そうした傾向は、学部からすぐに大学院に入学した日本人学生にとどまらなかった。総合研究大学院大学の学生には、留学生や社会人学生も多い。シンギュラリティを信じる学生はどの層にも同じように分布している印象だった。 ところが、だ。今年、講義をしてみて驚いた。どれほどデータを集めても、AIが「笑っちゃうような誤り」を犯し続けることを、学生たちは当然のこととして受けとめた。講義の中で「シンギュラリティ」に言及したところ、画面の向こうから笑いが漏れた。私が力説しなくても、AI技術を学ぶ平均的な学生にとって、シンギュラリティブームは「過去のあだ花」、悪くすれば「黒歴史」に変わっていたのである。 たった1、2年の間に生じたこの差は、いったい何なのだろう。 2つのことが考えられるだろう。1つは、「人工知能搭載」がうたわれた商品やサービスが溢れ、身近な存在になったことだ。私にとって、2016年は東ロボがMARC