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富野由悠季と冲方丁に関するnuryougudaのブックマーク (2)

  • 冲方丁の口から明かされた富野由悠季の作劇

    とりあえず、前月予告された富野×冲方対談を読みました。第1回のタイトルは「「リーンの翼」がもつ魔力」でした。予想とおり、とてもいい対談だった。 今日は自分が読んだ感想や、冲方丁氏が指摘した富野由悠季監督の作劇について話したいですので、ネタバレを避けたい方は、どうか先にニュータイプを買ってその対談を読んでください。ちなみに今回引用するテキストはおなじみシャア専用ブログ@アクシズさんからのものです。ありがとうございます、シャア専用ブログ@アクシズさん。 ちなみに、今回は記事のタイトルが示したとおり、冲方丁氏の話を中心に取り上げて、軽く富野作劇を語るつもりですが、富野監督の話に対する感想も入っていますので、ご注意ください。 冲方 つなぐ必然性がいつ生まれるか分からないシチュエーションに、自分を投げ込むんですね。 富野 そう。この10~15年の日映画やアニメがつまらないのは、全部わかったなかで撮

    冲方丁の口から明かされた富野由悠季の作劇
  • NT 10年9月号 冲方×富野 第3回 リアリズムの喪失 - シャア専用ブログ@アクシズ

    リアリズムでものが考えられなくなってくる 冲方 かつてサブカルチャーと呼ばれていたアニメやマンガですが、今やメインカルチャーとなっています。富野さんはまさにその真っ只中でお仕事をなされてきたわけですが、アニメ的なもの、いわゆるビジュアル表現が社会を席巻したと実感された瞬間はあったんですか? 富野 この現象の現れ方として、一番衝撃的だったのは、先月お話した麻生首相の「犬夜叉」発言です。麻生さんひとりの問題ではなく、ここ2、3年、アニメ映画の試写会に政治家が行くことも珍しくないでしょう。サブカル、つまり卑下される媒体であったものが、そういう形で政治家にまでい込んでいる。当にものを考えられなくなった人たちが出現しているんだなと実感して、僕はとてもショックでした。アニメを見ているからものが考えられないということではありません。ものを考える深度の問題で、それが浅くなっていう大人たちが出現している

    NT 10年9月号 冲方×富野 第3回 リアリズムの喪失 - シャア専用ブログ@アクシズ
    nuryouguda
    nuryouguda 2010/08/11
    愚民の現実逃避を政治の手段にしはじめた現代日本は詰んでる。全体主義へ
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