/12/25メディア: ムック購入: 4人 クリック: 134回この商品を含むブログ (56件) を見るアユヤマネさんのインタビュー記事がこちらに載っています。 この作家さん、私大好きなんです。でも、この一冊しかコミックス出されてないんですよ。だからこの一冊だけで私はアユヤマネさんのファンにな
一日一チベットリンク / Eyes on Tibet 運動 - アンカテさん ブログを書いている人に、しばらくの間、一日に一つ、なんでもいいからチベット関係のURLにリンクしようという運動を提案したい。 別にチベットについて書く必要はなくて、エントリ本体は普段通りにいつも書いていることを書いて、最後に何か一つリンクを貼るだけ。「一日一チベットリンク」か「Eyes on Tibet」と添えて。 詳しくはわからないけど、チベットのことが心配だとぼんやり思っている人は多いだろう。そういうみなさんの関心のあり方を素直に表現する行為としての、一日一チベットリンク。 僕は1日1エントリも書ける人間ではないので、1エントリ1チベットリンクでいってみたい。 チベットリンク http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080321/1206109102さん エントリの中のリンク先も
http://d.hatena.ne.jp/m-abo/20080321/1206115370 男の肉体を舞台に、女性的な官能描写がなされていて、その描写の強さが、女性読者ばかりか男性読者の僕までも、官能のありようの違いを乗り越えて巻き込んでいった……そんなふうに、当時の僕には思えてならなかったのです。 実は今回私が書き連ねる事柄は、元記事の内容の本筋とは無縁なのだけど(すいません)、我が事について思う事があったのでメモ。あ、ちなみに私は『間の楔』は読んでないのでちょっと疑問には答えられません…。<古典にはとことん弱いのだだです。 m-aboさんはJUNE小説を読み込む事で、かつての自分とは異なる“女性的な官能”を感じたと仰るのだけど、そことは少し別のこの部分を読んで、私はドキリとした。 達する寸前ではぐらかされ、また責められてははぐらかされ…といった性技のなりゆきは、むしろ女体に対するそ
労働について述べた記事が話題になっているようだ。id:guri_2さんは労働者搾取やサービス残業について文句を言う人たちに「要は、勇気がないんでしょ?」と挑発する。 文句を言うな、とかそういうことじゃないんです。 文句を言っている暇があったら行動を起こして、状況変えちゃった方が早くないっすか?と思うのです。 guri_2「要は、勇気がないんでしょ?」『Attribute=51』(http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886) ここまでは同意していた。次の展開にビックリ。 自分たちだけ良い思いをする社長がうらやましい(憎たらしい)なら、自分も社長になって同じことをすればいいし、 会社にいたいなら縦横のつながり作って、自分自身も売り上げあげて、発言力持って、会社を変えちゃえばいいんじゃん?と。 (同上) え、あ?そっちなの?という感じ。どうせ
ここにレスを書いて下さった皆さん。山本さん、ぷよさん、チノボーさん、清隆さ ん、由藤さん、林洋子さん、Yoshimiさん。 それから、読んで下さった皆さん。 このような場を提供して下さった、山口あずささん。 どうもありがとう。 ぼくはいままで、彼女のことはごく親しい一部の人を除いて打ち明けたことはあり ませんでした。 ひとつは、彼女のことを考えはじめると、全く余裕がなくなってしまっていたか ら。(いまでもそう変わらない。ぼくはいま、精一杯自制しながらこれを書いてい ます。) もうひとつは、これ以上彼女を傷つけたくないと思っていたから。 でもいま思うと、ただ彼女を独占していたかっただけではないかという気もする。 彼女は生きている間は自由だけを望んでいたのではないかと思う。 自分を傷つけた父親から 自分を助けてくれなかった母親から 心の中からわき上がる罪悪感や嫌悪感、劣等感から 人々の偏見から
じぶんでじぶんをしつけるメッセージ 新項目、新解答例、コメント及びこの辞典に関するご質問、ご意見等ご自由に書き込んでください。 [表紙] [ツリートップの表示に戻る] ◇-まいこさん 1/3-山口あずさ(3/28-21:41)No.358 ┣まいこさん 2/3-山口あずさ(3/28-21:45)No.359 ┗まいこさん 3/3-山口あずさ(3/28-21:46)No.360 ┣Re:まいこさん 返信 1/2-山口あずさ(3/28-21:48)No.361 ┗Re:まいこさん 返信 2/2-山口あずさ(3/28-21:52)No.362 ┗親-nolphin(3/29-11:37)No.365 ┣Re:親-山口あずさ(3/29-12:25)No.366 ┣親という凡庸 1/2-山口あずさ(3/29-12:52)No.367 ┗親という凡庸 2/2-山口あずさ(3/29-12:52)No.3
Filed under economics, politics Posted on 2008/02/25 月曜日 - 01:18:57 by admin Responses are currently closed, but you can trackback from your own site. http://macska.org/article/219/trackback/ 60 Responses - “アファーマティヴアクションを巡る倒錯した非難/苺畑カカシさんへ3” macska Says: 2008/02/25 - 08:27:02 - いまカカシさんのサイトを見たら、エントリが少し書き直されており、次の断りがありました。 お断り:このエントリーは数時間前に掲載したものを訂正して書き直したものです。特定の人物への個人攻撃のような内容があったのでその部分を削除しました。数時間前
私は小学校中学校高校と、平均よりずっとずっと太っていて、自分を女の子だと思えるようなことが毎月の生理と制服のスカート以外に無かった。自分の容姿も自分の性格も自分の頭も何もかも嫌いだった。特に容姿は、体重は、親にも祖母にでさえ揶揄されて嘆かれ嫁の貰い手がないと言われた。お前は勉強するしかない、自立しなさいと言われた。女性として価値が無いってことだろうか。高校生の終わり頃にニ三十キロ痩せた。毎日毎日完璧に日課をこなして少しだけの食物を食べて、我慢できなくなったら大量の甘いものや食パンや何でもなんでもおなかに詰め込んで吐いて、また食べて、倒れて目の前が暗くなったら眠れた。トイレに私が吐いた大量の食べ物がたまって腐った。親は怒り狂い、また私を無視し、そして悲しんだ。私は、何をしても親の気に入るようには出来ない人間のようだ、と思った。同じ子供のはずの兄は順調で賢くて可愛らしくて愛想良く何でも出来て私
今日の内容はかなりきついと思います。嫌な人は読まないで下さい。二三十キロ痩せた後から、周囲の人の扱い方が変わったのに段々気付いた。とある友人に「彼氏が出来たから紹介したい」「隣の県に遊びに行こう」と言われて着いて行った。「彼氏」なので友人も居るし、泊まりでもまあ大丈夫だろう、と思って行った。その先にはその人以外に三人の男性が居た。友人は最初に入った居酒屋ですぐに酒に酔ってしまった。帰れなくなった。まだ、でもこの時点では。大丈夫だろうと思っていた。彼氏さんの家に行った。友人と彼氏は、介抱のため二人で奥に引っ込んで行った。置いて行かれた。私はこの時点で「強姦される可能性」を考えた。と言うか、多分。その。つもりであったのかもしれない。解らない。考え切れない。酒の飲み比べになった。そう仕向けた。三人はテーブルの上で酒瓶を回して当った人が飲むという例のあれをしていた。結局私が七割飲んだ。残り三割を三
■ [マンガ][わかつきめぐみ]世界はわたしにやさしくない ひとつの同じ出来事が受け取る人によってまるで違うものになってしまう、ということは比較的了解しやすいだろう。だが、こういうことを言うと、それは「人によって意見が違う」ことだとしばしば誤解される。たとえばある人が「人類の平和のために戦争はないほうが良い」と発言すると、それに賛同を示す人もいるし「いや、大義名分のある戦争ならむしろ必要だ」と言う人もいれば「自分が戦争に行きたくないから戦争はないほうが良い、人類のことなんて知らないよ」と言う人もいる。こうした意見の相違は時に泥沼の議論を呼んでしまうのだけれども、もし議論をしっかり整理してある論理的な規則にしたがって結論を導こうと努力するならある程度調停することは可能だ*1。はじめに述べたことはこういうことではない。ひとつの同じはずの出来事は受け取った人それぞれに違ったものとして現れる。その
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