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  • 俳優・坂本龍一の軌跡|吉田伊知郎/モルモット吉田

    坂本龍一の50年近いキャリアの中でも、特筆すべき項目のひとつが、『ラストエンペラー』によって第60回アカデミー賞作曲賞を受賞したことだろう。 エンニオ・モリコーネをはじめとする映画音楽の巨匠たちが、監督のベルナルド・ベルトルッチへ、我こそはとアピールするなかで、坂本が音楽も手がけることが決まったのは、撮影終了から半年後。ベルトルッチは当初、坂本を〈俳優〉として起用しただけだった。 俳優・坂本龍一の誕生は、今やクリスマスのスタンダードナンバーになったMerry Christmas Mr.Lawrenceを生んだ大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(83年)が原点。坂本が演じた捕虜収容所所長のヨノイと、英国軍陸軍少佐ジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)との関係を描いたこの秀作は、最初から坂本龍一の出演が決まっていたわけではなく――というより、ビートたけし、デヴィッド・ボウイも含めて、キャ

      俳優・坂本龍一の軌跡|吉田伊知郎/モルモット吉田
    • 日本人初のアカデミー作曲賞を受賞することになる音楽家が素足にゴムサンダル、むさくるしい長髪で…坂本龍一が「アブ」と呼ばれていた飛躍前夜 | 文春オンライン

      45年にわたり日本の音楽シーンをリードし続けた坂本龍一。71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より彼の足跡を一部抜粋。1970年代前半、山下達郎、大貫妙子らと出会い、音楽家として飛躍を始めた日々を振り返る(全2回の2回目/前編を読む)。 ◆◆◆ 坂本龍一が手がけたNHK-FM最後のラジオ・ドラマ NHK‐FMドラマで現在確認されている坂本龍一最後の作品は1976年9月3日放送の「ハムレット」。風間杜夫が主演するこのシェイクスピア劇は現代風ロック・オペラのようにアレンジされたラジオドラマで、坂本龍一は風間杜夫ら登場人物たちが歌うファンク・ロック曲、ロマンティックなピアノ歌曲、ハード・ロック、ソウル・ミュージック風のインストゥルメンタル曲に加え、アフロ・ビートをフィーチュアした楽曲、フュージョン前夜のような作品も提供。演奏はバイバイ・セッション・バンド。ここで1970年代後半の坂

        日本人初のアカデミー作曲賞を受賞することになる音楽家が素足にゴムサンダル、むさくるしい長髪で…坂本龍一が「アブ」と呼ばれていた飛躍前夜 | 文春オンライン
      • 空音央が語る父・坂本龍一 「完璧主義ではない素顔」と「ラストエンペラー秘話」 | “最後の演奏”をとらえた話題作『Opus』

        世界的な音楽家・坂本龍一(享年71)の“最後の演奏”を記録したドキュメンタリー作品『Ryuichi Sakamoto | Opus』が、第80回ベネチア国際映画祭で公式上映された。本作の監督で坂本の息子でもある空音央に、撮影秘話や巨匠の知られざる素顔を香港紙が聞いた。 「映画制作を提案したのは、僕ではなく坂本のアイデアでした」と、空音央(そら・ねお)は語る。 彼の監督作『Ryuichi Sakamoto | Opus』は偉大な日本人作曲家・坂本龍一の最後のパフォーマンスを捉えたドキュメンタリー作品だ。坂本は2023年3月に71歳で亡くなった。 『Ryuichi Sakamoto | Opus』の予告

          空音央が語る父・坂本龍一 「完璧主義ではない素顔」と「ラストエンペラー秘話」 | “最後の演奏”をとらえた話題作『Opus』
        • 坂本龍一「ステージ4」のガンとの闘病を語る(Book Bang) - Yahoo!ニュース

          音楽家の坂本龍一(70)が、直腸ガンおよび転移巣の手術を受けたことを発表したのは、昨年1月のことだった。2014年に患った中咽頭ガンはその時点で寛解していたが、2020年に新たにガンが発見されたのだという。もっとも当時のコメントには「すばらしい先生方との出会いもあり、無事手術を終えて現在は治療に励んでいます」とあり、さらに「治療を受けながら出来る範囲で仕事を続けていくつもりです」と仕事への前向きな姿勢を示していた。多くのファンは心配しつつも、安堵したことだろう。 しかし、実際の病状は、こうした前向きなコメントからは想像できないほど深刻なものだったようだ。診察した医師の口からは「余命半年」といった衝撃的な言葉まで飛び出していたのである。 文芸誌『新潮』7月号から坂本が開始した連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」には、この間の経緯や心境が本人から詳しく語られている。以下、引用しながら見てみ

            坂本龍一「ステージ4」のガンとの闘病を語る(Book Bang) - Yahoo!ニュース
          • https://twitter.com/yukihiro_info/status/1614539719588859906

              https://twitter.com/yukihiro_info/status/1614539719588859906
            • NHK MUSIC SPECIAL 坂本龍一 芸術は長く、人生は短し

              本放送 7月6日(木)午後10:00 ~ 午後10:45 坂本龍一の音楽の軌跡を辿る特番が放送決定 3月28日に惜しまれつつ亡くなった坂本龍一。 逝去からほぼ3か月たった現在もその功績を讃える声が後を絶たない。 そうした坂本龍一の音楽の軌跡を辿る特番の放送が決定。 革新的な作品を生み出し続け、世界を舞台に活躍してきたアーティストの創造世界を改めて体感していただきたい。 番組のナレーションは、坂本龍一とかねてから親交のあった役所広司が担当する。 ソロ、YMO、また映画音楽やプロデュースそして俳優など、様々なジャンルで活躍した坂本龍一。 「世界のサカモト」として日本のみならず世界にその音楽を届けてきた。そんな坂本龍一の創造の世界を、NHKのアーカイブスをはじめ、貴重な映像の数々で振り返る。各時代の様々なパフォーマンスと番組出演時の肉声などでその偉大な功績を紹介していく。 【出演】 坂本龍一 【

                NHK MUSIC SPECIAL 坂本龍一 芸術は長く、人生は短し
              • 坂本龍一はラップとどのように向き合ってきたか 荏開津広氏に聞く“音楽”とは異なる捉え方

                坂本龍一が、3月28日に逝去した。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)としての活躍はもちろん、ソロでも数々の名作を生み出してきた彼について、各メディアで様々な功績が語られている。映画『戦場のメリークリスマス』メインテーマ「Merry Christmas, Mr. Lawrence」に代表される名劇伴から、忌野清志郎との「い・け・な・いルージュマジック」といったポップスのプロデュースまで幅広い音楽を手がけてきた坂本。長きにわたる活動において、様々な気鋭アーティストとのコラボや新たな音楽ジャンルを取り入れてきた。その中で韓国のMC Sniperを迎えた「undercooled」などラッパー/ヒップホップアーティストとコラボした楽曲はメッセージ性が強いものが多いように思う。坂本はこれまで、ラップ/ヒップホップにどのように取り組んできたのか。ライター/DJの荏開津広氏に話を聞いた。 坂本は自

                  坂本龍一はラップとどのように向き合ってきたか 荏開津広氏に聞く“音楽”とは異なる捉え方
                • 2020年のYMO評 エキゾ、電子音楽、ポップスの視点から3人が紡ぐ | CINRA

                  YELLOW MAGIC ORCHESTRAというあまりに巨大すぎる存在について、1991年生まれの私は編集者として語るべき言葉をほとんど持っていないということを最初に告白したい。 1978年にデビューしたYMOは、社会が高度に成熟を果たした1980年代という時代と複雑で密接な関係にあるということーー音楽やアートの領域にとどまらず、ニューアカデミズムをはじめとする思想、セゾングループを中心とする広告文化、またはファッションや雑誌文化、メディア環境などといった広義の「文化」全般にまで浸透し、影響を与えてきたということを、私は1992年12月に刊行された『STUDIO VOICE』の「YMO環境以後」という特集で知った。同誌で定義するところの「YMO環境」というのは、ある種「現象」とも言えるようなYMOを取り巻く状況、あるいは文化的な土壌であるとざっくり理解している。 バブル崩壊後、YMOが最

                    2020年のYMO評 エキゾ、電子音楽、ポップスの視点から3人が紡ぐ | CINRA
                  • Yellow Magic Orchestra – “Rydeen“ (Official Music Video)

                    Official music video for “Rydeen” by Yellow Magic Orchestra ©1980 ALFA MUSIC “Rydeen” was first introduced in YMO's second album Solid State Survivor in 1979, and was released as a 7 inch single on June 21, 1980, coupled with "Cosmic Surfin'" in Japan. Stream the song here: https://smdr.lnk.to/YMO_Rydeen ▲ Subscribe to ALFA MUSIC on YouTube: https://www.youtube.com/AlfaMusic1969   ▲ Listen

                      Yellow Magic Orchestra – “Rydeen“ (Official Music Video)
                    • 坂本龍一 追悼連載vol.5:編曲家/演奏家としてのずば抜けた手腕。15の名曲&名演でたどる | CINRA

                      坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。第5回の書き手は、編・共著『カン大全~永遠の未来派』(2020年、ele-king books)をはじめとするさまざまな仕事で知られる音楽評論家の松山晋也。「編曲家/演奏家としての坂本龍一」に着目し、15の名曲&名演に加えて、矢野顕子『ごはんができたよ』(1980年)をとりあげてその卓越した手腕について執筆してもらった。 最初に告白しておくが、私は作曲家・坂本龍一の熱烈なファンだったことはない。よきリスナーでもなかったと思う。半世紀近くのキャリアで遺された膨大な数の作品のなかには、『千のナイフ』(1978年)や『B-2 UNIT』(1980年)をはじめ、愛聴したものは少なくないが、実際、心の底から感銘を受けたのは『async』(2017年)や『12』(2023年)など最晩年

                        坂本龍一 追悼連載vol.5:編曲家/演奏家としてのずば抜けた手腕。15の名曲&名演でたどる | CINRA
                      • 「坂本龍一は音の職人」ピーター・バラカンが明かす、本当の魅力 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

                        世界的音楽家の坂本龍一さん(1952〜2023年)が亡くなり、世界中から哀悼のコメントが寄せられている。 ブロードキャスターのピーター・バラカンさんは、かつてYMOのマネジメント事務所で働き、通訳や国際的な業務を担っていた。1982年には、大島渚監督の名画「戦場のメリークリスマス」に出演した坂本さんに同行し、自らもエキストラ出演するなど、ともに時間を過ごした。 出会いから40年以上──年齢も同じで、ともにテレビやラジオ出演する機会もあった。坂本さんの愛称である「教授」と、ピーターと呼び合う仲。周りから見れば、長年の友人だと思う人もいるだろう。だが、本人は「友達だとは僕の口からは言えませんよ」と語る。 二人は一体どんな関係性で、ピーターさんは坂本さんから何を託されたと感じているのか。過去の思い出を回想し、坂本さんが亡くなっていまの率直な思いを明かした。 坂本龍一との出会い

                          「坂本龍一は音の職人」ピーター・バラカンが明かす、本当の魅力 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
                        • 坂本龍一 追悼連載vol.1:そのラディカルな晩年性と『async』 | CINRA

                          3月28日に71歳で逝去した音楽家、坂本龍一。CINRAではその膨大な音楽作品に向き合うべく、「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)と題した連載を始動させる。第1回の書き手は『STUDIO VOICE』の元編集長・松村正人。『async』(2017年)をとりあげて「坂本龍一の晩年性」について寄稿してもらった。 昨年の暮れあたりだったか、ふとしたはずみで友人と大江健三郎の話になり、だれもが『万延元年のフットボール』(1967年)で事足れりとするけれども後期大江こそいまいちど読みなおすべきではないかとなり、たしかに私自身敬して遠ざけてきた感なきにしもあらずであったと反省し、1982年の『「雨の木(レインツリー)」を聴く女たち』あたりから読みなおし、そういえばデヴィッド・シルヴィアンらJapanの後身にRain Tree Crowなるバンドがあって、1991年の

                            坂本龍一 追悼連載vol.1:そのラディカルな晩年性と『async』 | CINRA
                          • 高橋幸宏 追悼――サディスティック・ミカ・バンド、YMO、METAFIVE……偉大なビートを音楽史に刻んだ無二の音楽家 | Mikiki

                            高橋幸宏が死去したと、本日1月15日に複数のメディアが報じている。70歳だった。その早すぎる死に、そしてこの世を去った音楽家の存在感の大きさに、言葉を失う。 高橋幸宏の死去は、1月14日に判明。亡くなった詳しい原因や実際の日時は伝えられていないが、静養を行っていた長野・軽井沢で年明けに肺炎を患っていたという。 高橋幸宏(以下、ユキヒロと書かせてもらう)は1952年生まれ、東京出身の音楽家だ。高校生だった頃からスタジオミュージシャンやサポートミュージシャンとしてドラムを叩いており、武蔵野美術大学に在学中、サディスティック・ミカ・バンドに誘われてメンバーになった。 ミカ・バンドは、デビューアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』(73年)、セカンドアルバム『黒船』(74年)、サードアルバム『HOT! MENU』(75年)などを残して解散。特にクリス・トーマスがプロデュースした『黒船』は日本の

                              高橋幸宏 追悼――サディスティック・ミカ・バンド、YMO、METAFIVE……偉大なビートを音楽史に刻んだ無二の音楽家 | Mikiki
                            • 『戦場のメリークリスマス』大島渚×デヴィッド・ボウイ×ビートたけし×坂本龍一 異色の戦争映画が実現するまでの軌跡 前編|CINEMORE(シネモア)

                              ※中編はこちらから ※後編はこちらから 『戦場のメリークリスマス』あらすじ 1942年戦時中のジャワ島、日本軍の俘虜収容所。そこには粗暴な軍曹ハラと日本語が流暢な英国軍中佐ロレンス、そして収容所長のヨノイ大尉がいた。そこへある日、英国軍少佐セリアズが連れてこられ、ヨノイはその反抗的な態度に悩まされながらも、彼に魅せられてゆく。 毎年クリスマスになると「Merry Christmas Mr.Lawrence」が聴こえてくる。言わずと知れた大島渚監督の代表作『戦場のメリークリスマス』のために坂本龍一が作曲したものだ。ジャワの日本軍捕虜収容所を舞台に、捕虜への虐待など、これまで日本の戦争映画が避けてきた〈敵〉の存在に目を背けることなく、深い友情でつながる姿を、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしという異色のキャスティングでドライに描いた本作。公開から38年以上を経た今も根強い人気をほこって

                                『戦場のメリークリスマス』大島渚×デヴィッド・ボウイ×ビートたけし×坂本龍一 異色の戦争映画が実現するまでの軌跡 前編|CINEMORE(シネモア)
                              • 高橋幸宏が見た、日本のロックが国境を越えた瞬間。小山田圭吾と語る〜前編〜 | ブルータス| BRUTUS.jp

                                黎明期、日本のロックは日本語という障壁によって閉ざされていた。だが黒船・ビートルズ以降、日本からも海外を目指すミュージシャンが現れたのである。その先駆者の1人、高橋幸宏と小山田圭吾、海外での演奏経験豊富な2人が語る、日本のロックが国境を越えた瞬間。後編はこちら。 初出:BRUTUS No.680『日本のロック♡愛』(2010年2月15日発売) photo: Yasuhide Kuge / text: Kyoko Sano(Do The Monkey) / thanks: kongtong@mishuku

                                  高橋幸宏が見た、日本のロックが国境を越えた瞬間。小山田圭吾と語る〜前編〜 | ブルータス| BRUTUS.jp
                                • 2011年に自死した中村とうようは執拗に坂本龍一を批判し続けたらしい - KJ's Books and Music

                                  坂本龍一の訃報に接して1か月以上が経ったが、未だに私の主たる関心事は音楽、音楽史及び音楽の受容史であり続けている。 弊ブログの読者には政治に関心がある方が多いと思うので、それに絡めて書くと、私は1980年代初めに当時の国鉄吉祥寺駅*1に付随した商業施設「ロンロン」の2階で立ち読みした現代音楽の作曲家・柴田南雄(1916-1996)の本に、世界中のあらゆる国の大衆音楽がことごとく西洋音楽の語法を用いた音楽になってきているとの指摘に目を開かされた。だから柴田を含む現代音楽の作曲家たちは自国を中心とした民族音楽を取り入れようとするのかと思った。 坂本龍一自身も柴田南雄に言及している。 mikiki.tokyo.jp 以下引用する。 ――坂本さんが高校1年生だった67年11月9日に、小澤征爾の指揮、鶴田錦史の琵琶、横山勝也の尺八、ニューヨーク・フィルハーモニックにより、武満氏の「ノヴェンバー・ステ

                                    2011年に自死した中村とうようは執拗に坂本龍一を批判し続けたらしい - KJ's Books and Music
                                  • 死んだ後の世界に責任を負う 坂本龍一さんの覚悟 佐々木敦氏に聞く:朝日新聞デジタル

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                                    • ギャグ漫画のはずが、まさかの大御所アーティストが反応しノンフィクション化されてしまう「Twitter最高」

                                      リンク ZDNet Japan YMOと時代を支えたシンセサイザーアーティスト松武秀樹--音楽業界のこれからを語る P2Pで波紋を広げたNapster問題から10年。違法性を指摘された当時と異なり収益をレコード会社とシェアする事で合法的に楽しめる時代になった。だが懸念はある。YMOと時代を支えたシンセサイザーアーティスト松武秀樹氏に、ビッグデータなどさまざまな切り口を交え、今後の音楽の行方を聞いた。 25 users 2

                                        ギャグ漫画のはずが、まさかの大御所アーティストが反応しノンフィクション化されてしまう「Twitter最高」
                                      • 桑田佳祐、高橋幸宏さんと家族ぐるみで交流 一緒に酒を飲んで歌った思い出披露「あの人の歌がすごく好き」

                                        サザンオールスターズの桑田佳祐(63)が21日のTOKYO FM「桑田佳祐のやさしい夜遊び」(土曜後11・0)に出演。11日に脳腫瘍の併発による誤嚥性肺炎で70歳で亡くなったイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のドラマー、高橋幸宏さんを追悼した。 桑田は「近所に住んでいたんです。家族ぐるみも含めまして、大変、あの方にお世話になりまして。奥さまもすてきなチャーミングな方で、仲良くさせていただきまして」と交流があったと告白。「幸宏さんは、皆さんもおっしゃられますけど、優しい方。うちの息子たちも幼いころから本当によくしていただきまして。かわいがっていただきまして」と明かした。 「私は本当に調子に乗るもんですから、幸宏さんのことを〝ゆったん〟と呼ばせていただきまして」と一緒に酒をよく飲んでいたという。故人はビールが好きで「酒を飲みながら酔っては、私の家でサイコロゲームをやって、楽しく過ごさせ

                                          桑田佳祐、高橋幸宏さんと家族ぐるみで交流 一緒に酒を飲んで歌った思い出披露「あの人の歌がすごく好き」
                                        • 『戦場のメリークリスマス』大島渚×デヴィッド・ボウイ×ビートたけし×坂本龍一 異色の戦争映画が実現するまでの軌跡 後編|CINEMORE(シネモア)

                                          ※前編はこちらから ※中編はこちらから 『戦場のメリークリスマス』あらすじ 1942年戦時中のジャワ島、日本軍の俘虜収容所。そこには粗暴な軍曹ハラと日本語が流暢な英国軍中佐ロレンス、そして収容所長のヨノイ大尉がいた。そこへある日、英国軍少佐セリアズが連れてこられ、ヨノイはその反抗的な態度に悩まされながらも、彼に魅せられてゆく。 Index ラロトンガ島開戦記 謎の失踪を遂げる照明技師 始まる撮影、見つからない照明技師 キャメラが捉えた一瞬の表情 「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス」 機材事故が生み出した名ショット ラロトンガからオークランドへ〜クランクアップ 『戦メリ』戦後秘話 映画と労働 『戦メリ』カンヌ狂想曲 ラロトンガ島開戦記 フランス領のポリネシアとアメリカ領のサモアの中間地点を南下したところに、ニュージーランドと自由連合を結ぶ15の島々――クック諸島がある。首都アバルアの

                                            『戦場のメリークリスマス』大島渚×デヴィッド・ボウイ×ビートたけし×坂本龍一 異色の戦争映画が実現するまでの軌跡 後編|CINEMORE(シネモア)
                                          • 宇多丸 高橋幸宏を追悼する

                                            宇多丸さんが2023年1月16日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で亡くなった高橋幸宏さんを追悼していました。 (宇内梨沙)宇内梨沙がピンチヒッターをやらせていただきます。 (宇多丸)まあうなぽんが来ればね、バカ話のひとつでもして盛り上げたいのは山々なんですが。今日はどうしても、このニュースをこの番組でもお伝えしたいということで。既にいろんなね報道番組とか、ネットとかでも出ておりますが。YMO、イエロー・マジック・オーケストラのドラマーとしても知られ、もちろん数々のバンド。そしてソロ活動でも活躍されました、ミュージシャンの高橋幸宏さんが今月11日に誤嚥性肺炎のため亡くなっていたことがわかったと報道されました。70歳という。若いんですよね。お若い。 ここのところね、脳腫瘍の手術で闘病とかをされてるってのもあったんですが。割とこの訃報に関しては、突然我々は聞いたという感じで、び

                                              宇多丸 高橋幸宏を追悼する
                                            • 【ライブレポート】YMOによる時と場所を越えたセッションも!音楽と笑いの一夜「イエローマジックショー3」(写真6枚)

                                              YMOによる時と場所を越えたセッションも!音楽と笑いの一夜「イエローマジックショー3」 2019年12月4日 19:00 2055 54 音楽ナタリー編集部 × 2055 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 228 895 932 シェア

                                                【ライブレポート】YMOによる時と場所を越えたセッションも!音楽と笑いの一夜「イエローマジックショー3」(写真6枚)
                                              • 坂本龍一と走り続けた40年──音楽業界の重鎮だけが見た天才の素顔

                                                「散開」ツアーの打ち上げで(83年、右から2人目が坂本、3人目が近藤) COURTESY OF MASANOBU KONDO <「教授」と苦楽を共にした近藤雅信が見た坂本の茶目っ気・シビアな一面・音楽性の核とは> イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が最初に所属したアルファレコードをはじめ、東芝EMI、ワーナーミュージック、ユニバーサルミュージックでプロデューサーや取締役などを歴任した近藤雅信。数十年にわたり坂本龍一の仕事を間近で見つめ続け、プライベートでの親交も深かった。近藤に「教授」との思い出を振り返ってもらった。 教授には後に妻となる人を紹介してもらったり、食事に行ったり、お世話になりました。最後のやりとりは、いま僕がマネジメントしているミュージシャン岡村靖幸の音楽がSNSではやっていると伝えたときで、すごく喜んでいた。さかのぼると、初対面は1978年にアルファで編成のアシスタ

                                                  坂本龍一と走り続けた40年──音楽業界の重鎮だけが見た天才の素顔
                                                • 明るみに出る - プール雨

                                                  東京五輪の開閉会式は呪われているように見えます。 bunshun.jp が、もちろん、「呪われている」わけではなく、JOC と電通による運営のまずさとパワハラによって辞任や交代が続いたというのが現実です。 そんな中、開会式の演出メンバーとコンセプトが発表になり、ぎょっとしました。 www.huffingtonpost.jp "United by Emotion" という語句が意味不明だということ以上に驚いたのが(これ自体もかなりびっくりしたのですが)、そこに「小山田圭吾」の名があったことです。 mainichi.jp 小山田圭吾はギタリストで、エレクトロニカや音響派といったジャンルのあわいにいるミュージシャンといえばいいでしょうか。その中で比較的大衆的なムードをたたえていた人です。マイナーの中のメジャーというか。 私はその辺りが好きなので、小山田圭吾はいつも「私の好きな作家のそばにいる人」

                                                    明るみに出る - プール雨
                                                  • 坂本龍一と中谷美紀が奏でた音楽。“知性あるアンドロイド”、その普遍性を探る(Toru Mitani)

                                                    『戦場のメリークリスマス』(1983)を今一度観直したい気持ちに駆られつつプレイバックしたのは、俳優・中谷美紀の楽曲たちだった。90年代の中谷美紀はデビューして間もないという“空白”も手伝って、シンガーとして登場した際、透明感と神々しさがほとばしっていた。当時中学生の僕は、そう記憶する。 1994年、中谷美紀のプロデュースを手がける少し前の坂本龍一。Photo : Stephane Cardinale/Sygma via Getty Images Stephane Cardinale - Corbis 生活感がなく、どんな少女時代を歩んできたのかがわからないミステリアスさ。その圧倒的な美しさは異様でもあった。しかもデビュー曲「MIND CIRCUS」(1996)は世界の坂本龍一が手がけるというニュース。君の誇りにを汚すものから君を守りたい、とうサビからのスタート、その透き通ったピュアな声に

                                                      坂本龍一と中谷美紀が奏でた音楽。“知性あるアンドロイド”、その普遍性を探る(Toru Mitani)
                                                    • 「すごい…」死去2日前、坂本龍一さんは慟哭した 最晩年の自伝刊行:朝日新聞デジタル

                                                      ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                        「すごい…」死去2日前、坂本龍一さんは慟哭した 最晩年の自伝刊行:朝日新聞デジタル
                                                      • 米紙が「テクノ・ミュージックのパイオニア」高橋幸宏の死を偲ぶ | 「もっと良い時代はこれからだと信じ続けるヒップスターだった」

                                                        高橋幸宏の訃報に、日本だけでなく世界も衝撃を受け、悲しみに暮れた。米「ニューヨーク・タイムズ」紙が「日本で最も成功したバンドのひとつであり、ヒップホップ、テクノ、ニューウェーブに大きな影響を与えた」イエロー・マジック・オーケストラのメンバーの死を報じた。 日本のドラマーでボーカリストの高橋幸宏が、2023年1月11日、長野県軽井沢町で亡くなった。70歳だった。 テクノ・ミュージックを好んで採用した高橋は、その多様な音楽表現で日本のポップシーンに50年近く君臨した大物ミュージシャンであり、日本で最も成功した音楽バンドのひとつ、「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーとして世界に名を馳せた。 高橋の所属事務所は声明を出し、彼が脳腫瘍によって併発した誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)で死去したと発表した。

                                                          米紙が「テクノ・ミュージックのパイオニア」高橋幸宏の死を偲ぶ | 「もっと良い時代はこれからだと信じ続けるヒップスターだった」
                                                        • 「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ | 文春オンライン

                                                          ◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自分のバンドも始めた。メンバーは後にバズを結成する東郷昌和ら。荒井由実もメンバーに加わることがあった。のちのユーミンである。当時、高橋幸宏は15、16歳、ユーミンは14歳。当時の高橋幸宏の実家は200坪を超える大きな日本家屋で、そこには多くの人が集まった。 立教高校

                                                            「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ | 文春オンライン
                                                          • 音楽、人生、坂本龍一 | ele-king

                                                            MOST READ interview with Sleaford Mods 賢くて笑える、つまり最悪だけど最高 | スリーフォード・モッズ、インタヴュー (interviews)Columns 創造の生命体 〜 KPTMとBZDとアートのはなし ①アーティストと薬 (columns)R.I.P. Mark Stewart 追悼:マーク・スチュワート (news)Cornelius ──2023年、私たちはあらためてコーネリアスと出会い直す。6年ぶりのニュー・アルバムとともに (news)interview with Kid Koala カナダのベテラン・スクラッチDJ、久びさにターンテーブルが主役のアルバム | キッド・コアラ、インタヴュー (interviews)OZmotic & Fennesz - Senzatempo | オズモティック (review)Gina Birch -

                                                              音楽、人生、坂本龍一 | ele-king
                                                            • 細野晴臣、クラフトワークを語る YMOに与えた影響は:朝日新聞デジタル

                                                              ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                細野晴臣、クラフトワークを語る YMOに与えた影響は:朝日新聞デジタル
                                                              • CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN、「都内の路上にて曲を作る」動画が話題に バンド結成から無二の音楽性まですべてを語る

                                                                CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN、「都内の路上にて曲を作る」動画が話題に バンド結成から無二の音楽性まですべてを語る とても素敵な若き3人組を紹介したい。彼らの名は、CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN。読み方は、「チョコパコチョコキンキン」。「覚えづらそうな名前だ」と思われるかもしれないが、何回か口に出してみれば思いのほか覚えやすいので、ぜひ、口に出して、この名を呼んでみてほしい。 小学生時代からの幼馴染がコロナ禍で再び集まり、夜な夜な遊び始めたことが始まりであるという彼らの音楽や映像には、とても切なくて幸福な空気感が濃密に漂っている。遠い異国に思いを馳せることと、自分の記憶を掘り起こしながら何かを思い出そうとすることが、「今」という刹那の中で重なっている。そのリズムやメロディは甘く快楽的といえるが、そこには、コロナによって様々な楽しみが奪

                                                                  CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN、「都内の路上にて曲を作る」動画が話題に バンド結成から無二の音楽性まですべてを語る
                                                                • 『坂本龍一ヒストリー後編 ~ YMOから世界のサカモトへ 〜 反戦平和主義者の隠された素顔』

                                                                  Kou音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。 ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。 ~ 幕末からのルーツ 誕生からミュージシャンの道へ その軌跡 〜 から続く YMO この時期細野晴臣は、YMOを構想していた。メンバーとして、旧知の林立夫や佐藤博に声をかけた。だがふたりとも別の仕事を始めたばかりで断られてしまう。そこで龍一と高橋幸宏を誘うことにした。龍一に注目したきっかけは大貫妙子の作品で、編曲家としての才能だった。 78年の2月のこと、龍一と高橋は細野の家に呼ばれる。炬燵の上にはミカンとおむすびが出された。細野はおもむろに「一緒にバンドをやらないか」と話しはじめた。龍一は答えた。「個人の仕事を優先しますけど、まぁ時間のあるときはやりますよ」。前述のとおり、細野をとても尊敬していたし、声をかけられたこともうれしかった。しかし不遜で突っぱって

                                                                    『坂本龍一ヒストリー後編 ~ YMOから世界のサカモトへ 〜 反戦平和主義者の隠された素顔』
                                                                  • 細野晴臣「高橋幸宏、坂本龍一への追悼は一生続く」、いまだ気持ちの整理つかず、レギュラーラジオで心境 - スポーツ報知

                                                                    テクノグループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」の細野晴臣が16日深夜、レギュラーを務めるinterfm「Daisy Holiday!」に出演し、3月28日に亡くなったYMOの盟友・坂本龍一さん(享年71)を追悼した。 坂本さんの訃報について肉声で語るのは初めて。細野は冒頭、「番組前ですけど、少しお知らせします」とあいさつ。「今年は1、2、3月と同胞の悲しい知らせが続いて、いまだに気持ちの整理ができていないままなんですけど、それでも、明るい未来に進んでいくほかありませんね…。同時に(1月にごえん性肺炎のため亡くなった)高橋幸宏、坂本龍一への追悼は一生続くんだと思います」と語った。 なお、この日のオンエアの収録日は、坂本さんの亡くなった3月28日だった。

                                                                      細野晴臣「高橋幸宏、坂本龍一への追悼は一生続く」、いまだ気持ちの整理つかず、レギュラーラジオで心境 - スポーツ報知
                                                                    • 第6回 「イエロー・マジック」との闘い(その1)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

                                                                      比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第6回の公開です! 1 「伝説のこたつ集会」 「かくいう私もイエロウ・マジックを身につけるべく、日夜戦いつづけているのだ」。細野晴臣が坂本龍一の『千のナイフ』のライナーノートにこう書きつけた時、イエロー・マジック・オーケストラのファースト・アルバムのレコーディングはすでに開始されていた。前にも触れたように、1978年4月にリリースされた「トロピカル三部作」の三作目、細野晴臣&イエロー・マジック・バンド名義の細野のソロ・アルバム『はらいそ』に収録されている「ファム・ファタール~妖婦/FEMME FATALE」の演奏は細野と坂本龍一、高橋幸宏の三人で行われており(このアルバムで三人の演奏はこの曲のみ)、この録音の際に細

                                                                        第6回 「イエロー・マジック」との闘い(その1)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
                                                                      • 【R.I.P.】現代に通じる新たなドラマー像を確立した世界的なアーティスト、高橋幸宏急逝 | ドラマガWeb

                                                                        Photo:Taichi Nishimaki Text:Satoshi Kishida/Rhythm & Drums Magazine サディスティック・ミカ・バンド、Yellow Magic Orchestraのメンバーで、世界にその名を轟かせた日本を代表するドラマー、高橋幸宏氏が誤嚥性肺炎のため1月11日に死去していたことが発表された。 幸宏氏は1952年6月6日、東京都出身。成毛 滋らとザ・フィンガーズというバンドを組んでいた兄・高橋信之の影響で音楽に目覚め、12歳でドラムを始める。好きなドラマーはメル・テイラー(ザ・ベンチャーズ)、リンゴ・スター(ザ・ビートルズ)、アル・ジャクソン(ブッカーT&ザMG’s)バーナード・パーディ、スティーヴ・ガッド、カーマイン・アピスなど。 立教高校時代からスタジオ・ミュージシャンとして活動開始。69年、フォーク・グループ、ガロのバック・バンドに加入

                                                                        • 《特別公開》「本当にバカバカしいと思います」坂本龍一が「AIで作られるもの」にまるで興味を抱かなかった理由 | 文春オンライン

                                                                          AIが世界を支配するのか 福岡 今盛んに言われている、シンギュラリティが起こってAIが世界を支配するというような言説も、そういうロゴス的思考からきているのだと思います。 AIは急に現れたわけではなくて、単にコンピューターの計算能力が上がったというだけのことにすぎません。大量のデータを瞬時に扱えて、かつ確率的にどれが最適かをものすごい速度で計算できるようになったという話ですから、将棋や囲碁でAIが人間に勝てるというのは、当然だろうと思います。 私は、AIを使ってタクシーが自動運転化できたり、買いたいものがすぐに届いたりという便利さを追求することについて、異を唱えるわけではありません。しかし、人間の脳の思考パターンをそのままアルゴリズムに置き換えられると考えるのは、非常にナイーブだという感じがしますね。 坂本 ナイーブだというのは、本当にその通りだと思います。 AIは正解は一つしかないと判断し

                                                                            《特別公開》「本当にバカバカしいと思います」坂本龍一が「AIで作られるもの」にまるで興味を抱かなかった理由 | 文春オンライン
                                                                          • あなたが好きなYMOの名曲はどれ? 【人気投票実施中】 | 音楽 ねとらぼ調査隊

                                                                            細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんという、3人のトップミュージシャンによって結成された“YMO”こと「イエロー・マジック・オーケストラ」。1978年に結成されて以降、「テクノ」と呼ばれる電子楽器を使った斬新で未来的な楽曲を続々と発表し多くのファンから絶大な支持を得たほか、日本はもちろん世界各国で数々のミュージシャンにも影響を与えました。 そこで、ねとらぼ調査隊では「あなたが好きなYMOの名曲は?」というアンケートを実施します。当時レコードを買っていた人も、後から聞いて好きになった人も、ぜひ投票にご参加ください! それではまず、YMOの楽曲の中から、代表的な3曲をピックアップして解説付きで紹介します。

                                                                              あなたが好きなYMOの名曲はどれ? 【人気投票実施中】 | 音楽 ねとらぼ調査隊
                                                                            • 高橋幸宏は東京のカルチャーの象徴だった YMO、METAFIVE……自由奔放にポップミュージックを体現した音楽人生

                                                                              高橋幸宏は東京のカルチャーの象徴だった YMO、METAFIVE……自由奔放にポップミュージックを体現した音楽人生 高橋幸宏さんが亡くなった。 2020年の夏に脳腫瘍の摘出手術を受けたことが公表された後、少しずつ回復に向かっていることを信じていただけに、ファンの方は大きな悲しみ、喪失感に包まれていると思う。筆者もその一人だ。 個人的な書き方で申し訳ないが、80年代が青春だった人間にとって、高橋幸宏は特別な存在だった。 本格的なキャリアのスタートはサディスティック・ミカ・バンドだが、筆者が最初に“ユキヒロ”を知ったのは、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーとしてだった。代表曲「ライディーン」の作曲者であることはもちろん、ドラムを演奏しているスタイリッシュな佇まい、そして、研ぎ澄まされたビートに魅了された。正確無比であり、手数を抑えたドラミングから生まれる端正なグルーヴは本当に

                                                                                高橋幸宏は東京のカルチャーの象徴だった YMO、METAFIVE……自由奔放にポップミュージックを体現した音楽人生
                                                                              • NHK「細野晴臣イエローマジックショー」再放送。7日深夜

                                                                                  NHK「細野晴臣イエローマジックショー」再放送。7日深夜
                                                                                • 細野晴臣を褒めたりない。

                                                                                  音楽家の細野晴臣さんは、 ’80年代の音楽のおおもとをつくってきました。 それなのに、なぜか、いつもスポットライトから 外れたところへ行ってしまうのです。 糸井重里は気づきました。 「細野さんを、俺たちは褒めたりていない!」 そこで、こうしちゃおれないと しりあがり寿さん主催のイベント 「さるハゲロックフェスティバル’23」のステージに 細野さんをお招きし、3人で’80年代を振り返りました。 しりあがり いつも新年に開催している「さるフェス」のテーマを 「うろおぼえ80年代」に決めたときに、 ぜひ糸井さんに来てほしいと思ったんです。 僕にとって「’80年代をつくった」人は、 自分が広告を見て憧れた糸井さんだったから。 そして、その糸井さんが、 「ぜひともこの人に話を聞きたい」とお招きしたのが 細野さんだったんです。 細野 それで呼んだのね。 しりあがり 糸井さん、ぜひ、そこらへんのお話から

                                                                                    細野晴臣を褒めたりない。