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中世の検索結果281 - 320 件 / 440件

  • 不潔で不合理な「暗黒時代」? 中世ヨーロッパの4つの誤解

    イエスの磔刑(たっけい)を命じたローマ総督ポンテオ・ピラトが手を洗う様子が描かれた14世紀初頭の絵画。中世の人々は不潔だったというのは、よくある誤解だ。実際には、彼らは頻繁に入浴し、ここに描かれているような手洗いの儀式を行っていた。(PHOTOGRAPH BY DEAGOSTINI, GETTY IMAGES) それは革新、哲学、そして伝説的な芸術作品の時代だった。中世ヨーロッパ(およそ西暦500〜1500年)の真実を知れば、驚く人も多いのではないだろうか。 ルネサンスとそれに続く啓蒙思想が登場する前の時期は、一般にヨーロッパの「暗黒時代」だと認識されている。後進的で、汚らしい身なりをしていて、原始的な技術しか持たず、ひどい迷信に囚われていた残酷な人々の時代、というわけだ。 しかし、実際の「暗黒時代」は、そうした認識とは程遠い世界だった。この記事では、中世についてのよくある誤解を4つ紹介す

      不潔で不合理な「暗黒時代」? 中世ヨーロッパの4つの誤解
    • ドイツ中世の代表的エロ文学作品、起源が二世紀も遡る歴史的大発見

      オーストリア科学アカデミー(英語”Austrian Academy of Sciences”,ドイツ語” Österreichische Akademie der Wissenschaften”)の調査でオーストリアのメルク修道院の図書館から、中世ドイツのエロティックな詩「ヴァギナ・モノローグ”vagina monologue”」として知られる” Der Rosendorn”(薔薇の棘)の十三世紀頃のものと見られる断片が見つかった。オーストリア科学アカデミーのリリース”EROTIC POEM FROM THE MIDDLE AGES“他、The Guardian紙などが報じている。 “Der Rosendorn”は処女の女性と擬人化された彼女の女性器との対話と冒険を描いたドイツ中世詩で、両者は男性が女性に求めるものは何かということについて議論し、女性は自身の外見の美しさだと主張するが、女性

        ドイツ中世の代表的エロ文学作品、起源が二世紀も遡る歴史的大発見
      • 帝国滅亡から500年、アステカ人とは何者だったのか?

        15世紀から16世紀にかけて繁栄したメソアメリカ文明の国家アステカ。その都テノチティトランの遺跡は、メキシコの首都メキシコシティーの地下にある。近代的な建築物に囲まれた「テンプロ・マヨール(大神殿)」遺跡の調査が進み、アステカの都市とその住民の姿が次々と明らかになっている。 スペインによるアステカ征服は1521年のこと。これまで、ヨーロッパ人による記録の多くは征服者であるエルナン・コルテスを主役にしていたが、近年は、征服された側であるアステカ人の記録が注目されるようになってきている。そこには、メソアメリカの都市国家間の同盟が、いかにして急速に力をつけ、失われたかという、複雑で魅力的な物語が展開されている。 テノチティトランの大神殿跡「テンプロ・マヨール」の、羽毛のある蛇の像。ここは雨の神トラロックと戦争の神ウィツィロポチトリを祀った巨大な神殿群だった。(PHOTOGRAPH BY KENN

          帝国滅亡から500年、アステカ人とは何者だったのか?
        • 明治時代の地図で見た関東の城

          歴史的農業環境閲覧システムでは明治時代の地図(関東平野迅速測図)を見れるので、城が明治時代はどうなっていたかを見てみた ■歴史的農業環境閲覧システム https://habs.rad.naro.go.jp/habs_map.html?zoom=13&lat=35.46438&lon=139.62533&layers=B0 2023/2/20:9城追加しました。

            明治時代の地図で見た関東の城
          • ルイ9世の下顎

            「Call of History - 歴史の呼び声 -」主宰者。世界史全般、主に中世英仏関係史や近世の欧州・日本の社会史に興味があります。

              ルイ9世の下顎
            • 「デンマークの誉れ」 バイキング女王の権力を解明する新たなカギ

              デンマークのイェリング石碑は、今から1000年ほど前にバイキングの王だった父子がそれぞれ建立した。この写真の大イェリング石碑は息子のハーラル青歯王が建てたもので、碑文は965年のキリスト教への改宗が記され、母チューラにも言及している。そのため、この石碑は「デンマークの出生証明書」と呼ばれ、石碑のデザインの一部がデンマークのパスポートに使用されている。(PHOTOGRAPH BY ROBERTO FORTUNA, NATIONAL MUSEUM OF DENMARK) 1000年前の碑文に関する新たな論文が発表され、バイキングの2人の王の妻であり母であった女性が自らも強大な権力を持っていた可能性が示された。彼女自身が、初期のデンマーク王国を導いたリーダーであったかもしれない。 2023年10月11日付で考古学の学術誌「アンティクイティ」に掲載された論文で、デンマークのユトランド半島東部にある

                「デンマークの誉れ」 バイキング女王の権力を解明する新たなカギ
              • 「南北朝期の『悪党』とは”訴訟用語”だった」「楠木氏は実は、鎌倉幕府に近い存在」~亀田俊和氏が語る

                戎光祥出版編集長 @ebisukosyo_maru 戎光祥出版株式会社編集長の個人アカウントです。弊社刊行書籍の宣伝や、興味のある歴史ネタ等をtweetしています。なお、tweetの内容は、戎光祥出版株式会社の公式見解ではないことをあらかじめお断りしておきます。 企画・編集を担当した書籍はこちらから→booklog.jp/users/ebisumaru 戎光祥出版編集長 @ebisukosyo_maru 2月の新刊、亀田俊和・生駒孝臣編『南北朝武将列伝 南朝編』の試し読みページをHPにアップいたしました。ひとまず「はしがき」・「目次」および、北畠顕家・楠木正成・名和長年の冒頭部分をアップしております。どうぞよろしくお願いいたします。 #南北朝武将列伝 ebisukosyo.co.jp/item/583/ pic.twitter.com/dOnnFPYbSw 2021-01-21 12:28

                  「南北朝期の『悪党』とは”訴訟用語”だった」「楠木氏は実は、鎌倉幕府に近い存在」~亀田俊和氏が語る
                • バイキングは地中海に攻め入っていた、「剛勇のビョルン」伝説

                  アルバート・グッドウィンが19世紀に描いたこの絵は、バイキングがヨーロッパ人の想像力に与えた深い影響を反映している。バイキングは9世紀に西ヨーロッパ各地を襲撃し、西暦859年には地中海に進出した。(BRIDGEMAN/ACI) 9世紀、バイキングは地中海にも攻め入っていた。 13世紀のアイスランドの年代記作家スノッリ・ストゥルルソンがノルウェー王朝の歴史について執筆した『ヘイムスクリングラ』は、8世紀から11世紀にかけて各地へ勢力を広げたバイキングに関する重要な資料だ。バイキングは当時、英国からグリーンランド、果ては北米まで足を延ばした。彼らが成功したのは、よく知られた残虐さはもちろんだが、高い航海技術によるところも大きかった。 バイキングはヨーロッパの河川や大西洋岸を航行しただけではなかった。ストゥルルソンが「ジブラルタル海峡を通ってエルサレムの地まで続く、あの大きな海」と表現した地中海

                    バイキングは地中海に攻め入っていた、「剛勇のビョルン」伝説
                  • 日本人 鎌倉時代が最も短命…戦乱・災害の影響か : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン

                    聖マリ医大など研究 15~34歳で死亡5割 若年の中世人骨(長岡准教授提供) 中世の日本人は、他の時代に比べて短命だった可能性が高いことが、聖マリアンナ医科大の長岡朋人准教授(形質人類学)らのグループの研究でわかった。短命のピークは、中世前期の鎌倉時代にあたる12~14世紀頃とみられ、弥生時代や戦国時代に比べても短命なことがわかった。 長岡准教授らは、弥生時代から江戸時代までの各地の遺跡から出土した人骨810体を調べ、骨盤の関節にある「腸骨耳状面」と呼ばれる部分を分析した。腸骨耳状面は、若いうちは滑らかだが、加齢とともにトゲ状の突起や穴が増える特徴があるため、死亡年齢を推定する有力な根拠になるという。分析には統計的手法も使い、子供は除き、死者の年齢を「若年」(15~34歳)、「中年」(35~54歳)、「老年」(55歳以上)に分類して構成を調べた。 その結果、弥生時代(紀元前5~後3世紀)は

                      日本人 鎌倉時代が最も短命…戦乱・災害の影響か : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン
                    • 「東のダ・ヴィンチ」12世紀トルコの発明家ジャザリ

                      アル=ジャザリの『巧妙な機械装置に関する知識の書』に記されている、水力によってフルートを演奏する自動人形。アル=ジャザリいわく、優しい音色を出して昼寝から起こすよう設計した、遊び心にあふれた「目覚まし時計」だ。トルコ、イスタンブールのトプカプ宮殿博物館所蔵。 (BRIDGEMAN/ACI) 客人にタオルを差し出すからくり人形。ゾウ使いがゾウの頭を30分毎にたたく水時計。プログラム可能な最初の「ロボット」。 これらは12世紀のイスラム世界の発明家イスマイル・アル=ジャザリの驚くべき発明品のほんの一部だ。彼の発明品には、大富豪の遊び道具として作られた豪華で色鮮やかな逸品がある一方、揚水機のように、農家の人々がその後何百年も使うような実用的なものもあった。 王の下で100を超える装置を設計 アル=ジャザリは1136年、現在のトルコ南東部に位置するディヤルバクルでつつましい職人の家に生まれた。当時

                        「東のダ・ヴィンチ」12世紀トルコの発明家ジャザリ
                      • nix in desertis:高校世界史上で「大ジンバブエ」と「モノモタパ王国」をどう扱うか

                        高校世界史深掘りシリーズ。現在のジンバブエ共和国には,その国名の由来となった大ジンバブエ(グレート・ジンバブエ)遺跡がある(見たことがない人のためにGooglemapにリンクを張っておく。ストリートビューで中を見ることができてけっこう面白い)。大規模な石壁に囲まれた都市遺跡であるが,この都市を建設したのは誰かというのは長年論争があった。19世紀後半から20世紀前半にかけては「サハラ以南の黒人にこのような都市を建設できるはずがない」という偏見からフェニキア人などの非黒人建設説が唱えられていたが,20世紀半ばにはさすがに否定され,現地のショナ人のモノモタパ王国(ムタパ王国)が建設したという説が有力になった。 しかし,現在ではこの説も否定された。というのもモノモタパ王国の存続年代が以前は11〜19世紀とされていたが,これは支配階級の部族や栄えた地域の変化を無視して,ザンベジ川とリンポポ川に挟まれ

                        • 畑からビザンツ帝国時代のモザイク画発見 ガザ地区

                          パレスチナ自治区ガザ地区で、ビザンツ帝国時代のモザイク画を清掃する発見者の男性の息子(2022年9月18日撮影)。(c)MOHAMMED ABED / AFP 【9月19日 AFP】パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)中部でこのほど、5~7世紀ごろのビザンツ(Byzantine)帝国時代のモザイク画が公開された。自分の畑を耕していた農家が発見したという。 発見場所は、緊張した状態となることが多いイスラエルとの境界線から1キロ未満にある。 モザイク画を鑑定したエルサレム・フランス聖書考古学研究所(French Biblical and Archaeological School of Jerusalem)のフランス人考古学者ルネ・エルテール(Rene Elter)氏は、モザイクの保存状態は「完璧」だとしている。 同氏は「極めて質が高い作品で、比較的高級な材料が使われているのは間違

                            畑からビザンツ帝国時代のモザイク画発見 ガザ地区
                          • 『ヴィンランド・サガ』の歴史学  ヴァイキングの知られざる顔

                            角のついた兜を被り,手斧を握って,帆走する海賊船でヨーロッパ各地の街や教会を荒らし回る北欧出身の蛮族集団。わたしたち日本人にとってのヴァイキングのイメージは,このようなものではないだろうか。確かに,日本でも親しまれたルーネル・ヨンソン原作のアニメ『小さなバイキングビッケ』(1974〜1975年放映)やカーク・ダグラス主演の映画『ヴァイキング』(1958年公開)で描かれるヴァイキングは,海賊イメージそのものである。 しかし,略奪に見舞われた側が残した記録に基づく海賊のイメージは,間違いではないが,ヴァイキングの一面を捉えているにすぎない。近年の歴史研究によれば,ヴァイキングは,故郷のスカンディナヴィアから海を越えて,東は現在のロシア,トルコ,さらには中央アジアに至るまで,西はスコットランドやアイスランドを越えて北米大陸に至るまでの広大な範囲に定住そして交易ネットワークを築いていたことが強く主

                              『ヴィンランド・サガ』の歴史学  ヴァイキングの知られざる顔
                            • 実は「温暖化の産物」だったモンゴル巨大帝国

                              コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕

                                実は「温暖化の産物」だったモンゴル巨大帝国 
                              • 歴史的に貴重な中世アイルランド語写本「リズモアの書」、英国からアイルランドへ帰還 | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                中世アイルランド文学の重要な写本の一つである「リズモアの書」が、現在の持ち主である英国の貴族デヴォンシャー公爵からアイルランドの国立大学ユニバーシティ・カレッジ・コーク(University College Cork, UCC)へ寄贈された。1640年代に戦争で持ち去られて以来、約380年ぶりの返還となる。 「リズモアの書(英語” Book of Lismore “, アイルランド語” Leabhar Leasa Móir “)」は中世のアイルランド南部マンスター地方で最大の領主であったカーベリー領主(Lord of Carbery)の第十代当主フィンギン・マッカーシー・リーク(” Finghin MacCarthy Reagh” , 1478-1505)のために編纂されたゲール(アイルランド)語写本である。 リズモアの書に収録されている物語はアイルランドの聖人たちと関連する黙示録の物語、

                                  歴史的に貴重な中世アイルランド語写本「リズモアの書」、英国からアイルランドへ帰還 | Call of History ー歴史の呼び声ー
                                • 暗黒時代に失われた物語を生物学的な「大量絶滅」として分析してみた(オックスフォード大学) - ナゾロジー

                                  物語の「絶滅」を生物学的に分析した研究が発表!物語の「絶滅」を生物学的に分析した研究が発表! / Credit:Canva物語は文化という環境の中を生き抜く「生命」としての側面があります。 物語も生物と同じように誕生し、複製され、ときには突然変異し、災害や戦火で完全に失われ「絶滅」することがあります。 また物語の内容はDNAと同じく文字列でつづられており、生物と同じく複製のたびにエラーが発生します。 最新の研究では、生物の突然変異は中立かつ均等に起こるのではなく、酸素呼吸のように生存に不可欠な遺伝子には、変異が起きにくいようにプロテクトがかけられていることがわかっています。 同様に物語が複製されるときに生じるエラーも、文末表現やちょっとした表現の違いなど重用でない部分で起きやすい一方で、主人公の名前など重要な部分は変化が起こりにくくなっています。 物語には突然変異の概念も存在します。 書き

                                    暗黒時代に失われた物語を生物学的な「大量絶滅」として分析してみた(オックスフォード大学) - ナゾロジー
                                  • アプロ on Twitter: ">鎌倉武士は「重装弓騎兵」という世界に類を見ない変態装備。 ちょっと誤解があるというか、重装弓騎兵自体はビザンツとかモンゴルとかトルコとかに普通にいました。 彼らは当然、白兵戦もバリバリやります。 2m級の長弓でクソゴツい矢を… https://t.co/Ghl78wLraM"

                                    >鎌倉武士は「重装弓騎兵」という世界に類を見ない変態装備。 ちょっと誤解があるというか、重装弓騎兵自体はビザンツとかモンゴルとかトルコとかに普通にいました。 彼らは当然、白兵戦もバリバリやります。 2m級の長弓でクソゴツい矢を… https://t.co/Ghl78wLraM

                                      アプロ on Twitter: ">鎌倉武士は「重装弓騎兵」という世界に類を見ない変態装備。 ちょっと誤解があるというか、重装弓騎兵自体はビザンツとかモンゴルとかトルコとかに普通にいました。 彼らは当然、白兵戦もバリバリやります。 2m級の長弓でクソゴツい矢を… https://t.co/Ghl78wLraM"
                                    • アッティラ王が率いたフン族 残忍ではなかった?

                                      馬に乗り戦うフン族の王アッティラとその軍隊。フランス人画家ウジェーヌ・ドラクロワの作品。(PHOTOGRAPH BY THE PICTURE ART COLLECTION, ALAMY) 西暦370年頃、フン族の大軍はヨーロッパへと進んだ。その過程で、ゲルマン諸族は支配下に置かれ、拡大するフン族の領土から逃げるように他の土地へと移っていった。ところで、フン族は一般に残忍とされているが、本当にそうだったのだろうか? (参考記事:「1700年前の楽器「口琴」を発見、今でも演奏可能」) ただ、この問いに答えるのは難しい。歴史家のピーター・ヘザー氏は「フン族は今も多くの謎に包まれている」と記している。何しろ、彼らの歴史について記録された文書はほとんどなく、その起源もはっきりしないのだ。フン族は遊牧民族で、現在のカザフスタンあたりで勃興し、350年頃にはステップ地帯東部を制圧したと考えられている。な

                                        アッティラ王が率いたフン族 残忍ではなかった?
                                      • オーディンら北欧神話の神々を祀ったノルウェー最古となる八世紀頃の神殿が発見 | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                        「オーディンのイラスト」(ラディック・ピーチ画、”Murray, Alexander (1874). Manual of Mythology “、パブリックドメイン画像) ノルウェーで八世紀頃の北欧神話の神々を祀った神殿「神の家(ノルウェー語” gudehov ” , 英語”godhouse”)」が発見された。調査にあたったベルゲン大学博物館(ノルウェー語”Universitetsmuseet i Bergen” , 英語”University Museum of Bergen”)によると、ノルウェーで発見された同様の神殿としては最古の例となるという。 ノルウェー西部の主要都市オシュタ(Ørsta)に近いオーサ(Ose)村で宅地開発の準備のための発掘調査を行ったところ、約2000~2500年前の農村の跡と八世紀頃の神殿の遺構が発見された。遺構は、長さ約45フィート(14メートル)、幅26フ

                                          オーディンら北欧神話の神々を祀ったノルウェー最古となる八世紀頃の神殿が発見 | Call of History ー歴史の呼び声ー
                                        • 海底で見つけた元寇船を引き揚げたら「軍事編成の研究できる」…弘安の役750年向け研究者意欲

                                          【読売新聞】  元寇 ( げんこう ) の舞台として知られる長崎県松浦市・鷹島沖の鷹島海底遺跡での発掘調査について、国学院大の池田 栄史 ( よしふみ ) 教授(水中考古学)による成果報告会が島内で開かれた。昨年10月に海底で確認し

                                            海底で見つけた元寇船を引き揚げたら「軍事編成の研究できる」…弘安の役750年向け研究者意欲
                                          • 歴史書「太平記」が考察ぶん投げてるの面白すぎるだろ「尊氏は前世の行いが良かったから勝った」

                                            更新日:6月5日11時09分

                                              歴史書「太平記」が考察ぶん投げてるの面白すぎるだろ「尊氏は前世の行いが良かったから勝った」
                                            • 源氏物語 ロマンを求めて よみがえる “紫式部のすずり” | NHK | WEB特集

                                              紫式部が「源氏物語」の着想を得たときに使ったと伝えられている大きな「すずり」。 このすずりを研究し現代の職人が再現することで、すずりがいつどこで作られ、「源氏物語」がどのような状況で書き始められたのか、その謎に少しでも近づこうというプロジェクトが進んでいます。 研究の中で、すずりが使用された痕跡や毛らしきものなど、思わぬ発見も…。 平安のロマンを追いました。 (報道局 ニュースLIVE!ゆう5時 ディレクター 下道愛莉) 源氏物語はいまからおよそ1000年前、平安時代中期に紫式部によって書かれた全54帖(じょう)からなる長編の物語です。 主人公、光源氏の恋愛や生涯を中心に、当時の宮廷のくらしや貴族の日常などが書かれ、世界最古の長編小説と評されるほど後世の文学に大きな影響を与えました。 一方で、「源氏物語」は正確にいつ、どれぐらいの期間をかけて書き上げられたのか、そもそもなぜ書かれたのかなど

                                                源氏物語 ロマンを求めて よみがえる “紫式部のすずり” | NHK | WEB特集
                                              • 中世の水晶瓶、その美の全貌が明らかに ただし謎も残る

                                                金細工に包まれたバイキング時代の見事な水晶瓶の全貌全貌(ぜんぼう)がついに公開された。ラテン語で刻まれた文字の存在が明らかになったことで、瓶の謎めいた起源を探る新たな手がかりとなる可能性もある。 瓶を保管するスコットランド国立博物館の研究者は、おそらく宗教目的で使われた容器だろうとの見方を示す。専門家の1人は、ローマ帝国からブリテン島のアングロサクソン王国に贈られた外交上の贈り物だった可能性があると見ている。 この宝物はスコットランド南西部で2014年に発見されたもので、いわゆる「ガロウェイの財宝」の一部をなす。報道資料ではガロウェイの財宝を「英国やアイルランドでこれまで見つかった中で最も豊かなバイキング時代の希少遺物コレクション」と形容している。 最初にガロウェイの財宝から取り出されたとき、瓶は布で覆われていた。そのため研究チームはまず3次元X線画像撮影技術で全体像を把握してから、保存作

                                                  中世の水晶瓶、その美の全貌が明らかに ただし謎も残る
                                                • 『ジャンヌ』(安彦良和 作)感想 | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                                  ジャンヌ・ダルクは世界史上屈指の有名人だ。現在、我々が知るジャンヌ・ダルクの事績は同時代の書簡や文書、関係者の日記、歴史家の記録類とジャンヌ・ダルクの異端審問記録の彼女の証言などを除くと、大半は1455~56年に行われたジャンヌ・ダルクの異端判決取り消しを目的とした復権裁判での関係者の証言に基づいている。我々が良く知るジャンヌ・ダルク像はジャンヌ・ダルクと同時代を生きた人々の、いわば「思い出」として語られた姿である。 本作「ジャンヌ」はジャンヌ・ダルクの死から9年が経った1440年初頭に物語が始まる。かつてジャンヌ・ダルクを送り出したロレーヌ地方ヴォークルール城主ロベール・ド・ボードリクールに男子エミールとして育てられた17歳の少女エミリーが、当時勃発していた諸侯反乱「プラグリーの乱」で国王シャルル7世派として参戦を決意する。エミールは幼い日、ジャンヌ・ダルクと出会った思い出を胸にシャルル

                                                    『ジャンヌ』(安彦良和 作)感想 | Call of History ー歴史の呼び声ー
                                                  • 「忽那家文書」 大規模な初展示会|NHK 愛媛のニュース

                                                    松山市の離島、中島を拠点に活躍した中世の武家、忽那家に伝わる重要文化財の古文書を一堂に公開した初の展示会が松山市の県美術館で開かれています。 忽那家に関する古文書、「忽那家文書」は113通が重要文化財に指定されていますが、閲覧はこれまで主に研究者などが対象で、今回初めて大規模な展示会が開催されました。 会場にはおよそ70通の文書が展示されていて、鎌倉幕府が忽那家に対して忽那島・いまの中島の地頭職に任命したという書状や、土地の相続をめぐる一族の争いが記されています。 また、南北朝時代に関連する史料では1334年、忽那重清に対して南朝の後醍醐天皇が戦での功績をたたえ、島の支配を認める意向を伝えた文書も残っています。 このほか、重清が長野県などで南朝側として戦ったものの、1336年には北朝側に寝返り、京都などを転戦した記録も紹介されていて、中世の動乱の時代が生き生きと伝わってきます。 県美術館の

                                                      「忽那家文書」 大規模な初展示会|NHK 愛媛のニュース
                                                    • 「なぜいま、「幕府」を問うのか?」 〔後編〕 東島 誠|本がひらく

                                                      前回に引き続いて歴史書ブームを分析しながら、過去に3度、20年ごとに中世史がブームになってきたことの意味を考えます。 ※本記事は、NHK出版より刊行予定のNHKブックス、東島誠『「幕府」とは何か』から、「はじめに」と序章「いま、なぜ中世史ブームなのか、そして、なぜあえて幕府論なのか?」を先出しでお届けするものです。 室町幕府ブーム? 大政奉還百五十周年、明治維新百五十周年の記念行事の一方で、いまふたたび中世史ブームだという。それも、よりによって室町幕府が熱い。呉座勇一『応仁の乱』を機として、いわゆる室町本が飛ぶように売れているとのことだが、ただ、なぜこれだけのブームを呼んでいるのかについて、説得力のある説明を目にすることは、いまだない。呉座自ら譬えるように、応仁の乱と第一次世界大戦に類似点がもし本当にあるのだとしても、大戦の引き金となるサラエヴォ事件から百年に一つ余る年に安保関連法を通過さ

                                                        「なぜいま、「幕府」を問うのか?」 〔後編〕 東島 誠|本がひらく
                                                      • 『薔薇戦争 イングランド絶対王政を生んだ骨肉の内乱』陶山 昇平 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                                        日本中世の終わりの始まりとなった「応仁の乱」(1467~77)。日本を二分した戦乱でありながら諸勢力が入り乱れ複雑な様相を呈したことで良く知られ、最近では、呉座勇一氏による解説書『応仁の乱』が大ベストセラーとなったことで非常に注目を集めた。この「応仁の乱」と同時期、イングランドでも、国を二分しながら諸勢力が複雑に入り乱れて争う、「応仁の乱」と実によく似た戦乱が巻き起こっている。「薔薇戦争」(1455~87)である。 呉座勇一著『応仁の乱』は「地味すぎる大乱」という惹句で話題となったが、これは「薔薇戦争」にも言えそうだ。本書はその中世イングランドの地味すぎる大乱「薔薇戦争」について、近年の研究動向を大いに反映させながら概説した一冊である。 ところで、上で薔薇戦争の始期と終期を1455年から1487年までとしたが、実は諸説ある。終期は、かつてはヘンリ7世がリチャード3世を破ったボズワースの戦い

                                                          『薔薇戦争 イングランド絶対王政を生んだ骨肉の内乱』陶山 昇平 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
                                                        • 古墳じゃなくて経塚だった 下諏訪「ふじ塚古墳」経文記した石出土 | 信濃毎日新聞[信毎web]

                                                          30年以上、古墳とされてきたが実は…。諏訪郡下諏訪町社の「ふじ塚古墳」が、経文を記した石を埋納した中近世の経塚だったことが30日、県埋蔵文化財センター(長野市)の発掘調査で分かった。周辺には古墳時代後期の円墳が点在、1986(昭和61)年時点で町は古墳と見なしていた。今回、手のひらサイズの平たい石に1字ずつ経文が書かれた「経石」がまとまって出土。富士山を望める立地から、富士山信仰との関わりも指摘されている。 直径約10メートルの円形の盛り土で、諏訪湖を見下ろす標高約830メートルにある。国道20号下諏訪岡谷バイパス建設に伴いセンターが9月から調査。経石は出たが、古墳の痕跡や古墳時代の遺物は出ていない。 センターによると、一緒に見つかった陶磁器のかけらなどから、戦国時代から江戸時代に築かれたとみられる。1733(享保18)年に高島藩の5代藩主、諏訪忠林(ただとき)(1703〜70年)が領内を

                                                            古墳じゃなくて経塚だった 下諏訪「ふじ塚古墳」経文記した石出土 | 信濃毎日新聞[信毎web]
                                                          • 『地図の物語』アン・ルーニー|地図が小説に似ていた時代 - ボヘミアの海岸線

                                                            一般に、地図の用途といえば、経路や地形を調べることだ。旅の手引きともなる。だが、歴史を振り返ると、こうした用途ばかりではないことがわかる。 ーーアン・ルーニー『地図の物語』 かつて地図が小説に似ていた時代があった。 「地図」といえば、今ならメルカトル図法の地図やGoogle Mapが思い浮かぶ。これらの地図は世界共通で、国や人や文化によって変わるものではない。 しかし、世界共通の地図になったのは、ここ数世紀のことだ。人類の歴史の長いあいだ、地図は独創的で個性的な、想像力の住処だった。 本書は、紀元前から21世紀まで、人類が残してきた世界中の地図140点をフルカラーで紹介している。 本書を読んでいると、古代の地図は現代よりもずっと多様で独創的だったことがわかる。 たとえば、アステカ文明の地図には、地形だけではなく、歴史や文化の情報、つまり「積み重ねた時間」の情報が描かれている。 マーシャル諸

                                                              『地図の物語』アン・ルーニー|地図が小説に似ていた時代 - ボヘミアの海岸線
                                                            • ローマ帝国のコインに有名な超新星「SN 1054」の記録を発見か? - ナゾロジー

                                                              1054年7月4日、世界各地で目撃された超新星(supernova、星の大爆発によって輝く天体)は、人類の観測史上、最も壮大な天文現象の一つとなりました。 この超新星(SN 1054)は当時、中国や日本、アラブ世界で広く記録され、653日間にわたって夜空で輝き続けたという。 SN 1054の雲状の残骸は現在、「かに星雲」として残っています。 その一方で、SN 1054は、西洋の文化圏ではほとんど記録がありません。 西洋の空でも観測できたにもかかわらず、超新星に関する文書が存在しないのです。 これは専門家たちにとって、長年の謎となっています。 しかしこのほど、豪・西シドニー大学(WSU)の研究により、文書ではなくコインにその記録が残されていた可能性が示唆されました。 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)で鋳造されたコインに、SN 1054と見られる天体が彫刻されていたのです。 この研究は現在査読前で

                                                                ローマ帝国のコインに有名な超新星「SN 1054」の記録を発見か? - ナゾロジー
                                                              • 中世初期の「聖杯」の破片がハドリアヌスの長城近郊ヴィンドランダ遺跡で発見

                                                                イングランド北部ノーサンバーランド地方「ハドリアヌスの長城」近郊にあるローマ時代にローマ軍駐屯地として使われていたヴィンドランダ遺跡の崩壊した教会建物の中から、キリスト教の儀礼でつかわれる聖杯(Chalice)の破片が出土した。五世紀から六世紀頃にかけてのものとみられる。 発見された聖杯は鉛製で十四点の破片に分かれ、表面には当時のキリスト教的な様々な図像がエッチングされている。肉眼で確認することは困難だが専門家による調査で、船、十字架、カイ・ロー(”Chi Rho”,ギリシア語でキリストを意味する” ΧΡΙΣΤΟΣ”の頭文字XPを組み合わせたキリスト教のシンボル)、魚、クジラ、幸せそうな司教、天使、信徒たちの図像とラテン語、ギリシア語、オガム文字(”Ogam Script”原アイルランド語を記した文字、四世紀末~七世紀にかけて文献に登場する)が描かれていることがわかった。 ポスト・ローマ時

                                                                  中世初期の「聖杯」の破片がハドリアヌスの長城近郊ヴィンドランダ遺跡で発見
                                                                • スコットランド南部で川底から中世の戦略的要衝となった橋の遺構が見つかる | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                                                  スコットランド、テヴィオット川のアンクラム古橋の遺構 © Historic Environment Scotland / Ancrum and District Heritage Society スコットランド南部スコティッシュ・ボーダーズを流れるツイード川(River Tweed)の支流テヴィオット川(River Teviot)で、歴史上戦略的・経済的要衝として知られた中世の橋「アンクラム古橋(Ancrum Old Bridge)」の遺構が初めて発見された。 スコットランド政府公共部門「スコットランド歴史環境協会(Historic Environment Scotland, HES)」からの資金提供を受けた「アンクラムおよび地区遺産協会(Ancrum and District Heritage Society, ADHS)」が、年輪年代調査コンサルティング会社「デンドロクロニクル社(De

                                                                    スコットランド南部で川底から中世の戦略的要衝となった橋の遺構が見つかる | Call of History ー歴史の呼び声ー
                                                                  • 14世紀の危機を語る時にモンゴル史家が語ること 諫早「『14世紀の危機』の語り方」 - オシテオサレテ

                                                                    思想 2024年4月号 岩波書店 Amazon 諫早庸一「『14世紀の危機』の語り方:ヨーロッパ到来以前の黒死病」『思想』2024年4月、no. 1200、9–32ページ。 『思想』の特集「危機の世紀」から、14世紀の危機について論じた論考を読む。 非常に多くの情報を提供する論考である。しかし、その骨子は次のように要約できる。「13世紀世界システム」の崩壊は、黒死病によってもたらされたとは考えられない。なぜなら、システムは黒死病が現れたときにはすでに崩壊していたから。システムの崩壊の主要因はむしろモンゴル帝国の解体である。まず気候変動により、帝国の拡大は13世紀末に止まる。その後、帝国を構成する各ウルスの王位継承制度の不全のためウルスは解体し、変動後の気候に適した小政体が数多く成立していった。 ここから私としては、次のような点に論考のポイントがあると判断した。論考の冒頭では14世紀の危機の

                                                                      14世紀の危機を語る時にモンゴル史家が語ること 諫早「『14世紀の危機』の語り方」 - オシテオサレテ
                                                                    • イギリスでバイキング時代の兜が初めて発見される : カラパイア

                                                                      イギリス北東部の町、ヤームから出土した古い兜を詳しく調べたところ、バイキング(アングロ・スカンジナビア人)最古の遺物であることがわかった。 この発見はブリテン島では初めてのことで、ほぼ完全な形で残っているバイキング時代の兜はこれを含め、これまで2点しかない。 最新研究によって、バイキング時代 (紀元793〜1066年)と中世初期の兜の発展の様子がよくわかるという。

                                                                        イギリスでバイキング時代の兜が初めて発見される : カラパイア
                                                                      • 十字軍騎士の900年前の剣か イスラエル沿岸で発見 - BBCニュース

                                                                        約900年前の十字軍の騎士が使っていたとみられる剣が、イスラエル北部の海岸近くの海底で、アマチュアダイバーによって発見された。

                                                                          十字軍騎士の900年前の剣か イスラエル沿岸で発見 - BBCニュース
                                                                        • nix in desertis:『岳人』「戦国の山」特集(2017年12月号・2019年12月号)

                                                                          登山雑誌はたまに買って読んでいるのだけど,面白かったので紹介しておく。モンベルが出している『岳人』の2017年12月号の特集が「戦国の山」で,好評だったがために2019年12月号の特集「続・戦国の山」であった。 まず2017年12月号の方から。取り上げられているのは丹沢・犬越路,小谷城,千草越,岩村城,天目山,天王山,賤ヶ岳,長谷堂城,越前大野城&戌山城,備中松山城,竹田城,坂戸城,岩櫃城,高根城,城井ノ上城,最後に佐々成政のさらさら越え。この他に縄張り図や用語解説,戦国時代の兵糧(干飯・芋茎の縄・兵糧丸等)レシピと実食感想レポートがついている。 賤ヶ岳は『ヤマノススメ』9巻でも登場していた。戦国の山の代表例と言えるかも。中川清秀の墓もあるので,『へうげもの』の聖地でもある。小谷城は麓に名物旅館があって,それも込みで去年に友人と行ってもいいかもという話をしていたが,どうせなら日本百名山にし

                                                                          • nix in desertis:書評:『グローバルヒストリーと戦争』(秋田茂・桃木至朗編著,大阪大学出版会,2016年)

                                                                            本書は並びが現代史から古代史にさかのぼっていくスタイルであるが,後ろの章ほど面白い。20世紀史はグローバルさが自明すぎて,グローバルヒストリーが面白さを発揮できないということだろうかとか考えてしまった。いくつか面白かった章を挙げておく。まず第6章,近世の東部ユーラシアではヨーロッパから伝来した火器を用いた「火薬帝国」が立ち並んだが,18世紀に入ると平和が訪れて火器の地位が低下していった。この17-18世紀に,銃火器を減らす周囲とは対照的に周囲からありったけのマスケット銃を吸収し,庶民にまで普及していった特異な地域がある。ベトナム北部の山岳地帯である。ベトナムの歴代王朝はその地形と武力に苦慮し,なんとか体制に取り込もうとしたが,それに成功したのは最終走者のベトミンだけであった。この山岳の戦闘集団の存在が最終的にディエンビエンフーの戦いに帰結するのだから,長期的な歴史の展開は予測がつかず面白い

                                                                            • あの旨い生き物が中世イングランドでは「地代」として納められていた! | 日本人も大好物

                                                                              中世イングランドではウナギが地代として納入されていたという。だがいったいなぜそんな慣習があったのか? 世界の知られざる事象を紹介する米トラベルメディア「アトラス・オブスキュラ」がその謎に迫る。 中世の地図製作法を専門にしてきた歴史学者のジョン・ワイアット・グリーンリーは、ツイッター上で自称する「たまげたウナギ史家」になるつもりなどなかった。 博士論文でウナギについて書くことを最初に提案したときは、却下されてしまったという。それでもとにかく、グリーンリーは中世のウナギについて勝手に研究を続けると、ウナギに対する彼の情熱に興味をそそられる人がでてきた。 グリーンリーが具体的に研究しているのは、ウナギが中世イングランドの経済と文化で果たした役割だ。それは現代人の多くが考えるよりずっと重要な役割だった。中世イングランドでは、ウナギが実質的に通貨になっていた。中世の小作農はこの魚で地代を払い、またほ

                                                                                あの旨い生き物が中世イングランドでは「地代」として納められていた! | 日本人も大好物
                                                                              • 稙田誠先生に『中世の寺社焼き討ちと神仏冒涜』の読みどころを解説していただきました|戎光祥出版

                                                                                皆さまこんにちは、戎光祥出版の丸山です。 4月の新刊、『中世の寺社焼き討ちと神仏冒涜』につきまして、著者である稙田誠先生に本書の意義・特徴・読みどころを解説していただきました。 本書の書誌情報等については、リンク先をご覧ください。 それでは以下、稙田先生による自著解説をお楽しみください。 -------------------------------------------------------------------------------------- 中世は宗教の時代といわれています。この時代に生きた人々=中世人にとって、宗教性の具象ともいえる神仏は実体を持った存在であると信じられていました。神仏が神仏たるゆえんは、人智を超越した不可思議な力(以下、神威と呼ぶことにします)を発揮するところにあるといえます。神威は病気を治したり戦の勝利に導くなどの現生利益や、来世での救済(浄土往生)

                                                                                  稙田誠先生に『中世の寺社焼き討ちと神仏冒涜』の読みどころを解説していただきました|戎光祥出版
                                                                                • 約1000年前の鶏卵、ほぼ完全な形で発掘 イスラエル

                                                                                  【6月10日 AFP】イスラエルでこのほど、約1000年前の鶏卵がほぼ完全な形で発見された。 卵は、同国中部の町ヤブネ(Yavne)で行われた約1000年前の汚水槽の発掘調査で、槽内の軟らかい堆積物に埋もれる形で見つかった。これまでに無傷で見つかった古代の鶏卵は数個しかない。(c)AFP

                                                                                    約1000年前の鶏卵、ほぼ完全な形で発掘 イスラエル