はてなと芸能に関するplanetesのブックマーク (4)

  • 松旭斎すみえ師匠の功績を「風評被害」とかいうな

    オリーブの首飾りの「風評被害」について、いろいろと盛り上がっているけど、(https://anond.hatelabo.jp/20171012190403 とか anond:20171013062716) そもそも、マジックと結びついていなければ、日であの曲がこれほどまでにポピュラーにはなっていないだろう。 この曲をマジックのBGMに使い始めたのは、現在、日奇術協会の名誉会長である松旭斎すみえ師匠だが、たまたまカーラジオで流れていた曲が自分の舞台にあっているのではないかと思いBGMにつかってみたところ、あまりにも評判がいいので定着し、ほかの奇術師もどんどん使い始めたのだという。 昭和50年代の話だ。 以来、完全に「手品師のテーマ」として定着し、40年近くがたっても、その結びつきは色あせることがない。それは、あの曲があまりにもマッチしていたから。 作曲者の意図とは違うのかもしれないが、も

    松旭斎すみえ師匠の功績を「風評被害」とかいうな
  • とあるアイドルの話。

    外野としておもしれーなーとヲチしているKinKi関連。 ゆっくりと衰退の一途を辿っていくのをおもしろいと思うのもおかしいけど。 それでも、他グループ担のジャニヲタとして反面教師的に。 少しは好きだった過去もあるから、純粋な興味の対象として。 ここまでファンに嫌われ戸惑われ庇われ続けながら、どんどん自分の世界に没頭していく堂剛と。 ひたすらにひたむきに技術を身につけ才能を伸ばし、一流のエンターテイナーに登りつめて行く堂光一。 対局に位置するふたりを内包するKinKi Kidsというグループが、今後、どういう衰退の一途を辿っていくのか。 そして、5年後、10年後、彼らがどうなっているのか。 未来は見えない。 だから、興味深い、と思う。 ネットでのかくある論争(とも言えないほど、ただひたすらに平行線をたどる3つ(ないし2つ)のお互いに話を聞かない、押し付け合いっぱなしの話だけど)。 ネット上

    とあるアイドルの話。
  • SMAPのリスクコミュニケーション

    録画を消してしまって、youtube に上がってた録画は瞬殺された。以下うろ覚え。 番組冒頭は復帰と謝罪の挨拶。全員黒ネクタイというのは、ドレスコードとしてのまじめさを強調したためか。「シングルノットだな」というのが気になった。ネクタイの結びが小さいというのは、ジャニーズアイドルにしては珍しいような気がした こういうときにはもちろん、「泣くファン」というのはお約束なんだけれど、鳴き声はむしろ、抑制されているように聞こえた。「あれがうるさかった」という意見もたくさんあったみたいだから、そのへんは分かれるかも 復帰ライブ。「ありがとう」という曲で始まった、この言葉が、番組の縦糸になっていたような気がするライブ後、たぶん編集なしの会話。稲垣吾郎が「メンバーが欠けた経験は始めて」と語った直後、木村拓哉が「俺たちは2度目だったけれどね」と振った。あれはすごいと思った中居君が「ちょっと! ちょっと!」

    SMAPのリスクコミュニケーション
  • ぼくの名前 - ハックルベリーに会いに行く

    みなさん、こんにちは。初めまして、ぼくの名前は岩崎夏海と申します。今日は少し、ぼくのことについて書こうと思います。 ぼくは1968年(昭和43年)に生まれました。今年で41歳の、職業は会社員です。 ぼくは東京の新宿で生まれました。生まれてすぐ、親の仕事の関係でいくつかの場所を転々と移り住んだのですが、3歳の時に東京の日野市に落ち着きました。日野市は、東京の西、新宿からは京王線の特急で30分ほどの距離にあります。立川と八王子という二つの大きな市に挟まれていて、存在自体はマイナーですが、それなりに多くの人が住んでいます。日野市は多摩丘陵の一角に当たり、ぼくの住んでいた地区はとても坂が多いところでした。またその一帯は、昭和30年代に山林を伐り開いてできたベットタウンで、多くの雑木林が点々と散在している、とても自然豊かなところでした。ぼくはここで11歳までを過ごしました。ですので、ぼくにとってふる

    planetes
    planetes 2009/05/08
    もっと若い方かとばかり。/当時のとんねるずの即興コントなら、そりゃ凄かったろうなぁ。
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