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ブックマーク / comeca.hatenadiary.org (2)

  • ヴィレッジヴァンガードと、アイロニーの問題 - コメカブログ

    谷頭和希さんが書かれたヴィレッジヴァンガード(以下VV)についての記事を、面白く読んだ。 ヴィレヴァンが知らぬ間にマズいことになってた 「遊べる屋」はなぜ魅力を失ってしまったのか | 街・住まい | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net) しかしVVが提案していた「サブカル」って、世代によって受け止められ方がだいぶ違うのだろう。ぼくは1984年生まれで、ゼロ年代半ばぐらいに一番VVに行っていた。で、当時VV的「サブカル」プレゼンテーションって既に、半笑いな感じで受け止められていたと思う。当にハードコアな人は行かない店というか。自分は当時「アンチ選民主義!汎用化されたチープ・サブカルがむしろ大切!」みたいなことを考えていたので、VV的な安っぽさがむしろ好きだったんだけど。 谷頭さんの記事の、「「サブカル」という言葉の輪郭が曖昧になるにつれて、その空間の演出も曖昧になってしま

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    oldriver
    oldriver 2024/01/28
  • あえて「大人」になる - コメカブログ

    ぼくは今年で37歳になるが、自分が「大人になった」という実感が正直、無い。30代半ばの人間というのはもっと成熟し落ち着いた精神を手に入れているものだろうと、子どもの頃は思っていた。いま現在のぼくは「はやく大人にならなければ」といまだ常に焦っており、成熟とは程遠い形で毎日を生きている。 2003年のケラリーノ・サンドロヴィッチ監督作品『1980』に、「人間、大人になればみんな自然に大人になれると思ってるんだろうけど、実際、大人になってみな?人間ね、大人になったからって、大人になんかなれないんだから!」という台詞がある。年齢を重ねたからといって自動的に「大人」になれるわけじゃないんだ、という煩悶ともがき。 まあただ、そもそも「大人」というもの自体が、社会状況・構造によってその捉えられ方・在り方が変わってくる。共同体の成員としての「大人」なのか、近代的・理性的な主体という意味での「大人」なのか、

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    oldriver
    oldriver 2021/08/14
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