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表現のすべてではに関するpiripenkoのブックマーク (1)

  • ブコメに書き切れないのでこちらに書くが

    公共広告というのは基的にすべての人を対象としたものだ。今回の広告は若者がターゲットということだったが、若者以外が見ないわけではない。誰かが不快になる表現はなるべくあってはいけない。 広告が嫌いな人が過半数を越えなければ問題ないと考えてる人もいるかもしれないが、これは多数欠の問題ではない。戸定梨香をゆるキャラに変えれば不快に感じる人はほぼいなくなるだろう。ならば公共広告としてはそちらの方が適切だ。だから不快に感じる人が3割でも多いのだ。 これが商業漫画などだったら話は違う。過激な描写が売りの漫画が嫌いな人が過半数だったとしても、嫌いな人は見なければいいだけだ。過激な描写を売りにしている以上、好き嫌いが出るのは当然といえる。だから嫌いな人がいるからなんていう理由で販売中止運動は起きない(度が過ぎれば起きるが)。公共広告はそれと違ってすべての人を対象にしているから「嫌なら見なければいい」は通用

    ブコメに書き切れないのでこちらに書くが
    piripenko
    piripenko 2021/10/06
    「不適切を理由とした排除は差別」は文脈しだい。また、平穏な市民生活とのバランスから形づくられてきた一定のラインも存在する。この件「見た目だけで決めつけないで」という作り手発言の矜持の無さに失望した。
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