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  • 法隆寺の駐車場にある植え込み、実は古墳でした 奈良大学などが確認:朝日新聞デジタル

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      法隆寺の駐車場にある植え込み、実は古墳でした 奈良大学などが確認:朝日新聞デジタル
    • 日本列島の弥生時代と古墳時代のほぼ全ての銅鏡が示された分布図が話題となる→可視化されたことで地域的な差異などが一目瞭然に、分類毎の分布図も公開される

      かぬそぬ @omisoi 🖥Simulation考古学者/📝専門は歴史地理情報処理,Agent-based model,人口動態推定等/🗾GIS開発者/📷LiDAR/⛰古墳/🎨創作/🏳️‍⚧️Nonbinary Gender/🏛歴史地図アプリ開発中: github.com/AsPJT/PAX_SAPI… github.com/AsPJT かぬそぬ @omisoi 日本列島の弥生時代と古墳時代のほぼ全ての銅鏡の分布図が完成しました〜😆 ほとんどのデータは「日本列島出土鏡集成(2016年)」です。盾形銅鏡など2017年以降の出土鏡も一部入れています。 データ内部に遺跡時期や鏡式の情報があるので、条件付きの結果も出すことができます☺️ 大きさの比較も簡単♪ pic.twitter.com/RmYCuzl5cx 2024-04-01 22:01:40

        日本列島の弥生時代と古墳時代のほぼ全ての銅鏡が示された分布図が話題となる→可視化されたことで地域的な差異などが一目瞭然に、分類毎の分布図も公開される
      • 前方後円墳を厚木で発掘 かながわ考古学財団 あす見学会:東京新聞 TOKYO Web

        国道246号のバイパス「厚木秦野道路」建設に伴う「及川伊勢宮(おいがわいせみや)遺跡」の発掘調査で、公益財団法人「かながわ考古学財団」(横浜市南区)は、厚木市の荻野川流域で初めて古墳時代(3〜7世紀ごろ)の前方後円墳が見つかったと発表した。20日に現地見学会を開く。 財団によると、前方後円墳は全長37メートル、幅は21メートル。昨年の現地見学会では、前方後円墳のうち円形の盛り上がりだけが確認できたため、円墳として紹介していた。現地では他にも、古墳時代のものとして方墳の一部、土器、石器が見つかった。また、近世と中世の塚が各1基、周辺では縄文時代の住居跡1基も見つかっているという。 現地見学会は20日午前10時からと、午後1時半からの2回で参加無料、申し込み不要。現地集合(厚木市及川2)で、最寄りのバス停「松蓮寺」付近に案内人がいる。詳細は同財団のホームページで。(志村彰太)

          前方後円墳を厚木で発掘 かながわ考古学財団 あす見学会:東京新聞 TOKYO Web
        • AIが地図から古墳を「発掘」 地形解析、新規34カ所確認 奈文研 | 毎日新聞

          AIによる解析結果を基に実施した兵庫県たつの市の現地調査で見つかった円墳の「中垣内平見古墳」。覆土が流れ、石室が露出していた=高田主任研究員提供 古墳の形状を学ばせたAI(人工知能)に自治体が公開している立体地図上を「探検」させ、未発見の古墳を突き止める手法を奈良文化財研究所(奈文研、奈良市)の高田祐一・主任研究員らのグループが開発した。グループはこの手法を「デジタル探査」と命名。奈文研のサイトで22日、研究成果の報告書を公開した。【稲生陽】

            AIが地図から古墳を「発掘」 地形解析、新規34カ所確認 奈文研 | 毎日新聞
          • 3100人が納骨できる「前方後円墳」型墓地に応募殺到 少子高齢化で変わる終活最新事情

            巨大な「前方後円墳」を模したお墓が売れに売れている。福岡県新宮町の新宮霊園が令和4年4月から「日本初の本格的な『古墳』型永久墓」として売り出したところ、販売目標をはるかに上回り、約1年で約900人分が完売した。販売好調の背景には古墳というインパクトに加え、少子高齢化によるお墓の後継難という問題も潜んでいた。 遠く玄界灘を見渡す新宮町の高台に前方後円墳はあった。全長53メートル、円墳部分の直径16・3メートル、高さ3・5メートル。全体は芝で覆われ、周囲には死者の魂を鎮めるために置かれたという「埴輪(はにわ)」が40体ほど並んでいた。全体で3100人分を納骨できる。 新宮霊園が販売する前方後円墳を模した「古墳型永久墓」は好評で、空き待ちの状況だ1人分の区画は30センチ四方で、芝生にそれぞれに番号が振られ、石で作られた銘板に亡くなった人の名前が刻まれていた。埋葬の際には、表面の芝から15センチほ

              3100人が納骨できる「前方後円墳」型墓地に応募殺到 少子高齢化で変わる終活最新事情
            • 古墳を取り囲む“無数の太陽光パネル” 「侵略している」SNSで批判の声も…実態は?(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース

              真ん中にポツンと見える島のようなものは「古墳」です。その周りをずらりと囲んでいるものが太陽光パネルです。 【画像】太陽光パネル設置でトラブル頻発 背景に“やむにやまれぬ事情” こうした古墳を取り囲むような太陽光パネルは各地にあり、景観などについて物議を醸しています。なぜこうなったのか現場を取材したところ、意外な事実が浮かび上がってきました。 ■メガソーラー構想などの土地計画を巡り紛糾五條市の地元住民 「急に説明もなく計画変更なんて、五條市民を馬鹿にしておる、何がメガソーラーだ。そんな勝手な話ありますか?私は納得できない」 奈良県五條市では、メガソーラー構想などの土地計画を巡って紛糾していました。 県は当初、滑走路もある防災拠点を整備する計画を立てていましたが白紙に…。ヘリポートや備蓄倉庫とともに、およそ25ヘクタールのメガソーラーを設置する案を発表しました。 これに対し、予定地を県に売却し

                古墳を取り囲む“無数の太陽光パネル” 「侵略している」SNSで批判の声も…実態は?(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
              • 遠賀川流域の秘宝!沖出古墳の謎 #遺跡 #歴史 - にゃおタビ

                福岡県嘉麻市にある沖出古墳(おきでこふん)です。 筑豊が好きシリーズ第35弾 福岡県嘉麻市にある沖出古墳です。 4世紀末に造られた全長約68mの前方後円墳であります。 平成9年7月25日に県指定史跡に指定されています。 この古墳は、遠賀川に向かって延びる標高約40mの丘陵の突出した部分を利用し、南側から高く大きく見えるように造られています。 とてもきれいに整備されている公園です。 古代史に興味がある方は是非いかれてみてください。 概要 築造時期: 沖出古墳は4世紀終わり頃に築造された前方後円墳です。その全長は約68メートルに及びます。 形状: 前方部が2段、後円部が3段の構造を持つ前方後円墳として知られています。 出土品: 沖出古墳からはさまざまな出土品が発見されています。これには鍬形石、車輪石、石釧の石製腕飾り、埴輪などが含まれます。特に注目すべきは、九州の古墳で唯一、三種類の石製腕飾り

                  遠賀川流域の秘宝!沖出古墳の謎 #遺跡 #歴史 - にゃおタビ
                • 滋賀 近江八幡 川の中で発見 約1500年前の前方後円墳か|NHK 関西のニュース

                  5年前(2019年)、滋賀県近江八幡市の川の中で見つかった古墳を県文化財保護協会が調べたところ、およそ1500年前の古墳時代に造られた前方後円墳とみられることが分かりました。 協会は川に沈むなどして消失した遺跡が存在することを物語る貴重な事例としています。 近江八幡市江頭町を流れる日野川の中では、2019年に県が行った調査で▼人工的に土を積み上げた跡や▼1列に並んだ円筒状の埴輪6本が見つかり、県は、中州のような土の盛り上がりは、古墳の可能性があるとしていました。 この場所を、去年10月から先月(2月)にかけて県文化財保護協会が調べたところ、新たに13本の円筒状の埴輪が1列に並んだ状態で見つかりました。 埴輪は5年前に見つかったものと同じ種類で、▼カタカナの「ハ」の字型に並んでいることや、▼焼き方の特徴などから、この古墳はおよそ1500年前の5世紀後半から6世紀前半ごろに造られた前方後円墳と

                    滋賀 近江八幡 川の中で発見 約1500年前の前方後円墳か|NHK 関西のニュース
                  • 奈良 富雄丸山古墳の「蛇行剣」の「つか」 特殊な形とわかる | NHK

                    奈良市の古墳で、古代の東アジアで最も長いとされる鉄剣「蛇行剣(だこうけん)」が見つかり、持ち手部分の「つか」が、のちの時期の刀と剣の特徴をあわせ持った特殊な形をしていたことがわかりました。専門家は、古墳時代の刀剣類の変遷を知る上で極めて重要な資料になるとしています。 古墳時代の4世紀後半に造られたとされる奈良市の富雄丸山古墳では、令和4年度の調査で、古代の東アジアで最も長いとされる、長さ2メートル30センチ余りの、「蛇行剣」と呼ばれる波打つような形の鉄剣が見つかり、奈良県立橿原考古学研究所で表面のさびや泥を取り除く作業が行われてきました。 その結果、持ち手部分の木製の「つか」は、▼「把頭(つかがしら)」と呼ばれる先端の部分がアルファベットの「L」のように曲がっているほか、▼「把縁(つかぶち)」と呼ばれる刃に近い部分の片側には突起がついていることが、新たにわかりました。(下の写真の○の部分)

                      奈良 富雄丸山古墳の「蛇行剣」の「つか」 特殊な形とわかる | NHK
                    • 【巣山古墳(3)】出土した準構造船は高田川水域を支配した海人集団のこん跡【喪船】 - ものづくりとことだまの国

                      巣山古墳の最終回。古墳外周から #準構造船 が出土。復元された船体を広陵町文化財保存センター(土日祝日休み)で見学できます。縄文以来の丸木舟に舷側と堅板の構造物を載せた船を準構造船といいます #高田川 #葛城氏 # 武内宿禰 目次 「喪船」とされる準構造船の出土 広陵町文化財保存センターの展示 高田川と巣山古墳 本文 www.zero-position.com www.zero-position.com 「喪船」とされる準構造船の出土 (1)で紹介しましたが、巣山古墳では古墳外周の北東角から準構造船の部材が出土しました。 準構造船の出土地点(北東角)から巣山古墳 広陵町文化財保存センターのパネルでは 喪船(もふね) とされています。 喪船とは棺や遺体をのせた葬送の船のこと。 巣山古墳。順構造船の出土地点と出土状況を紹介するパネル(広陵町文化財保存センター) ***** 準構造船とは、丸木舟

                        【巣山古墳(3)】出土した準構造船は高田川水域を支配した海人集団のこん跡【喪船】 - ものづくりとことだまの国
                      • 皇室スケッチ:日本最大の古墳は呼称がばらばら その理由とは | 毎日新聞

                        大阪府の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が2019年7月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されてから今月で4年となった。中心的な古墳は堺市にある日本最大の前方後円墳(5世紀築造、墳丘長486メートル)。中学の歴史教科書に必ず掲載されるような存在だが、複数の名称があり、統一されていない。その背景は――。 被葬者は未確定のまま 同古墳群は堺、羽曳野、藤井寺の3市にある49基の古墳で構成され、うち29基は宮内庁が皇室の祖先の墓やその可能性がある場所として管理する陵墓だ。宮内庁は日本最大の前方後円墳の名称を、第16代天皇としている仁徳(にんとく)天皇の「百舌鳥(もずの)耳原中陵(みみはらのなかのみささぎ)」としており、「仁徳天皇陵」と呼ぶこともある。 ただ、この古墳が造られた時代には天皇の称号はなかった。仁徳天皇の名は奈良時代に付けられたもので、百舌鳥耳原中陵という呼称は

                          皇室スケッチ:日本最大の古墳は呼称がばらばら その理由とは | 毎日新聞
                        • 前方後円墳 奥出雲で新たに77基 赤色立体地図 発見に貢献 本庄考古学研究室・曳野律夫さん | 山陰中央新報デジタル

                          島根県奥出雲町で、これまでに5基しか見つかっていなかった前方後円墳が新たに77基発見された。松江市の考古学者3人でつくる本庄考古学研究室が、町が森林管理のため製作した地形の立体感が分かる「赤色立体地図」で浮かび上がった古墳に目星を付け、多数の発見に至った。 赤色立体地図は、航空レーザー測量で標高データを集めた地図で、どの方向から見ても立体的に見えるため、細部の地形が分かりやすい。傾斜がきついほど赤色が濃くなり、なだらかだと白っぽくなる。古墳のように人工的に造られた地形の場合、形が浮かび上がるという。 前方後円墳は畿内政権とのつながりを象徴する古墳と考えられている。出雲部ではこれまで...

                            前方後円墳 奥出雲で新たに77基 赤色立体地図 発見に貢献 本庄考古学研究室・曳野律夫さん | 山陰中央新報デジタル
                          • 奈良 貴重な発見相次ぐ富雄丸山古墳 蛇行剣や鏡の次は何が? | NHK

                            昨年度の発掘調査で、▽波打つような形をした「蛇行剣」と呼ばれる、古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣や、▽盾の形をした国内最大級の青銅製の鏡などが相次いで見つかっています。 一連の調査では、1本の丸太をくりぬいた「割竹形木棺」と呼ばれる木製のひつぎも見つかりましたが、いったん埋め戻していました。 去年12月から、奈良市教育委員会が再び掘り出して詳しく調査したところ、ひつぎは幅およそ70センチ、長さ5メートルあまりあり、大部分が腐って失われることなく当時の形のまま残っていたことがわかりました。

                              奈良 貴重な発見相次ぐ富雄丸山古墳 蛇行剣や鏡の次は何が? | NHK
                            • 葬られたのは女性? 奈良・富雄丸山古墳の木棺から銅鏡3枚など出土:朝日新聞デジタル

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                              • 奈良 富雄丸山古墳 ひつぎ調査 貴重な「三角縁神獣鏡」発見か? | NHK

                                古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣など、貴重な発見が相次いでいる奈良市にある富雄丸山古墳で、木製のひつぎの中から新たに3枚の鏡などが見つかりました。 このうち1枚は大王クラスの巨大な古墳で見つかっている「三角縁神獣鏡」の可能性があるということで奈良市教育委員会はさらに調査を進めることにしています。 4世紀後半に造られたとされる奈良市の富雄丸山古墳では、▼古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣や、▼盾の形をした国内最大級の青銅製の鏡などの貴重な発見が相次いでいます。 ここで長さ5メートルを超える木製のひつぎも見つかり、奈良市教育委員会が2月上旬から土などを取り除き、中を調べていました。 その結果、▼直径20センチほどの青銅製の円形の鏡3枚のほか、▼「竪櫛」と呼ばれる竹製のくし9点が副葬品として納められていたことがわかりました。 鏡の中の1枚は大王クラスの巨大な古墳で見つかっている「三角縁

                                  奈良 富雄丸山古墳 ひつぎ調査 貴重な「三角縁神獣鏡」発見か? | NHK
                                • 兵庫で古墳の新発見続々 3次元地図からAIが「発掘」 - 日本経済新聞

                                  兵庫県で昨年、新手法を生かして34もの古墳が発見された。奈良文化財研究所(奈文研)などの研究チームが、兵庫県が全国に先駆けて公開した3次元の立体地図と、人工知能(AI)を活用した成果だ。専門知にデジタルを重ね合わせることで、研究進展や文化財保護を目指す。「デジタルを用いた研究成果の発表後、行政担当者を中心に多くの連絡が届き始めた」。奈文研の主任研究員である高田祐一さんはこう話す。高田さんらのチ

                                    兵庫で古墳の新発見続々 3次元地図からAIが「発掘」 - 日本経済新聞
                                  • 川の中で発見の前方後円墳、識者「奇跡だ」…ハの字に並ぶ埴輪も見つかる(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

                                    滋賀県文化財保護協会は、近江八幡市の日野川の中で見つかった江頭南遺跡が、5世紀後半~6世紀前半の古墳時代の前方後円墳だったと発表した。川の中で古墳が見つかるのは全国的にも珍しく、同協会は「川や谷に埋没した遺跡の存在を物語り、古墳の築造工程を知る重要な資料」としている。(矢野彰) 江頭南遺跡は2019年、バードウォッチング中の住民が川の中の埴輪を見つけたのをきっかけに調査が行われ、円筒埴輪が6点、川の中州に一列に並んでいるのを発見。古墳の存在が明らかになった。 古墳時代の琵琶湖の水位は今より低く、陸地にあった古墳が川の流れで運ばれた土砂に埋もれていたが、近年の豪雨や河川改修の影響で再び現れたとみられる。県が行う日野川の河川改修工事に伴い、同協会が22、23年度に発掘調査していた。 今回は、前回埴輪が見つかった近くの土が盛り上がった場所など約450平方メートルを調査。土の中を調べると、整地した

                                      川の中で発見の前方後円墳、識者「奇跡だ」…ハの字に並ぶ埴輪も見つかる(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
                                    • 仙台の古墳、なぜ太白区に集中? 全45ヵ所中 断トツの27ヵ所 | 河北新報オンライン

                                      仙台市内には大小さまざまな古墳が45カ所確認されている。中でも太白区は27カ所と5区で断トツに多い。その謎を解きに、まちの景色に溶け込む古墳を訪ね歩き、専門家に見解を聞いた。(報道部・鶴巻幸宏) 5世紀、広瀬川南岸に勢力 ヤマト政権と関係も 圃場に水が流れ込むと、中央に小さな孤島が浮かび上がった。 …

                                        仙台の古墳、なぜ太白区に集中? 全45ヵ所中 断トツの27ヵ所 | 河北新報オンライン
                                      • 玄関開けたら5分で古墳(デジタルリマスター)

                                        1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー) 前の記事:カレーの匂いでカレー屋に行きたくなるのか(デジタルリマスター) > 個人サイト Web独り者 彼女がいる風の地主恵亮 梶ヶ谷は東京です 神奈川県川崎市高津区にある梶ヶ谷。 僕はこの「梶ヶ谷」に住んでもう3年になる。田園都市線が東京「渋谷」から神奈川「中央林間」まで走っており、その中に「梶が谷駅」がある。限りなく東京よりに位置する駅だ。 もう東京だよね(「かじがや」は「梶ヶ谷」や「梶が谷」と表記される) 梶が谷駅からは5分で東京である。たった5分である。 たとえば朝の「あと5分だけ」の二度寝はあっという間に経ってしまうと思う。しかも5分くらい寝ても眠たさは変わらない。つまり5分とはもはや無いに等しい時間なのだ。そう考えると東京

                                          玄関開けたら5分で古墳(デジタルリマスター)
                                        • 【THE古墳】仁徳天皇陵の墳丘は半分が崩壊 初のレーザー測量で分かった地震の傷跡

                                          国内最大の仁徳天皇陵古墳。古墳時代以降もさまざまな歴史を刻んだ=堺市国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)を宮内庁が初めてレーザーで測量した。歴史教科書では優美な前方後円墳の姿が知られるが、最新の科学の目で見ると、墳丘の半分ほどが地滑りで大規模に崩壊。すぐ西側には上町断層帯が南北に走り、地震が原因とみられる。後円部の斜面には地滑り被害の後に設けられた正体不明の円形の小道があり、頂上部には石室を囲む江戸時代以降の石柵もレーザーで確認された。一枚のレーザー測量図から、古墳築造以降1600年の歴史が見えてくる。 「T」字形の破線で地滑り跡が示されたレーザー測量図。築造当初の墳丘部分はアミをかけて表示(「書陵部紀要 第74号」から転載)皇室の祖先の墓として立ち入りができない同古墳は長らく、昭和2年の測量図でしか内部の様子は分からなかった。測量は人の手によるものだった。平成24年に大

                                            【THE古墳】仁徳天皇陵の墳丘は半分が崩壊 初のレーザー測量で分かった地震の傷跡
                                          • 前方後円墳 入りたいですか? | NHK | WEB特集

                                            お墓と聞くと皆さんはどのようなイメージをいだきますか? 福岡県にある、このお墓。 そう、前方後円墳の形をしています。 予想以上の問い合わせがあり注目されていますが、背景にはお墓をめぐるさまざまな事情があるようです。 (ネットワーク報道部 記者 谷口碧・おはよう日本 ディレクター 酒井佑陶)

                                              前方後円墳 入りたいですか? | NHK | WEB特集
                                            • 奈良県の珍スポット。国指定重要文化財の古墳の堀の水上に住宅が・・・土地の権利関係とかどうなってるんだろうか。 - 暮らしの顛末(くまくまコアラ)

                                              さてさて、今日やってきたのは奈良県磯城郡川西町にある島の山古墳。 ここにちょっと気になる謎なエリアがあるんだよね。 島の山古墳は全長200mと大型の前方後円墳である。 古墳が多い奈良県内でもトップ20にランキングされるほどの古墳であり、国指定史跡、国指定重要文化財にも指定されている。 国内に多数ある大型の前方後円墳は概ね古墳の周りには堀があり、堀の周りは遊歩道やや車道となっている場合が一般的である。 がしかし、GoogleMapで島の山古墳を確認すると南側の堀のぎりぎりに住宅が建っているのが分かる。 この場所はいったいどうのような場所なのか? そうなんです。 国指定重要文化財である古墳の堀の上に住宅が建てられているんです。 関西には古墳が4万個ほどあり、その大半は実は個人所有であると言われているが、ここまで大きな古墳であり、国指定重要文化財にもなっている古墳の堀の水上に住宅が建つなんてこと

                                                奈良県の珍スポット。国指定重要文化財の古墳の堀の水上に住宅が・・・土地の権利関係とかどうなってるんだろうか。 - 暮らしの顛末(くまくまコアラ)
                                              • 木棺が1600年前の状態で出土、富雄丸山古墳 副葬品か?金属反応も

                                                富雄丸山古墳で木棺出土 富雄丸山古墳で出土した木棺。小口板が垂直に立った状態で見つかった=6日、奈良県奈良市(南雲都撮影) 国内最大の蛇行剣や盾形の銅鏡が見つかった奈良市の富雄丸山古墳(径109メートル、4世紀後半)の埋葬施設「粘土槨(かく)」から、被葬者を納めた割竹形(わりたけがた)木棺が築造時に近い状態で出土し市教育委員会が6日、発表した。石棺などにみられる「縄掛突起(なわがけとっき)」が見つかり、割竹形木棺で確認されたのは初めて。木棺の構造を知る上で重要な資料としている。 木棺の蓋(ふた)は全体の3分の1が確認され、身(本体)も大半が残っているとされ、これほど当時の姿をとどめているのは全国的にも珍しいという。副葬品については金属探知機で反応があり、今後内部の土を取り除いて調べる。 同古墳は国内最大の円墳。粘土槨は墳丘から張り出した「造り出し」にあり、木棺を粘土で覆う構造。昨年度の調査

                                                  木棺が1600年前の状態で出土、富雄丸山古墳 副葬品か?金属反応も
                                                • 「のぞくと自分の顔がぼんやり映った」…富雄丸山古墳、1600年前の青銅鏡発見の瞬間

                                                  大勢の報道陣を前に副葬品について説明する柴原聡一郎さん(右)=3月12日東アジア最大の蛇行剣などの発見で一躍脚光を浴びた奈良市の富雄丸山古墳(直径109メートル、4世紀後半)。昨年12月に始まった木棺の発掘は、副葬品など被葬者の謎に迫る調査とあって全国から注目され、担当者も想像以上の緊張を強いられた。「わずかな遺物も見逃さない」。現場では通常のスコップとは別に、つまようじや竹べらを使って土を一粒ずつ取り除くような作業が続き、青銅鏡や漆塗りの竪櫛(たてぐし)発見に結びついた。 土を少しずつ取り除いてようやく見つかった青銅鏡。木棺の端に3枚が重ねて置かれていた(奈良市教育委員会提供) 「鏡だ」思わず拍手2月末、木棺の底まであと数センチ。残りの土を竹べらで取り除いていくと、黒光りした金属製品が姿を現した。表面は磨かれたような滑らかさ。「鏡だ」。直径20センチほどの青銅鏡が完全な形で残り、さびもほ

                                                    「のぞくと自分の顔がぼんやり映った」…富雄丸山古墳、1600年前の青銅鏡発見の瞬間
                                                  • 4コマ「F県 鞍手駅~中間駅を歩いてみた」(3/4)~想像してご覧 - どさんこ九州に住む

                                                    ※1,3コマ目の黒いのは樹木のシルエット。 映画館から出た瞬間とか、人工物の無い山から街へ降りてきた瞬間とか、旅が終わった瞬間とか、いきなり現実が目の前に現れて面食らうことありません? 別に工業団地にケチつけてるわけではないんですよ。 古墳→工業団地を通ったらそう感じたってだけです。 工業団地→古墳の順でしたら「最先端な場所の隣に古墳!?」となったと思います。 人間の脳って面白いです。 ∞ F県は古墳数全国7位。 1万759個の古墳があるそうです。 8位の奈良県9663基より千基ほど多いです。 日本全国には15万9953基もの古墳があるそうですね(R3年)。 今年の1月時点での日本のコンビニ数は約5万7000店舗だそうですので、古墳の方が多いです。 因みに1位は兵庫で1万8707基あるそうです。兵庫のコンビニは2013店舗(R5年)、F県は2300店舗だそうですので、両県とも古墳の圧倒的勝

                                                      4コマ「F県 鞍手駅~中間駅を歩いてみた」(3/4)~想像してご覧 - どさんこ九州に住む
                                                    • 奈良・斑鳩の舟塚古墳、石室は「片袖式」 6世紀後半に築造

                                                      奈良県斑鳩町法隆寺の円墳「舟塚古墳」(推定直径約20メートル)で、横穴式石室の構造や築造年代が分かり、発掘調査を担当した町教委と奈良大学が7日、発表した。石室は、被葬者を安置する玄室が通路・羨道から左側に張り出した「片袖式」と呼ばれる構造であることが判明。出土した須恵器により築造が6世紀後半であることも分かった。9日に現地説明会を開く。 舟塚古墳は現存する墳丘部が直径8・5メートルで、石垣で囲われている。今年2~3月の前回の第3次調査で横穴式石室の一部を確認。8月3日から始まった今回の4次調査(今月16日までの予定)では、墳丘中央付近の約13平方メートルを発掘した。 その結果、羨道部は破壊され、石室の天井石が抜き取られていることが明らかに。玄室は長さ3・8メートル、幅1・6メートルで、入り口(玄門)から見た正面の奥壁は5段以上の石材が積まれていた。玄室の規模や出土品などから地域の有力者2人

                                                        奈良・斑鳩の舟塚古墳、石室は「片袖式」 6世紀後半に築造
                                                      • DNA解析が変える考古学 古墳時代の血縁関係まで特定 - 日本経済新聞

                                                        遺跡を発掘して歴史を解き明かす考古学で墓は有力な手がかりだ。近年、埋葬人骨に含まれる微量のDNAを解析して埋葬された人々の血縁関係を突き止めることが可能になり、注目を集める。収められた土器や装身具から分かるその人の社会的地位などと合わせて分析すると、権力の継承や人の移動が見えてくる。岡山県津山市に三成四号墳という前方後方墳がある。前方部の石棺には30〜40代の男性と20〜30代の女性が埋葬され

                                                          DNA解析が変える考古学 古墳時代の血縁関係まで特定 - 日本経済新聞
                                                        • 「長いだけじゃなかった…」巨大蛇行剣の全容が明らかに、刀剣の歴史に迫る新発見が続々と【報道特集】 | TBS NEWS DIG

                                                          “国宝級の発見”とも言われる巨大蛇行剣。私たちは1年間にわたって密着取材を続けて来ましたが、2024年3月、クリーニングが終了。その全容が明らかになりました。「もう1枚ある、もう1枚。3枚目あった、3枚目」2…

                                                            「長いだけじゃなかった…」巨大蛇行剣の全容が明らかに、刀剣の歴史に迫る新発見が続々と【報道特集】 | TBS NEWS DIG
                                                          • 継体天皇を支えた勢力か 滋賀・高島の南畑古墳群 - 日本経済新聞

                                                            継体天皇(531年没)の生誕地とされる滋賀県高島市の南畑古墳群で発掘調査をしている市教育委員会と京都橘大は25日までに、3つの円墳が天皇没後の6世紀半ばから末にかけて相次いで築造されていたことが分かったと発表した。京都橘大の中久保辰夫准教授によると、継体朝以降の物資流通では、福井などを経由する日本海ルートや淀川ルートも重視されたため、継体没後もこの地域の勢力が維持され、古墳を造営し続けていたと

                                                              継体天皇を支えた勢力か 滋賀・高島の南畑古墳群 - 日本経済新聞
                                                            • 佐賀県内初の「盾持人埴輪」 前面に盾、顔に入れ墨、全国的にも珍しく 佐賀市の築山古墳で2019年出土 | 暮らし・文化 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞

                                                              県内で初めて出土した「築山古墳盾持人埴輪」。独立した盾を前面に持たせる、全国的にも珍しい形態で表現されている 佐賀県内で初めて出土した、盾を構える武人の埴輪(はにわ)「盾持人(たてもちびと)埴輪」が、独立した盾を前面に持たせる全国的にも珍しい表現形態だったことが12日、佐賀市の調査で分かった。大和町の前方後円墳「築山(つきやま)古墳」(6世紀後半)の出土品で、顔に入れ墨を施し、冠に似た帽子をかぶったリアルな姿で表されている。 埴輪は、円筒状の人物部分が高さ50・1センチ、胴体の径が19・5センチ。盾は高さ28・0センチ、幅17・0センチ。上半身が良好な状態で残っており、本来は高さ1メートルほどだったと推定される。 顔にはネコのひげのような入れ墨が複数刻まれており、「魏志倭人伝」が倭人の習俗として伝えた「鯨面文身(げいめんぶんしん)」の表現と考えられる。頭部は正面中央を切り込んだ2本の角のよ

                                                                佐賀県内初の「盾持人埴輪」 前面に盾、顔に入れ墨、全国的にも珍しく 佐賀市の築山古墳で2019年出土 | 暮らし・文化 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞
                                                              • 今城塚古墳は真の「継体天皇陵」 皇位継承を再現した国内最大230体の埴輪群

                                                                大地の神を鎮めるとされる力士形埴輪=高槻市立今城塚古代歴史館力士、牛、太鼓、ニワトリ…。不思議な集団が土の中から姿を現した。これらはすべて埴輪(はにわ)。大阪府高槻市の今城塚古墳(墳丘長181メートル、6世紀前半)で国内最多の200体分以上が発掘された。「真の継体天皇陵」といわれるだけあって、人の背丈ほどある巨大な家形埴輪も出土。天皇が神に祈りをささげた祭殿とされる。大量の埴輪群は、天皇崩御に伴う厳粛な皇位継承儀礼を再現したものという。1500年前の天皇陵の姿から、現代の天皇の御代替わりの源流も見えてきた。 天皇陵とされながら、今城塚古墳ほどズタズタに傷めつけられた巨大古墳はない。戦国時代に織田信長が砦(とりで)として使い、豊臣秀吉の時代には活断層による大規模な伏見地震で墳丘が崩壊。被葬者を納めた石室は跡形もなく、後円部も上半分ほどが失われた。

                                                                  今城塚古墳は真の「継体天皇陵」 皇位継承を再現した国内最大230体の埴輪群
                                                                • 奈良・纒向遺跡でチャバネゴキブリの一部検出 世界最古の可能性 | 毎日新聞

                                                                  奈良女子大と大阪市立自然史博物館の研究チームは11日、邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、古墳時代前期(3世紀後半)の土層から、チャバネゴキブリの体の一部を検出したと発表した。チャバネゴキブリの発見例としては世界最古となる可能性があるという。世界各地に生息するゴキブリの起源を探る手がかりになりそうだ。 纒向遺跡は奈良盆地東南部に広がる3~4世紀の大規模集落遺跡で、女王・卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳など初期の前方後円墳が点在。過去の発掘調査では計画的に配置された大型建物跡が見つかり、卑弥呼の宮殿の可能性が指摘されているほか、周辺からはイノシシやタイ、サバの骨、桃の種など供物とみられる大量の食物の痕跡が確認された。

                                                                    奈良・纒向遺跡でチャバネゴキブリの一部検出 世界最古の可能性 | 毎日新聞
                                                                  • 古墳時代の囲炉裏跡見つかる 当時の炊飯や調理方法の解明に期待:朝日新聞デジタル

                                                                    鳥取県教育文化財団は16日、古墳時代前期(約1700年前)の大集落として知られる湯梨浜町の長瀬高浜遺跡から、囲炉裏跡が見つかったと発表した。炭化した木が残っていて、古墳時代の炊飯や調理の方法を解明する手掛かりになる可能性があるという。 囲炉裏跡は外径1メートルで、小型の竪穴建物跡の中央にあった。灰が飛ばないよう周囲を小高く土手にした構造で、中に筒状の炭化材(外径22センチ、高さ最大12センチ)が残っていた。調理に使ったとみられる土器(甕〈かめ〉)と貝殻も近くにあった。 財団によると、古墳時代には甕の底が従来の平底から、燃焼効率が高まる丸形に変わった。しかし底が丸い甕を炉にどう置いたか分かっていない。炭化材が囲炉裏の一部だった可能性、もしくは燃料だった可能性もあるという。担当者は「今後の分析で樹種が分かれば用途が分かるかもしれない」としている。 土手で囲むようにした囲炉裏跡は隣の竪穴建物跡か

                                                                      古墳時代の囲炉裏跡見つかる 当時の炊飯や調理方法の解明に期待:朝日新聞デジタル
                                                                    • 【THE古墳「入門編」】前方後円墳「仁徳天皇陵」 どちらが前か後ろか解けぬ謎

                                                                      全国に16万基、コンビニエンスストアの約3倍もあるといわれる古墳。国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)をはじめ、列島を支配したヤマト王権の象徴として3~7世紀に次々と築かれた。しかし被葬者が明確な古墳は極めて少ない。果たして古墳のあるじは? そもそもなぜ「前方後円墳」と名付けられた? 古墳にはまだまだ不可思議なことが多い。「THE古墳」の特別版として、知られざる古墳の謎を解説する。 高度な土木技術巨大古墳はどのように造られたのか。天皇陵クラスが宮内庁の管理で実態が謎に包まれるなか、徹底的に発掘されたのが「真の継体(けいたい)天皇陵」といわれる大阪府高槻市の今城塚(いましろづか)古墳(6世紀前半)。墳丘の長さは181メートル。被葬者を納める石棺は熊本・阿蘇から運ばれるなど壮大な国家プロジェクトだった。 墳丘の土は、数十センチ大のブロック状に固めてから積み上げていた。後円部で

                                                                        【THE古墳「入門編」】前方後円墳「仁徳天皇陵」 どちらが前か後ろか解けぬ謎
                                                                      • 富士山のふもと本栖湖 専門家が湖底遺跡を本格調査へ|NHK 首都圏のニュース

                                                                        富士山のふもと、本栖湖の底には古墳時代の土器などが見つかった遺跡があります。 富士山の噴火との関係など、遺跡の成り立ちを明らかにするため専門家による本格的な調査が行われることになりました。 本栖湖の東側、水深10メートル前後の湖底では平成10年度の調査で古墳時代の土器などが複数、見つかっています。 その成り立ちを解明するため帝京大学文化財研究所は、地元の山梨県富士河口湖町や身延町と共同調査を行うことになり、まずは湖底に向けて音波を発信する地形の計測や水中ドローンによる探査が行われていました。 湖の底に遺跡がある理由について水中考古学が専門の佐々木蘭貞准教授は、もともと陸上にあった遺跡が、富士山の噴火による溶岩流が湖に流れ込んで水位が上がったため水没した可能性のほか、陸上の別の場所にあった土器などが、何らかの理由で流されてきて湖底に沈んだ可能性も考えられるとしています。 調査グループは湖底の

                                                                          富士山のふもと本栖湖 専門家が湖底遺跡を本格調査へ|NHK 首都圏のニュース
                                                                        • 「空白の4世紀」が謎のままでいいのだろうか? 未解明の古市古墳群を考える | 歴史人

                                                                          大阪府堺市の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)と一緒に世界遺産に登録されている大阪府の藤井寺市と羽曳野市にまたがる古市古墳群(ふるいちこふんぐん)について考えてみよう。同時に巨大な古墳の管理についても考えてみたい。 大阪府の東部にある古市古墳群は、西部にある堺市の百舌鳥古墳群に比べると少し注目度が低いように思えます。堺市は百舌鳥古墳群の中央に広大な市民の憩いの場である大仙公園や堺市博物館が仁徳天皇陵古墳や履中天皇陵古墳に囲まれていてアクセスしやすいのですが、古市古墳群周辺は、密集住宅街ですので巨大な古墳がそれぞれ単独で集合している感じで、訪問しにくいのが理由でしょうか? 日本最大規模の仁徳天皇陵古墳は最外提の長さが、ちょうどJRの一駅分になります。 形も航空写真でおなじみのように、三重の濠(ほり)に囲まれた典型的でスマートな前方後円墳ですし、周辺には多くの陪冢(ばいちょう)を従えています。 一

                                                                            「空白の4世紀」が謎のままでいいのだろうか? 未解明の古市古墳群を考える | 歴史人
                                                                          • 伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵) 京都府向日市寺戸町大牧 - 墳丘からの眺め

                                                                            前回の寺戸大塚古墳から”竹の径”を南に進んだ先、目の前が大きく開けて墓地が。 男山をズーム。 その右から下ってくる山の先端に天王山があると思われます。 歩いてきた道は「西ノ岡トリムコース」という名前がついていました(ここが中間地点) 上記の看板から東に100mほどに、宮内庁管理の陵墓があります。 「桓武天皇皇后藤原乙牟漏 高畠陵」 桓武天皇が築いた長岡京は南東に約1.5㎞、この舌状台地の先端方向です。 掃き清められた玉砂利を進み、柵の前から参拝。 向日市のサイトによれば古墳時代前期に築造された円墳で、直径約65m、高さ約7mとのこと。 伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵)/京都府向日市ホームページ 拝所を背にした方向には真新しそうな住宅が並んでいます。 墳丘を東側の道路から。 ちょこっと斜面が見えました。 グーグルアースで見ると、樹林が円形になっているのがわかりますね。 直径65mは、なかなかの

                                                                              伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵) 京都府向日市寺戸町大牧 - 墳丘からの眺め
                                                                            • 評判最悪の展覧会に…古墳を愛する学芸員 なぜ反省会の動画アップ | 毎日新聞

                                                                              考古資料は土まみれの茶色というお決まりのイメージを覆す特別展「カラフルな考古資料たち」を企画し、あえなく失敗。内情を赤裸々に語る反省会の動画をアップし、「じかに考古資料を感じてほしい」との思いを伝えるユニークな学芸員がいる。専門は古墳時代。神奈川県平塚市博物館の考古学学芸員、新宮崇弘さん(29)にお決まりではない考古学のおもしろさを語ってもらった。【因幡健悦】

                                                                                評判最悪の展覧会に…古墳を愛する学芸員 なぜ反省会の動画アップ | 毎日新聞
                                                                              • 邪馬台国論争に新説 目達原古墳群の再調査を | | 論説 | 佐賀新聞

                                                                                邪馬台国論争に、新たな一石が投じられた。中国の歴史書「後漢書」に名前が登場する最古の日本人、「帥升(すいしょう)」が、吉野ケ里のクニの王だったとする説を、佐賀城本丸歴史館長の七田忠昭さんが発表した。 帥升は邪馬台国の女王卑弥呼よりも100年以上前の人物で、後漢書には「倭面土(めと)国王帥升」と記されている。 「めと」と「めた」-、音が似通っていることに着目して、「面土国」は吉野ケ里周辺のクニの一つであり、その王が帥升だったのではないか、という大胆な推理である。確かに、「めた=めと」の音は、現在の三養基郡上峰町米多(めた)や、神埼郡吉野ヶ里町の目達原(めたばる=米多の原)などにつながる。 七田さんがこう考える背景にはもう一つ、大きな理由がある。上峰町にある天皇家ゆかりの陵墓「都紀女加(つきめか)王墓」と、目達原古墳群の存在だ。そこに、謎を解く鍵が潜んでいるはずだというのだ。 七田さんは学会向

                                                                                  邪馬台国論争に新説 目達原古墳群の再調査を | | 論説 | 佐賀新聞
                                                                                • 元稲荷古墳 京都府向日市向日町北山 - 墳丘からの眺め

                                                                                  前回の五塚原古墳からは、南に500mの元稲荷古墳へ。 緩やかな舌状台地の尾根を下ります。左奥が元稲荷古墳と向日神社がある丘。 西方向は小畑川が流れる広い谷。 向日神社から、桜が帯状に植えられています。 舌状台地先端頂上の元稲荷古墳に到着。 前方部左裾から。左側面で一心不乱にキャッチボールをしてる方々が。 前方部先端側にある説明板。3世紀後半の、墳頂94mの前方後方墳です。 元稲荷古墳 所在地:京都府向日市向日町北山 元稲荷古墳は3世紀後半ごろにつくられた最古の大型前方後方墳で、桂川流域を束ねた王の墓と考えられています。 この古墳は京都盆地が一望できる丘陵の先端部に位置します。墳丘は王の亡骸を埋葬した後方部と祭りの場や葬列の道として使われた前方部からなります。 後方部は三段に築かれ50m四方の正方形に、前方部は二段で側面の形は「ハ」の字形に大きく直線的に広がります。墳丘全体が小畑川から採取し

                                                                                    元稲荷古墳 京都府向日市向日町北山 - 墳丘からの眺め