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いつか書くといのち_訃報に関するnamikawamisakiのブックマーク (5)

  • 「青空文庫」呼び掛け人・富田倫生さん死去

    青空文庫」の呼び掛け人、富田倫生(とみた・みちお)さんが8月16日に死去した。61歳だった。 広島市出身。ライターとしてPC歴史をテーマに活躍し、著書に「パソコン創世記」(1985年)など。1997年、著作権保護期間の終了した作品などを電子テキストで無料公開する「青空文庫」を開設。「インターネットと結び付いた電子なら、どこにいても、思い立ったその場で開けるようになる。青空を見上げれば、そこにが開かれるような感覚で、読めるようになるはずだ」という「青空の」というイメージから名付けられた。 著作者の死後の著作権保護期間を現行の50年から延長する動きには一貫して反対。今年の元日、柳田国男や吉川英治が青空文庫に加わった際、「私たちの活動の目的は、著作権の切れた作品を、使い回しの効くテキストに仕立てて、社会の資源として利用してもらうことだ」と青空文庫について述べていた。 青空文庫では8月1

    「青空文庫」呼び掛け人・富田倫生さん死去
    namikawamisaki
    namikawamisaki 2013/08/17
    青空文庫はむかしの僕がネットにはまるきっかけだった。/自分の親世代だった、としたら早い旅立ちだ……どうか青空から見守っていただけますように。
  • 「金子勇さんの遺志が健全に羽ばたける世に」、慶応大環境情報学部長 村井純氏が追悼の言葉

    Winny作者でP2Pソフトウエア開発に貢献したプログラマー 金子勇氏の急逝(関連記事)にあたり、WIDEプロジェクトのファウンダーであり慶応義塾大学環境情報学部長・教授である村井純氏より追悼の言葉を寄稿いただいた。以下、全文を掲載する。 金子勇さんはソフトウェア開発者として極めて貴重なパイオニアでありヒーローでもありました。 途中困難がありましたが、その困難は多くの新たな支持者と友人をもたらし、新たな夢の実現に向けて活動していたと聞いていて、期待を持ってその成果を待っていました。 そのような環境を構築された平木先生、稲葉先生、壇先生、など関係者の方々に心より敬意を表します。 さて、私たちとしては金子勇さんの残された技術と背景となっていた精神と勇気を理解し、発展させ伝えていくことが使命です。 また、金子勇さんが受け止めた困難の社会的要因を追求し、金子勇さんのスピリットが健全に羽ばたける世に

    「金子勇さんの遺志が健全に羽ばたける世に」、慶応大環境情報学部長 村井純氏が追悼の言葉
    namikawamisaki
    namikawamisaki 2013/07/08
    村井純先生より/「途中困難がありましたが」/Winny作った奴が悪いとかいう人にこれを印刷して読ませたい。村井さんて誰って言われそうだけど……
  • 長文日記

    namikawamisaki
    namikawamisaki 2013/07/08
    「それはWinnyが完璧過ぎたからだ。」
  • アニメ監督『今敏』が最後に書いた日記 : ゴールデンタイムズ

    96 :見ろ!名無しがゴミのようだ! :2010/08/25(水) 14:52:46 ID:ru/YFmbr http://konstone.s-kon.net/ 2010年8月25日(水曜日) さようなら 忘れもしない今年の5月18日。 武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。 「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」 と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。 普段から心底思ってはいた。 「いつ死んでも仕方ない」 とはいえあまりに突然だった。 確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、 改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した

    アニメ監督『今敏』が最後に書いた日記 : ゴールデンタイムズ
    namikawamisaki
    namikawamisaki 2010/08/26
    本家がつながらないので/ありがとう。おつかれさまでした。/健康だと思ってる人にこそちゃんと定期健診してもらいたい。
  • 彼女が死んだ。 - kom’s log

    一ヶ月の間一緒に住んだ。二ヶ月の間、病院で過ごした。短い結婚生活が終わった。 脳幹の梗塞、ということで一度医師団に見放された後に奇跡的に復活したという話はここに書いた。その後の脳の機能回復は私からみるかぎりかなり目覚しく、瞬きを使ってどの曲を聴きたいか、などのコミュニケーションを交わすことができるようになるまで回復した。一方で脳ではなく体の予後が思わしくなかった。初期の激烈な血圧上昇剤投与を停止したことによる副作用と思われる虚血による後発性肝内胆道炎を起こし、おそらくそのことが原因となった肝膿瘍が発症からちょうど2ヵ月後に発見された。細菌の感染も軽微ではあるが、抗生物質で完全に排除することができなかった。脳、肝臓、感染の三つ巴のなかで、治療方針は難航を極め、集中治療室を出ることができずに時間ばかりが過ぎた。この間に私はリハビリについて調べ、特にリハビリの専門家であるバーバラ・ウィルソンの著

    彼女が死んだ。 - kom’s log
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