http://bookmeter.com/cmt/46402067 死んだ自分の父親がそうだったのだから自分もそうなって当然だ、という感覚が「浄徳寺ツアー」以外の短編で共有されているけれど、これは何なんだろう。実は自分にもあって、父親はアパートで孤独死した、晩年にガソリンスタンドでバイトして苦労した、自分もそうなるはずだ(その方向に持っていかなければならない)という感覚が曖昧にあって、今までそれは個人的・特殊的なものと見なして深く考えてこなかったけど、ここではっきり形にされているのを目の当たりにすると、この感覚を支える共通の構造があるのかもしれない、知りたい、と思わされた。 密度がものすごく高い。観念、言動、事物がシーケンシャルな中に間髪を容れずに同時多発的に現れてくる。モチーフも溢れ返っていて絶対に読む者に焦点を結ばせない。ある一面で見てしまうと、確実に今自分はこの小説を取り零している、