ホームインタビュー Q.ゲーム作りで生きていくために必要なことは? A.まず今の学業や仕事を無計画に辞めないこと。「ゲームを作って生きていく」ための指南書『インディーゲーム・サバイバルガイド』は、「サステナブルにゲーム制作を継続していく」ことに重きを置いた、非常に現実的かつ実践的な必読書だった 「日本のインディーゲーム業界に足りないもの」を片っ端から自分で変えていく──一條さんはご自身でゲームを開発するだけでなく、ゲーム開発者をサポートする活動もいろいろなさっていますよね。それについても具体的にお聞きしたいです。 一條氏: ここ最近でいちばん力を入れてるのは、先程少しお話した「indie Game incubator」、略して「iGi(イギ)」です。 毎年5つのインディーゲーム開発チームに対して、半年間をかけて、ゲーム開発の専門家からのメンタリングからビジネスサイドの知見とゲームそのものブ
日本には80年代から個人・小規模のゲーム開発文化があり、即売会を通じたコミュニティの盛り上がりを経て発展してきました。そこに新しい要素としてインディーゲームが加わったのが2010年中盤からでしたが、今日においては両者が溶け合いつつ、若手や新参の開発者が新たな層を形成しつつあります。これからまだまだ、日本から面白いインディーゲームが沢山現れます。 振り返り:「Back in 1995」でやってきたこと さて、私がかつてリリースしたタイトル「Back in 1995」の振り返りをします。本作は2016年4月に発売したアドベンチャーゲームです。PS1風の「レトロポリゴン」というジャンルに切り込んだ作品で、発表当時は新しいものとして受け入れられました。 ところが、Steamの初週販売数は348本とかなり厳しい数字でした。原因としてはゲーム自体のボリューム不足やストーリーの難解さ、プロモーション計画
就職の壁!就活に悩む学生時代 まずは就職。この業界に入ること自体が最大の難関でした。 当時は地方の専門学生。 これと言って技術力が高い人間でもなかったので、書類選考でも散々落とされましたし、面接まで行って落とされたこともあります。作品集も紙ベースで提出することが多かったのでしばらくはプリンタとカッティングシートがお友達だった時期も。 当時は面接と言えば会社まで足を運ぶのが一般的だったため、筆記試験の為だけに東京に行ったりとお金的にもしんどかったです。 当時はガラケーだったので、慣れない東京の電車に四苦八苦していましたね。 あまりにも就活が振るわず、誘われていた一般販売業にも心が動いていましたが、当時の教師にCGが好きなら諦めるんじゃないと言われ、ギリギリまで就活していました。決まったのは最終学年の年末だったように記憶しています(うる覚え 就職は運とタイミング 運とタイミングの要素も大きいの
はじめまして、京都の出町柳という観光地のような学生街のような所でインディーゲームの開発やパブリッシングをしている株式会社room6の代表をしておりますまさしと申します。どうぞよろしくおねがいします。 前はGoogleのBloggerでいろいろ書いてたんですが、なんか使い方を忘れつつあるのでこちらにて。 さて今回何を書いてみようかな?と考えてみて、あんまりデカイこと書いちゃうと後が続かなさそうだし、かといって今日のお昼ごはんの事みたいな小さい事書いてもね、、と思いましたので、ちょっと表題のような事を書いてみようと思ったわけでございます。 とはいえ、僕自身は個人ゲーム開発者ではないわけで会社でゲーム作るマンなんですが、ゲームパブリッシャー業の端くれみたいな事もしている関係で少し個人ゲーム開発者の事情なんかもわかってたりもします。 まあそのあたりを踏まえてつらつらと書いてみちゃおうかなという感じ
INDIE Live Expo。全世界で数百万レベルで視聴された、注目度の高いインディーゲーム紹介番組です。 開発者として嬉しいのは「応募してきた作品は可能な限り載せるよ」という敷居の低さ。私のような弱小クリエイターとしては本当に助かります。 今回は、実際にINDIELiveExpoに応募して 【紹介】こんな感じで応募したけど、こういう紹介のされ方したよ! 【反省】ここ、こうすれば良かったなぁ。反省。 【効果】こういう良い効果があったよ! 【要望】ここ、こうして欲しかったなぁ。という点を書いていこうかと思います。 また、今回の応募した際の目標として ・できるだけ自分のゲームの知名度を上げる ・パブリッシャーに存在を認識されるという2点を求めて応募しました。これについても話をしていきます。これから応募を考えている人、純粋に「開発者にどういうメリットあったの?」と気になる人、など参考になれば幸
はじめにはじめまして、個人ゲームデザイナーのyuta(ゆた)です。 近況報告ですが、自作ゲーム「StrangeTelephone(ストレンジテレフォン)」のNintendo Switch版を無事に販売開始することができました! 早速ですが ここ最近パブリッシャーに関する暗い話を度々聞くので実際にサポートしてもらっている身として、誰かの参考になればと"勝手に"お話させていただきます。 普段"個人ゲームデザイナー"と名乗っていますが、実は色々な方々にサポートしてもらっています(基本的に開発は孤独に黙々と…) ①ローカライズまず僕がPC版・NintendoSwitch版のパブリッシュをお願いしているのはPLAYISM(プレーイズム)という会社です。 まず初めにテキストの"ローカライズ(翻訳)"作業についてですが、今やゲームは日本国内だけで販売するのではなく、当たり前のようにネットを通して全世界に
以前開発に関わったゲームはパブリッシャーさんを通して販売してもらい、無料配布ゲームの頒布やイベント出展などもお任せしていました。 個人的にはお願いしてよかった。できれば次もお願いしたい。 パブリッシャーさんて何してくれるの会社によりますが、主に広告販促や窓口、イベント出展やプロモーション、コンシューマへの移植、難しいところではCEROの申請代行などを担ってくれます。他にもローカライズやテストプレイを併せて行ってくれる会社もあります。特定のジャンル、どんな媒体、海外or日本の販路に強いなど特徴も様々です。 費用や売り上げはどうなるの私がお世話になった会社さんは(当時)上述の全てをお願いできる、どっちかいうと日本国内の販売に強い会社さんで、売り上げ比率は開発側:パブリッシャー=7:3が基本で、売り上げから引く形でした。契約金などを事前に支払う必要がなく、初期費用の心配がいらないのは大きかったで
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