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認識論と心理ケースに関するnoitseuQのブックマーク (6)

  • 『Bullshit Jobs: A Theory(洋書)』どうでもいい仕事を理論化する - HONZ

    経済学者のジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946年)は、 1930年に”Economic Possibilities for our Grandchildren(孫の世代の経済的可能性)”というエッセイの中で、イギリスやアメリカのような先進国では、テクノロジーの進化によって20世紀末までに週15時間労働が実現しているだろうと予言した。(”Essays in persuasion(ケインズ 説得論集)”) ケインズの指摘する通り、確かにテクノロジーは大いに進化したものの、結局、この予言は当たらなかった。ロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LSE)の社会人類学教授のデヴィッド・グレーバーは、その理由を、テクノロジーがむしろ無意味な仕事を作り出す方向に使われたからだと説明する。 グレーバーは、”We are the 99%(我々は99パーセントだ)”というスローガンで行われた、201

    『Bullshit Jobs: A Theory(洋書)』どうでもいい仕事を理論化する - HONZ
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/10/24
    その仕事がどれだけ無意味だとしても、規律を守って長時間働くこと自体が自らを価値づけるのだ …労働にはそもそも宗教的な意味があるというピューリタンの精神 「潜在意識の奥底に組み込まれた暴力」である
  • 「他人に迷惑をかけない限り自由」とは「何も自由ではない」に等しい|まとも書房/哲学者ホモ・ネーモ

    「他人に迷惑をかける」なんて、自由自在に解釈できる。 「金髪に染めた大人は見ていて不愉快」 「若者が夜に遊び回るのは、子どもの教育に悪い」 「大手企業に就職をしなければ、親に心配をかける」 「スーツを着ないことは、取引先に不快感を与える」うん。すべて「迷惑」で解釈できる。これがまかり通るならば、いったい何が自由だというのだろうか? 当に自由を求めるのなら、原則は次のようであるべきだと思う。 他人に迷惑をかけようがなんだろうが、自由。うん。最高だ。 そもそも、「他人に迷惑をかけない限り」という前提がおかしい。 なぜ、人は自由になった途端に、好き好んで他人に迷惑をかけると想定しているのだろうか? 僕は完全に自由になったとしても、他人に迷惑をかけたいとは思わない。 別に誰も殴らないし、何も盗まないし、そこそこ他人を思いやって生きていくと思う。 たいていの人は、僕と同じではないだろうか? (そり

    「他人に迷惑をかけない限り自由」とは「何も自由ではない」に等しい|まとも書房/哲学者ホモ・ネーモ
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/09/27
    僕は完全に自由になったとしても、他人に迷惑をかけたいとは思わない。たいていの人は、僕と同じではないだろうか?(そりゃあごく一部のサイコパスは好き放題やるだろうが、どうせ今の社会も合法的に好き放題…ry)
  • 「天才を殺す凡人」を読んで今後の日本の指針になると思った。|太陽光線

    「他国より学力偏差値の高い多数の凡人」が明治以降も戦後も日の経済発展に寄与して来たが、凡人は海外の安い人件費に置き換えられ、中途半端な秀才もこれからはAIに置き換えられる。経済や企業経営の事だけに注目すると、このの中身が実現できれば日は再度経済発展していくと感じた。既に人口の多数派である凡人自身が「マイルドヤンキー」として地元で緩くやって行く道を選びだしていて、ある意味諦めているので、ある程度の政策的な優遇措置が有れば収まって行きそう。現存する最強の秀才の対応が難しい。 東大を筆頭に知識偏重主義で凝り固まった秀才は、天才の言うイノベーションの大きな抵抗勢力になりそうだ。天才に資金援助をするのが秀才が牛耳る金融だから、 特に財務省官僚が天才を潰しに来るだろう。ホリエモンはそれでやられた。 これからの世界(自由主義世界)は、今までもそうであったように一握りの天才を発掘して育成して新しい世

    「天才を殺す凡人」を読んで今後の日本の指針になると思った。|太陽光線
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/08/01
    天才は「世界を良くするという意味で、創造的か」で評価をとる。一方で、凡人は「その人や考えが、共感できるか」で評価をとる。 したがって、天才と凡人は「軸」が根本的に異なる。
  • ASD由来の希死念慮が消えた話|LUA

    "誰かの居場所を奪い生きるくらいならばもう あたしは石ころにでもなれたならいいな" 昔はよくこんな気持ちになっていたことをふと思い出した。米津玄師の「アイネクライネ」の歌詞です。 私は小さい頃、自分が世の中に存在すること、べたり話したりすることで、他の生物や自然や誰かを傷付けるのだと思っていた。 牛乳の飲み残しを流すと、水が汚れて地球がダメになるかもしれないと思っていた。 ASDで例に漏れず学校に馴染めない、友達ができない子供だった。積極的にいじめられることはなかったし、友達がほしいというよりは自由にしていたかったけど、孤独感や不安は感じていたと思う。 10代の頃はノートを鉛筆で真っ黒に塗りつぶしたり、死にたいと埋め尽くした日もあった。 誰とも分かり合えない。 迷惑ばかりかけてる。 結構冷静に自分は世の中にいない方がいいだろうなと考えることがあった。(もちろん子供らしく楽しいこともあった

    ASD由来の希死念慮が消えた話|LUA
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/08/01
    私のなかの利己的な遺伝子は、遠い昔の祖先から受け継いできたものだ。自分だけのものじゃない。生物はそれぞれの役割をそれぞれに果たすだけでいいんだと思った。ボトムアップ的に。すると世界は自ずと形作られて…
  • やりがい搾取の共犯者 「同調競争」「自己実現系ワーカホリック」 - 頭の上にミカンをのせる

    過去記事の再掲 同調競争ってなんぞや 「スティグマ論」の中の「同調競争」参照。 http://www.socius.jp/lec/20.html 管理教育の防衛策として子どもたちは自分を他者の行動に合わせてはみださないようにする。これを「同調競争」という。同調競争は目的が空洞化しているため、他人の出方や位置によってしか自己を確認できない。ひとりひとりが等しく不安な状態におかれる。そこで、この不安から逃れるために、いちはやく他人の差異をみいだし排除しようとする。そうでなけけれれば自分がやられるという恐怖がそうさせる 今、この「同調競争」がブラック企業において猛威を振るっているのではないかと思われます。 連帯と同調の区別がつかず、同調によって自らを苦しめる若者たち クローズアップ現代 1/14 「あふれる“ポエム”?!~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~」 http://www.nhk.or.

    やりがい搾取の共犯者 「同調競争」「自己実現系ワーカホリック」 - 頭の上にミカンをのせる
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/07/17
    管理教育の防衛策として子どもたちは自分を他者の行動に合わせてはみださないようにする=「同調競争」。目的が空洞化しているため、他人の出方や位置によってしか自己を確認できない。不安な状態におかれる/根オモ
  • 「私は弟キャラです」 - 頭の上にミカンをのせる

    これはだめな自己表現の例。 私はオタクである、とかもダメ。 私は経済学に詳しい、とかもダメ。 私は何々が好きです、もそれ単体ではダメ。 これらは 自己申告であって、 自己表現ではない。 この自己申告を土台にしてあれこれ語りを積み重ねると、どんどん言葉が薄っぺらくなってしまう。 さらに、こういう姿勢で抽象的な議論をしたり、自分で無い他者の評論なんかをやらかそうものなら、意識だけが高い若者の出来上がり。 私のことですが。 なんというか、こんな感じで自分のキャラ自己申告して、その通り振る舞うみたいな謎のお約束に支配された空間が昔あって、そのお約束に適応してた時があったんだよなあ。その時のくせが抜けてない。 「意識が高い若者」という表現で問題視される集団やそれにまつわる現象は、自意識の問題というよりは、 自己表現についての技術が未熟であることと、かつ、その未熟な受け入れてしまうことによる客観性の欠

    「私は弟キャラです」 - 頭の上にミカンをのせる
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/07/17
    自分のキャラ自己申告して、その通り振る舞うみたいな謎のお約束に支配された空間が昔あって。「意識が高い若者」…自己表現についての技術が未熟。かつ、その未熟な自己認識による客観性の欠如に問題がある気がする
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