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ブックマーク / hiroyukikojima.hatenablog.com (4)

  • 数学とは何か - hiroyukikojima’s blog

    昨年暮れに衝撃を受けたのは、YUI完結のニュースだった。ほとんどYUI音楽しか聴かない生活になっていたので、「おりゃ、いったい今後、何を聴いて暮らせばいいだべさ」と真っ暗な気分になった。まあ、YUIは、新年早々から単独の音楽活動を再開しているそうで、ぼくらの前に再登場するのもそんなに遠いことじゃないのかもしれないが。。。 しか〜し、である! 捨てる神あれば拾う神あり。新年から、実は、別のミュージシャンにはまってしまっている。しかも、男性ミュージシャン。しかも、V系。どうしたんだオレ、って感じだ。 それは、雅-Miyavi-っていう人。知ったきっかけは、暮れのFNS音楽祭。YUIを観ようと流し観してて、ぶっとんでしまった。和田アキ子のバックを弾いてたMiyaviのギターにあまりにびっくりして、それからyoutubeで彼のプレーをいろいろ観てみた。そして、衝撃を受けた。どうして今まで、こんな

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  • 数学は言葉 - hiroyukikojima’s blog

    一般の人が、数学を読んで理解しようとするとき、二つの障壁を乗り越えねばならない。一つは、語られている概念が抽象的であること、そしてもう一つは、それを語っている「言葉」が数式というこれまた「読みにくい言語」だ、ということだ。書き手が後者を突破する道は二者択一である。第一の道は、数式を使わず、極力日常の言語で表現すること。第二の道は、あえて「数式言語の読み方をレクチャーする」ことである。でも、第二の道を選択する書き手はほぼ皆無である。なぜなら、相当しんどい作業になる上、それだけの努力がの売り上げに貢献するとは考えられないからだ。かくいうぼくも、第二の道を試みたことは一回しかない。それは『文系のための数学教室』講談社現代新書で、「ルベーグ積分」を題材に、積分記号の読解の作法を伝授した部分だ。そこでのメッセージは、「数式には独特の読解の仕方がある。記号を記号のまま受け入れようとせずに、自分の

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  • 中学受験を終えて思うこと - hiroyukikojima’s blog

    先週、中学受験における我が家の天王山が終わった。息子は、予想外にも、受験した中学すべてに合格し、第一志望の中学に進学することが決まった。指導してくださったサピックス下高井戸校の諸先生方にはお礼の申しようもない。 そんなこんなもあって、今回は、中学受験について思うところをまとめてみようと思う。こんな書き方をすると、サピックスに対する提灯記事だと思われてしまうだろうが、実際、半ば提灯ではあるが、(だって、箸にも棒にもかからない愚息をここまで仕上げてくれたのは、彼らの功績だからね) 、その実、いくつかの点で書くべき価値があると思ってるから書く。その第1点は、ぼくが以前に勤務していた塾は中高一貫校の生徒を対象とした塾だったので、ぼくが中学数学主任として教えたのも一貫校の中学生だったが、自分が一貫校の卒業ではないので、知らないことがたくさんあった。今、息子の受験を体験して、当時気づいてなかった多くの

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  • 13歳の冬、誰にも言えなかったこと - hiroyukikojima’s blog

    昔、塾で教えていたときのこと。 とある中1の女の子を受け持った。 母親がとても熱心で、どこかからうちの塾のことを聞き込んで 娘さんを連れてきたんだと思う。 その子は一風変わった娘だったけれど、見た目では、そんな に人と違うようではなかった。 でも、その子は、明らかに数学との関係の上で、 トラブルを抱えていた。 それは文字式の操作に如実に表れた。 とにかく、文字式の記号処理の規則に従うことが できなかった。 ぼくは、半ば意地になって、彼女のためだけのプリント を作った。すべての文字式計算の操作を1ステップずつ 分解し、穴埋め問題にし、これ以上分割するのは不可能、 というところまでこなごなにしたのだ。 彼女は、その1ステップずつは、どうにかこうにか 進むことはできた。けれども、その1ステップずつの 操作の「連続性」を捉えることができないのだ、 とわかった。 どんなに練習を繰り返しても、プリント

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