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悠久に関するsolt-nappaのブックマーク (83)

  • 「幻の吉野宮」か、大型の建物跡が出土 奈良・宮滝遺跡:朝日新聞デジタル

    天武(てんむ)天皇(在位673~686)や聖武(しょうむ)天皇(同724~749)ら飛鳥~奈良時代の複数の天皇が訪れた吉野宮(よしののみや)〈離宮〉の有力候補地とされる奈良県吉野町の宮滝遺跡(国史跡)で、奈良時代前半(8世紀前半)の大型建物跡がみつかった。町教育委員会と奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が15日発表した。天皇の宮殿だけに許された規格の建物構造だったとみられ、専門家は実態が不明だった「幻の離宮」の所在地が解明されたとの見方を強めている。 出土した掘立柱(ほったてばしら)建物跡は東西23・7メートル、南北9・6メートル。四方に庇(ひさし)がつき、周囲には石敷きがあったとみられ、吉野川まではわずか20メートルほどの近さだった。1989年に東端部分が出土していたが、昨年末からの調査で西側が出土し、全容が明らかになった。橿考研によれば、今回の建物跡と同じ東西9間、南北5間

    「幻の吉野宮」か、大型の建物跡が出土 奈良・宮滝遺跡:朝日新聞デジタル
  • 始祖鳥、自力で空も飛べるはず 骨分析、はばたき飛行か:朝日新聞デジタル

    約1億5千万年前のジュラ紀にいた鳥の遠い祖先の始祖鳥は、自力で羽ばたいて飛べた可能性が高いことがわかった。フランスなどの研究チームが、始祖鳥の骨の特徴を現在の鳥など約70種と比べたところ、キジなどに近く、短い距離を飛ぶ能力があったと判断した。14日に英科学誌ネイチャーコミュニケーションズで論文を発表する。 始祖鳥は、体長約50センチでドイツで化石が見つかった。恐竜に似て歯を持つが、羽毛や翼があり「最古の鳥」とされる。ただ、飛べたかどうかはわかっておらず、羽根の強度の推定から滑空程度しかできなかったとする見方もあった。 研究チームは、フランスにある大型放射光施設「ESRF」で、始祖鳥の翼を支える上腕骨などの内部構造を詳しく観察。骨の断面の多くを空洞が占め、当時の小型恐竜などと比べて軽量化が進んでいたことがわかった。恐竜や翼竜、現在の鳥類など計69種の骨の特徴を統計的に分析したところ、始祖鳥は

    始祖鳥、自力で空も飛べるはず 骨分析、はばたき飛行か:朝日新聞デジタル
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    solt-nappa 2018/03/14
    学者さんは幼い微熱を下げられないまま、研究を続けてきたのだろう。
  • 東大寺の焼けた東塔、巨大な土台跡を確認 国内最大級か:朝日新聞デジタル

    平安時代に兵火(へいか)で焼け、鎌倉時代に再建された奈良・東大寺の東塔(とうとう)が、中国・宋伝来の最新技術で建てられた、国内最大級のものだった可能性が高まった。東塔跡(国史跡)を発掘した寺が19日発表した。奈良時代の創建時より一回り大きく、国内に類例のない規模だったことがうかがえるという。 大仏殿の南東と南西に750~60年代ごろ、東塔と西塔(さいとう)が建てられた。東塔は平氏の焼き打ちに遭い、1227年に再建されたが、1362年に落雷で焼け落ちた。 寺と奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所が、柱を立てる礎石を置いた穴や階段、石敷きなどを発掘。鎌倉時代のものとみられる基壇(きだん、土台)は一辺約27メートル、東西南北の各面が柱間3間の構造で、建物部分が約17メートル四方だった。一方、創建時の階段の端とみられる石も出土。基壇は一辺約24メートルとみられる。 現存する仏塔で最も高い京都

    東大寺の焼けた東塔、巨大な土台跡を確認 国内最大級か:朝日新聞デジタル
  • 物部氏首長級の墓か 天理で7世紀前半古墳 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    天理市豊田町で7世紀前半に築造された古墳が新たに見つかり、同市教委が27日、発表した。巨石を組んだ全長9・4メートルの大型横穴式石室が確認されたことや、一帯が古墳時代の豪族・物部氏の拠地だったことから、市教委は「物部氏の首長クラスの墓である可能性が高い」としている。(岡田英也) 昨年12月から市道整備に伴う調査を実施。地形から県の遺跡地図には古墳の存在が指摘されていたが、石室は初めて確認された。墳丘は直径約30メートルの円墳とみられる。市教委は「豊田トンド山古墳」と命名予定。 石室は最大で一辺3メートルの巨石を積み上げていた。ひつぎを置く「玄室」は長さ4・9メートル、高さ2・6メートル、幅2メートル。中世に盗掘された痕跡があり、棺は残っていなかったが、石の破片が多数見つかり、石棺が安置されていたとみられる。 通路の「羨道(せんどう)」は幅1・7メートル、長さ4・5メートル。床面に赤色の顔

    物部氏首長級の墓か 天理で7世紀前半古墳 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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    solt-nappa 2015/05/02
    蘇我氏も石だもんね。
  • 正倉院の毛せん、ヤギでなく羊の毛と判明 奈良:朝日新聞デジタル

    奈良・正倉院に伝わる毛氈(もうせん、フェルト)の素材は、従来考えられていたカシミヤのようなヤギの毛ではなく、羊の毛であることがわかった。宮内庁正倉院事務所(奈良市)が23日に発表した「正倉院紀要第37号」で報告した。これまでは特別な材料で皇族用にあつらえたとの見方もあった。 聖武(しょうむ)天皇愛用の正倉院宝物には、色鮮やかな色彩や紋様の残る色氈(しきせん)や花氈(かせん)など多数の毛氈が伝わり、中国や中央アジアからの輸入品とみられてきた。 1994年の調査では、素材は「カシミヤに似た古品種ヤギの毛」と結論づけられたが、今回、改めて43点をマイクロスコープなどで観察し、脱落した毛の断面も初めて調査。表面の模様は花弁やモザイク状、中心部はスポンジ状という特徴が、中央アジアや中国産の羊と一致。カシミヤで毛氈を試作したところ、フェルト化せず、耐久性に欠けることも判明した。 また東大寺の大仏開眼法

    正倉院の毛せん、ヤギでなく羊の毛と判明 奈良:朝日新聞デジタル
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    solt-nappa 2015/04/23
    カシミヤでなくウールだったと。どっちにしても当時なら貴重(洒落ぢゃない)。
  • 奈良・興福寺中金堂、鴟尾を上棟 18年に落慶予定:朝日新聞デジタル

    再建工事が進む奈良・興福寺の中金堂(ちゅうこんどう)で18日、金色に輝く鴟尾(しび)2基(各高さ約2メートル、重さ1・1トン)が屋根の両端に取り付けられた。堂は江戸時代に焼失した中枢の仏堂で、落慶は2018年の予定。 鴟尾は魔よけや防火のまじないで、しゃちほこの原型。青銅製で、漆の下地に金箔(きんぱく)が施されている。クレーンでつり上げられ、素屋根の鉄骨に掛け替えられて、屋根から突き出た材にはめ込まれた。多川俊映(しゅんえい)貫首(かんす)は「地上で見た時は巨大な鴟尾だと思ったが、この屋根に載るとちょうどよく見える。立派ですね。天平空間の再現にまた一歩近づいてうれしい」と話した。 中金堂は平城遷都とともに藤原不比等(ふひと)が創建。戦災や火災で7回焼け、1717年の焼失後は1975年に建てた仮金堂に尊の釈迦如来像などを安置してきた。今回、焼失前の実測図や絵図などに基づき、約60億円をかけ

    奈良・興福寺中金堂、鴟尾を上棟 18年に落慶予定:朝日新聞デジタル
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    solt-nappa 2015/03/18
    2018年まで生きていたい。
  • 奈良・明日香村に新たな古墳か 石張りの巨大な掘割発掘:朝日新聞デジタル

    奈良県明日香(あすか)村川原(かわはら)の小山田(こやまだ)遺跡で、約50メートルにわたって石材を張り付けた巨大な掘割が見つかった。県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が15日発表した。7世紀中ごろに飛鳥に築かれた未知の古墳の一部とみて、規模や立地、特異な構造から、舒明(じょめい)天皇(593~641)が最初に葬られた場所との見方を明らかにした。舒明天皇は、大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのみこ、天智天皇)や壬申(じんしん)の乱に勝利した大(おお)海人(あまの)皇子(みこ、天武天皇)の父。 これまで小山田遺跡では木簡のほか、目立った遺構は出土していなかった。県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘で、東西方向に幅7~3・9メートル、長さ約48メートルの掘割を確認。北側斜面は40センチ大の石英閃緑岩(せんりょくがん)を張り、底面は15~30センチの石材を敷き詰めていた。南側

    奈良・明日香村に新たな古墳か 石張りの巨大な掘割発掘:朝日新聞デジタル
  • 奈良で出土の皿、ローマ帝国から? 化学組成ほぼ一致:朝日新聞デジタル

    奈良県橿原(かしはら)市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群(国史跡)の126号墳(5世紀後半)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27~395年)領内で見つかったローマ・ガラスとほぼ一致した。東京理科大の阿部善也助教(分析化学)らの蛍光X線分析で分かった。国内の古墳出土品のガラス器がローマ伝来と科学的に裏付けられたのは初めて。 126号墳から皿とセットで出土した円形切子(きりこ)ガラス括碗(くびれわん=口径約8センチ、高さ約7センチ)の化学組成も、阿部さんらの分析でササン朝ペルシャ(226~651年)の首都、クテシフォンの王宮遺跡「ベー・アルダシール」で見つかったガラス片と同じと判明している。遠方の起源の異なるガラス器が5世紀の日に伝来したことを示すもので、幅広い東西交流の実例として注目されそうだ。 皿は口径14・1~14・5センチ。透明な濃紺色の高台のある平皿で、表面に鳥や

    奈良で出土の皿、ローマ帝国から? 化学組成ほぼ一致:朝日新聞デジタル
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    solt-nappa 2014/11/13
    さすがシルクロードの終着点。【ササン朝ペルシャ】。この文言だけでたまらん。
  • 奈良)きらびやかな時代絵巻 奈良で天平行列:朝日新聞デジタル

    奈良時代の天皇や貴族に扮した時代絵巻「天平行列 東大寺参詣(さんけい)」があり、きらびやかな衣装を身につけた90人が、JR奈良駅から東大寺までの3・5キロを練り歩いた。 平城宮跡で9日まで開かれている「平城京天平祭」の実行委員会が主催した。聖武天皇や光明皇后、女官らに扮した参加者は、インターネットなどで募集した。 一行は午後1時にJR奈良駅を出発。三条通りや春日大社の参道を通り、午後2時半ごろに東大寺大仏殿の中門に着いた。中門前では、麻の布に顔を描いた布作面(ふさくめん)を身につけた人が、伎楽(ぎがく)舞踊を奉納した。

    奈良)きらびやかな時代絵巻 奈良で天平行列:朝日新聞デジタル
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    solt-nappa 2014/11/04
    見た見た。光明さんのひとがでらべっぴんだったさー(たぶん『ミス奈良』)。
  • 薬師寺・東塔の心柱が動いた 1300年の歴史で初:朝日新聞デジタル

    明治期以来、約110年ぶりの解体修理が進む奈良・薬師寺(山田法胤〈ほういん〉管主)の国宝・東塔(とうとう、8世紀前半ごろ、高さ34メートル)で8日、塔中心部を貫く「心柱(しんばしら)」が基壇から移された。約1300年の歴史で心柱が動くのは初めて。2019年に落慶予定の修理は大きな節目を迎えた。 12年6月に始まった解体はほぼ終わっており、上下2の木材で接がれた心柱のうちの下部(約17メートル、直径最大約90センチ)だけが残っていた。この日は垂直に立てた状態で台座に載せられ、人力で水平に約10メートル移動させた。内部は長年の劣化で大きな空洞があるため、立てたままの状態で新しい木材で補強する。 解体作業はほぼ終わったが、東… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定

    薬師寺・東塔の心柱が動いた 1300年の歴史で初:朝日新聞デジタル
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    solt-nappa 2014/09/08
    天武さんと持統さんもびつくり。
  • 朝日新聞デジタル:新古今和歌集に幻の一首 800年以上埋もれたまま - カルチャー

    新古今和歌集の未知の歌が書かれていた切れ端=鶴見大学蔵  鶴見大学(横浜市鶴見区)が所蔵する奈良〜室町期の写の切れ端を集めた江戸期の「古筆手鑑(こひつてかがみ)」から、新古今和歌集に一度収録されたが、のちに除かれたとみられる未知の歌1首が見つかった。800年以上埋もれていたとみられ、新古今集の編集過程がうかがえる貴重な発見という。  見つかったのは、「さのみやはつれなかるべき春風に山田の氷うちとけねかし」という和歌。早春にこと寄せて打ち解けてほしいと恋人に呼びかける内容だ。作者の藤原隆方(1014〜78)は紫式部の夫の孫にあたる。  鶴見大の久保木秀夫准教授(国文学)が古筆手鑑を調べて、この歌を見つけた。歌が書かれた切れ端は、すでに発見されている新古今集「巻十一」の鎌倉初期の写の切れ端と、字体や体裁などが一致し、同じ写から切り取られたものと分かった。しかし、新古今集の全部の歌がそろっ

  • 朝日新聞デジタル:焼失の危機、何度も乗り越え 御堂関白記、記憶遺産に - カルチャー

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    solt-nappa 2013/06/19
    拍手! 未来永劫保存されることを祈念。
  • 吉野ケ里遺跡:弥生のカプセル再現…「古代の森」完成- 毎日jp(毎日新聞)

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    solt-nappa 2013/03/21
    うわー、なんかSFっぽい。吉野ヶ里はおもしろいなあ。
  • 【女性編】直接見てみたい名画、名作美術品ランキング - Ameba News [アメーバニュース]

    作品の意味や歴史など背景にも興味津々 海外旅行のときには、美術館めぐりを楽しみにしているという人は多いでしょう。日ではなかなか見られない名画、名作が見られるのも醍醐味(だいごみ)ですよね。そこで今回は、465名のマイナビニュース会員の女性に、直接見てみたい名画、名作美術品をアンケートしました。次の海外旅行でチェックしたい名画、名作美術品がラインナップしていますよ。 >>男性編も見る Q.直接見てみたい名画、名作美術品を教えてください(複数回答) 1位 最後の晩餐/ダヴィンチ(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院/ミラノ) 38.1% 2位 モナ・リザ/ダヴィンチ(ルーヴル美術館/パリ) 37.9% 3位 叫び/ムンク(オスロ国立美術館/ノルウェー) 24.3% 4位 ヴィーナスの誕生/ボッティチェリ(ウフィッツィ美術館/フィレンツェ) 23.0% 5位 ひまわり/ゴッホ(ナショナル・

    【女性編】直接見てみたい名画、名作美術品ランキング - Ameba News [アメーバニュース]
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    solt-nappa 2013/03/11
    つきなみですが。ボッティチェリの『受胎告知』と『春』。システィーナ礼拝堂の天井画。
  • 「古寺巡礼」から奈良県斑鳩: 名言巡礼 : 動画 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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    solt-nappa 2013/01/16
    ここと飛鳥の里はだいすき! 柴焚く煙たなびく風景がたまらん。あと中宮寺の弥勒菩薩像、じつはまだ観てない。はやくみたい。
  • 万葉まほろば線 古事記ガイド列車:JR西日本

  • 朝日新聞デジタル:古事記の舞台、車窓から案内 奈良でガイド列車出発 - 社会

    古代風の衣装をまとって乗客にサービスする劇団員たち=奈良県のJR桜井線、高橋正徳撮影  日最古の史書「古事記」の編纂(へんさん)から1300年。これを記念した「古事記ガイド列車」の運行が、奈良県のJR桜井線奈良―桜井間(約20キロ)で始まった。天平衣装をまとった劇団員やボランティアガイドが乗り込み、車窓から古事記の舞台を案内した。  午前9時すぎ、奈良市のJR奈良駅で、県のマスコットキャラクター「せんとくん」と豊田重弘駅長の合図で一番列車が出発。乗客約200人が乗り込み、古事記の物語やゆかりの地の解説に聴き入った。  奈良市の主婦松敏子さん(79)は「ガイドの話を聞いて、普段は何も知らずに通り過ぎてしまう場所が歴史の舞台だったと再発見できました」と話した。  12月9日までの土、日、祝日に1日2往復。運賃のみ必要。出発10分前に、奈良、桜井両駅で古事記紹介の寸劇が披露される。 関連リン

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    solt-nappa 2012/10/12
    おっ、来月の奈良旅行で乗れるかも!
  • 藤原定子 - Wikipedia

    藤原 定子(ふじわら の さだこ/ていし[1]、977年〈貞元2年〉-1001年1月13日〈長保2年12月16日〉[注釈 1])は、日の第66代天皇・一条天皇の皇后(号は中宮、のち皇后宮)。脩子内親王・敦康親王・媄子内親王の生母。通称は一条院皇后宮。 系譜[編集] 関白の内大臣正二位藤原道隆の長女、母は式部大輔高階成忠の女・正三位貴子。正二位内大臣伊周、正二位中納言隆家は同母兄弟。 生涯[編集] 永祚元年(989年)父方の祖父である摂政兼家の腰結いで着裳、その時はじめて歴史の表舞台に登場する。正暦元年1月25日(990年2月23日)、数え14歳の春に、3歳年下の一条天皇に入内し[注釈 2]、まもなく従四位下に叙せられ、ついで女御となる。局は登華殿(一説に梅壺、または両方とも)。 同年10月5日(990年10月26日)[注釈 3]、皇后に冊立され「中宮」を号した。なお、定子は一条天皇の皇后

    藤原定子 - Wikipedia
  • 朝日新聞デジタル:古代ロマン再現「大君のおなーりー」 奈良・明日香 - 社会

    【動画】奈良県明日香村の時代行列「行幸ウォーク」=伊藤進之介撮影持統天皇の一行を模して古代風の衣装を着て歩く学生たち=22日午前、奈良県明日香村、伊藤進之介撮影  秋分の日の22日、奈良県明日香村で時代行列「行幸ウォーク」があった。地元住民や学生が、明日香村から吉野へ通った持統天皇(在位690〜697年)の一行を再現した。約80人が古代風の衣装を着て、吉野方面から石舞台古墳を目指した。沿道は棚田が黄色く色付き、一行は「大君様のおなーりー」の声に合わせて約3キロ練り歩いた。(伊藤進之介) 関連リンク動画ページ光の回廊で須藤元気さんら華麗な踊り 奈良・飛鳥資料館(9/18)〈MY TOWN奈良〉「古の記憶」ゆらり/明日香(9/16)高松塚・平野塚穴山、切り石一致 奈良文化財研究所測量(7/4)562年ぶり、白馬献上が復活 奈良・下市の神社(6/2)奈良・石舞台古墳の築造風景 CG動画で再現(3

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    solt-nappa 2012/09/23
    うーむ、うーむ。できれば『大王』表記でお願いしたかったにょにゃー。
  • 古墳:後漢時代の中国鏡が出土…精巧な文様 奈良・上牧町- 毎日jp(毎日新聞)

    奈良県上牧町の古墳「久渡3号墳」から見つかった画文帯環状乳神獣鏡=上牧町の中央公民館で2012年8月1日、矢追健介撮影 奈良県上牧(かんまき)町で、古墳時代初期(3世紀後半)の古墳から、後漢時代に作られた中国鏡「画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)」が見つかった。同町が1日、発表した。同時代の古墳は奈良盆地東南部に集中しており、盆地北西部の同町では初めての発見。纒向学(まきむくがく)研究センター(奈良県)の寺沢薫所長は「初期ヤマト王権とこの地の勢力の政治関係を考える上で重要」としている。 画文帯環状乳神獣鏡は、直径約14.2センチ、約511グラムで、非常に精巧な文様が描かれている。内側に4匹の神獣が、外側に竜や神仙などが時計回りに配置され、日月の運行を表しているとされる。和泉黄金塚古墳(大阪府和泉市)で出土した鏡と同型鏡だった。 宅地開発に伴う昨年11月からの調

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    solt-nappa 2012/08/03
    考古学を学びたい、と言って静岡から奈良の高校に進学した同級生は今何をやってるかなあ。