沖縄戦で失われ、79年ぶりに戻ってきた琉球王国の王の肖像画。 この「国宝級」の文化財が見つかったのは、アメリカ・ボストン近郊の住宅。 その屋根裏でした。 いつ、誰が、どうやって沖縄から持ち出したのか? 返還はなぜ実現したのか? その謎に迫りました。 (沖縄放送局記者 高田和加子)
羽田空港と東京駅などを結ぶ羽田空港アクセス線の工事予定地で、おととしに見つかった石垣が国内初の鉄道の線路を敷くために築かれた「高輪築堤跡」と確認されたとして、JR東日本は一部を保存したうえで工事を進めることを決めました。 2031年度の開業に向けて工事が進められている羽田空港アクセス線のうち、東京 港区の田町駅周辺の工事予定地でおととし、石垣が見つかりました。 この石垣について港区教育委員会が調査したところ、明治5年に新橋、横浜間で国内初の鉄道の線路を敷くために築かれた「高輪築堤跡」と確認されました。 「高輪築堤跡」は南に1キロ余り離れた高輪ゲートウェイ駅周辺で見つかっていて、明治の文明開化を象徴する重要な遺構として2021年に国の史跡に指定されています。 JR東日本は、今回見つかった築堤跡について専門家などと検討した結果、線路が地下にもぐる場所を変えることによって、工事と重なるおよそ16
前年の1918年にはアメリカのウィルソン大統領が第1次世界大戦後の国際秩序を構想して民族自決を含む14カ条の平和原則を提唱していた。民族自決とは、各民族が自らの意志にもとづいて運命を決する権利を持ち、他の民族や国家による干渉を認めないとする考え方である。ただし、これはヨーロッパの民族を想定しており、朝鮮とは基本的に無縁であった。 とはいえ、朝鮮の独立運動家にとっては希望の光となる。彼らは高宗の国葬によって人々が京城に集まるという好機をとらえ、大衆を動員した独立運動を起こそうと考えた。東京在住の朝鮮人学生も、1919年2月8日に二・八独立宣言書を発表し、運動実践のために朝鮮に戻っていった。 そのころ京城では延禧専門学校や京城医学専門学校の学生たちがたびたび各校の代表会議を開いて国葬の際に事を起こす計画を練り上げていた。他方で、天道教教主の孫秉熙(ソンビョンヒ)もキリスト教や仏教とともに宗教界
2024年01月07日 年表 300ビュー 1924年(大正13年) 2023年12月09日 コラム 454ビュー 国際連盟との訣別 2023年12月01日 コラム 406ビュー 満州国承認とリットン報告書 2023年11月23日 コラム 393ビュー 犬養外交と第一次上海事変 2023年10月30日 コラム 395ビュー 満州事変と第二次幣原外交の蹉跌 2023年10月21日 コラム 386ビュー 第二次幣原外交と満蒙の危機 Page1/712次へ
ナチスの政策のなかにも「良いもの」はあった。ネット上を中心にしばしばそんな主張を見かける。 しかし実はそうした主張の多くは少なからぬ事実誤認を含んでいたり、政策の全体を見ずに一部だけを切り取っていたりする――そうした巷間の「ナチス擁護論」の杜撰さと危うさを指摘した『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(小野寺拓也・田野大輔)がベストセラーとなっている。 「ナチスは良いこともした」という主張の根拠の一つとしてしばしば持ち出されるのが、「源泉徴収はナチスが発明した」という説だ。同書の著者の一人である甲南大学教授の田野大輔氏が、この説の虚実、そして、なぜこの説が広まったのかを検証する(文中敬称略)。 本当に「ナチスの発明」か? 日本の税制のことが話題になるとき、しばしば紹介される俗説がある。「源泉徴収はナチスの発明」――給料から税金を天引きする制度を作ったのはナチスだという説である。SNS上
レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』は史上最高の絵画と名高い。ところが、1911年の盗難事件で注目されるまでは、無名の作品にすぎなかった。行動学者のジョン・レヴィ氏の著書『影響力の科学 ビジネスで成功し人生を豊かにする最上のスキル』(小山竜央監修、島藤真澄訳、KADOKAWA)より、一部を紹介しよう――。 その絵画は、誰にも気づかれずに盗まれていた 1911年8月21日月曜日、午前6時55分、白い作業スモックを着た男が、フランス、パリのルーヴル美術館に入った。毎週月曜日、ルーヴル美術館は清掃、メンテナンス、搬出入のために一般公開されず、そのため男は気づかれずに行動できた。おまけにこの時、美術館は、当時世界最大の建物(約18万2000平方メートルの敷地に1000の部屋)の警備要員を、すでに166人から僅わずか12人にまで減らしていた。 男は誰もいないホールを歩きながら、ルネッサンス絵画を
来日した米ハーバード大教授のマーク・ラムザイヤー氏(大森貴弘撮影)戦前、朝鮮半島の慰安婦が日本軍に強制連行され、性奴隷にされていたという主張は、吉田清治といういわくつきの人物の全くの捏造に朝日新聞が乗せられ、日本でも一時は広く信じられるようになった。しかし、間もなくその矛盾だらけの嘘はばれ、不覚にもお先棒を担いでしまった朝日新聞も2014年に吉田「証言」に基づく記事をすべて撤回することになった。日本では今や慰安婦強制連行説、「慰安婦=性奴隷」説が作り話であることは公知の事実である。 ところが、困ったことに、欧米の日本研究者の間では、いまだに「慰安婦=性奴隷」説が批判の許されない「コンセンサス」であり、欧米のメディアもそれを鵜呑みにする状態が続いている。 青山学院大教授の福井義高氏数年前、ハーバード大学教授で、米会社法の大家であるマーク・ラムザイヤー氏が、この偽りのコンセンサスに一石を投じた
耳を疑う不当な判決である。韓国ソウル高裁で元慰安婦らが日本政府に求めた損害賠償請求が認められた。 慰安婦について「日本政府による強制的な拉致行為」と決めつけた。事実無根で、断じて認められない。 訴訟は、韓国の元慰安婦や遺族計16人が日本政府を相手取り、1人当たり2億ウォン(約2300万円)の損害賠償を求めた。 国家は外国の裁判権に服さないとされる国際法上の「主権免除の原則」に基づき、日本政府は訴訟に応じず審理に参加していない。当然のことである。 1審ソウル中央地裁は、主権免除の原則から、外国政府への賠償請求は訴訟の要件を満たさないと判断し、原告の訴えを却下していた。これがまっとうな判断である。 ところが2審ソウル高裁は「違法行為に対しては主権免除を認めない国際的な慣習が存在する」として請求全額を支払うよう日本政府に命じた。 拉致のような違法行為に主権免除の原則は適用できない、というのだろう
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防衛省内にある日本唯一の安全保障に関する国立学術研究機関「防衛研究所」(新宿区)は、防衛に関する調査研究のほか、戦史史料の管理を行うシンクタンクとして知られる。今年8月、記者は先の大戦中に南方を転戦した100歳の元従軍兵士をインタビューした。この記憶を何らかの形で追体験できないか-。そう思い、研究所で資料と向き合う機会があった。80年前の記録に触れ、元兵士の証言とともに壮絶な南方戦線の記憶をたどった。 証言してくれたのは、先の大戦で第201海軍航空隊に所属し、ゼロ戦の整備兵を務めた国分寺市在住の川手市郎さん。大正12年に生まれ、今年1月に100歳を迎えた。川手さんは昭和17年の入隊直後から復員するまでの4年半を振り返った。 戦局が悪化した昭和18年11月、横須賀港を出港し、制空権も制海権も米軍下にあったラバウルへ向かった。翌19年1月にはサイパン、3月にはペリリュー、5月にはフィリピンのセ
百円札を燃やし「どうだ明るくなったろう」と話す第1次世界大戦後の成り金紳士の風刺漫画で知られる和田邦坊(1899~1992)。出身地に近い香川県善通寺市の灸まん美術館(和田邦坊画業館)では、その多彩な顔を伝える企画展が開催中だ。学芸員で、研究の第一人者でもある西谷美紀さんに魅力を聞いた。 ――邦坊は時事漫画家、小説家、デザイナー、画家として活躍したマルチクリエーターでした。研究のきっかけは 邦坊さんが初代館長を務めた高松市・栗林公園内の讃岐民芸館で勤務した時、カッパが飛び出すような絵が描かれた焼きものに出会いました。なんだこれはと調べると彼の作品でした。 邦坊さんは香川の土産物のパッケージデザインを多く手がけていますが、地元でも名前はあまり知られていません。これはもったいないと、出身の琴平町などでゆかりの人たちへの聞き取りを始めました。別の博物館に移ってからも個人で研究を続け、2017年に
傷痍軍人や遺族への優遇措置、陸軍からの要請だった 「結論から言えば、たばこの専売制度のなかで、戦争未亡人に対し優先的にたばこ店を開業できるような仕組みがあったのは事実です」(青木さん。以下「」内同) まず、たばこの税金と専売制度の歴史を振り返る必要がある。 たばこ税は明治時代、国家の財源確保のため、明治9(1876)年からかけられるようになった。大別して営業税と印紙税で、営業税は卸売業者やたばこ店から営業許可と引換えに、また印紙税はたばこの定価によって包装に印紙を貼り、徴収していた。 しかし収入印紙の再利用などによる脱税が横行。その後日清戦争(明治27(1894)年7月~明治28(1895)年4月)後の国家財政を補う目的もあり、税を正確に徴収するため、明治31(1898)年に『葉煙草専売法』が誕生した。 これは葉たばこをすべて政府が買い取り、民間のたばこ製造業者に販売するものだったが、結果
戦時中の朝鮮半島出身労働者の収入状況などを示す1次史料を歴史認識問題研究会(会長・西岡力麗澤大特任教授)の長谷亮介研究員が見つけ出し、分析結果を論文にまとめた。史料によると、労働者の収入は「高額」(長谷氏)で、炭鉱が「奴隷労働の現場」だったとの主張や観念を崩す実態を示している。 史料は、かつて北海道北部にあった日曹天塩炭鉱で働いた朝鮮人労働者の「稼働成績並賃金収支明細表」。長谷氏が昨年、北海道博物館(札幌市)の収蔵資料から見つけた。労働者を送り出した当時の朝鮮半島の面(村に相当)の面長に向けて、労働者ごとの収支金額や送金額、天引き貯金の状況を伝える書類で、昭和19(1944)年5月から20年6月分の冊子に総数159人分の記録があった。 史料で確認できた労働者86人のうち、19年10月から20年6月まで働いた54人を分析したところ、9カ月間の平均収入総額は896円で、同期間の支出総額が判明し
一次ソースを確認するのが大切 ランキング参加中社会 『正力松太郎が朝鮮人暴動鎮圧のため「こうなったらやりましょう」』 森五六「僕の不在中『もうこうなったらやりますゾ』と言ったという」 「思想」誌掲載の松尾尊兊『関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)』 「日本歴史」(吉川弘文館)256号に1968年の森五六・山本四郎回顧談 正力の「こうなったらやりましょう」は何の行動を意味しているのか? まとめ:正力の発言が存在したか?あったとして朝鮮人暴動の鎮圧のためか? 加藤直樹「居合わせた朝日新聞記者が正力の「こうなったらやりましょう」と回想」という歪曲 『正力松太郎が朝鮮人暴動鎮圧のため「こうなったらやりましょう」』 速報◆3日、警視庁官房主事・正力松太郎(38)が戒厳司令部を訪れる。「朝鮮人暴動」の鎮圧のために軍を動かしたい考え。「こうなったらやりましょう」と鼻息荒く意気込んで言うと、戒厳参謀長・阿部
NHKスペシャル「発見 昭和天皇御進講メモ~戦時下 知られざる外交戦~」(8月7日)は、宮内省御用掛の松田道一が12年間にわたってほぼ週に1回計509回にもわたって、昭和天皇に御進講した大量のメモが昨秋発見されたのを受けて、近現代史の専門家と取材班がその分析に取り組んだ成果である。(以下、敬称略。文書は現代文に適宜書き換えた) 昭和天皇の「御下問」と松田による「御進講」が計約10万字も詳細に記録されている。昭和史を書き換える事実を掘り起こしたドキュメンタリーの最高傑作である。 昭和天皇への情報の流れ 「御進講」は1933年から終戦の45年7月26日まで行われた。番組は一連の昭和天皇の側近の手記や東京電力福島第1原子力発電所事故のドキュメンタリーの手法で確立された、映像と文献に加えて、俳優による再現ドラマを交えて進行する。昭和天皇に片岡孝太郎が松田には長塚京三が配された。 松田はイタリア大使
2027年のリニア中央新幹線開業が危ぶまれている。JR東海の丹羽俊介社長は8月3日、大阪市内で開いた定例記者会見で、リニア中央新幹線の品川~名古屋間の建設が「まだ見通しが立っていない」ことを明らかにした。 2027年のリニア中央新幹線開業が危ぶまれている。 JR東海の丹羽俊介社長は8月3日、大阪市内で開いた定例記者会見で、リニア中央新幹線の品川~名古屋間の建設が 「まだ見通しが立っていない」 ことを明らかにした。静岡県が大井川の流量減少を懸念し、静岡区間の着工を認めていないためだ。なぜ静岡県はそこまでかたくななのか。 筆者(昼間たかし、ルポライター)は、これまで多くの静岡県民にリニア中央新幹線について話を聞くことがあった。さまざまな報道で、川勝平太知事は着工を拒否していると批判されてきた。しかし、静岡県民は違う。保守もリベラルも関係なく、 「着工を認めるべきではない」 と考える人が多いのだ
Published 2023/08/02 13:13 (JST) Updated 2023/08/02 13:58 (JST) 長崎市が被爆80年記念事業として長崎原爆資料館(長崎市平野町)の展示を大規模更新する計画を巡り、被爆者や被爆2世でつくる団体などが展示内容の見直しや維持を求めて、資料館に要望書などを相次いで提出した。 資料館は1996年の開館時から「日中戦争と太平洋戦争」の年表の中に「南京占領、大虐殺事件おこる」と記載。この表記について、市が設置する同館運営審議会の委員の一人が「南京大虐殺はなかった」として展示の見直しを求めている。 長崎県原爆被爆教職員の会や県被爆二世の会など13団体が7月20日に行った申し入れでは、南京大虐殺について「旧日本軍の戦闘記録や元日本兵の証言、日記から否定できない事実」と強調。「日本の加害を伝えなければ、世界に原爆被害と核兵器廃絶の訴えを理解してもら
1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」は、戦後最大の冤罪の一つと言われ、死刑判決が確定していた袴田巌さん(87)のやり直し裁判が近く静岡地裁で始まる。死刑確定事件の再審では戦後5例目だが、この事件の前にはいくつもの冤罪事件が同じ静岡県で起きていることをご存じだろうか。その一つ、「二俣事件」では、拷問によって無実の少年に一家4人惨殺を“自白”させたばかりか、拷問の事実を告発した刑事を偽証罪で逮捕した揚げ句、精神疾患に仕立て上げるという警察・検察の報復があった。家族もろとも偏見の目にさらされた刑事の妻・山崎まさは今も存命だ。今月27日、106歳になるまさは「当時の苦しみは言葉にできない」と涙ながらに振り返った。(文・写真:秦融/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略) まさが住む愛知県みよし市は、名古屋市と豊田市に挟まれた位置にある。市街地から少し離れた一軒家で
以下のエントリにぶら下がったはてな民によるブコメを読んでいて、「ああやっぱりいつのもはてな民達だ…」などとぼんやり考えていたらふと、芥川龍之介の蜘蛛の糸を思い出した。 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-509289.html 血の池地獄で他の罪人と共に浮き沈みを繰り返していたカンダタは、生前にたった一度、蜘蛛を殺さなかった。たったそれだけの「良いこと」をその血の池地獄の様子をたまたま眺めていた天上界のお釈迦様が思い出し、天界から蜘蛛の糸を垂らしてカンダタを地獄から救ってあげようとしたが、その蜘蛛の糸を上っていたカンダタは、自分の後から続々と上ってきた他の罪人に気づき、「こらっ!落ちてまうやろ!上ってくんな!」と叫んだら、その瞬間、糸はプチッと切れて血の池地獄に真っ逆さま、というあの話だ。 ていうか、田野氏の2年前の
多くの中国人労働者が虐殺された現場近くの植え込みに花を手向け、黙とうする林伯耀さん(左端)ら=24日午後、東京都江東区 1923年9月の関東大震災で多くの中国人が虐殺された史実を知ってもらおうと、市民団体が東京都内の虐殺現場を案内する催しが、24日開かれた。案内した在日中国人2世の林伯耀さん(84)=神戸市=は、不況で中国人労働者への恨みがあったと解説。「恐怖の中で襲われた同胞の無念さを、一緒に考えてください」と呼びかけた。 工場が集中し、中国人労働者の宿舎が多かった大島町(現・江東区)の周辺では400人以上が殺された。 当時は広場だった「江東区東大島文化センター」を訪れた林さんらは、近くの道路の植え込みに花を手向けて黙とう。軍隊や警察、民衆が中国人労働者をこの広場に集めて殺したという。
デンマーク・オーデンセの南デンマーク大学の地下室に保管されている脳の標本が入ったバケツ(2023年2月28日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News 【AFP=時事】デンマーク・オーデンセ(Odense)の南デンマーク大学(University of Southern Denmark)の地下には、世界最大とされる人間の脳の標本コレクションが存在する。 【写真12枚】脳を摘出された患者が埋葬されている墓地 1945~82年に、精神疾患だった人の遺体から検視後に除去・採取された脳の標本9479点が収められている。ホルマリン漬けにされた脳が入った大きな白いバケツには番号が振られている。 このコレクションは、著名デンマーク人精神科医エリック・ストレームグレン(Erik Stromgren)氏が生涯をかけたものだ。 コペンハーゲン大学(University of Copenhagen)で精神医学史
小さいころからオランダ語も漢文もできた森鴎外 突然だが、日本の文豪でもっとも頭のいい人間は誰だろうか。現代の小説家にも現役弁護士、現役医者や東大卒はいるけれど、昔の小説家は今にも増してエリートが多かった。 さて、そんな優秀な頭脳ぞろいの文豪のなかでも、森鴎外はかなり賢いほうだった。彼の学歴は東京大学医学部卒である。 というのも、現・島根県であるところの、津和野藩の典医の家に生まれた鴎外は、小さいころからオランダ語もできるし、漢文も読めるスーパー児童だったらしい。四書五経(『論語』や『孟子』や『春秋』などの中国の古典)を丸暗記していたという逸話まで残っている。賢すぎである。 そんな賢さを見越してか、父親は鴎外が10歳のときにふたりで上京する。そして父親の目論見どおり11歳で鴎外は東京医学校予科に合格する。ちなみにこの東京医学校予科というのは、東大医学部の予備教育課程というもの。鴎外が受けた試
日本国憲法の特徴は? 教科書にも国民主権・平和主義・基本的人権の尊重などと書いてある。教室では先生が、基本的人権には、人間が人間らしく生きるための「生存権」も含まれていると第25条のことを説明してくれるだろう。 しかし、憲法のもとになったGHQ案にも、それに基づいた政府案にも、「平和」という文言も「生存権」も含まれていなかった。これらは、衆議院に設けられた、政府案を逐条審議した「芦田小委員会」において提案され、盛り込まれたものだ。一九九五年までこの小委員会の議事録は公開されていなかったので、9条の「日本国民は…国際平和を誠実に希求し」という文言や「生存権」の条文が誰の主張によって挿入されたのかほとんど知られていなかった。これらを盛り込むことを主張した人物こそ、社会党の議員であった鈴木義男(一八九四〜一九六三年)である。 鈴木義男を知る人は少ないだろう。それだからこそ鈴木の生涯を克明に追った
近年の若者には「推し」がいたりする.「推し」という語が少なくとも原義的には 自身-対象 ではなく 自身-対象-対象を勧められる第三者 という図式を有している点は2020年代の各個人と社会との関係の在り方を写すようで面白いが,まあその話自体に立ち入るのは置いておくとして,20代も終了目前で別に若くもない筆者にもその意味の「推し」の1人くらいはいる.岡本太郎だ.岡本太郎については既に多くの人が熱弁しているけれど,このベラボーな巨人について自らの言葉で書き留めておかねばならぬという欲を私も抑えがたい.だから「後から見返したら恥ずかしいだろう」などという卑しい懸念を唾棄して書くのである. 岡本太郎自体はほとんどの方がご存知だろう.「芸術は爆発だ!」などのやや奇抜な言動で知られ,“奔放なエキセントリックおじさん” のイメージが広く共有されているかもしれない.だが,そうしたイメージは全く一面的である上
戦前日本は1931年の満州事変という大きな転機を経て、日中戦争、そして破滅的な太平洋戦争へと突き進むことになる。その過程で旧日本陸軍が大きな役割を果たしたのは間違いないが、ではその「軍の暴走」の下地はどのように整えられたのだろうか。旧日本陸軍の「変貌」をたどってみよう。 一貫した戦争目的を欠いたまま、場当たり的に日本は対中・対米戦争に突き進んでいく(写真は1938年の中国戦線の日本軍)(Pictures from History/Gettyimages) 1937年に始まった日中戦争は、当初は局地紛争に過ぎなかった。日本政府も陸軍もこの紛争を全面戦争に発展させる意思はなかった。まして米国との全面戦争につながることを期待した人間はいなかった。なぜ多くの政治家や軍人の意思とは裏腹に、極東の小紛争は対米全面戦争へと発展していくのだろうか。 後追いで設定された戦争目的 戦争が政治行動である以上、そ
※Twitterでの指摘を受けて、本稿の文末に追記を加えました。 博徒の子分は理非を辨へずに、ひたすらに親方の指揮に服從する。 (柳田國男「親方子方」『定本 柳田國男集 第十五巻』筑摩書房、1963年、390頁) 2022年12月に放送が終了したTVアニメ『アキバ冥途戦争』は、加藤智大による無差別殺傷事件(2008年6月8日)を生むような秋葉原の都市構造の変容を前提とした、マッチポンプ的な作品だった。 本作は「萌えと暴力について」というキャッチコピーを引っ提げて、秋葉原でメイドとして働く女たちがヤクザ映画さながらの殺し合いを演じる様子を余すところなく描き出す。1999年の秋葉原を舞台に繰り広げられるのは、メイドカフェグループ間の血で血を洗う抗争とメイドカフェグループ内部の内紛だ。本作において、秋葉原はメイドカフェグループの双璧をなすケダモノランドグループとメイドリアングループによって牛耳ら
「桜を見る会」で挨拶する安倍晋三元首相 衝撃の死を遂げた安倍晋三元首相。高い支持を集めた一方で国民の分断と格差を広げた。「パンケーキを毒見する」で菅義偉氏を追った内山雄人監督(56)が新作「妖怪の孫」で安倍氏の実体に迫る。 【写真】「昭和の妖怪」と呼ばれた人物がこちら * * * 前作の「パンケーキを毒見する」(2021年)の公開直後からプロデューサーの河村光庸さん(22年6月急逝)に「次は“本丸”をちゃんと描くべきなんじゃないか」と言われていたんです。自民党のあるベテラン議員にも呼び出されて「自民党がおかしくなったのは、安倍さんからなんだよ」と資料を渡された。とはいえ簡単に手を出せる対象ではない。ある種の恐れもあったんです。 ──そう内山監督は話す。それでも「やらねば」と動いた理由には、日々じわじわ感じる閉塞感や、恐怖があった。 第2次安倍政権ではさまざまなことが勝手に閣議で決められ
韓国の李鍾燮(イ・ジョンソプ)国防相(2023年1月31日撮影)。(c)JEON HEON-KYUN / POOL / AFP 【2月18日 AFP】韓国のソウル中央地裁が先週、ベトナム戦争(Vietnam War)での韓国軍による民間人虐殺について同国政府の責任を認める判決を出したのを受け、李鍾燮(イ・ジョンソプ、Lee Jong-sup)国防相は17日、民間人虐殺は「一切なかった」と主張し、上訴する意向を示した。 原告のベトナム人女性は、韓国海兵隊が1968年2月に民間人約70人を殺害したとして提訴。地裁は、韓国軍が加害者だと証明するのは困難だとの政府側の主張を退け、政府に約3000万ウォン(約310万円)の賠償の支払いを命じた。 しかし、李氏は議会の委員会で、国防省は「韓国兵による虐殺は一切なかった」と確信していると主張。判決を不服として上訴する意向を示した。 さらに、ベトナム戦争の
1942年3月29日 外務省からバンコクの日本大使に送られた、ユダヤ人に対する寛容な保護の継続を指示する最高機密の公電の英訳。英国が傍受、解読した(英国立公文書館所蔵、岡部伸撮影) 日本は第二次大戦中、枢軸同盟を結んだナチス・ドイツから再三、ユダヤ人迫害の要求を受けたが、英国立公文書館が所蔵する日本外務省から東南アジアの大使に宛てた公電で、占領地に逃れてきたユダヤ人の保護を指示していたことが確認された。専門家は、世界で反ユダヤ主義が広がる中で日本は難民を保護し、計約4万人のユダヤ人が生き延びたと指摘している。 ドイツのヒトラーは政権を掌握した1933年にユダヤ人弾圧を開始。満州や中国に迫害を逃れる難民が押し寄せ、近衛文麿内閣の「五相会議」は38年12月、人種平等の原則によりユダヤ人を排斥せず、諸外国人と同等に公正に扱う「猶太(ユダヤ)人対策要綱」を作成。世界で唯一、ユダヤ人保護を国策として
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から、17日で28年になりました。 神戸市など大きな被害を受けた地域では、犠牲者を追悼する行事が行われました。 28年前の平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、建物の倒壊や火災などが相次ぎ、その後の「災害関連死」も含めて6434人が亡くなりました。 神戸市中央区の公園「東遊園地」では、市民団体などでつくる実行委員会による追悼のつどいが開かれ、地震が起きた午前5時46分に、静かに手を合わせ、犠牲者に黙とうをささげました。 公園には犠牲者を追悼する灯籠が、震災が起きた日付の「1.17」と「むすぶ」という文字の形に並べられました。 「むすぶ」という文字には、震災を経験した人が知らない世代に語り継ぐなど、得られた知恵や教訓を伝えていきたいという思いが込められています。
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