ヒュパティア( +Upativa) アレクサンドリアの新プラトーン主義哲学者で、 5世紀に行われたキリスト教徒による女流知識人迫害の犠牲者。彼女が馬車を馭して自分の教えている学園に向かっているとき、一団の修道士たちが彼女を馬車から引きずりおろし、教会へ連れ込み、彼女を裸にし、カキの具殻で彼女の肉を骨からそぎ落とし、遺骸は火で焼いてしまった。このことはすべて、アレクサンドリアの総司大司教聖キュリロスの命令で行われた。キュリロスと彼の配下の修道士たちは、アレクサンドリア市当局に妓け目のない方法で金品を贈り、ヒュパティア殺害に関する公式の調査を中止させることに成功した[1]。1882年、教皇レオ十三世はキュリロスを「教会の博士」と称賛し、彼を聖人の列に加えた[2]。 ヒュパティアの教えはエジプト全土に知れ渡っていたが、彼女の死を契機として、エジプトにおける異教的な学問研究に終止符が打たれた[3]