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読み物に関するmeymaoのブックマーク (13)

  • 名著40 岡倉天心「茶の本」:100分 de 名著

    「茶の」 新渡戸稲造「武士道」とほぼ同じ時期に英語で出版され、日文化の啓蒙書として世界中で読み継がれている岡倉天心著「茶の」。初詣、おせち料理、書初め等…日文化を強く意識する新年、「100分de名著」では、「茶の文化」を通して日や東洋文明の底流に流れている特異な世界観をわかりやすく紹介した「茶の」を読み解き、日とは、そして、日人とは何かをあらためて見つめなおします。 「茶の」といっても、茶道の指南書ではありません。近代欧米の物質主義的文化と対比して、東洋の伝統精神文化の奥義を解きつくそうという壮大な構想をもとに書かれた天心流の文明論です。明治時代、文部官僚として日美術の再興に尽力した天心ですが、ボストン美術館で東洋美術収集の仕事をするようになってから、欧米社会にいかにして日文化の奥深さを伝えるかを自らのミッションと考えるようになりました。その頃、日清・日露戦争を契機

    名著40 岡倉天心「茶の本」:100分 de 名著
  • 脳みそから血が出るほど考える:糸井重里さん

    1948年群馬県生まれ。「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。 1971年にコピーライターとしてデビュー。 「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などの広告で一躍有名に。 また、作詞やエッセイ執筆、ゲーム制作など、幅広いジャンルでも活躍。 1998年6月に毎日更新のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を 立ち上げてからは、同サイトでの活動に全力を傾けている。 糸井:今、わしてくれるビジネスがあったとしたら、それを「もっと良くしていくことはできないだろうか」と考える。そこに必ずクリエイティブの要素はある。 その時、自分の生命力みたいなものをふり絞って出てくるもの。それがクリエイティブだと思うんです。よく社員に言うんですが、「君は脳みそから血が出るくらい考えているか」って。僕は「何か始めたら脳みそから血が出るくらい考えるぞ」と。なぜかというと、「脳みそから血が出るくらい考える」方が面白いから。 川島:私

    脳みそから血が出るほど考える:糸井重里さん
  • 《第65回》文部科学大臣賞作品紹介(1)

    第65回全国小・中学校作文コンクールの中央最終審査会が行われ、各賞が決定しました。応募は3万5095点(小学校低学年4883点、高学年8081点、中学校2万2131点)。文部科学大臣賞3点を要約して紹介します。(敬称略) <2015年11月30日の読売新聞朝刊に掲載しました> <中学校> 「夢の跡」 静岡・静岡サレジオ中2年 高田愛弓(たかだ・あゆみ) 父が、逮捕された。 自宅には家宅捜索が入った。毎日「いってきます」と「ただいま」を繰り返す門扉は、マスコミ陣で埋め尽くされた。 2015年5月26日、夕刻のことである。 6人の警官が玄関先で卵のパックに収まっているかのように待機する中、母は親戚に電話をして、駅前のビジネスホテルを押さえてもらうと、祖母に連絡を取り、そこから叔母が私を迎えに行くように手筈(てはず)を整えた。 テレビドラマでしか観(み)たことがないようなことが自分の家で起こって

  • Matogrosso

    高見奈緒 『さらば、漫画よ』 温暖化が進んだ東京を舞台に描かれる近未来ストーリー。獅子王とみなぞうが邂逅したハロウィンの日から、人々の混乱はさらに加速し……!? 第7話、連載再開です!

    Matogrosso
  • ベビーカーが載せているのは「マナー」ではない:日経ビジネスオンライン

    この春から、週に2回ほど電車に乗って出かける先ができて、そういう境遇になってみると、あらためて気づかされることがいくつかある。 私はこの20年ほど、定期的に通う先を持っていなかった。 だから、混んだ電車に乗ること自体、かなり久しぶりの経験だったのだが、驚いているのは、夕方の通勤車両の中の乗客が、誰も彼も、かつてよりひどくギスギスして見えることだ。スマホや携帯電話を操作している者が約半数。残りは、中空を睨んでいるか、でなければ、かたく目を閉じている。 なんだか暴動前夜みたいな雰囲気だ。 そんなふうに感じるのは、私が浮世離れしているせいなのだろうか。あるいは、私が若者だった頃の通勤客と比べて、21世紀の乗客はより巨大なストレスに晒されているということなのか? この点について話をすると、出勤族の答えはニベも無い。 「何時頃の何線に乗ってるんだ?」 「月曜と水曜の昼過ぎの地下鉄南北線。で、帰りは時

    ベビーカーが載せているのは「マナー」ではない:日経ビジネスオンライン
  • 芥川龍之介 侏儒の言葉

    「侏儒(しゅじゅ)の言葉」の序 「侏儒の言葉」は必(かならず)しもわたしの思想を伝えるものではない。唯わたしの思想の変化を時々窺(うかが)わせるのに過ぎぬものである。一の草よりも一すじの蔓草(つるくさ)、――しかもその蔓草は幾すじも蔓を伸ばしているかも知れない。 星 太陽の下に新しきことなしとは古人の道破した言葉である。しかし新しいことのないのは独り太陽の下ばかりではない。 天文学者の説によれば、ヘラクレス星群を発した光は我我の地球へ達するのに三万六千年を要するそうである。が、ヘラクレス星群と雖(いえど)も、永久に輝いていることは出来ない。何時か一度は冷灰のように、美しい光を失ってしまう。のみならず死は何処へ行っても常に生を孕(はら)んでいる。光を失ったヘラクレス星群も無辺の天をさまよう内に、都合の好い機会を得さえすれば、一団の星雲と変化するであろう。そうすれば又新しい星は続々と其処に生

  • 爺さん婆さんから聞いた幕末・明治・大正・終戦時代の話 : 哲学ニュースnwk

    2012年02月02日12:00 爺さん婆さんから聞いた幕末・明治・大正・終戦時代の話 Tweet 1:日@名無史さん:2006/11/06(月) 03:56:09 君が爺さん、婆さんから聞いた、リアルな実体験話を 皆に聞かせるためのスレッド。 歴史上の有名人との接触 歴史上重要な出来事に関わった話 先祖が英雄で、身内しか聞けない話 その他、どうでもいいがおもしろい話 こんなところかな 個人的には黒船から日露戦争までの時代の話を聞きたい 13: 日@名無史さん:2006/11/06(月) 16:45:00 大正後半から昭和初期の話だが、うちの曾祖母は小卒後、 地元の県立工業学校で自動織機を学びながら働いてて、 当時としては貴重な技術だったため、小学校の校長と同じ給料を貰ってたとさ。 数ヵ月に一度は実家に田畑を買ってやったと言ってた。 歳にして13~だから、今の時代じゃ考えられんな。 俺

    爺さん婆さんから聞いた幕末・明治・大正・終戦時代の話 : 哲学ニュースnwk
  • 源氏物語

  • この文章は削除いたしました。(妻が亡くなるまでの全てと、その後の僕の全て)

    来この文章は僕ら夫婦のの知人のためだけに、限定的に公開した報告書のようなものでした。 そうではない方にもパートナーをより愛すきっかけとなればと、また僕も渦中のときに同じ境遇の人の文章を漁ったりしていたのでそういう人の救いになればと思い、拡散された後も公開し続けていました。 しかし、予想以上に拡散してしまい、友人や家族にも迷惑がかかり始めていますので、ここで削除させていただきます。

  • 誰かが教えてくれればよかったのにと思う、クリエイティブな壁を越えるためのたった一つの方法

    才能がないと嘆く暇があるなら、すこしでも新しい何かを始めること。これはどんな仕事趣味でもいえることなのかもしれません。 どんなブログにするか悩むくらいならとっととブログを立ち上げてしまう。どうすれば正しいのかと思うよりも速く始めてみて修正してゆく。いま、自分の仕事がうまくいっていないというなら、うまくいっている部分を一つ見つけてそれを繰り返す。 そうした、「クリエイティブなしつこさ」こそが、多くの障害を乗り越える秘訣なのでしょう。 ラジオホストで、This American Life のプロデューサーである Ira Glass 氏の言葉とされるインフォグラフを読んでいて、あらためてそうしたことを感じました。 非常に力強い言葉でしたので、訳してお届けしたいと思います。 始めたばかりの人に、誰もこれを教えてはくれない。 誰かが教えてくれればよかったのにと思ってる。 クリエイティブな仕事をする

    誰かが教えてくれればよかったのにと思う、クリエイティブな壁を越えるためのたった一つの方法
  • http://www.erroneous-order.com/bnf/analects.html

  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

  • 図書館となら、できること/本と出会った頃のこと

    少女:を読むのが好きな人は、ご両親も好きだったりしますね。 司書:そういう方が多いでしょうね。 少女:先生のご両親もそうでしたか? 司書:いいえ。 -------を読み始めたのは、人より遅かったと思います。 私は4歳まで話すことができませんでした。二つ下の妹は2歳で話し始めました。 両親は学問のない人たちでした。ただ学問を憎んではいませんでした。淡い憧れを抱いていました。 父は、働きだした頃、大工の見習いのようなことをしていました。 二十歳を越えた頃、建築現場で働いている時に地震に遭い、何日か生き埋めに近い状態ですごしたことがあったそうです。 幸い、一命は取り留めましたが、足を痛めてしまいました。 杖があれば歩けるようになった頃、夜間中学を勧められました。 最初の半年は、先生の言うことがほとんど分からなかったそうです。 それでも学校に行くのは好きでした。 ある日、学校の下駄箱がずいぶ

    図書館となら、できること/本と出会った頃のこと
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