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藤原定家の検索結果1 - 29 件 / 29件

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藤原定家に関するエントリは29件あります。 歴史historyこれはすごい などが関連タグです。 人気エントリには 『京都の冷泉家から藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書発見 専門家「国宝級だ」 【動画あり】|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞』などがあります。
  • 京都の冷泉家から藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書発見 専門家「国宝級だ」 【動画あり】|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

    鎌倉時代の歌人・藤原定家が1221(承久3)年に記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本2冊が、子孫に当たる冷泉家の時雨亭文庫(京都市上京区)で見つかった。同文庫が18日、発表した。これを基にした鎌倉中期と考えられる写本が、国の重要文化財に指定されている。調査に携わった専門家は「和歌研究史における重要資料の原本。『国宝級』の発見だ」と評価している。

      京都の冷泉家から藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書発見 専門家「国宝級だ」 【動画あり】|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
    • 国宝の藤原定家「源氏物語」注釈書、欠損1枚が掛け軸に貼られた状態で発見(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

      鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が手がけた源氏物語の注釈書「定家筆源氏物語奥入(おくいり)」の一部が見つかった。注釈書は国宝に指定されているが、少なくとも10ページ以上が欠損しており、今回見つかったのはそのうちの1ページ。池田和臣・中央大名誉教授が東京都内の古美術商から掛け軸に貼られた状態で購入し、定家筆源氏物語奥入の一部と確認した。 定家筆源氏物語奥入は、定家が家中の女性たちに源氏物語全54帖(じょう)を写させ、その際に各巻末に記した注釈部分だけを後に切り出して1冊にまとめたもの。今回発見されたページは縦16・7センチ、横14・9センチで、池田名誉教授が2年前、古美術商から「定家筆かもしれない」と聞いて掛け軸ごと購入した。調査すると、現存する奥入原本の近接ページにも、このページと同じ形の虫食い痕があったことや、書体も定家独特のものであることなどが分かり、定家筆と確

        国宝の藤原定家「源氏物語」注釈書、欠損1枚が掛け軸に貼られた状態で発見(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
      • セリアで売ってた百人一首が『厳選50首』という藤原定家が激怒しそうな代物だった「100円だから仕方ない」

        リンク 自由なママと息子たち | できる子に育てる!母の枠組みにとらわれない、自由気ままな理系ママと小学生の息子たち。 子どもと一緒に100均の百人一首!50人が2箱だよ! | 自由なママと息子たち 1 user

          セリアで売ってた百人一首が『厳選50首』という藤原定家が激怒しそうな代物だった「100円だから仕方ない」
        • オーロラ、鎌倉時代に最接近 藤原定家の「赤気」裏付け―地磁気データ基に再現:時事ドットコム

          オーロラ、鎌倉時代に最接近 藤原定家の「赤気」裏付け―地磁気データ基に再現 2021年10月04日05時33分 北海道の北の空に現れた赤いオーロラ=2001年11月24日、北海道陸別町で撮影(銀河の森天文台提供) オーロラが見えやすい地域「オーロラ帯」の過去3000年間の変化を再現した結果、日本からの距離は鎌倉時代の1200年ごろに最も近かったと、国立極地研究所などが発表した。当時の歌人藤原定家は日記で「赤気」(せっき、赤い光の意味)を京都で目撃したと記しており、研究成果は定家の記述を裏付ける形となった。論文は国際科学誌に掲載された。 〔写真特集〕ウェザーフォト~世界の気象~ オーロラは、宇宙から電子が地磁気(地球の磁場)に沿って地球に入り込む際、大気中の酸素や窒素と衝突して起きる発光現象。北極や南極の近くで現れやすいが、太陽表面の大規模な爆発が起きると北海道などでも観測される。 地磁気が

            オーロラ、鎌倉時代に最接近 藤原定家の「赤気」裏付け―地磁気データ基に再現:時事ドットコム
          • 源氏物語の最古の写本見つかる 藤原定家が書き写し | NHKニュース

            平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」の物語の1つを鎌倉時代の歌人、藤原定家が書き写した写本が新たに見つかりました。これまでで最も古い写本で、原本が残っていない源氏物語のオリジナルの表現に迫る貴重な資料として注目されています。 新たに見つかったのは、源氏物語が記されたおよそ200年後に活躍した歌人、藤原定家が書き写した「若紫」の写本です。 定家の子孫にあたる冷泉家が調査した結果、定家の筆跡と一致したということです。 当時、定家のように位の高い人物しか使うことが許されなかった青墨も使われ、表紙は定家のほかの写本で、国の重要文化財に指定されている「花散里」「行幸」「柏木」「早蕨」の4帖と同じだということです。 全54帖からなる源氏物語は原本が失われ、代わりに内容を今に伝える数々の写本のうち、「若紫」はこれまで、およそ450年後の室町時代に書き写されたものが紫式部のオリジナルの表現に近いものとして

              源氏物語の最古の写本見つかる 藤原定家が書き写し | NHKニュース
            • 古今和歌集の注釈書、藤原定家自筆の原本 専門家「国宝級の発見」:朝日新聞デジタル

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                古今和歌集の注釈書、藤原定家自筆の原本 専門家「国宝級の発見」:朝日新聞デジタル
              • 理論上の「電子捕獲型」超新星をついに観測。約40年前に日本の天文学者が予測、藤原定家の記録解明にも(秋山文野) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                1982年に日本の天文学者が予測した理論上の「電子捕獲型超新星」の存在が観測によって裏付けられた。太陽の8~10倍の質量を持つ恒星に起きる現象で、これまでシミュレーションでは確認されていたものの、その特徴を示す超新星は観測されていなかった。カリフォルニア大学サンタバーバラ校博士課程学生の平松大地氏ら国際研究グループは、2018年に日本の超新星ハンターが発見した「SN 2018zd」の観測結果からその特徴を確認した。成果は英国の国際学術誌『Nature Astronomy』にオンライン掲載された。 棒渦巻銀河「NGC2146」(中央)と超新星2018zd(右側白い円)。ハッブル宇宙望遠鏡とラスクンブレス天文台の観測からの合成画像。Credit: Joseph Depasquale, STScI 恒星の終焉の際、太陽の8倍程度までの質量の小さな恒星は白色矮星となって静かにその生涯を終え、太陽の

                  理論上の「電子捕獲型」超新星をついに観測。約40年前に日本の天文学者が予測、藤原定家の記録解明にも(秋山文野) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                • 藤原定家が古今和歌集の歌の解釈記した注釈書 原本が見つかる | NHK

                  鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家が古今和歌集の歌の解釈を記した書物「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が京都で発見され、調査した専門家は「国宝級の発見で定家と古今和歌集の研究を進めるための貴重な資料になる」としています。 新たに見つかったのは、藤原定家が古今和歌集の歌の解釈を記した注釈書で、鎌倉時代に書かれた「顕注密勘」の上、中、下の3冊です。 定家の子孫にあたる京都市上京区の冷泉家(れいぜいけ)で行われた調査で見つかり、このうち「上」は複製された写本ですが、ほかの2冊は自筆の原本です。 定家様(ていかよう)と呼ばれる独特の書体で書かれ、「八座沈老(はちざちんろう)」という定家の署名も記されています。 「顕注密勘」は古今和歌集の歌について平安時代末期の学僧が記した注釈に定家がみずからの考えを付け加える形で構成されていて、見つかった原本には余白が足りず紙を貼り付けて書き足している部分もあ

                    藤原定家が古今和歌集の歌の解釈記した注釈書 原本が見つかる | NHK
                  • 藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見 専門家「国宝に値」 | 毎日新聞

                    冷泉家に伝わる古今伝授箱から見つかった藤原定家直筆の「顕注密勘」=京都市上京区で2024年4月16日、加古信志撮影 鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が自筆した「古今和歌集」の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が見つかった。子孫の冷泉家(京都市上京区)で保管する木箱を約130年ぶりに開けたところ、収められていた。同書の写本の中には国重要文化財に指定されているものもあり、原本について専門家は「国宝に値する」と評価している。 定家らの古典籍を研究・保存する冷泉家時雨亭文庫が発表した。 顕注密勘は、最初の勅選和歌集・古今和歌集について和歌の先人による注釈に、定家が自説を書き加えた注釈書。上・中・下の3巻からなる。木箱にあった3巻のうち中・下巻が、筆跡や紙の製法などから原本と判断された。上巻の原本は火災で焼失したと伝わっており、同時に見つかったものは写本だった。

                      藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見 専門家「国宝に値」 | 毎日新聞
                    • 平安~鎌倉の歌人・藤原定家から連なる公家・冷泉家がクラウドファンディングを実施!「古典クラスタが推しに直接課金できる」凄いチャンス

                      リンク Wikipedia 冷泉家 冷泉家(れいぜいけ)は、藤原北家御子左家(二条家)の流れを汲む公家。家格は羽林家。代々近衛中将に任官された。家名は冷泉小路に由来する。歌道の宗匠家の内の一つで冷泉流歌道を伝承している。 藤原定家の子である御子左家6代・為家の子・冷泉為相から始まる。家名は平安京の冷泉小路に由来する。家業は歌道・蹴鞠。歌風は、同じ御子左流に属する二条家(摂家の二条家とは別)及び京極家(武家の京極氏とは別)に比べるならば、そう特徴的なものはない。 藤原定家の子孫は、定家の孫の代で御子左家(二条家)から京極家・冷泉家が分かれ三家 8 users 8 リンク THE KYOTO Crowdfunding 800年にわたる和歌の家・冷泉家に文化財を保存する土蔵を造りたい | クラウドファンディング - THE KYOTO Crowdfunding クラウドファンディングプロジェクト

                        平安~鎌倉の歌人・藤原定家から連なる公家・冷泉家がクラウドファンディングを実施!「古典クラスタが推しに直接課金できる」凄いチャンス
                      • 「国宝級」藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書、冷泉家の蔵から見つかる…推敲の跡も生々しく

                        【読売新聞】 鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が記した古今和歌集の注釈書「 顕注密勘 ( けんちゅうみっかん ) 」の原本が、定家の流れをくむ 冷泉 ( れいぜい ) 家(京都市)で見つかった。公益財団法人「

                          「国宝級」藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書、冷泉家の蔵から見つかる…推敲の跡も生々しく
                        • 歴史:「源氏物語」最古の写本「若紫」を発見、鎌倉初期に藤原定家が校訂 | 毎日新聞

                          平安時代中期に紫式部が創作した「源氏物語」について、鎌倉初期を代表する歌人の藤原定家(1162~1241年)が側近らに書き写させて校訂し、現存では最古となっている写本群のうち、物語の重要場面である第5帖(じょう)(冊)「若紫」(126ページ)が見つかった。江戸時代に三河などの大名だった大河内(おおこうち)家に伝わっていたのを確認したと、定家らの古典籍を研究保存する冷泉家時雨亭文庫(京都市上京区)が8日に発表した。 54帖からなる物語のうち、定家の写本が確認されていたのは、加賀の前田家などに伝わった「花散里(はなちるさと)」「行幸(みゆき)」「柏木」「早蕨(さわらび)」の4帖(いずれも重要文化財)だけで、新たな帖の確認は昭和初期以来の約80年ぶりという。研究者は「原本に最も近い『若紫』であり、国語の教科書にも影響するほど画期的だ」と評している。

                            歴史:「源氏物語」最古の写本「若紫」を発見、鎌倉初期に藤原定家が校訂 | 毎日新聞
                          • 「世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る」 皇太后宮大夫俊成 百人一首の選者藤原定家の父にして歌道の大家 - 安心感の研究 by 暖淡堂

                            百人一首第83番目の歌の作者は皇太后宮大夫俊成こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜいです。 藤原俊成で、百人一首の選者藤原定家の父にあたります。 歌道の大家ですね。 今回は皇太后宮大夫俊成について紹介します。 皇太后宮大夫俊成とは 生年は1114年、没年は1204年。 この人も藤原北家に連なる人。 藤原道長の孫にあたるようです。 平安時代から鎌倉時代にかけて、歌壇で存在感を示します。 後白河院の院宣を受け「千載和歌集」の選者となります。 また後鳥羽院の頃に和歌所寄人となるなど、歌道の大家として活躍します。 勅撰集に選ばれた歌は紀貫之、藤原定家に次ぐ歴代3位(414首)。 数ある歌の中から藤原定家によって選ばれたのがこの歌。 明るくなく、艶っぽさもなく、ユーモアもありません。 この歌から感じられるのは、むしろ諦めとか絶望。 悲しみの境地でもあります。 そんな歌を藤原俊成は27歳の時に詠んでいます

                              「世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る」 皇太后宮大夫俊成 百人一首の選者藤原定家の父にして歌道の大家 - 安心感の研究 by 暖淡堂
                            • 130年の眠りから覚めた藤原定家の自筆の書物 迫力、原本ならでは:朝日新聞デジタル

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                                130年の眠りから覚めた藤原定家の自筆の書物 迫力、原本ならでは:朝日新聞デジタル
                              • 国宝の藤原定家「源氏物語」注釈書、欠損1枚が掛け軸に貼られた状態で発見

                                【読売新聞】 鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が手がけた源氏物語の注釈書「定家筆源氏物語 奥入 ( おくいり ) 」の一部が見つかった。注釈書は国宝に指定されているが、少なくとも10ページ以上が欠損しており、

                                  国宝の藤原定家「源氏物語」注釈書、欠損1枚が掛け軸に貼られた状態で発見
                                • 二尊院 藤原定家が小倉百人一首を選んだ小倉山荘 時雨亭跡 展望地 しあわせの鐘 20 : Eternal Rose (エターナルローズ)

                                  ご高覧いただきまして、ありがとうございます。 岡山ランチ 岡山グルメ 記事の内容は、現在のお店の詳細とは限りませんので、 出かける前にお店に確認してください。 ​新しいお店情報教えてくださいね。 食べログ      https://tabelog.com/rvwr/001238991/ Facebook     https://www.facebook.com/artemis.brilliant Twitter     https://twitter.com/xxx_artemis_xxx​ このブログで使用しているアルテミス個人の写真、イラスト、文章の著作権及び肖像権は、全てブログ主(アルテミス)が有します。 このブログに掲載のアルテミス個人の記事、文章、写真、イラスト、図表等の、無断での使用、転載、複製、改変、頒布等を禁止します。 Copyright (C) 2011 Artemis

                                    二尊院 藤原定家が小倉百人一首を選んだ小倉山荘 時雨亭跡 展望地 しあわせの鐘 20 : Eternal Rose (エターナルローズ)
                                  • 古今和歌集の注釈書 藤原定家の自筆の原本発見 京都|NHK 京都府のニュース

                                    鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家が古今和歌集についての解釈を書き込んだ注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の自筆の原本が京都で発見され、調査した専門家は国宝級の発見で、定家と古今和歌集の研究が進む重大な資料になるとしています。 「顕注密勘」は、鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家が平安時代の古今和歌集の解釈を記した注釈書で、いくつもの写本の存在は知られていましたが、原本となる自筆の存在は知られていませんでした。 今回発見された「顕注密勘」は上、中、下の3冊で、定家であることを示す「八座沈老(はちざちんろう)」という署名が読み取れますが、1冊は貸し出した先で火事で失われ、改めて写したことが記されていて、定家の自筆は2冊だということです。 内容は、古今和歌集の歌について、平安時代末期の学僧が記した注釈を写させ、そこに定家がみずからの考えを付け加える形で構成されていて、定家様(ていかよう)と呼ば

                                      古今和歌集の注釈書 藤原定家の自筆の原本発見 京都|NHK 京都府のニュース
                                    • 藤原定家【明月記】に残る超新星爆発の記録 - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

                                      こんにちは、ばくです。 一昨日、オリオン座のベテルギウスが超新星爆発を起こしていずれは消えてしまうかもって話をしたんですが、、、 超新星爆発は、過去に何度も観測されている出来事です。 そしてそんな出来事が、国語の時間に習ったような書物にも書かれていたりするんです! 藤原定家「明月記」に残る超新星爆発の記録 「明月記」って、学生の頃に授業で習いましたよね^^ 藤原定家が書いた日記です。1180〜1235年に書かれたとされます。 藤原定家と言えば、「新古今集」や「新勅撰集」とかの撰者だった人ですね。 「小倉百人一首」の撰者でもあります。 って、私はほとんど覚えてなかったですけどね。 今、本を見ながら書いてます。 この「明月記」の中に書かれているある出来事を今の天文学で見直すと、 実は超新星爆発が起きた記録だったんです! 明月記の中に、こんな話が載っています。 後冷泉天皇の天喜2年、(当時の暦で

                                        藤原定家【明月記】に残る超新星爆発の記録 - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)
                                      • 藤原定家の自筆本見つかる 古今和歌集注釈、冷泉家から―京都:時事ドットコム

                                        藤原定家の自筆本見つかる 古今和歌集注釈、冷泉家から―京都 時事通信 社会部2024年04月18日18時10分配信 冷泉家で見つかった藤原定家の自筆による古今和歌集注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」。右上は写本=16日、京都市上京区 鎌倉時代初期の歌人、藤原定家(1162~1241年)の自筆による古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」が見つかったと、公益財団法人「冷泉家時雨亭文庫」(京都市)が18日、発表した。 ミケランジェロ直筆紙片に3100万円 ニューヨークの競売で 顕注密勘は、平安時代末期の僧、顕昭による古今和歌集の注釈に対し、定家が自説の注釈を加えた書物。写本は確認されていたが、自筆本の発見は初めて。久保田淳東京大名誉教授(中世文学)は「写本では分からない定家の思考を知ることができる貴重な史料だ」と話している。 自筆本は、古今和歌集の解釈を伝える「古今伝授(こき

                                          藤原定家の自筆本見つかる 古今和歌集注釈、冷泉家から―京都:時事ドットコム
                                        • 【藤原定家の直筆本発見】 「和歌の家」冷泉家が伝授してきた「神髄」とは|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

                                          「歌聖」とたたえられた藤原定家による古今和歌集の直筆注釈書「顕注密勘」が、「王朝の和歌守(うたもり)」とされた冷泉家で見つかった。古今集の歌の解釈や言葉の意味を後世に伝えた「古今伝授」に関わる資料の一つとみられ、100点超の冊子・古文書とともに一つの箱に収められていた。専門家は、和歌の家に伝わった古今集や古今伝授の「神髄」を物語る重要な資料群とみなしている。 「冷泉家の古今伝授は藤原俊成、定家から守り伝えられてきた教え。今回、(歴代当主が教えを継承してきた)勉学の跡を示すおびただしい数の資料が見つかった」。冷泉家住宅(京都市上京区)での記者会見で、同家の第25代当主で時雨亭文庫の冷泉為人理事長はそう切り出した。

                                            【藤原定家の直筆本発見】 「和歌の家」冷泉家が伝授してきた「神髄」とは|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
                                          • 藤原定家が写本の源氏物語 「若紫」見つかる、戦後初 - 日本経済新聞

                                            鎌倉時代初期に活躍した歌人、藤原定家(1162~1241年)が書き写した「源氏物語」のうち、1つの巻が東京都内で見つかった。現在まで伝わる定家の写本は4巻のみで、いずれも国の重要文化財に指定されている。戦後に存在が確認されたのは初めて。平安時代に紫式部が書いた原文に近いとみられ、源氏物語研究にとって第一級の史料となりそうだ。新たに見つかった写本は源氏物語の第5巻「若紫」で、光源氏が後に妻「紫の

                                              藤原定家が写本の源氏物語 「若紫」見つかる、戦後初 - 日本経済新聞
                                            • 7 夢のなかぞら(父藤原定家と後鳥羽院) 大垣 さなゑ (2007) - 小説を 勝手にくくって 20選!

                                              夢のなかぞら 父藤原定家と後鳥羽院 [ 大垣さなゑ ] 価格: 2933 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 「神器なき即位」。安徳天皇が神器を携えて西国に逃れたため、三種の神器がないまま即位した後鳥羽天皇。これはそのまま後鳥羽帝の心に残る「トゲ」となって生涯に影を落とす。そんな後鳥羽帝は、帝でありながら自らも刀鍛冶を行なうほどの類いまれな才能も有していた。 「日本一の大天狗」と呼ばれた祖父後白河院。今様に狂い帝の器ではないと周囲から見られながらも、即位するや権力を縦横無尽に操って、勝者が入れ替わる源平の争乱を渡り歩く。その姿を学んだ後鳥羽帝は、退位後も治天の君として朝廷、そして自らの権威を高めるにはそうすればよいかを考え続けた。 後鳥羽院の卓越した才能は和歌にも向かった。当時の和歌は「世を治め民を和らぐる道」とされ、和歌の力は平和をもたらすと信じられていた。後鳥羽院は習作を重ね、遂には当代

                                              • 冷泉家秘伝の箱130年ぶり開封 藤原定家の古今集注釈書発見 | 共同通信

                                                平安末期―鎌倉期の歌人、藤原定家(1162~1241年)が記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘」の自筆原本が、定家の流れをくむ京都・冷泉家で代々継承された「古今伝授」の箱から見つかった。蔵でひっそりと守られ、約130年もの間開封されなかった秘伝の箱。調査した専門家は「国宝や重要文化財級のものは出尽くしたと思っていた」と驚きを隠せない。 冷泉家は宮中での歌会開催などを代々担ってきた「和歌の家」で、貴重な書物などが多く残ることから「文書の正倉院」とも呼ばれる。 古今伝授は、古今集の解釈などを伝えることを指す。江戸期に関連書物が箱に入れられ極秘扱いとなった。最後の開封は1896年。

                                                  冷泉家秘伝の箱130年ぶり開封 藤原定家の古今集注釈書発見 | 共同通信
                                                • 藤原定家自筆の古今和歌集注釈書を発見 「国宝に値する」 - 日本経済新聞

                                                  平安末期―鎌倉期の歌人、藤原定家(1162〜1241年)が記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の自筆原本が初めて見つかった。冷泉家時雨亭文庫(京都市)が18日発表した。写本は複数あり一部は国の重要文化財に指定されているが、調査した専門家は「国宝に値する素晴らしい文化財だ」と評価。和歌研究の進展につながると期待される。新古今和歌集の選者として知られる定家の流れをくむ冷泉家は

                                                    藤原定家自筆の古今和歌集注釈書を発見 「国宝に値する」 - 日本経済新聞
                                                  • 藤原定家が【明月記】に記した客星の記録 - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

                                                    こんにちは、ばくです。 一昨日のブログに書いた「にゃんカレトーナメント」の結果が出ました。 結果は残念ながら敗北。。。 でも111票も入っていたそうです。 投票していただいた方々、ありがとうございました。 友達の友達からのコメントが、友達から送られてきまして、 ん、ややこしい?要するに、飼い主さんからのコメントね。 『残念なことに、大差をつけられて負けてしまいましたが、 りるの投票数が111票と縁起が良くて嬉しかったですw コメントも沢山、本当にありがとうございました。 負けてしまいましたが、りるが可愛い事には変わりないので、 最後に参加できて記念になりました。 ありがとうございました〜』 アンダーラインは私が引きました。 「りるが可愛い事には変わりない」は猫飼いさんならあるあるだよなぁと思って^^ 昨日の19時半頃に途中経過を見んですが、 その段階では勝っていたので、 「これなら勝てる」

                                                      藤原定家が【明月記】に記した客星の記録 - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)
                                                    • 藤原定家はなぜ「あの百首」を選んだのか? 三十一文字から広がっていく“大きな世界” | 文春オンライン

                                                      『身もこがれつつ 小倉山の百人一首』(周防柳 著)中央公論新社 百人一首について、どの歌が好きか、や、歌の作者について考えたことはあった。また、百人一首を選んだのが、自らも歌人である藤原定家だということも知識としてあった。しかし定家が、「なぜその百首を選んだのか」ということについては、まるで思いを馳せたことがなかったと、本書を読むにあたって気づかされた。 主人公は、藤原定家、その人だ。章によって年齢は異なり、そのとき抱えている問題や感情も変化しているが、変わらないものもある。彼の、歌に向き合う姿勢だ。いつも誠実で真剣。彼と歌は、もはや一体化しているといっても過言ではない。 当時の主君である後鳥羽院に、歌について問われた際、定家は語る。 「古歌に親しみ古歌を誦(ず)するうちに、おのずとおのれの風(ふう)というものもできあがってまいります」 いわゆる温故知新の精神だ。膨大な古歌を手札に書きつけ

                                                        藤原定家はなぜ「あの百首」を選んだのか? 三十一文字から広がっていく“大きな世界” | 文春オンライン
                                                      • 『藤原定家が写本したおかげで残った古典は数知れない』【記録する者たち】 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                                        https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/29641www.kyoto-np.co.jp togetter.com 一部抜粋 シン・ハルコ @tamalovepoaro 藤原定家という人はその時にあったすばらしい古典をガッと地引き漁する行動力と家族総出での書写の協働と、自らのステータスを利用して有力貴族たちに写本を多く流布させたんですよね。 そのおかけで、生き延びた古典作品は数知れず。源氏物語でさえ、かれがいなかったとしたら。 2019-10-08 19:09:04 シン・ハルコ @tamalovepoaro 定家のすごいところはね、高齢になって老眼で手元の墨色がよく見えなくて、手が震えても家族に口述筆記させず自分の手で歌論書や書写物を書いたの。本当に晩年の定家の字は一目瞭然の「乱筆乱文」。 そのエネルギッシュさと注いだ熱量にわたしもそれを見せてくれた教授

                                                          『藤原定家が写本したおかげで残った古典は数知れない』【記録する者たち】 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                                        • 百人一首の撰者は藤原定家にあらず: 忘却散人ブログ

                                                          わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日本近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 国文学研究資料館の創立50周年記念式典の基調講演で、田渕句美子さんは、『百人一首』の撰者が藤原定家ではないという内容の講演をされ、オンラインで公開されていたため、私も興奮しながら拝聴していた。文学史を塗り替えるこの衝撃的な説は、2020年に既に論文として発表されていたようであるが、この基調講演ではじめて知った人も多かっただろう。私も噂には聴いていたが、元の論文を読んでいなかった。しかし、この説はまだまだ知られていないだろう。なにしろ、教科書の文学史を書き換えなければならな

                                                          • 明月記と超新星  藤原定家が残した世界に誇る天体記録とは | 京都千年天文街道

                                                            藤 原定家(ふじわらのていか)は平安末期から鎌倉初期の歌人で,『新古今和歌集』の選者も務め,また『源氏物語』や『土佐日記』の研究者としても知られてい ます。 彼は『明月記』という日記風のエッセイを著していますが、これは18歳の治承元年(1235年)まで半世紀以上にわたって書き綴られたものです。 『明 月記』には多数の天文現象が載っていますが最も重要なのは超新星の出現記録です。 超新星とは「新しく生まれた星」ではなく「新たに見えた星」で,それまで全く見えなかったところに突如として星が輝き出し,一夜にして10等級以上も明る くなります。実は星の最期の大爆発で,星の生涯のうち最も劇的なシーンです。 望遠鏡のない時代の超新星の記録は世界で7件しかなく、そのうち3件も記載がある本は『明月記』だけです。 ひ とつめの超新星の記録は、寛弘三年四月二日(1006年5月1日)の深夜、南の低い空に出現した大客

                                                              明月記と超新星  藤原定家が残した世界に誇る天体記録とは | 京都千年天文街道
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