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  • “さっさと帰るあいつの仕事、結局オレが全部やっている” 江戸時代の日記が面白い | 文春オンライン

    『壱人両名 江戸日本の知られざる二重身分』(尾脇秀和 著) 「江戸時代は、色々な種類の史料がたくさん残されている時代です。裁判記録はもちろん、村の庄屋がつけた日記も残っています。侍も、同僚のことを罵(ののし)って“さっさと帰るあいつの仕事、結局オレが全部やっている”などと愚痴を日記に書き付けていたりします。10年以上、古文書を読む仕事をしてきましたが、そういうごく普通の人々の暮らしを知ることが、私にはとても面白いんです」 と、日本近世史を専門とする歴史学者の尾脇秀和さんは語る。10年にわたる研究成果を『壱人両名』として最近刊行した。いまの日本では、戸籍は一人一つしか持てない。ところが江戸時代には、百姓や町人でありながら武士であったり、あるいは武士でありながら町人であったり、複数の名前や身分を同時に持っている人たちが結構いた。 尾脇さんがその存在に気がつくきっかけになったのは、京都郊外の農家

      “さっさと帰るあいつの仕事、結局オレが全部やっている” 江戸時代の日記が面白い | 文春オンライン
    • 【マンガ】時代劇では描かれない『江戸の庶民』の暮らし - イーアイデム「ジモコロ」

      武士・侍の生活は時代劇でよく見るけど、庶民は江戸でどんな生活してたの? 江戸東京博物館を回りながら専門家に話を聞きました!

        【マンガ】時代劇では描かれない『江戸の庶民』の暮らし - イーアイデム「ジモコロ」
      • デジタル技術で明らかになる日本の原風景 | 東京大学

        日本橋を写した写真。1872年頃撮影。露光時間が長いため、手前の人物が薄い影になっている(カンマーホフ博物館モーザー・コレクション寄託、東京大学史料編纂所撮影) 150年前、日本はどんな国だったでしょうか? 当時、二人のオーストリア人写真家が日本で撮影・収集した写真のガラス原板ネガを見れば、イメージが湧くでしょう。手のひらサイズのこれらの原板は、現在はオーストリアでしか直接見ることができませんが、200年以上の鎖国を終え急速に近代化し始めた幕末から明治時代初期の日本を知るユニークな手がかりを与えてくれます。 東京大学史料編纂所の研究者らは、2010年以降、計7回にわたってオーストリアの博物館や図書館に足を運び、所蔵もしくは保管管理されているこれらのガラス原板を高精細デジタルカメラで撮影してきました。 史料編纂所の保谷徹所長。編纂所エントランスに飾られた写真パネルの前で。後ろに出島が見える。

          デジタル技術で明らかになる日本の原風景 | 東京大学
        • 運河と醤油と蒸気船、そして最北端〜千葉の県境のみどころ・野田・関宿まで

          千葉県の県境は、ほとんどが川の上にあるため、乗り物に乗ってたどることがかんたんにできる。 前回、浦安(東京ディスニーランド)から、江戸川に沿って北上しつつ、都県境未定地の河原番外地、流山橋までたどった。→「ディズニーランドの目の前は境界未定地?」 今回は、流山から野田、関宿まで行きたい。 運河には本当に運河があった 千葉の県境をたどって流山までやってきた。これから千葉県の北端、関宿を目指して北上しなければいけない。 運河のちょっと下あたりが流山です 関宿に行くまでにいくつか見ておきたいものがあるが、まずは利根運河といわれる運河をみておきたい。 東武野田線の駅に、運河駅という駅があるのは知識としてはしっているしかし、運河が実際にどんなものなのか、この目でみておきたいのだ。 荒涼とした農道を進む 江戸川と運河がつながっている場所までやってきた。 川以外はなにもない 江戸川と利根運河が丁字でつな

            運河と醤油と蒸気船、そして最北端〜千葉の県境のみどころ・野田・関宿まで
          • 教科書から消えた風刺狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰」、黒船来航直後のものと裏付ける書簡発見 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞

            ペリー艦隊の黒船が横須賀・浦賀沖に来航した嘉永6(1853)年6月当時の江戸幕府の混乱ぶりを風刺した狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで夜も寝られず」が、黒船来航直後に詠まれたことを示す書簡がこのほど、東京都内で見つかった。この狂歌は関連史料が明治時代までしか、さかのぼれなかったことから「明治人の作ではないか」との説が10年ほど前から出され、最近ではほとんどの教科書から消えていた。発見者は、新史料によって旧来の説が正しかったことが裏付けられたとしている。 発見したのは元専修大講師で横須賀開国史研究会特別研究員の斎藤純さん(62)。同研究会が編集し、横須賀市が発行する研究誌「開国史研究第10号」で経緯を報告している。 それによると、書簡は1853年6月30日付で日本橋の書店主山城屋佐兵衛が常陸土浦(茨城県)の国学者色川三中(みなか)にあてたもの。異国船(黒船)の件で

              教科書から消えた風刺狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰」、黒船来航直後のものと裏付ける書簡発見 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞
            • 室町時代の日本人はめちゃくちゃ荒っぽかった? 明大教授が語る、ハードボイルドな日本人像

              清水克行の歴史エッセイ『室町は今日もハードボイルド』(新潮社)に取りあげられている中世の日本人は、現代の日本人像からあまりにかけ離れている。まるで、マンガ『北斗の拳』や映画『マッドマックス』のような世界観のようにもみえる。 農民が武器を手に隣村と戦(いくさ)をしたり、行きかう船から通行料をせしめる「賊」が横行していたり。家族のなかでも、人身売買で人が財産として扱われたり、夫の浮気相手を妻が仲間を引き連れて襲撃したり。室町時代(1336年〜1493年)の日本人は、とかく荒っぽかった。 彼らはなぜ、ハードボイルドだったのか。なにゆえアナーキーでアウトローな生き方をしていたのだろうか。歴史学者で明治大学教授でもある著者に話を聞いた。(土井大輔) 「武士道」からも現代の価値観からもかけ離れた行動 ーー室町時代の人たちには、どのような面白みがあると考えていますか? 清水克行(以下、清水):たとえば、

                室町時代の日本人はめちゃくちゃ荒っぽかった? 明大教授が語る、ハードボイルドな日本人像
              • 江戸時代は日本全土が「シムシティ」〜埋め立てと干拓の大ラッシュについて

                まとめ 「関東平野は家康が水系を変え繁栄、というけどそういう他の都市あるの?」→歴史上の都市干拓・治水事業について色々 ことしの大型台風と水害を経て、あらためて歴史的な治水に関して考える機会が多くなりましたね。都市が平地に作られ、水需要も多い以上、川との付き合い方は必然的なものになるのかもしれません。 38678 pv 75 7 users 9 まとめ 家康と関東移封~ライバル封じ込めか、信頼できる部下を東国の要にしたのか?/そして「江戸改造」と利根川 6/19のNHK大河ドラマ「真田丸」で北条が滅亡、今後家康は根を張った東海・中部地方から関東に移り、江戸を築きます。そして直木賞候補に「家康、江戸を建てる」が選ばれました。自分も少しシビライぜーション脳、シムシティ脳なので、英雄たちの「都市建設」にも興味があり、特に利根川を東に動かすってスゲーと思ってはいましたが、詳細はしらないので、この機

                  江戸時代は日本全土が「シムシティ」〜埋め立てと干拓の大ラッシュについて
                • 江戸時代は「性」に「おおらか」だったのか? 『性からよむ江戸時代』 | BOOKウォッチ

                  評価が高い本だと聞いていたが、実際に読んでみてその通りだと思った。本書『性からよむ江戸時代――生活の現場から』 (岩波新書)は、江戸時代の庶民層の生活に、「性」という切り口から迫ったものだ。まじめな研究書だが、かなり「ディープ」な内容。時代は異なるが、今の私たちが読んでも身につまされる話がいろいろ出てくる。 庶民の記録から性風俗まで 本書が扱っているのは18世紀後半から19世前半の江戸時代、今からざっと200年ほど前の日本の生々しい姿だ。 生まれた子が本当に自分の子かどうか、妻と裁判で争う夫。難産に立ち合った医者のリアルタイムの診療記録。ごく普通の町人が記す遊女の姿......。あまり知られていない史料なども探し出し、丹念に読み込んで、江戸時代の女と男の性の日常や「家」意識、藩や幕府の政策などに迫る。普通の庶民レベルから、いわゆる遊女に至るまで珍しい話が次々と登場する。全体は以下の構成。

                    江戸時代は「性」に「おおらか」だったのか? 『性からよむ江戸時代』 | BOOKウォッチ
                  • 「仕事現場の女体化が江戸時代からあったなんて…」東京大江戸博物館で見つけた錦絵制作現場の絵、日本人の業を感じてしまう

                    リンク 江戸東京博物館 江戸東京博物館 東京都江戸東京博物館の公式サイトです。ご来館案内、常設展、展覧会の情報や催し物情報などをご覧いただけます。 6 users 875

                      「仕事現場の女体化が江戸時代からあったなんて…」東京大江戸博物館で見つけた錦絵制作現場の絵、日本人の業を感じてしまう
                    • ハリウッドの日本描写、いかに間違っていたか ─ 「SHOGUN」海外プロデューサーが語る「これまでの過ち」と「日本への希望」【ロングインタビュー】 | THE RIVER

                      ハリウッドの日本描写、いかに間違っていたか ─ 「SHOGUN」海外プロデューサーが語る「これまでの過ち」と「日本への希望」【ロングインタビュー】 ©︎ THE RIVER ハリウッドが、戦国時代の日本を初めて本気で映像化。日本映画とハリウッド映画の両面で長年活躍する真田広之が細部に至るまで徹底監修し、ハリウッド作品に「正しい日本描写」をもたらした戦国ドラマ「SHOGUN 将軍」が、2024年2月27日よりディズニープラス「スター」にていよいよ配信開始となる。 『トップガン マーヴェリック』の原案を手掛けたジャスティン・マークスとその妻であり映画プロデューサーのレイチェル・コンドウが、戦国の日本を描いたジェームズ・クラベルの小説「SHOGUN」を魂の映像化。1975年に米刊行されたこの小説は、アメリカに日本文化の多くを初めて紹介したうちの一作として知られている。 THE RIVERでは、本

                        ハリウッドの日本描写、いかに間違っていたか ─ 「SHOGUN」海外プロデューサーが語る「これまでの過ち」と「日本への希望」【ロングインタビュー】 | THE RIVER
                      • 江戸時代の本に出てくる「土蔵の精」のデザインが強烈、存在感強すぎる「いい顔してる」「擬人化スキル凄い」

                        ミサンザイ 同人誌 「天皇を旅する本」「天皇を旅する地図」ほか BOOTHはじめました @katsunomisanzai 江戸の黄表紙、ごうつくなじいさんが土蔵のリフォームしなきゃいけないが金かかってやだなあと思ってたら夢に土蔵の精がでてきて云々…という話。 土蔵の精って。正座して礼儀正しいし…ほんとうに江戸時代の擬人化スキルはすごい。何度つぶやいたかしれませんが、何度みても感嘆する。 pic.twitter.com/8lYLhdGTv6 2023-05-24 20:39:42 リンク Wikipedia 黄表紙 黄表紙(きびょうし)は、恋川春町『金々先生栄花夢』(1775年刊行)から式亭三馬『雷太郎強悪物語』(1806年)までの草双紙の総称である。知的でナンセンスな笑いと、当時の現実世界を踏まえた写実性が特徴である。 それまでの幼稚な草双紙とは一線を画する、大人向けの読み物として評判にな

                          江戸時代の本に出てくる「土蔵の精」のデザインが強烈、存在感強すぎる「いい顔してる」「擬人化スキル凄い」
                        • 江戸時代に雪の結晶の研究にハマりブームまで作ったお殿様がいたらしい「いつの時代にもガチ勢」

                          笹井さゆり/Sayuri Sasai @chiyochiyo_syr 昔の暮らしや文化を調べて描いています/江戸時代まとめ読み▶︎ min.togetter.com/HP9Sba7『コミック乱ツインズ』(リイド社)連載中/日本花卉文化株式会社web連載中▶︎note.com/jbcde_2019/m/m… instagram.com/chiyochiyo_syr

                            江戸時代に雪の結晶の研究にハマりブームまで作ったお殿様がいたらしい「いつの時代にもガチ勢」
                          • 江戸っ子は雨が降ると、みんな裸足になるのか、調べてみた。|太田記念美術館

                            先日のTwitterにて、こちらの歌川広景の「江戸名所道外尽 四十六 本郷御守殿前」を紹介したところ、雨の日はみんな裸足なの?というご質問がいくつかありました。 突然の夕立。3人いるのに傘は1つだけ。皆が濡れないようにと考えたアイデアがこちら。上の男はご満悦ですが、下の2人は迷惑顔。傘もボロボロですし、これならいっそ雨に濡れた方がいいのでは。隣の男も変な格好。原宿の太田記念美術館で開催中の「ニッポンの浮世絵」展にて12/13まで展示しています。 pic.twitter.com/sYhvo8zXEn — 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) November 14, 2020 たしかに雨が降るなか、みんな裸足です。実は、筆者はこれまでまったく気にしていなかったのですが、言われてみれば「なるほど」と思い、早速調べてみました。 たとえば、

                              江戸っ子は雨が降ると、みんな裸足になるのか、調べてみた。|太田記念美術館
                            • 豊臣秀吉「本能寺の変を事前に知っていた」説は、やはり正しかった…!(藤田 達生) @gendai_biz

                              「通説」を「科学」の視点からくつがえして大反響を呼んだ『日本史サイエンス』は、このほど第二弾が刊行され、たちまち重版が決まるなど話題となっている。著者の播田安弘氏が試みる「数字」で歴史を読む手法は、専門家もその意義を認めるところで、なかでも織豊期研究の第一人者・藤田達生氏(三重大学教授)は、同書(第一作)で展開された「中国大返し」についての大胆な仮説におおいに共感し、ここに掲げる論考を執筆した。旧暦では本能寺の変から440年目にあたるきょう、改めて公開する。 藤田氏自身、最新著『戦国日本の軍事革命』では信長・秀吉らの天下統一を火器と兵站システムに注目して読み解く新視点を展開しており、いま、戦国時代研究は新しいフェーズに入った! 実際の行程を推定してみる 本能寺の変のあと、秀吉が光秀を倒して信長の後継者として認知され、天下の趨勢を決したのが「中国大返し」だった。それは、秀吉が中国地方の毛利氏

                                豊臣秀吉「本能寺の変を事前に知っていた」説は、やはり正しかった…!(藤田 達生) @gendai_biz
                              • 応為ブルー - 羽浪 / 【コミックDAYS読み切り】応為ブルー | コミックDAYS

                                応為ブルー 羽浪 【アフタヌーン四季賞2022春 四季大賞】葛飾北斎の娘・栄(応為)は父親ゆずりの情熱を持った絵描き。そのこだわりが災いして夫と離縁するはめになる。自分の描きたいものを模索し続ける中、長崎のオランダ商館から特殊な技法を使った絵の依頼が来た──!

                                  応為ブルー - 羽浪 / 【コミックDAYS読み切り】応為ブルー | コミックDAYS
                                • 「床上手」とはどういう意味か…江戸時代の遊廓で女性たちが体現していた「色好み」 どんな精力強靱な男も乱れに乱れた

                                  京都の文化人で豪商の正妻になった吉野太夫 いったい遊廓に暮らす遊女とは、どんな人たちだったのでしょうか? 江戸時代の遊廓は平安時代以来の日本文化のひとつの表現でした。それは遊女のありかたにもっとも現れていました。一例を挙げます。 江戸時代の京都の島原遊廓に、吉野太夫という人がいました(図表1)。太夫(のちに「花魁」「呼び出し」とも言う)とは、遊廓で最高位の遊女のことです。吉野太夫はある豪商から結婚を申し込まれました。しかしその豪商の親族に反対されましたので、諦めて郷里に帰ることにしました。そして最後だから、とその親族の女性たちを集めてもてなしたのです。

                                    「床上手」とはどういう意味か…江戸時代の遊廓で女性たちが体現していた「色好み」 どんな精力強靱な男も乱れに乱れた
                                  • 江戸時代の人口変化の地理的分布を見る (新1) - macroscope

                                    【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】 【この記事を記事カテゴリー「歴史気候」にいれたのは、将来の構想として気候の話題につなげようと思っているからですが、この記事自体には気候の話はありません。】 - 1 - 日本の江戸時代には、幕府による人口調査が、1721年から1846年まで、原則6年ごとにおこなわれた。(ただし、人口の定義が近代とちがうところがある。ひとつあげれば、武士の人口は調査対象にふくまれていなかった。) 各藩にしらべさせたものをまとめ、「国」(大宝律令 (701年) 以来の「令制国」、たとえば武蔵の国、出羽の国)ごとに集計した。ところが、この人口調査の公式な記録は残されなかった。「国」ごとに集計された値は、さまざまな文書に分散してのこっていて、関山(1958), 高橋 (1971), 南 (1978, 1984) など、研究者がほりおこして出版した

                                      江戸時代の人口変化の地理的分布を見る (新1) - macroscope
                                    • 笹井さゆり先生の解説図「江戸時代の水事情」で水道が存在する仕組みに驚き

                                      笹井さゆり/Sayuri Sasai @chiyochiyo_syr 昔の暮らしや文化を調べて描いています/江戸時代まとめ読み▶︎ min.togetter.com/HP9Sba7『コミック乱ツインズ』(リイド社)連載中/日本花卉文化株式会社web連載中▶︎note.com/jbcde_2019/m/m… instagram.com/chiyochiyo_syr

                                        笹井さゆり先生の解説図「江戸時代の水事情」で水道が存在する仕組みに驚き
                                      • 秀吉は人たらしでなく邪悪だった!? 呉座勇一「戦国武将、虚像と実像」 | カドブン

                                        第三節 戦前・戦後の豊臣秀吉像 矢田挿雲の『太閤記』 欧州諸国に甚大な被害をもたらした第一次世界大戦後、世界的に反戦感情が広がっていく。大正十年(一九二一)七月三十日の朝日新聞夕刊に掲載された「今日の問題」は、シベリア出兵を批判する中で朝鮮出兵に言及している。すなわち「国論の後援を待たずして日本が出兵し、しかして失敗したのは、豊太閤の三韓出兵と今後のシベリア出兵とである」と説く。世界的な軍縮の流れの中、豊臣秀吉の朝鮮出兵を礼賛する風潮は衰えていく。 豊臣秀吉は人気者であったので、明治以来、講談や芝居はもとより、秀吉を主人公とした小説も少なからず発表された。だが、『太閤記』を大衆文学として完成させたのは、矢田やだ挿雲そううんの『太閤記』であると言われている。 矢田挿雲の『太閤記』は、「報知新聞」の夕刊に大正十四年(一九二五)から昭和九年(一九三四)までの長期にわたって連載された豊臣秀吉の一代

                                          秀吉は人たらしでなく邪悪だった!? 呉座勇一「戦国武将、虚像と実像」 | カドブン
                                        • 進士 素丸 on Twitter: "古墳時代あたり~太平洋戦争までの合戦、紛争、事変なんかを2分弱に圧縮した動画作ってみたら、応仁の乱あたりから大変なことになった。 https://t.co/gcsFj6CUuD"

                                          古墳時代あたり~太平洋戦争までの合戦、紛争、事変なんかを2分弱に圧縮した動画作ってみたら、応仁の乱あたりから大変なことになった。 https://t.co/gcsFj6CUuD

                                            進士 素丸 on Twitter: "古墳時代あたり~太平洋戦争までの合戦、紛争、事変なんかを2分弱に圧縮した動画作ってみたら、応仁の乱あたりから大変なことになった。 https://t.co/gcsFj6CUuD"
                                          • 参勤交代の最大の弊害は国許を顧みない若殿が育ったこと

                                            浅野内匠頭長矩(あさの・たくみのかみ・ながのり)、松平容保(まつだいら・かたもり)——二人とも江戸時代の著名な大名だ。長矩は赤穂藩第3代、容保は会津藩第9代の藩主。生きた時代は違うが、二人には「藩主」であるという他にも共通点があった。参勤交代制度によって生母が江戸に留め置かれていたため、江戸で生まれ、江戸で育ったということだ。 浅野内匠頭は「田舎侍」にあらず 長矩と容保二人に限ったことではない。江戸幕藩体制下の藩主たちは、ほぼ例外なく江戸藩邸で生まれ、江戸で成長した。 藩主は参勤交代によって国許と江戸とを往復するが、妻子は江戸に居住することを命じられていたからだ。人質である。世継ぎは江戸で生まれ、江戸で若殿として養育されるのである。 『忠雄義臣録第三』より。吉良に斬りかかる長矩を描いている。なぜこのような暴挙に及んだかについて、長矩は調べに対し「私的に遺恨あり、前後を忘れ、討ち果たそうと及

                                              参勤交代の最大の弊害は国許を顧みない若殿が育ったこと
                                            • 古地図アプリ「大江戸今昔めぐり」で”市中引き回し”スタンプラリー実施

                                              古地図アプリ「大江戸今昔めぐり」で”市中引き回し”スタンプラリー実施コロナ禍でも三密を避けて非接触で街歩きを楽しめる新企画 株式会社ビーマップ、有限会社菁映社、株式会社フジテレビジョンから構成される大江戸今昔めぐり製作委員会が提供するスマートフォン向け古地図アプリ「大江戸今昔めぐり」 において、江戸時代の”市中引き回し”のルートをめぐるスタンプラリーを実施することになりました。全66箇所のスタンプを取得した方には認定証と記念品を差し上げます。 株式会社ビーマップ(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:杉野文則、以下ビーマップ)、有限会社菁映社(東京都豊島区/代表者:籏禮 直喜)、株式会社フジテレビジョン(東京都港区/代表者:宮内 正喜)から構成される大江戸今昔めぐり製作委員会(以下、製作委員会)が提供するスマートフォン向け古地図アプリ「大江戸今昔めぐり」(以下、本アプリ) において、江戸時

                                                古地図アプリ「大江戸今昔めぐり」で”市中引き回し”スタンプラリー実施
                                              • 大吉原展

                                                江戸の吉原は、約250年続いた幕府公認の遊廓でした。遊廓は、前借金の返済にしばられ自由意志でやめることのできない遊女たちの犠牲の上に成り立っていた、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。 一方で、江戸時代における吉原は、文芸やファッションなど流行発信の最先端でもありました。 3月にだけ桜を植えて花見を楽しむ仲之町の桜や、遊女の供養に細工を凝らした盆燈籠(ぼんとうろう)を飾る7月の玉菊燈籠、吉原芸者が屋外で芸を披露する8月の俄(にわか)など、季節ごとに町をあげて催事を行い、贅沢に非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界。そこでは、書や和歌俳諧、着物や諸道具の工芸、書籍の出版、舞踊、音曲、生け花、茶の湯などが盛んでした。そうした吉原の様子は多くの浮世絵師たちによって描かれ、蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)らの出版人、大田南畝(おおた なんぽ)ら文化人たちが吉原を舞台に

                                                  大吉原展
                                                • 普通の地図なのに江戸時代? 「れきちず」β版公開 地図システム会社のデザイナーが個人で開発

                                                  古地図と現代地図を重ねて比べられるサービスは数多くあるものの、古地図に書かれている昔の字は読みにくく、一目で理解するのは難しい──そんな不満を解消する新コンセプトのWeb地図「れきちず」のβ版が8月27日に公開された。 れきちずは、昔の日本を馴染みのある現代の地図デザインを使って描いたWeb地図。江戸時代の門や橋、寺社などランドマークとなるものは種別ごとのアイコンで表現し、街道については五街道とその他で色分け。街道に沿って宿場町のアイコンなども配置している。 船の航路についても海上に点線で描いていて、どの港とどの港を船が行き交っていたのか分かる。また、名称についても、例えば江戸城なら「御城」、隅田川なら「大川」と昔の呼び名を使った。 開発者は、オープンソースGIS「QGIS」のソリューション開発やデジタル地図開発プラットフォーム「MapTiler」などを提供しているMIERUNEのデザイナ

                                                    普通の地図なのに江戸時代? 「れきちず」β版公開 地図システム会社のデザイナーが個人で開発
                                                  • モンゴル帝国から日本を救った北条時宗が「英雄」とは言い難いワケ

                                                    ほんごう・かずと/1960年、東京都生まれ。東京大学、同大学院で、石井進氏、五味文彦氏に師事。専門は、日本中世政治史、古文書学。『大日本史料 第五編』の編纂を担当。著書に『日本史のツボ』『承久の乱』(文春新書)、『軍事の日本史』(朝日新書)、『乱と変の日本史』(祥伝社新書)、『考える日本史』(河出新書)。監修に『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社)など多数。 ニュース3面鏡 インターネットの登場以来、以前にもまして巷にはニュースがあふれ返っています。そうしたニュースや出来事の中から、DOL編集部が気になる出来事を厳選し、正面のみならず右から左から、価値あるニュース、楽しいニュースをお届けします。 バックナンバー一覧 鎌倉時代、2度にわたってモンゴルに攻め入られた日本。そんな大国の侵攻から日本を救った英雄とみられているのが、北条時宗だ。しかし、モンゴルが日本に攻め入った経緯を

                                                      モンゴル帝国から日本を救った北条時宗が「英雄」とは言い難いワケ
                                                    • 江戸時代の国語辞典には人相占いがある

                                                      1993年生まれ。京都市伏見区出身、宮崎県在住。天性の分からず屋で分かられず屋。ボードゲームと坂口安吾をこよなく愛している。 > 個人サイト もがき続けて100年生き抜くブログ まずボロすぎて笑う 『宝暦節用字海蔵』(1756年)。じいちゃんから借りてきた。 突然こんな古書を披露されて驚いたが、オークションサイトを覗いてみると状態のいいものが6,000円くらいで落札されていた。金銭的な価値はそう高くないようだ。 表紙を含めた数十ページが欠損しているけれど、250年もの月日を物語っているとかではなく、単に管理が悪くてボロボロになっているだけだと思う。土産物の菓子が入っていた雑な紙袋から取り出されたのを見てしまったのだ。きっと先祖代々そんな調子で守り継いできたのだろう。 思い返せば僕も物を雑に扱うほうである。中学生のころ、友達から借りた本を風呂場で読んでクタクタにして返したらキレられた記憶がふ

                                                        江戸時代の国語辞典には人相占いがある
                                                      • お金がないのに、遊郭・吉原で性サービスを受けた男への制裁「桶伏せ」が恐ろしすぎる! | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

                                                        当たり前ですが、お店で性的なサービスを受けた場合は、正当な対価を支払わなければなりません。とは言っても、江戸時代の遊里・吉原には、お金を持たずに遊びにくる男が後を絶ちませんでした。そんな男は、ひどい見せしめにあったのだとか。恐ろしい制裁「桶伏せ」についてご紹介します。 路上で晒しものにされる「桶伏せ」 お金がないのに食べたり飲んだりした上、遊女から性的サービスを受けた男は「桶伏せ」という制裁を受けました。その方法は、窓を開けた大きな桶の中に男を閉じ込め、路上で晒しものにするというもの。食事だけはもらえたそうですが、防寒具などはなく、糞尿もその場でさせられます。 『玉屋地新兵衛桶伏の段火夜苦の門並』国立国会図書館デジタルコレクションより たった数時間でも耐えられない恐ろしい制裁ですが、家族がお金をもってくるまでは、5~6日かかろうとも外に出さなかったのだとか……。 お金を届けに来た家族が「桶

                                                          お金がないのに、遊郭・吉原で性サービスを受けた男への制裁「桶伏せ」が恐ろしすぎる! | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
                                                        • 「顔を描く時の十字の線、江戸時代にはもう日本にあったんだな」1787年の絵の描き方の教則本、技術のルーツなど色々興味深い

                                                          terada @terada50397416 絵は師匠について習うのが普通だったが、それだけでは絵を習いたい人の数には追いつかず、絵手本と呼ばれる絵の描き方に関する教則本が多く発売された。 北斎も弟子入り希望が多すぎて対処できず、そういう人に向けて絵の描き方を説いた「北斎漫画」を刊行している。 amzn.to/2Zv9HMb 2021-02-20 06:56:09

                                                            「顔を描く時の十字の線、江戸時代にはもう日本にあったんだな」1787年の絵の描き方の教則本、技術のルーツなど色々興味深い
                                                          • 『鎌倉殿の13人』第1回から垣間見えた勝者の悲劇 三谷幸喜の演劇的構成が光る

                                                            「姫、振り落とされないように気をつけて!」 迫りくる追っ手から逃れようと平原に馬を走らせる北条義時(小栗旬)。後ろの赤い着物の姫は義時が将来を誓い合った相手? なんてロマンティック! ……と胸を躍らせた瞬間から、わたしたちは彼の手の上で踊らされていたのだ。 2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。脚本を手掛けるのは『新選組!』(2004年)、『真田丸』(2016年)に続き大河3作目となる三谷幸喜。冒頭から仕掛けてくれたその人である。ここでは第1回「大いなる小競り合い」を振り返りながら、脚本に散りばめられた作品を読み解くヒントについて考えていきたい。 初回を視聴し、非常に演劇的な構成だと感じた。その大きな要因のひとつが“舞台と視点の固定化”だ。第1回に関していえば、物語の約9割が義時の父・北条時政(坂東彌十郎)の屋敷内で展開し、視聴者の視点が主人公・義時の主観と重なるよう撮影されてい

                                                              『鎌倉殿の13人』第1回から垣間見えた勝者の悲劇 三谷幸喜の演劇的構成が光る
                                                            • 江戸時代の検地の再現に教育学部の学生たちが挑戦―史料をもとに試行錯誤 うまくいった?|茨城大学

                                                              ホーム NEWS 江戸時代の検地の再現に教育学部の学生たちが挑戦―史料をもとに試行錯誤 うまくいった? 江戸時代の検地の再現に教育学部の学生たちが挑戦 ―史料をもとに試行錯誤 うまくいった? 時は令和三年三月某日、水戸市渡里の圃場にて奉行、百姓ら立ち合いのもと検地が行われた ― 冗談のようですが実際の話。教育学部の社会選修を中心とした学生たちが、近世の検地の様子を描いた絵や古文書を紐解きながら、当時の検地の再現に挑みました。社会科だけでなく、技術や数学の選修の教員も参戦しての検地。果たして畑の面積はきちんと測れたのでしょうか... 日本史で「検地」といえば、多くの人が豊臣秀吉の「太閤検地」を思い浮かべるはず。田畑の面積は年貢高に直接関わりますが、かつては百姓の自己申告による「指出検地」が一般的だったそう。それが秀吉の政策において、ひとつの土地にひとりの年貢請負人を決め、面積と田畑の質によっ

                                                                江戸時代の検地の再現に教育学部の学生たちが挑戦―史料をもとに試行錯誤 うまくいった?|茨城大学
                                                              • 【ネタバレ】「SHOGUN 将軍」最終話、なぜ賛否両論の結末に?プロデューサーが明かす実際の理由 | THE RIVER

                                                                【ネタバレ】「SHOGUN 将軍」最終話、なぜ賛否両論の結末に?プロデューサーが明かす実際の理由 © 2024 Disney and its related entities ハリウッドが描く本気の時代劇「SHOGUN 将軍」が、ドラマチックな結末を迎えた。徳川家康にインスパイアされた主人公、吉井虎永(真田広之)が繰り広げた、壮大な謀りごと。そのラストは、この類のドラマシリーズとしてはいささか大胆なものであったかもしれない。 あの結末は、一体どのようにして定められたのだろうか?驚きの最終話『夢の中の夢』の背景について、プロデューサーのジャスティン・マークスとレイチェル・コンドウが海外メディアに詳しく語っている。 この記事には、「SHOGUN 将軍」最終話『夢の中の夢』のネタバレが含まれています。

                                                                  【ネタバレ】「SHOGUN 将軍」最終話、なぜ賛否両論の結末に?プロデューサーが明かす実際の理由 | THE RIVER
                                                                • なぜ江戸は「世界一の大都市」になれたのか…徳川三代が半世紀かけた「巨大公共事業」の中身 だから史上空前の「100万都市」が誕生した

                                                                  江戸に日本最大の城郭と城下町ができたワケ 家康は、将軍のお膝元となった江戸城と城下の整備にすぐさま着手する。 江戸城を居城と定めたことを受けて、関東の太守にふさわしい城郭と城下町の拡張に取り組んだものの、なかなか思うように進まなかった。秀吉により東奔西走させられた結果、江戸を長く留守にせざるを得なかったことは大きかった。 しかし、名実ともに天下人の座に就いた以上、その行動を束縛する存在はなくなる。家康は自分の意のままに、江戸城と城下町の拡張を推し進める。 かつての秀吉のように、諸大名を動員して工事にあたらせたのだ。秀吉の命により伏見城の築城に動員された経験を持つ家康だったが、今度は立場が替わって諸大名を動員できる立場となる。 天下人として、そのお膝元たる江戸城と城下町の拡張工事の手伝いを諸大名に命じたが、これは「天下普請」と呼ばれた。 それまでは徳川氏のみで工事は進められたが、江戸開府後は

                                                                    なぜ江戸は「世界一の大都市」になれたのか…徳川三代が半世紀かけた「巨大公共事業」の中身 だから史上空前の「100万都市」が誕生した
                                                                  • 江戸のトイレ事情、構造はもちろんリサイクルの仕組みにもびっくり「江戸すげえ」「ウ◯チが回す経済」

                                                                    笹井さゆり/Sayuri Sasai @chiyochiyo_syr 昔の暮らしや文化を調べて描いています/江戸時代まとめ読み▶︎ min.togetter.com/HP9Sba7『コミック乱ツインズ』(リイド社)連載中/日本花卉文化株式会社web連載中▶︎note.com/jbcde_2019/m/m… instagram.com/chiyochiyo_syr

                                                                      江戸のトイレ事情、構造はもちろんリサイクルの仕組みにもびっくり「江戸すげえ」「ウ◯チが回す経済」
                                                                    • 御茶ノ水は人工の渓谷だった|太田記念美術館

                                                                      太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催しました。「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵を通して眺めてみようという展覧会でしたが、その見どころをご紹介します。 今回は江戸時代に、人の手で造られた渓谷の話。御茶ノ水駅から秋葉原駅まで、神田川沿いを下ると、都心とは思えない谷状の地形が続いています。実は飯田橋付近から秋葉原付近までの神田川は、仙台濠とも呼ばれ、仙台伊達藩による大規模な土木工事で生み出された、人工の渓谷なのです。 神田山を分断する大土木工事 このあたりにはもともと神田山という台地がありました。現在の本郷台地ですね。その神田山から隅田川へ向かって、神田川の原型となる流れが注いでいたのですが、そこに平川、小石川、石神井川3つの河川をまとめて接続し、隅田川へ放水するという、大規模な河川の架替えが計画されました。 その際に行われたのが

                                                                        御茶ノ水は人工の渓谷だった|太田記念美術館
                                                                      • 下町風俗資料館に展示されている吉原遊廓の模型(三浦屋)を観て思ったこと|渡辺豪

                                                                        台東区上野公園内にある下町風俗資料館の企画展『「江戸風俗人形」の世界 〜建物・人形・小物の三位一体の妙〜』(会期:2019/12/7〜2020/2/24)を観てきました。 同展では吉原遊廓にあった妓楼・三浦屋を再現した模型(建物・小物・人形)が展示されており、SNSでも遊廓に興味のある人たちを中心に少し話題になっていました。 どのように時代考証されたのか?私は一点、気になりました。それは考証です。どのような資料から時代考証を行った上でこの模型を制作したのか。それを確かめるために見学してきました。 展示は縦横3メートルの台に乗せられた迫力あるもので、建物は三浦宏氏[大正15年〜令和元年]、人形は辻村寿三郎氏[昭和8年〜]、小物は服部一郎氏[昭和8年〜平成21年]の三者がそれぞれが製作したと説明があります。 模型を制作するに至った経緯を説明するパネルに含まれるかたちで、時代考証についても触れて

                                                                          下町風俗資料館に展示されている吉原遊廓の模型(三浦屋)を観て思ったこと|渡辺豪
                                                                        • NHK大河ドラマは根本的に間違っている…「鎌倉殿の13人の御家人」が史実としてやったこと 「日本の歴史上、初めて合議制で政治が動いた」は本当か

                                                                          鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が亡くなった後、幕府はどのように政治を動かしていたのか。歴史学者の濱田浩一郎さんは「NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、2代将軍・頼家と、13人の有力御家人による権力争いが描かれているが、これは史実と異なる」という――。 「13人の家臣が集まり、日本で初の合議制をした」は本当か NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第27回「鎌倉殿と十三人」(7月17日放送)で、主人公・北条義時をはじめとする御家人13人が集結し、2代将軍・源頼家に「13名でございます」と紹介した。これに対し、頼家は自らの側近衆を紹介。義時らが形成した「13人」を牽制する挙に出た。頼家と有力御家人たちの利害が対立する様子を描いている。 脚本を担当した三谷幸喜さんは、ドラマのPRで作品の意図を次のように書いている。 「『鎌倉殿』とは、鎌倉幕府の将軍のことです。頼朝が死んだあと、2代目の将軍・頼家とい

                                                                            NHK大河ドラマは根本的に間違っている…「鎌倉殿の13人の御家人」が史実としてやったこと 「日本の歴史上、初めて合議制で政治が動いた」は本当か
                                                                          • 春日太一が語る、『時代劇入門』の執筆と映画の楽しみ方 「知らない人に向けてゼロから書いています」

                                                                            『時代劇入門』(角川新書) 時代劇研究家・春日太一氏の著書『時代劇入門』(角川新書)は、タイトルのとおり、時代劇の魅力について書かれた入門書だ。はじめに、時代劇を「なんとなく」楽しむためのガイダンスが書かれた後、時代劇の歩み、「とりあえず」知っておきたい基礎知識(ジャンル、ヒーロー、スター、監督、原作者)、そして、忠臣蔵、忍者、大河ドラマ、チャンバラといったトピックについて掘り下げられ、最後に『機動戦士ガンダム』を手掛けた富野由悠季監督のインタビューで幕を閉じるという構成となっている。読めば時代劇の魅力がよくわかる新書だが、同時に驚くのはその語り口である。 最初は気づかなかったが(この気づかないということ自体が実はすごいことである)、本書を読み終えた後、春日氏の他の著作を読み漁り、今回のインタビューの前に改めて『時代劇入門』を読み返したとき「なんで、こんなに読みやすいのだ?」と驚いた。まっ

                                                                              春日太一が語る、『時代劇入門』の執筆と映画の楽しみ方 「知らない人に向けてゼロから書いています」
                                                                            • 東京・神田明神前「天野屋」。江戸時代に造られ、今も現役の千代田区指定有形文化財の糀室

                                                                              甘酒は冬の飲み物と思われがちだが、江戸時代にさかのぼると、1年中親しまれていた飲料だった。当時、砂糖が庶民の手の届かない高級品であったため、それに代わる甘味源として飲まれていたのが、米と糀でつくる甘酒だった。特に夏には、エネルギー補給に飲まれていたという。 長い歳月を経て、現在、健康志向の高まりとともに注目の飲料となっている甘酒。ブドウ糖のほか、アミノ酸やビタミンを含み、「飲む点滴」と呼ばれることもある。 そんな甘酒を、江戸時代から伝わる製法でつくり続ける店がある。東京・千代田区外神田の神田明神(神田神社)の大鳥居脇にある甘酒屋「天野屋」である。老舗としてメディアに取り上げられることが多く、ご存知の方も少なくないだろう。ビルが並ぶ街並みのなかで木造平屋建ての風情あるたたずまいを見せ、千代田区の「景観まちづくり重要物件」にも選ばれている。 また、天野屋の糀室は江戸時代につくられた歴史的建造物

                                                                                東京・神田明神前「天野屋」。江戸時代に造られ、今も現役の千代田区指定有形文化財の糀室
                                                                              • 「江戸時代の生活を戻そう」とか言ってる人間は圧倒的多数だった農民になろうとしなかったり江戸市中に自分が住める前提で話すので信用できない

                                                                                バケツヘッド@甲冑模擬戦闘練習会主催 @Baketu_head 江戸時代は食料自給率100%だからとか、エコ都市だから生活を戻そうとか言ってる人間は圧倒的多数だった農民になろうとしなかったり、何故か江戸市中に自分が住める前提で話すので信用しない。 2023-10-27 19:25:51

                                                                                  「江戸時代の生活を戻そう」とか言ってる人間は圧倒的多数だった農民になろうとしなかったり江戸市中に自分が住める前提で話すので信用できない
                                                                                • 「秀吉から拝領」伝承の十字型洋剣、400年前に国内製造が判明(京都新聞) - Yahoo!ニュース

                                                                                  滋賀県甲賀市水口町の藤栄神社に伝わる十字形洋剣「水口レイピア」が、約400年前にヨーロッパ製のレイピア(細形洋剣)をモデルに国内で制作されていたことが分かった。水口歴史民俗資料館(同市)などが共同研究成果を3日の国際博物館会議(ICOM)京都大会で発表する。 国内に現存する唯一のレイピアで、アジアでもその存在は知られていない。関係者は「時の権力者が南蛮人から入手し、好奇心から複製を作らせたという東西文化交流の一つの在り方を示す希有な事例」としている。 十字形洋剣は、戦国武将加藤嘉明が豊臣秀吉から拝領したとの伝承がある。嘉明を水口藩主加藤氏の祖として祭る同神社が所蔵し、1987年に同資料館に寄託された。 共同研究は東京文化財研究所の小林公治氏ら国内外の専門家グループが6年前から実施。その結果、17世紀前半のレイピアを基に国内の技術を結集して制作された精巧な模造品とみられることなどが判明した。

                                                                                    「秀吉から拝領」伝承の十字型洋剣、400年前に国内製造が判明(京都新聞) - Yahoo!ニュース