今日も今日とて、普段は「人権人権!」と高らかに叫ぶ人たちが、いとも簡単に他人の人権は踏みにじる闇落ちをみる。たとえば、今月だけでも奇妙な違和感・・・「あれ???ワタシもしかして同じ数日間を何度も何度もループしてる?これ19233回目???」みたいなエンドレスで同じ日々がやってきているような不思議な感覚に襲われた。一言でいえば、
川上未映子さんは好きな作家の一人ですし、優れたオピニオンを持った方だと思います。ただ、今回の"「性風俗店には行かないオレ」を自慢げに話す男性にこれまで何人も会った"から始まるツイートにはかなり傷ついてしまいました。それは私の個人的記憶を直接、刺激するものだったからです。 ▼該当ツイート https://twitter.com/mieko_kawakami/status/1293339064976805888?s=21 10年以上前、新卒で入った会社でのこと。私は全国規模のメーカーの営業職として地方都市の営業所で働いていました。その営業所での直属の上長は、営業としては優秀だったようです。しかし上司としてはパワハラ発言が多く、実際に社内の飲み会では新人に暴力もふるっていました。そんな環境で働くのが徐々につらくなってきた私を、ある決定的な事件が襲います。 それは取引先のお偉いさんの接待のための飲
上野千鶴子が叩かれてんのを「上野は進歩的考え方なのに、世間は古いからついてこれないんだな」みたいに言ってる人いるけど、古いのは君とか上野千鶴子だろ。 婚姻制度や一夫一妻制や純潔主義の意味を疑う、なんてのは数十年前には進歩的発想だったかもしれんけど、今はそんなとこもう通り過ぎてんだよ。 結婚しても他の相手に欲情を抱くのは自然だの、結婚は自由を失うデメリットがある契約ですだの、そんなのはもはや当然のことなの。 それでも結婚する人は「わかっててあえて結婚する人」。 自然に湧き出る浮気欲を我慢することも、自由を失うことも、その他結婚のデメリットも、ふまえた上で結婚に合意する人たちの行動になってんの、今のフェーズは。 「結婚のデメリットが気づかれてないから、婚姻関係を重んじる意味はなく、よって不倫も責めることじゃない」なんてのは、まーーーじで古い。ましてそれを進歩的と感じるのは輪をかけて古い。 昭和
多くの大学の学園祭では「ミスコンテスト」が行われている。だが、上智大、法政大、国際基督教大などは「多様性の尊重」という観点から中止を決めた。教育ジャーナリストの小林哲夫氏は「これまでもミスコンは『女性差別』と批判されてきた。今回、さらなる論点が出てきたことで、ミスコンを中止する流れが加速しそうだ」という――。 再燃する廃止論、「大学ミスコン」はこれからも続くのか 2020年4月、上智大ではコンテストの主催者が、大学祭=ソフィア祭でのミスコンを廃止すると決定し、次のような声明を出した。 「現状のミス・ミスターコンが孕む外見主義的な判断基準という問題や『ミス=女性らしさ』『ミスター=男らしさ』という性の画一的な価値観の押し付けを助長するようなコンテスト名からしても、LGBTQや多様性という観点から批判を受けることは然るべきであり、致し方ないと言わざるを得ません。(略)このような状況を鑑みて、今
2019年03月20日 【悲報】俺たちのような“優しい男”は女性に相手にされず、逆に“女性を雑に扱う男”がモテているという事実。女子「大切にしてくる人は正直、息苦しい」 なんなんすかこれ Tweet 148コメント |2019年03月20日 12:30|恋愛・結婚|男女|Edit なんすか、その、こんなのあるんすか。なるほど。 https://t.co/EER8MCtrhz— しいたけ (@shiitaketakexx) 2019年3月18日 当ブログサイトはアフィリエイト広告、バナー広告を利用しています。 「異性に雑に扱われたい」という友人。全く共感できない私。でも「側から見ると愛嬌もあってまともそうに見えるだけに、異性から過剰に愛されてしまうことに窮屈を感じる」って人、いるのかもしれない。そんなことを書いてもらいました。名もなき人の「あなただけに言うね」https://t.co/iKv
『かぐや姫の物語』を観た。強い衝撃を受けた。昔話のあらすじそのままでありながら、昔話ではなかった。これは、あきらかに現代を生きる女の話だった。震えた。 思春期を迎える頃に、かぐや姫は生まれ育った山を離れ、都へと連れていかれる。この時点でいくつかの喪失がある。子供時代の喪失。野山を駆け巡る生活の喪失。遊び仲間の喪失。姫は、このときまだ自分が何を失ったのか理解していないが、「子供時代の喪失」は、女にとって、人間性を一度失うことと同じである。女にとって、大人になるということは、ただ子供から大人になるということではない。大人ではなく、「女」になれ、という周囲からの強制が必ず働く。ただ自分の意志で好きなことをし、気持ちをそのままに表現できた子供時代を失い、人目を気にして誰から見られても恥ずかしくない「女」になれと強いられるのは、自分自身を捨てろと言われているのに等しい。都に移り住んだ姫は、走り回るこ
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