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本書は「先送りゼロ」という目的を実現するためのしくみを解説した本である。 このしくみはタスクシュートというツールを核にしているがタスクシュートは容れ物に過ぎず、その中身は自分の実際の時間の使い方に応じて一人ひとり違ったものになっていく。 それゆえ、「タスクシュートとは何か?」という問いに対する答えは 記録を通して自分にとってしっくりくる時間の使い方を見つけ出すためのツールであり、その見つけ出した時間の使い方を通して豊かさを味わう営みでもある ということになる。 あるいは、 時間を投資する活動であると同時に、そこから得られるリターンを楽しむ活動でもある とも言える。 そのためには、理想ではなく現実に目を向ける、プランではなくログに注目する。 自分が何にどれだけの時間を使っているのかを記録を通して再確認するところから始める。 この再確認に基づいて立てた現実ベースのプランは必然的に実現可能性が高
ひとり事業で重要なのは、その人がどんな価値を提供できるかです。ここでは価値を「バリュー」と表現していますが、ひとり事業を続ける上で、大橋さんが自分のバリューをどう見つけたかを紐解きます。 そのヒントは、日記や日誌、人との違いにありました。日常の出来事に対する解像度や気づき力を高めながら、バリューを見つけるヒントをお届けします。 ▼音声はこちらから もくじ 自分の強みを誰もが見つけたがっている 大橋さんが自分のバリューを見つけたきっかけ 精算を溜める社員と即やる自分を対比した 分刻みのスケジュールを効率化しようとログを取り始めた 記憶は勘違いもあるけど、記録は事実だけが残る 日記と日誌の使い分けがカギに 自分のスキルを体系化する機会を得た 大橋さんが独立したきっかけ 得意なことを言語化し、手を挙げる 出版をしたい。すぐに行動してみたら…… 迷わずチャンスをつかみ取るタイミング 記録を取って振
2023年7月29日(土) 自転車で下井草にあるPCショップに赴き、展示されているPCでタスクシュート・ジャーナルの記事書いていた。 別の日に同じ店を訪れたら、同じ記事がそのまま表示されており、消し忘れていたことに気づい […] The post 29年3ヶ月6日ぶりの再会 first appeared on シゴタノ!.
2023年8月9日(水) 以下のポストを読んで、ふと1985年の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のあるシーンを思い出した。 人生は「運」の要素が強すぎるので、必ず『時間のポートフォリオ』を組むようにしてる。 80%の時間を「他人に説明して納得してもらえる活動」に使い、20%の時間を「他人には納得してもらえないけど自分は可能性を感じる活動」に使う。 結果だけ見れば「説明不能な20%の活動」にいつも助けられてる。 — 佐藤航陽(さとうかつあき) (@ka2aki86) August 9, 2023 人生は「運」の要素が強すぎるので、必ず『時間のポートフォリオ』を組むようにしてる。 80%の時間を「他人に説明して納得してもらえる活動」に使い、20%の時間を「他人には納得してもらえないけど自分は可能性を感じる活動」に使う。 結果だけ見れば「説明不能な20%の活動」にいつも助けられてる。 主人
プログラムのコードを書くことと、これを実行することは同時には行えないので、おのずとシングルタスクになる。 1.コードを書く 2.実行して動作を確認する 同様に、仕事についても、 1.手順を考えて書き出す 2.手順に沿って手を動かす という2つに分ける。 これを徹底すると、手順のストックが増え、考えなくてもできる仕事が増える。 より多くの時間を新しい手順を考えることに使えるようになる。 手順を手直しする ところで、この2つを入れ替えてみるとどうなるか。 1.手順を考えて書き出す 2.手順に沿って手を動かす ↓ 1.とりあえず手を動かしてみる 2.どのように動かしたのかの書き留める 何もないところでいきなり手順を書く代わりに、とりあえず手を動かしてみる。 手を動かしてみれば、何らかの結果が得られる。 その結果が得られるまでにどのように手を動かしたのかを忘れないうちに手順として書き留めておく。
チェックリストには、 仕事を進めるための道しるべ 現在地を知るためのGPS 同じ失敗を繰り返さないようにするためのガイド という3つの側面があると思う。 仕事を進めるための道しるべ その日に取り組む予定の仕事のリスト(一日のチェックリスト)があれば、このリストに沿って順番に取り組んでいけば迷わずに進めることができる。 このリストがないと、たやすく“遭難”してしまう。 現在地を知るためのGPS リストに沿って仕事を進めつつ、仕事が一つ終わるたびにチェックを入れたり取り消し線を引いたりしておけば、 リスト上でどこまで終わったかが分かる 残りの仕事がどれくらいあるかが分かる カーナビのように、現在地と目的地までの残りの距離を常に把握できる。 例えば、以下はまさに現在進行中のリストだが、「今日のシゴタノ!執筆」というタスクを実行中であること(=現在地)を示している(TaskChute Cloudの
スマートプラグやスマートLED電球をすべてMeross製で統一しており、Homekitで制御できるようにしている。 アクセサリ(機器)の接続はMerossアプリで行い、完了すると自動的にHomekitにも追加される。 上記は正常に稼動している画面だが、ときどき接続したアクセサリのいくつかが「応答なし」と表示され制御不能になってしまうことがあった。 こうなるとMeross側で再接続設定をやり直すことになり極めて煩わしいので、試行錯誤の末に辿りついた対策をご紹介。 原因はメッシュWi-Fi(Google Nest Wifi)を使っていること。 メッシュWi-FiはSSIDが1つで済む代わりに5GHz帯と2.4GHz帯のどちらに接続するかは機器が自動選択してくれる。 Merossアプリでアクセサリを接続設定する際は、操作するデバイス(たとえば、iPhone)が2.4GHz帯の接続している必要があ
先送りにはいつだってアンビバレントな気持ちが渦巻くものです。 やりたい、けれども先送る。 そういうものではないでしょうか? 先送りには両価的な気分がつきまとうわけです。 これは「大事なこと」だから、もっと体調がよくて時間も充分に取れるときにやろう。 ということもあるでしょう。おおいにやりたいからこそ、今はやりたくないというわけです。 これに対応して、もっと体調がよくて時間が充分に取れる「理想的な私」と、今は体調も悪くて時間に追われている「ダメな私」という二極化もあります。 まとめると次のようになります。 このタスクは理想的な私によって最高の成果になるか、 さもなければダメな私によって最悪の結末に終わってしまう。 いますぐ仕事を進められるのは「ただの私」だけ このような愛憎、または好悪のシッポをつかまえなくてはなりません。 「理想的な私」も「ダメな私」も、最高の成果も最悪の結末も、この時点で
今回は076と077を。引き続き「学び」についての二冊です。 『私たちはどう学んでいるのか: 創発から見る認知の変化』(2022) 『Learn Better ― 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ』(2018) 『私たちはどう学んでいるのか: 創発から見る認知の変化』 本書も古い(間違った)学習観を改めることが目指されています。キーワードは、認知的変化・無意識的なメカニズム・創発の三つです。 たとえば認知的変化は、「学習」という言葉に相当するものですが、古い学習観を想起してしまうということであえて避けられています。ここで言う古い学習観とは、 「先生がいて、誰かが考えた正解を教えられ、それを学ぶ」 という図式のことです。たしかに学習や勉強という言葉を聞くと、このようなイメージが湧きます。しかし、私たちが母国語を使えるようになる過程などは(ようするに発達は)、上記とはかなり違った
最近、なにかについて不安になったことはありますか? 私は最近になって、タスク管理に関する課題を検討するにあたり、認知心理学でも行動科学でも脳(認知神経科学)でもなく、もっぱら精神分析を援用しています。 そういう活動についてもどかしく思われたり、もっといえばイライラする人もあるでしょう。 個人的な話をすると私はずっと封印してきた箱を今になってひっくり返してどんどん引っ張り出しているのです。だから急に困ったことを始められたと思う人がいても不思議ではないのです。 引っ越し以来、ずっと奥の方にしまっておいたパンダマークの段ボール箱を野放図に開封しているようなものです。 でも精神分析のほうが、「仕事術」を説明するツールとして、はるかに私には腹落ちする内容が含まれているわけです。たしかにリスクは意識します。しかし人間は永遠に生きられるわけではありません。なんらかの保身のための安全運転を一生続けていられ
自分に自信を持つ大切さや、自己肯定感を高める考え方といったものに人気が集まります。 裏を返せば自分に不安を感じたくないのでしょう。 それはそうです。 人間社会で生きていく以上、批判は受けますし、人格を否定されることだってあります。なかには根も葉もない思い込みに基づくものもあり、ひどい場合には完全な誤解にすぎないケースもあります。それでも私たちは大いに傷つくわけです。 私などは、どこを見るとそう見えるのか、ときどき「強烈な自信の持ち主」だと美しく誤解されているようです。実体はいわゆる自己肯定感などまったく無に等しいチキンにすぎない人間なのですが。 とはいえ自分が「ダメ人間だ」と思っていては仕事が手につきませんし、必死になって仕事を進めても、それにダメ出しされては「自殺したくなる」ようでは、実用的には不便でしかたがありません。「自己肯定感」を高めたくなるのはもっともなのです。 私は1つですが確
この最初のコマが「イリュージョン」です。 イリュージョンというのはもちろん存在はしません。存在はしませんが現実にそっくりなのです。「似て異なる」とはまさにうってつけの表現です。 いかにして私たちは「仕事をする気を失う」のか これはマンガです。だから夫である「ミサワさん」の「幻影」も「実体」も同じ絵です。が、私たちの世界ではこういうイリュージョンを「ほんとうに見たような気になってしまう」のです。 イリュージョンは、じつによくできています。これからこのタスクをすると疲れるだろうと、ほんとうに信じてしまいます。でもそれは未来に起こるであろうことの予測です。だから現実とどれほど似ていても「似て異なる」のです。 予測というとよく「でもそうなる確率は極めて高いのです」と注意されます。ここで問題にしているのは「現実」なのか「非現実」なのかであって「確率」の話ではありません。どんなに蓋然性が高く感じられて
起床から、たとえば通勤まで、あるいは通学までの時間を徹底的に使い尽くすときがタスクシュートの真骨頂です。 しばらくは、たとえばこの時間帯に限って使ってみるとタスクシュートというものがわかるでしょう。 5時半に起きて、朝食準備して、身仕度し、最寄りの駅まで娘を送ります。帰宅してみると7時が過ぎています。これが私の平日のルーチンです。 ほとんどの人は身に覚えがあると思います。この時間帯こそ「一分あたりの時間の価値」が最大化しやすいでしょう。 私の娘もそうです。平日の朝8時には学校に着いていなければなりません。 しかし早朝は、一分でも長く寝ていたいものです。娘に限らず私だってそうです。冬の寒くて暗い朝となると、三十秒でいいからよけいに布団に潜っていたいのです。 しかし起床から家を出るまでに少なくとも食事の支度はしなければならないし、食事もさせなければなりません。食事以外にやることもあります。 遅
毎日、どんな時間帯であっても「記録」を残していくタスクシュートを使っているとつくづく思い知る事実があります。 「時間は決してなくならない」のです。 すべてのタスクが終わった後に布団に入る直前になれば、ちゃんと「寝る時間」はあります。 起きてみると「夜寝るまでに起きて行動するための時間」もあります。 「時間がない」というのはあくまでも「締め切りまでの時間が足りない」とか「待ち合わせ場所に着くと約束の時間が過ぎてしまう」とか「今日やることをやり切る前に睡魔に襲われる」といった意味のはずです。 そうかもしれないが、そうだとしても何の意味があるのか? 「時間は決してなくならない」という当たり前の事実に気づけば、少なくとも一つはいいことがあります。 「時間がない」だけの理由からできないことは、ほとんどなくなります。 なぜなら「時間はなくならないから」です。 私は夕食後の夜寝る前、7分だけ「ファイナン
著者のズンク・アーレンスは、社会学者ニクラス・ルーマンが用いていたと言われる手法をベースに、私たちの「ノート」の取り方を提案します。 とは言え、そこで言及される「ノート」は、イメージされる「ノート帳」とはかなり異なっています。むしろ「カード」と呼んだ方が近しいでしょう。実際、ルーマンも綴じられたノート帳ではなく、紙片を使っていました。情報を断片的に保存していく方法です。 そこでまっさきに思い出されるのは、『知的生産の技術』で紹介されていたカード法です。カード一枚に一つのことを書きつけ、そのカードを分類せずに並べていく、という梅棹の方法です。 ルーマンと梅棹のこの二つの方法は、細かい部分に差異はあるものの、全体としてみればほとんど同じであると言って差し支えありません。その共通性自体が一つの思考対象として興味深いものですが、それはさておくとしても、私たちが情報を(というよりも着想を)扱う上で、
ところが、つき合いをよくしようとするために少しずつ無理が生じてくる。一緒に飲んで 喋っているうちに、その場に居合わせぬ人の悪口を言い出すと、つい無理をして、言わずもがなのことまで言ってしまう。 ところが帰宅してみると、悪口を言いすぎたと思って電話で訂正してみたり、それとなく悪口を言った当人の御機嫌を伺ったりしなくてはならない。なかなか人間はあちらにもこちらにもつき合いよくは出来ないものである。 『働きざかりの心理学』 いわゆるよくある話です。決してそう「目からうろこが落ちた」というほどではないでしょう。 ただ、こうしたことが起きてしまうのはどうしてでしょうか? やはり「ムリ」が生じているからです。 当初私たちは「一貫した方針」を打ち立てたがります。 たとえば「つき合いをよくしようとする」のです。 これだけならそう「ムリ」はなそうですが、そういうわけではないのです。 付き合いをよくしようとい
最初にお断りしておくと、今回紹介する二冊は入手しにくい状態になっています。おそらく中古か図書館で借りるしかないでしょう。そういう本を紹介するのは心苦しいのですが、それでも大きな転換点となった二冊ですので──再販されることを期待しつつ──紹介したいと思います。 ちなみに、2020年頃にビジネス書で「革命だ!」などと謳われているデジタルツールの使い方は、この本が書かれた時代からすでに提唱されていました。言い換えれば、ようやく時代が(というよりも、ツールの普及が)追いついてきた、ということです。 その本書の内容ですが、大きく三つのパートに分かれています。入手が難しいので目次も合わせて紹介しておきましょう。 目次 まえがき パート1 自分を客観的に見つめ直す 第1章 自らの脳を探る旅 第2章 どうしようもなく間違った現代社会の仕組みと向き合う 第3章 自らの制約と向き合う 第4章 目的を明確にする
「マインドマップ」というノート術を紹介する本です。タイトルの通り初心者向けの本ですが、内容は十分です。 ノートと聞いて講義ノートをイメージする人には、マインドマップの書き方はあまりにも「ノート」からかけ離れているように思えますが、これも立派なノートの書き方です。はじめから整理されていることをまとめるというよりは、自分の頭の中にあるものを芋づる式に書き出していく用途として抜群の効果を発揮してくれます。 「マインドマップ」という手法には正式なやり方が決まっているのですが、それに100%従わなくても「まず中心にテーマを書き、そこから放射状に書き広げていく」というやり方はたしかに効果があります。イラストやカラーペンを使わなくても、普段とは違うノートの書き方をしてみるだけで、脳の動き方が変わってくるのがわかるでしょう。 このように一口にノートといっても、その内実はなかなか奥深いものになっています。
タスクシュート・ユーザーからの定番のお悩みのひとつに リピートタスクは進められるようになったが、新しい、もしくは非常に大事なプロジェクトのタスクなどが進められない といった私にはなんとも当惑させられるクエスションがあります。 「毎日の定型の仕事」のようなものなら進められるけれど、そればかりやっていて人生が終わるのは納得がいかない、といった想いもあるようです。 ある行動を「リピート」とみるのはとらえ方です。 繰り返しといっても、以前とまったく同じことをするというわけではありません。 「朝食」はどの日も同じように思えますが、食べる量は微妙に違うし味も違います。そもそも食している私の身体状態が変化しているのです。 これは「娘を朝、送り出す」というタスクシュートでいう「カベ」に向かって起床からリピートタスクを次々に実行した朝の記録です。 当然どれも「リピートタスク」ではあります。しかし自分が起きる
何が実験的かというと、内容に難易度の区別をハッキリさせてないところです。易しい話も難しい話も、「必要な内容」をぜんぶ盛り込んだつもりです。 「GTD」も「タスクシュート」も「マニャーナの法則」も扱いました。 しかし「大全」ではありません。タスク管理を網羅してはいないという意味です。 できる限り「GTDという言葉を初めて聞く」という人でもあっさり読み通せるように、しかも「洗い出し」や「記録」でつまずくポイントは拾い尽くせるように心がけました。 たとえばなぜ時間をかけて気になることを洗い出さなければならないか、あるいはなぜ「ゲッティング・シングス・ダン」と呼ぶのかまで検討しているところは「マニアック」に見えますが、何かと言えば「図解」が出てくるところは「入門的」だと思います。 いちいち「食事」まで「タスク」リストにあげ、その「ログを読む」のが何の役に立つのか、というありがちなポイントもピックア
清水幾太郎さんは知的生産の技術書031で紹介した『本はどう読むか』の著者でもあります。読むことと、書くことがこの二冊でワンセットになるわけですね。 さて、本書は1959年に初版が出版されているので、すご〜く古い話が書かれているように思われますが、その実、現代でもたいへん役立つ内容が含まれています。目次を見れば一目瞭然です。 1 短文から始めよう 2 誰かの真似をしよう 3 「が」を警戒しよう 4 日本語を外国語として取り扱おう 5 「あるがままに」書くことはやめよう 6 裸一貫で攻めて行こう 7 経験と抽象との間を往復しよう 8 新しい時代に文章を生かそう もうこのままで、現代版の「文章の書き方」の目次として使えそうです。なぜそんなことが可能なのかと言えば、二つ可能性があります。一つは、「文章技術」といったものは5、60年ではそう変わらない基礎的なものである可能性。もう一つは、この50年間
私のカレンダーの色分けにはルールがあります。 「予定」または「予約」を「赤」「黄色」「青」で分けているのです。 開始時刻と終了時刻が決まっている「約束」は赤 終了時刻だけ決まっている多くは義務的な「仕事」は黄色 開始と終了が漠然としているものの「だいたいこの辺りの時間に」というあいまいな「約束ごと」は青 こうしているのはもちろん、赤が重要で、比較すれば青はそれほどの約束とは言えないからです。 色分けを実現するために機能としての「カレンダー」を分けています。 私が使用しているのはTickTickというタスク管理ツールのカレンダビューです。同じことはグーグルカレンダーでも実現可能です。 たとえば表示色を赤色に設定した「約束のカレンダー」だけを表示するとこうなります。 このカレンダーをみれば一目で、私が「開始時刻から意識しなければいけない約束」が把握できます。 どうしようもなく忙しいときには、こ
ここ2時間の間に私がやったことです。 それこそ呆れるほど何もしていません。 せいぜい庭に水をまき、ヒゲを剃って風呂に入り、シゴタノ!を書いたくらいです。 しかし私の経験では、2時間半で私にできるのはこれで精一杯です。 これならほぼ満点です。 どうしてこの程度のことすら、できなくなるのか? 結局、不安になるせいなのです。 そんな不安がなぜ消せない? 人が不安になる原因は、他人にはまずわかってもらえません。 その理由は、自分でもバカげていると思うレベルの話だからです。 せっかくですから上のリストで考えてみましょう。 「シゴタノ!」の最中に「妻が用事を言いつけてきたらどうしよう?」と不安がよぎると、書けなくなるものです。実際、庭に水をまかねばならなかったのです。 他にも、知り合いが私の記事を読んで、よくわからない言いがかりや批判をつぶやいていたら嫌だな、とわずかでも思うと、気が重くなります。 「
今回は35を。読書術であり、思考法解説書でもある一冊です。 『思考のための文章読本』(2016) 『思考のための文章読本』(花村太郎) 本書は、『知的トレーニングの技術』の応用編に位置づけられます(この本はまた別の回で紹介予定です)が、本書単体でも問題なく読めますし、十分に面白い本です。 タイトルに「文章読本」とあるので、もちろん文章の読み方が語られているのですが、しかし文章を通して「考え方」を学ぶ一冊でもあります。 まずこの点を確認しておきましょう。前回(034)でも触れましたが、読書は単に情報を受けとる行為と、その著者の思考に触れる行為に分けられます。圧倒的な速読が可能なのは前者の読書であり、現代で好まれているのもそのタイプの読書かもしれません。しかし、もう一方の読書も価値ある行為です。 なにせ「考える」という知的行為は、すべて頭の中で行われており、本来は可視化できないものなのです。だ
今回は30と31を。「読書」についての続きです。新書から二冊をピックアップ。 『読書論』(1964) 『本はどう読むか』(1972) 『読書論』(小泉信三) 初版が1950年なので、かなり古い本です。一方で、現代でも十分通用する「読書術」が展開されています。 とは言え、多少文章は古いので、重要な部分を箇条書きで列挙しておきましょう。 読書の計画を立て、そこにできるだけ古典をいれる すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなると知る 難しい本でも最後まで読み通し、再三読む 読んだら本の感想を書く ものを見たら本で学び、本で知ったらものを見る 読書と読書の間に、読んだことについて考える習慣を身につける 具体的には直接本書を参照してください。簡単に言えば、難しい本であっても身構えず、わからない部分は保留にしておきながら最後まで読む。そういう読書を何度も繰り返していく。その読書の間に、感想を書いたり、
タスク管理するほどの人になってくると、どうしても、 休み中の過ごし方は? 休み明けの調子の取り戻し方は? 休み前に立てておくべき計画は? といったことが気になってしまうかもしれません。 休み中に読んでおくべき本とか、今後の人生設計だとか。 趣味でもあると思いますから、人の口出すところではありませんが、 毎年毎年そういうことを気にしているなら、今年くらいは、 ゴールデンウィークそのものに集中 してみてはどうでしょうか? せっかくの「黄金週間」です。 そのまっただ中に「前」だの「後」だのに気を回すのはもったいないと思いませんか? 「未来のために現在を使う」という視点を捨てる いくら「イマココ以外に現実はない!」などといってみたところで、オフィスの「灰色」の「事務机」の前で「イマココ」に集中してもうれしくもたのしくもなくてもしかたありません。 しかし「黄金連休」なのです。 こんな時こそ「イマココ
今回は028と029を。「読書」についての話に入ります。まずは基本的な二冊から。 『読書について 他二篇 (岩波文庫) 』(1960) 『本を読む本』(1997) ショーペンハウアーの「読書について」という短いエッセイは、現代においても示唆に富む一編です。 簡単に言えば、「悪書なんか読むのは時間の無駄だ。価値がある古典作品を読もう!」というアドバイスが(かなり辛辣な口調で)語られています。 ショーペンハウアーの見立てでは、読書とは「著者が替わりに考えてくれる」行為であり、私たちは文章を読むことでその著者の考えをなぞっているに過ぎません。自分で考えているわけではないと言いたいわけです。にもかかわらず、たくさん本を読んであたかも知的な達成を行ったという満足感を得ているとしたら、それは実に愚かしいことだと苦言を呈しているわけです。 なかなか耳の痛い話ですが、一方で「著者の考えをなぞれる」ことに意
私は何度か自分のことを、 発達障害なのではないか? と疑ってみたことがあります。何しろあてはまりそうな項目が多いのです。 たとえば私を知っている人は、私のことを「不注意な人」と感じると思います。 小学校時代にはほぼ毎日のように「忘れ物」をしていました。私の時代の小学校というところは「忘れ物」にひどくうるさいところでした。 もちろん、うっかりミスややり損ないも多く、今も家族から冷たい目で見られたところです。 しかし、こんなことがそれほど「問題」なのでしょうか? ほんとうにどうなのでしょう? 「治す」必要なんか、ないことともいえないでしょうか? 世の中この種の話に細かい視線を向けすぎではないでしょうか? 私などはやれ「タスク管理」だとか「チェックリスト」だとかに惚れ込むところがあるため、すっかり、 失敗を記録して、改善するための仕組み化にいそしんでいる と思われがちですがそんなことはまったくや
今回は27を。書籍ではなく論文ですが、「コンピュータを使った知的生産」を考える上では外せない論考です。 As We May Think – The Atlantic(1945) 『As We May Think』は、ヴァネヴァー・ブッシュによる1945年の論文です。『思想としてのパソコン』という書籍にも収録されており、山形浩生さんによる翻訳も以下のページから読めます。 ブッシュ『as we may think』 – 山形浩生の「経済のトリセツ」 簡単に要約しておきましょう。 現代では科学情報が大量に増えていて個人の処理能力をはるかに越えてしまっている。しかも、役立たずの情報が増えているのではなく、役立つ情報が増えている。そうした情報処理のボトルネックを改善していかない限り、大きな進歩は望めない。 人間が行う情報処理は反復的な思考と創造的な思考があり、後者についてはコンピュータで代替するのは
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