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国語警察です。増田の書き込みにはいくつも間違いがあり、看過できません。 1つめ。まずお茶のペットボトルに書いてあったのならそれは川柳ではなくおーいお茶の伊藤園が主催する新俳句大賞です。夕立という季語を入れているので、作者は俳句としての読み取りを求めていると解することができます。俳句の解釈にはいくつかフォーマットがあるので、読み取りにはある程度それを知っておく必要があり、簡単に云々するのは適切ではありません。 2つめ。件の句は大変面白い句です。やや読み口が未熟ではありますが、賞に選ばれるだけの作品だと言えます。以下、少しだけ解説をします。 まず、夕立を季語として用いているので、季節は夏。象は「夕立」が降る日本でよくいる動物ではありませんから、場所は動物園とほぼ確定できます。夏の夕方に作者は動物園を訪れているわけです。事情はさまざま、ですが、一般的にいってどんな心境だと想像できるでしょうか。夏
俳句の上達法を探る「俳句hike」。最終回は「NHK俳句」(NHK Eテレ)選者の岸本尚毅さんと、「俳句甲子園」「俳句甲子園」の創設に携わり、テレビ番組「プレバト!!」(TBS系)でも人気の夏井いつきさんが登場。 作る句のタイプもバックグラウンドも異なるふたりが、今回「『型』で学ぶ はじめての俳句ドリル」(祥伝社)を共著した理由は? それぞれの「俳句という山の高みの目指し方」とは? 2018年9月、紀伊國屋書店新宿本店で行われたトークイベントに潜入し、おふたりを質問攻めにしてきました。 「俳句ドリル」の本が生まれた経緯「『型』で学ぶ はじめての俳句ドリル」(以下、「俳句ドリル」)を書かれたきっかけを教えてください。岸本 初めに「ホトトギス雑詠選集」(高浜虚子/朝日文庫)というアンソロジーの存在がありました。明治から昭和初期にかけてのものですが、例えばこういう面白い句があります。岸本 親芋が
俳句という山の高みを目指す人を応援する企画、「俳句hike」。第4回は俳句結社「澤」を主宰する俳人・小澤實さんへ、「里」などの俳句同人誌に所属する佐藤文香さんがインタビュー。 ひとりで俳句を続けることに不安を感じている人や、同世代グループでの活動に重きを置いている人に向けて結社の良さを教えてもらいました。 ※結社…“主宰”を中心として、俳句を作る人々が集う組織。定期的に句会を開催する他、会員の投稿が掲載された冊子(結社誌)を発行している場合が多い。 ※同人誌…俳句を作る人々が集まって発行する自主制作の冊子。同人誌の発行母体となるサークルは結社よりも上下関係が薄いケースが多い。 結社は育ててもらえる場佐藤 俳句がブームになって、興味を持ったり、作ってみたりする方が増えてきました。そのなかで、次の一歩をどこに踏み出したらいいのか、迷っている方も多いと思うんですね。結社にも興味があるけれど、何を
ふたりで一句を作ってみよう 佐藤 です。続いて、作って楽しむのをやります。ふたりで一句作りましょう。pha えっ、なにこれ(◯が17個並んだプリントを手渡されて)。佐藤 交互に一文字ずつ入れていって、一句にします。pha えーー、そんなんできるの?佐藤 始めます(「あ」を書き込む)。いちおうルールがあります。意味がわからなくならないように気をつけましょう。pha じゃあ…。「か」で。▲17個の空欄をふたりで1文字ずつ埋めていく佐藤 (順調に埋めていき)最後は「ず」です。一句できました。 佐藤 なんだか悲しい句ですね。pha こんなものができるとは。赤鬼になんで味噌をあげたいのかわからないけど、なんか雰囲気があるような気がする。「秋は傷」もよくわかんないけどかっこいいね。ひとりでは絶対に作れない句 佐藤 一文字ずつ入れていくのは昔からある遊びです。微積分俳句、って言ったりするかな。今度はこれ
俳句特集の第3回は、元・スーパーニートで現在作家として活動されているpha(ふぁ)さんに、飲み仲間の佐藤文香さんが俳句の魅力をプレゼン! 「最近いい感じの句ができない」と行き詰まりを感じている人にも、「俳句って短歌より難しいのでは?」「俳句を始めてみたいけど季語がよく分からない」と身構えている人にも、役立つヒントがいっぱいのトークに、ちょっと聞き耳を立ててみましょう。 笑える俳句を見てみよう佐藤 今日は、phaさんに見せたいもの、一緒に遊びたいものをいろいろ用意してきました。まずですね、Tシャツ見せたくて着てきたんです。"「ここで一句!」って言うな Tシャツ。" ▲メッセージTpha すごい。これは、心の叫びなの?佐藤 いや、ネタです(笑)。「SUZURI」というサイトで購入しました。俳句やってると「ここで一句」ってよく言われます。先日の飲み会で初めて会った人にも言われました。もちろんすぐ
■俳句九十九折(12) 俳人ファイルⅣ 阿部青鞋 ・・・冨田拓也 阿部青鞋 15句 梟の目にいっぱいの月夜かな あたゝかに顔を撫ずればどくろあり かたつむり踏まれしのちは天の如し 東京がたつのおとしごのように見え 永遠はコンクリートを混ぜる音か 愛の書がかさなっている水のなか キリストの顔に似ている時計かな いっぽんの春の雨しか降らぬかな 半円をかきおそろしくなりぬ 人間を撲つ音だけが書いてある 機関車が涙のように思われて 斧よりもくらくなりたる夕立前 蜜蜂の箱がときどきこみあげる 天井の正体などをかんがへる 或るときは洗ひざらしの蝶がとぶ 略年譜 阿部青鞋(あべ せいあい) 大正3年(1914) 東京の渋谷に生誕 昭和11年(1936) 「句帖」参加 昭和12年(1937) 「風」参加 昭和15年(1940) 渡辺白泉、三橋敏雄などと古俳諧の研究 昭和16年(1941) 『現代名俳句集
最近、佐藤文香さんから阿部青鞋(あべせいあい)を教えてもらい、句集を何の気なしに開いたら、一句一句、ただならぬおもしろさで、しかもこれほど視点の自由な句を作る人が大正三年の生まれと知り、驚いてしまった。阿倍青鞋の句集『ひとるたま』(現代俳句協会/昭和五七年)はなかなか手に入らないそうなのだが、一冊譲っていただいたので、この機会に少々思いついたことを書いておこうと思う。 笹鳴のふんが一回湯気をたて 『ひとるたま』の最初の句。もうこれだけで、わたしはやられてしまった。 警戒心の強いうぐいすを、作者は野外で目撃したのだろうか、あるいは飼っていたのだろうか。うぐいす、というだけでも小さいが、ホーホケキョではなく「笹鳴」ということばがなんともささやかで、いっそうその主体は小さく細く感じられる。その、チャッチャとささやかな笹鳴をする生き物からさらにささやかなふんが出る。冬の冷たい空気にさらされて湯気が
文部科学省の学習指導要領が新しくなった。これにより、小中学校の国語科の授業に俳句や短歌の実作が必修となり、短歌や俳句にふれる機会やその深さが増した。2013年の「第16回俳句甲子園」では、予選を含めると600人の高校生が参加した。このような面からみると、一見、俳句の未来は明るいかに見える。いや、その一角に光はさしているのだが、氷山の一角なのか、はたまた、つきだした一本の棹の先なのかが曖昧模糊としていると思うのだ。 さて、『角川俳句』1月号の特別対談の小澤實と中沢新一の「なぜ今、俳句か」に興味深いことが書かれている。 短歌は口語化したが、俳句はそのあとを追って口語化しない。俳句の本質は「不易流行」であり、室町時代と変わらない切字や文語を使った時代錯誤の面白さが あるのではないか?というのである。 ここで、俳句の歴史をたどる、明治30年代、正岡子規が「俳諧を新しい時代にふさわしい詩」にと提唱し
不眠症に落葉が魚になっている 海女が沖より引きずり上げる無灯艦隊 精神科よりさめざめと首泳ぎゆけり さくら散って火夫らは耳を剃り落とす いっしんに産婆とのぼる鬼神峠 耳裏の枯田にぐんぐん縮む馬 炎昼の船倉しんしん針が降る 冬の街どこかで鈴が鳴りて消ゆ 死んではならず金星耳の裏に生え ひそやかに皿は配られてゆく月の館 階段で四、五日迷う春の寺 月夜の寺が谷間の寺のなかに在る 蕎麦の花マネキンはいま死にかかる ゆうぐれは銀河も馬も溶けている 抽斗を出て来た父と月見している まひるの岸を走れはしれと死者がいう 全植物の戦慄が見え寺が見え ねむれぬから隣家の馬をなぐりに行く 食器持って集まれ脳髄の白い木 祭あと毛がわあわあと山に 少しずつピアノが腐爛春の家 尖塔のなかの死螢を掃いて下さい 抽斗の中の月山山系へ行きて帰らず 「絞メテクダサイ」桔梗ガ瓶カラ首ヲ出シ 地下癌院のエレベーターののっぺらぼう
早熟の天才歌人。 これは、寺山修司に与えられた限定的「称号」である。限定的というのは、寺山の業績が短歌に限らず、きわめて広範囲なものであるからだ。 まず短歌で世に出て、その後さまざまな文芸・芸術ジャンル(詩、小説、戯曲、映画、演出、競馬評論、作詞、等等)を駆け抜け、今では「職業・寺山修司」などという表現さえ見かける。彼のように多方面にわたって活躍した作家を語ることは非常に難しい。その全てについて語ることは、私の能力をはるかに超えたものになる。この稿で取り上げるのは寺山の俳句作品である。 寺山没後二十年にあたる今年(二〇〇三年)、寺山俳句の魔術のような魅力によって俳句の森に踏み迷うこととなった私にとっての原点を、あらためてとらえ直そうと考えた。論を始める前に私は次の問いかけをしたい。 寺山修司の業績の中に、俳句の占める位置はどのようなものであったか。その疑問に立って寺山の文学歴を振り
もし仮にね、息子か娘が「俳句部に入ることにしたんだ」って言ったら、いいねとかやめなさいとかじゃなく、十中八九ぼくだったらこう言っちゃうと思うんだ。 「渋っ!」 渋いよ! なんでそう感じるのか分かんないけど……少なくとも「若々しい」印象はなかったですすいません。 そんな俳句部の青春を描いた漫画が『ぼくらの17−ON!』。 最近はほんと漫画になってない文化系部活ないんじゃないかと思うくらいですが、そもそも俳句部って何するの?って話ですよ。 ぼくは俳句については、ほとんど知りません。 5・7・5で、季語を入れて作る。そのくらいしか知らない。 これを部活にするってどうすんのと思いきや、俳句甲子園なる大会に出るんですね。 ……俳句甲子園て、なにするの? 主人公の久保田だって、俳句が元から好きなわけじゃなくて、渋い趣味だなあ、と思っていたんです。 うん、同じだねぼくと。 だけどそういう偏見が取り除かれ
ひさしぶりで、「豈」という俳句雑誌のページを開いた。いつもは、封筒も開かずゴミ箱へ捨てている。環境破壊にのみ貢献する俳句雑誌の1冊。 ところで、この雑誌がゴミ箱入りレベルなのは、54号の巻頭特集「加藤郁乎は是か非か」という間の抜けた記事でわかる。やっぱり腐っている。加藤郁乎の句は消えてゆくしかない。加藤郁乎賞を黛まどかに与えた加藤郁乎って何者なのだろうか? それさえ理解できない編集人、発行人って何? 筑紫君、大井君答えたまえ。答えられないだろう!!! 「吟遊」「澤」同人、堀田季何による「夏石番矢を独断する」を開いて読む。しかし、見出しで、「夏石番」という誤植はなんですねん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 堀田季何は夏石番矢の番記者? まともな校正もできないことが一目瞭然。ここですら、「豈」はゴミ。 関悦史という才能のかけらもないアホが、長谷川櫂について書い
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新緑の候、みなさまには益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。 さて。電子書籍のguca1・guca2・guca3と、最初で最後の紙の本guca紙(4)を出して解散したgucaではございますが、このたび、墓石を蹴り倒して蘇るゾンビのごとく、 guca後(5) を、リリースいたしました。 流行のシャーベットカラーを意識して、KAWAII!! と誉められる気満々。 内容は、解散後の近況報告を兼ねて比較的軽めの仕上がりになっております。 通勤通学のお供に、家事の合間に、パチンコ屋さんに並ぶ際の暇つぶしなどにもおすすめ! 無料ですので、じゃんじゃんダウンロードしてくださいね★ ダウンロードはこちらから♪ それともうひとつ! guca最初で最後の紙の本『guca紙(4)』、通信販売はじめました。 ※※通信販売は終了しております。(2017年)※※ ■内容 佐藤文香×太田ユリ 「磯遊」 俳句と写真は佐藤
もっともっと愛が欲しい、ひとりでも多くの読者と出会いたい、という下心から『俳句ホステス』はこのたび無料化いたしました!こちらからダウンロードできます! bit.ly/nhWbmC じゃんじゃんばりばりご拡散ください☆ ― 石原ユキオさん (@yukioi) 2013年3月22日 ということで、今後ともどうぞよろしくお願いします。 This entry was posted on 土曜日, 3月 23rd, 2013 at 1:51:43 and is filed under 商品. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Responses are currently closed, but you can trackback from your own site.
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