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poetに関するnabinnoのブックマーク (30)

  • J・M・クッツェー - Wikipedia

    受賞理由:アウトサイダーが巻き込まれていくさまを、無数の手法を用いながら意表をついた物語によって描いたこと ジョン・マックスウェル・クッツェー(John Maxwell Coetzee, 1940年2月9日 - [1] )は、南アフリカ出身の小説家、エッセイスト、言語学者、翻訳家で、2003年のノーベル文学賞の受賞者。オーストラリアの市民権を取得している。 略歴[編集] クッツェーは南アフリカのケープタウンのモーブレーで、アフリカーナーの系譜にあたる父親ザカライアス・クッツェー(1912–1988)と母親ヴェラ・ヴェーメイエル・クッツェー(1904–1986)のあいだの第一子として生まれた。弟にデイヴィッド・クッツェー(1943-2010)がいる。少年時代をケープタウンと内陸の町ヴスターで、ハイスクールと大学時代をケープタウンで過ごし──この間のエピソードは回想記風の作品『少年時代』(19

    J・M・クッツェー - Wikipedia
  • ウェブサービスを開発するために詩を書いた話

    第4回ペパボテックカンファレンスで発表した「ウェブサービスを開発するために詩を書いた話」の資料です。 http://eventdots.jp/event/573086

    ウェブサービスを開発するために詩を書いた話
  • 古今和歌集 - Wikipedia

    「古今和歌集仮名序」(巻子) 仮名序の冒頭。「古今倭歌集序」と最初に書くが、通常の『古今和歌集』の伝にはこの題はない。12世紀ごろの書写で国宝に指定されている。大倉集古館蔵。 『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは、平安時代の歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの[注 1]。醍醐天皇の命により編纂され、905年に奏上された。後世の勅撰和歌集の範となり、国風文化・日文学に影響をのこした。略称を『古今集』(こきんしゅう)という。 成立[編集] 『古今和歌集』は二つの序文を持つ。仮名で書かれた仮名序と、漢文で書かれた真名序である[注 2]。仮名序によれば、醍醐天皇の勅命により『万葉集』に選ばれなかった古き時代の歌から撰者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上された[注 3]。ただし現存する『古今和歌集』には、延喜5年以降に詠まれた和歌も入れら

    古今和歌集 - Wikipedia
  • 古今和歌集とは何か ~日本美の原点を知る~ - 二条流 令和和歌所

    古今和歌集とは何か? それは端的に「美の結晶」です。 つまり古今集を語ることは、美について語るのと同意なのです。 うわべをさらっておくと延喜五年(西暦905年)、醍醐天皇の勅命により紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑らによって編纂された最初の勅撰和歌集。総歌数はおよそ1100首、万葉集に倣って巻二十の体裁をとり、仮名序および真名序を備えた構成は以後の勅撰和歌集の手となりました。これを名づけて「古今和歌集」と言ふ! その最大の特徴が時間的推移による歌の配列です。万葉集にも一部(巻一、二)に時系列による配列がみられますが、古今集はこの配列こそが歌集の肝となっており、歌集という集合物の価値が最大限に発揮されています。 →関連記事「万葉集の代表歌、歌風、選者そして歴史をざっと知る!」 実例として、巻一(春)から数首見てみましょう。 1「年のうちに春はきにけり一年を 去年とやいはむ今年とやいはむ

    古今和歌集とは何か ~日本美の原点を知る~ - 二条流 令和和歌所
  • 谷川俊太郎/ポエトリージャパン

    さようなら   谷川俊太郎 ぼくもういかなきゃなんない すぐいかなきゃなんない どこへいくのかわからないけど さくらなみきのしたをとおって おおどおりをしんごうでわたって いつもながめてるやまをめじるしに ひとりでいかなきゃなんない どうしてなのかしらないけど おかあさんごめんなさい おとうさんにやさしくしてあげて ぼくすききらいいわずになんでもたべる ほんもいまよりたくさんよむとおもう よるになったらほしをみる ひるはいろんなひととはなしをする そしてきっといちばんすきなものをみつける みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる だからとおくにいてもさびしくないよ ぼくもういかなきゃなんない ● presented by Poetry Japan 無断転載厳禁。 (c)Copyright by Shuntarou Tanikawa All rights reserved. All origi

  • 恋の和歌はなぜつまらないか? - 二条流 令和和歌所

    恋の和歌はなぜつまらないか? 世間一般では「今と変わらぬ恋心に胸キュン必至!」と無条件に礼賛されている感がありますが、 正直申し上げて、恋の和歌は面白いものではありません。 一応断っておくと、全ての恋の和歌がつまらないと言っているのではありません。 中には男の私がウットリするような歌もあります。 だが大半は、つまらない。 では早速その「つまらない」代表例を古今和歌集からあげてみましょう。 487「ちはやふる 加茂の社の 木綿襷 ひと日も君を かけぬ日はなし」 489「駿河なる 田子の浦浪 たたぬひは あれとも君を こひぬ日はなし」 508「いで我を 人なとがめそ おほ舟の ゆたのたゆたに 物思ふころぞ」 493「たぎつ瀬の 中にも淀は ありてふを なと我恋の 淵瀬ともなき」 509「伊勢の海に 釣りする海女の 浮子なれや 心ひとつを 定めかねつる」 534「人しれぬ 思ひをつねに するがな

    恋の和歌はなぜつまらないか? - 二条流 令和和歌所
  • 万葉集その二十七(雁が音:かりがね) | 万葉集遊楽

    秋は渡り鳥の季節です。 渡ってくる鳥は色々ありますが特に日人に印象深かったのは雁でした。 古代の人はその秋、渡ってきた雁の声を聞き漏らすまいと熱心に耳を傾けました。 初めて渡来した雁を「初雁」 その声を「雁が音」という美しい言葉で表し、 そしていつの間にか「かりがね」は雁の別名となったのです。 雁はその名のごとく「グヮングヮン」とか「カリカリ」と心に染透るように鳴きます。 またその整然と空を渡るさまは神々しささえ感じさせ「天つ雁」とか 「遠つ人、雁」とも呼ばれ霊鳥とされていました。 「さ雄鹿の どふ時に 月をよみ 雁が音聞こゆ 今来(く)らしも 」 巻10の2131 作者未詳 「月をよみ」月が良いという意味で ( 皓々と光があたりを照らして 良い月夜だなぁ。 を求めて雄鹿が鳴いている。 あれっ 遠くから雁の鳴き声まで聞こえてきたよ。 今年も初雁がやって来たらしいなぁ。 まるで鹿と雁の

    万葉集その二十七(雁が音:かりがね) | 万葉集遊楽
  • 金子みすゞ - Wikipedia

    金子 みすゞ(かねこ みすず、名:金子 テル〈かねこ テル〉、1903年〈明治36年〉4月11日 - 1930年〈昭和5年〉3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日の童謡詩人。26歳で夭逝するまで約500編の詩を遺した[1]。没後半世紀はほぼ忘却されていたが、1980年代以降に脚光を浴び、再評価が進んだ[1]。 西條八十に激賞されたが早逝、幻の童謡詩人とされていた。遺稿集が発掘され、出版(1984年)、深く優しい世界観が広く知られた。代表作に「私と小鳥と鈴と」「大漁」など。 生涯[編集] 山口県大津郡仙崎村(現:長門市仙崎)の生まれ。郡立深川高等女学校(現:山口県立大津緑洋高等学校)卒業。父は、(みすゞの母)の妹の嫁ぎ先である下関の書店「上山文英堂」の清国営口支店長だったが、1906年(明治39年)2月10日、みすゞが3歳のときに清国で不慮の死[注 1]を遂げる

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  • 高橋歩 - Wikipedia

    この存命人物の記事には、出典がまったくありません。信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "高橋歩" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年4月) この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。基準に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。 出典検索?: "高橋歩" – ニュース · 書籍

  • 銀色夏生 - Wikipedia

    銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 - )は、日の女性詩人、随筆家、作詞家、写真家。 概要[編集] 1960年、宮崎県えびの市に生まれる[1]。えびの市立真幸小学校、えびの市立真幸中学校卒業。宮崎県立小林高等学校(小林市)卒業[1] 後、埼玉大学教養学部を卒業[1]。 1982年に作詞家として活動を開始し、翌1983年に沢田研二の「晴れのちBLUE BOY」を作詞した。その後も大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」「ゴーゴーヘブン」や、2011年度NHK全国学校音楽コンクール課題曲「僕が守る」[2] などを作詞した[1]。また、山元みき子(やまもと みきこ)名義で太田裕美に歌詞を提供している。 1985年に第1詩集『黄昏国』を河出書房新社より刊行[3]。のちにの制作に専念し、著書に掲載する写真撮影とイラスト制作も自ら手がける。また詩だけではなく、創作物語なども執筆してい

  • 玉砕 - Wikipedia

    玉砕(ぎょくさい、旧字体:玉碎)は、玉のように美しく砕け散ること、指導層が提唱する大義、名誉などに殉じて潔く死ぬこと[1]。大東亜戦争の前線で日軍部隊が殲滅[注釈 1]されたことを表現する言葉として大営発表で用いられた。対義語は、瓦全(がぜん)、甎全(せんぜん)で、無為に生き永らえること[2]。中国の古書『北斉書』の「元景安伝」中の記述「大丈夫寧可玉砕何能瓦全(勇士は瓦として無事に生き延びるより、むしろ玉となって砕けた方が良い)」を語源とする。 由来[編集] 「玉砕」、「瓦全」という言葉は、唐代に編纂された東魏(534~550年)から北斉(550~577年)にかけての歴史を記した正史『北斉書』の列伝第三十三(元景安)に見える[3][4]。同書によれば、故事は以下のとおりである。 元景皓と元景安は、北魏の帝室「元」氏の血を引くいとこ同士であった(「景」が輩行字)。北魏が滅び、高洋が即位し

  • アララギ - Wikipedia

    『アララギ』(あららぎ)は、日の短歌結社誌。1903年(明治36年)に伊藤左千夫をはじめとした正岡子規門下の歌人らが集まった根岸短歌会の機関誌『馬酔木』を源流とし、1908年(明治41年)に左千夫や蕨真一郎を中心に『阿羅々木』として創刊。翌年、島木赤彦が創刊した『比牟呂』と合併し、『アララギ』と改題された[1][2]。 歴史[編集] 編集体制は当初左千夫を中心とし、古泉千樫、斎藤茂吉、石原純らが交替で編集にあたった。しかし編集主任であった千樫の編集体制のもとでは遅刊休刊が続き、左千夫が死去する直前の1913年(大正2年)には茂吉らとの内部分裂が深刻となり、休刊・廃刊も視野に入るほどの危機に陥った。茂吉は赤彦に窮状を訴え、業を煮やした赤彦が長野県から上京。編集発行人を一時的に千樫から茂吉に交代した。1914年(大正3年)6月より赤彦らと親交の深い岩波茂雄が経営する岩波書店にて販売取扱いを始

  • 結社 - Wikipedia

    結社(けっしゃ、英語:association)は、共通の目的のために組織される継続的な団体のこと。なお、associationは協会と訳されることが多いが、協会は結社の一形態である。 概要[編集] 人類の社会形成の歴史の中で血縁と地縁が2大紐帯原理であるが、約束に基づく紐帯原理も原始農耕に前後する時代まで遡れる[1]。一定の約束のもとに個人で形成される約縁集団を利益集団、または結社と呼ぶ。個を重視する結社の仕組みは近代思想への足掛かりとなり、人々の流動性が高まった近世以降の都市社会の発達とともに、多くの人々がなんらかの組織に帰属するようになった。結社は自己実現を目的とした集団として、アイデンティティの拠り所となっていった。 綾部恒雄は結社について次のように定義している。 なんらかの共通の目的・関心を満たすために、一定の約束のもとに、基的には平等な資格で、自発的に加入した成員によって運営さ

  • 三十六歌仙 - Wikipedia

    成立の過程[編集] 『三十六人歌仙伝』、『袋草紙』、『後拾遺抄注』他、諸典籍からの研究による成立過程は、寛弘5年(1008年)、公任が前十五番歌合(十五人の左右組で合計三十人)を編んだ時に、貫之を一番左方、人麻呂を十五番の左方に配し、貫之を人麻呂の上においた。そのため人麻呂を評価する具平親王との優劣論争となり、それぞれが選んだ秀歌十首ずつを出しあい番えたところ、人麻呂の勝となった(十首歌合。散逸)。その結果を受け、公任は前十五番歌合を発展させて三十人撰を撰び(散逸)、具平親王はそれを改撰した(歌仙歌合)。翌年の具平親王の薨去からまもなくの時期に、公任は三十人撰を改訂し三十六人撰を完成させたと見られている。この時点で七人増えたものの、元の三十人から清原深養父が外されて三十六人となった。 三十六歌仙扁額[編集] 三重県伊賀市の敢國神社(伊賀国一宮)には三重県指定有形文化財とされる三十六歌仙扁額

    三十六歌仙 - Wikipedia
  • 梨壺の五人 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "梨壺の五人" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年10月) 梨壺の五人(なしつぼのごにん)とは、天暦5年(951年)村上天皇の命により、平安御所七殿五舎の一つである昭陽舎に置かれた和歌所の寄人である。昭陽舎の庭には梨の木が植えられていたことから梨壺と呼ばれた。『万葉集』の解読、『後撰和歌集』の編纂などを行った。 以下の五人である。 大中臣能宣 源順[1] 清原元輔 坂上望城 紀時文 脚注[編集]

  • 歌会始 - Wikipedia

    1950年頃、宮中歌会始 歌会始(うたかいはじめ)は、和歌(短歌)を披露しあう「歌会」で、その年の始めに行うものを指す。現在では、年頭に行われる宮中での「歌会始の儀」が特に有名。 概要[編集] 元々は、上代にて皇族・貴族等が集い和歌(短歌)を披露しあう「歌会」で、その年の始めに行うものを指す。 今日では宮中歌会始(後述)の他に、京都冷泉家(公家の流れを汲む)で行なわれているものが有名である。冷泉家では、狩衣や袿などの平安装束を身にまとい、数十名が集って行なわれるもので、京都の風物詩として、毎年マスコミ報道[1]、古文教科書(資料集)で紹介される。 この他に、一般の和歌教室(短歌会)で、講師や生徒が年始に歌を披露しあう集いを「歌会始」と呼ぶところもある。 宮中歌会始[編集] 歴史[編集] 起源は必ずしも明らかではないが、鎌倉中期には、『外記日記』に亀山天皇期の文永4年(1267年)1月15日

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  • 連歌 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年5月) 連歌(れんが)は、日の古来に普及した伝統的な詩形の一種。5・7・5の発句と7・7の脇句の,長短句を交互に複数人で連ねて詠んで一つの歌にしていく。奈良時代に原型ができ、平安時代半ばに長短2句を唱和する短連歌が流行して、やがて連ねて長く読まれる長連歌になり、鎌倉時代初期に50、100、120句と連ね、同後期に100句を基型とする形式の百韻が主流となる。南北朝時代から室町時代にかけて大成されたが、戦国時代末に衰えた。多人数による連作形式を取りつつも、厳密なルール(式目)を基にして全体的な構造を持つ。百韻を単位として千句、万句形式や五十韻、歌仙(36句)形式もある。和歌の強い影響の下に成立し、後に俳

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  • 藤原定家 - Wikipedia

    藤原 定家(ふじわら の さだいえ/ていか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人。藤原北家御子左流、正三位・藤原俊成の二男。最終官位は正二位・権中納言。京極殿または京極中納言と呼ばれた。『小倉百人一首』の撰者で権中納言定家を称する。 概要[編集] 平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、歌道における御子左家の支配的地位を確立。日の代表的な歌道の宗匠として永く仰がれてきた。 2つの勅撰和歌集『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を撰進したほか、秀歌撰に『定家八代抄』がある。歌論書に『毎月抄』『近代秀歌』『詠歌大概』があり、歌取りなどの技法や心と詞との関わりを論じている。家集に『拾遺愚草』がある。拾遺愚草は六家集のひとつに数えられる。また、宇都宮頼綱に依頼され『小倉百人一首』を撰じた。定家自身の作で百人一首に収められているのは、「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の

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  • 詩のポエトリージャパン

    石の影   木村ユウ 空だけはつながっていて そして雲は 流れていくのね 夕暮れの光線の中、短い草を手で触って 小さな石を眺めていた その影は長く長く 染まった草は冷たく 君のことを考えていた こうやって 君の言葉を反芻しているうちに 枝を通ってくる光も、消えていくだろう 君を連れて 僕は 突然胸が詰まり 君の名前を何度も何度も 何度も おやすみなさい、って なんだか哀しい気がするの 眠ってしまったら 二度と目が覚めないんじゃないかと怖いの だからずっと起きていました 落ちてきそうな空 君の使う言葉 答える声 空が回って なんとか僕は 自分自身を押しとどめる 無意識に手を伸ばす 草が触れる 強く閉じていた目を開くと 茜に染まった丘 僕は草を撫で おさえていた涙落ちる ごめん ごめんね もう、 届かないよね トパァズ   木村ユウ 色づく石の宿めは 消えることがないの 決められた指に よりそ