東京新聞ならではの「東京の街ネタ」が満載! 著名人のエッセーや、東京の名産品情報、23区の基本データなど、多彩なコンテンツをお楽しみください!
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いま、北海道でユニークな宇宙開発が進められている。その核となるのがCAMUI *1 型ハイブリッドロケット(通称カムイロケット)と、超小型人工衛星(キューブサット)。国の大型プロジェクトと違い、小型ながら民間技術を中心に開発を進めるその手法は宇宙開発関係者のみならず、メディアの注目をも集めている。その機体づくりを担っているのが、社員たった18人の植松電機だ。ロケットエンジン噴射試験設備を持ち、敷地内に近年、微小重力実験塔まで作ってしまった。町の小さな電機工場から見据える宇宙ビジネスの今後について、植松電機専務取締役・植松努氏にお話を伺った。 うえまつ つとむ。 1966年、北海道芦別市生まれ。1989年、北見工業大学応用機械工学科卒業後、航空宇宙関連企業に入社。1994年に退社し、家業の植松電機を継ぐために帰郷。1999年、植松電機を法人化。2000年、赤平に工場を建設するとともに本社を移
中川翔子(なかがわしょうこ) 1985年5月5日生まれ。東京都出身。2002年にミス週刊少年マガジンを受賞し芸能界デビューして以来、数々のテレビ番組に出演。趣味はパソコンでイラストを描くこと、読書、ゲーム、映画、アニメ、コスプレなど。特技はヌンチャク。 デビュー10周年となる2012年には、国内だけでなく初のアジアツアーを開催。 寺田:JAXAについてどのようなイメージをお持ちですか? 中川:JAXAは、いろんなことを開発して、いろんなことを切り開いてくれるので、日本の宝だと思っています。人類の希望・期待をすべて背負った、人類の歴史の最先端にいるのがJAXAだと思っていますので、JAXAで働く人は私たちのヒーローですね。JAXAには期待しまくりです! 以前出演した番組で筑波宇宙センターを取材させていただいたことがあって、敷地が広大で緑が多いのにはビックリしました。その時に、宇宙飛行士の野口
あの日、筑波の総合環境試験棟は大きな揺れに見舞われた。何時までも続く大きな揺れの中、「しずく」試験に携わっていた全ての関係者の胸に去来する想いは、「衛星は大丈夫か?」それだけだった。揺れが収まったその後の試験棟では・・・・・ 衛星組み立てのリーダー唐土宏行、検査のリーダー津元憲聡、二人のキーマンはこのとき筑波から1000kmも離れた種子島宇宙センターのロケット組立棟にいた。筑波からの一報、緊張が走る。しかし種子島からはすぐに筑波に戻ることは出来ない。焦りがつのる。 「現場の作業者に任せるしかない・・・彼らを信じよう」 3月16日、5日かかってようやく筑波の試験棟に駆けつけた彼らが見たものは、震災当日そこに居合わせた技術者たちによる懸命に衛星を守る作業の成果だった。 そこから衛星を元の状態に戻す必死の作業が始まった。これまで経験したことの無い作業の連続。 衛星がその完成に近い形で遭遇した初め
ソーシャル・メディア衛星開発プロジェクト“SOMESAT”は、ネットを通じて衛星開発の技術や知識、応援したい気持ちをもった人々の集合体だ。開発はもちろんのこと、試験、資金調達や法律面などの実務、広報PR活動まで一般人が集まってやってしまおうという、ネット・SNS時代を代表するようなプロジェクトだ。 SOMESATメンバーのひとり、衛星からの電波を地上で受信するためのアンテナを開発しているつうな( @t_una )さんに、ミッションの目的と現在のプロジェクト進行状況を伺った。 ―― SOMESATは全員初音ミクの熱烈なファンなんですか? つうな 「私も含めて、多くの人がミクのこと大好きですね。最初は「初音ミクってなんなの?」という人もいたのですが、参加してから知ってもらってます。メインで活動しているメンバーは10~20人くらいですね。」 ―― 宇宙開発の知識や技術もバラバラな中で、どのように
昨年6月、日本の打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」が宇宙から帰還し、大きな話題を集めたことは記憶に新しいと思います。はやぶさは、小惑星「イトカワ」までたどり着いてみごとその微粒子を回収、そして往復60億kmもの旅を終え、大気中に燃え尽きて散りました。その姿は感動を呼び、映画化もなされるなど日本中にはやぶさ旋風を巻き起こしました。 着陸するはやぶさ(想像図) しかし、その持ち帰った微粒子を分析し、太陽系の姿を解明するという仕事はまだ始まったばかりです。大がかりな宇宙プロジェクトほどの華々しさはありませんが、これが成ってこそはやぶさの旅は完結するのだともいえます。 理学系研究科地殻化学実験施設の長尾敬介教授らはその分析に当たり、イトカワの、そして太陽系の起源に迫る成果を挙げました(Science誌の「はやぶさ」特集号に掲載された長尾グループの論文)。今回は長尾教授および、この研究室出身のOBた
ナタリー PowerPush - BUMP OF CHICKEN 音楽を作る喜びと4人の絆から生まれた傑作アルバム「COSMONAUT」 前作「orbital period」から3年、BUMP OF CHICKENのニューアルバム「COSMONAUT」がついに完成した。全14曲。先行シングルで予見できたように、本作の大きな出発点になっているのは、幼少期の忘れがたき記憶から今や未来を見つめようとする視点である。そこには、メンバー4人が本作の制作中に20代から30代に突入したことが強く影響している。 そこから、彼らはかつてなく順調に生まれていった楽曲と丁寧に向き合いながら、精緻なアレンジを施し、新たな普遍性を持つ音楽を獲得した。ここでは、この3年と本作が完成するまでをメンバー全員に語ってもらった。 取材・文/三宅正一 いきなり3曲が上がってきたときはドッキリかと思った ──前作「orbital
青島文化教材社インタビューシリーズ ■第1回:チャレンジとバランス、『軍艦島』に見るアオシマ的商品企画の裏側 ■第2回:ニコ動で感じた"売れる"確信──『はやぶさ』に見るアオシマ的機動力 ■第3回:青島文化教材社は大まじめなんです!──プラモの面白さを求めつづける会社(近日公開) 『小惑星探査機 はやぶさ』フィギュアの担当者に聞く! プラモデル業界で特異な存在感を示し続けている青島文化教材社。前回に引き続きインタビュー第2弾は、『小惑星探査機 はやぶさ』のプラモデル化にフォーカス。担当者曰く、ヒットは「ニコニコ動画の盛り上がりで確信した」。そこからスピード商品化に至る道を聞いた。 アオシマプロダクツを生み出す企画担当者に話を伺った。写真左より、青島文化教材社 企画開発部 部長 青嶋大輔氏、企画開発部 高橋誠氏、企画開発部 長谷川健氏 * * * ──アイデアをひらめいたり、企画を練った
逆境でも不屈の闘志で復活の技術を生み出す「敗れざる者たち」として、まずは今年夏、国内外で注目された小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトに貢献したIHIグループのIHIエアロスペースの技術者を紹介したい。 はやぶさは、地球から3億キロも離れた小惑星イトカワから、満身創痍になりながら、戻ってきた。このプロジェクトの総責任者だった宇宙航空研究開発機構(JAXA)の川口淳一郎教授らの執念と知恵で、日本に感動を与える奇跡を演じてみせた。そこでは、IHIエアロスペースの技術者たちの活躍も大きい。 まずは、はやぶさのカプセルの耐熱素材などを担当したIHIエアロスペースの宇宙機システム室の森田真弥部長に聞いた。森田氏ははやぶさのカプセルが豪州南部の砂漠に落ちた時に、自らその回収を担当している。 (聞き手は佐藤紀泰=日経ビジネス編集委員) 森田 ええ、私がカプセルの外側の耐熱部分(ヒートシールド)の開発を担
6月13日、「はやぶさ」は地球に還ってきた。打ち上げから数えて7年、JAXAのキーメンバーにインタビューを敢行し、その時何を感じたのかを克明に記録! 技術立国「日本」の底力とは一体なんなのか、その一端を垣間見て欲しい。 2010年06月17日 12時00分 ゲーム・ホビー 祝帰還!「はやぶさ」7年50億kmのミッション完全解説【完結編】 「はやぶさ」の夢は続く、開発者が考えるその先にあるもの 「はやぶさ」帰還のニュースは世界を駆け巡った。果たして後継機「はやぶさ2」の計画は? そして「真田さん」にたとえられたことをメンバーはどう思っているのか? 「はやぶさ」ロングインタビュー完結編。 2010年06月16日 12時00分 ゲーム・ホビー 祝帰還!「はやぶさ」7年50億kmのミッション完全解説【その5】 「はやぶさ」は浦島太郎!? 宇宙経由の輸出入大作戦 “真田運用”の真骨頂、イオンエンジン
「はやぶさ」ミッションの終わりはどこ? 人によっては、それは帰還と再突入になるだろう。しかし、そこから小惑星のサンプル分析、研究がスタートする人もいる。 吉川 本当に「はやぶさ」は世界初なんですよ。月以外の天体に着陸して、そして離陸して戻ってくるのはアメリカですらやっていない。 そもそも、何かの天体に行って、戻ってくるということ自体、スターダスト、ジェネシスに続いて「はやぶさ」で史上3例目。2つが着陸せずフライバイで戻ってきただけであるのに対し、「はやぶさ」はあの小さな探査機で着陸・離陸ですから。 サンプルは「ない」ことを確認するのもひと苦労 安部 「はやぶさ」ミッションにはいくつもの山があって、私にとっては、観測してひと通りの情報が揃って「イトカワというのはこういうもんですよ」ということを論文としてまとめた、それがひとつの区切りです。 その後、探査機が実際に小惑星に行って、近赤外線分光器
■前回までのあらすじ 小惑星「イトカワ」到達。打ち上げから2年強、プロジェクトマネージャ 川口氏が「一番嬉しかった」と振り返る「はやぶさ」ミッションのポイントでもあった。このとき行なわれた観測をもとに執筆された論文は、科学雑誌「Science」に特集として掲載されている。そして、いよいよイトカワへのタッチダウンフェーズが開始された。 第一回タッチダウン「はやぶさはどこだ!?」――2005年11月20日 2005年11月19日、21時から開始されたイトカワへの降下では、地上の運用室で「はやぶさ」の動作がわからなくなる緊急事態が起きた。後に得られた記録では、「はやぶさ」は障害物を検知して試料採取シーケンスを停止し、20日7時ごろ、地上からの指示で離脱を開始するまでイトカワ表面にバウンドして2回到達したことがわかっている。 しかし当時リアルタイムで得られたデータは速度計のみ。延々と降下を続ける(
■前回までのあらすじ 日本が検討していた宇宙探査ミッションが次々とNASAに取られてしまう……そんな危機感をばねに、工学実験探査機MUSES-C計画はスタートした。 安全確実に、できるところまで技術実証をやればいい、そんなミッションでもよかったのかもしれない。「ただ、面白くないですよね」(プロジェクトマネージャ 川口氏)。100点満点で500点(!)を目指した探査機は無事に打ち上げを乗り越え、「はやぶさ」と名付けられることになった。目的地は、宇宙研の父の名にちなんで「イトカワ」だ。 「はやぶさ」始動――2003年5月 「はやぶさ」に搭載された各種の観測機器や姿勢軌道制御装置、データ処理装置の機能の確認は順調に行なわれ、約9ヵ月にわたるイオンエンジン連続運転、加速がスタートした。4基のエンジンのうち、スラスタAは推力が安定しなかったため動作を停止。予備エンジンとして温存された。 この当時、地
ついに祭りの日がやってきた。 「はやぶさ」が還ってくる。そう聞いただけで2010年6月13日を特別な日と考える人たちがいる。宇宙航空研究開発機構(JAXA)によるネット中継開始時間までモニタ前に待機しかねない勢いだ。 天文ファンや宇宙開発マニアの枠を越えてファンは大勢いる。動画コンテンツにイラスト、実物大模型から「はやぶさ」コスプレまで、プロジェクトを理解したい、理解したこの気持ちを表現したいという作品があふれている。 「はやぶさ」は凄い。何が凄いって、人が凄い。史上初をいくつ実現したんだ!という野心的なミッション内容だけでなく、前例がないゆえに次々と起きたトラブルを、宇宙機運用技術の粋を尽くして乗り越えたその手腕が凄い。 そして、それに応えた「はやぶさ」も凄い。何かもう意思があって、プロジェクトメンバーの熱意を汲み取っているとしか思えないような挙動の数々。プロジェクト責任者である川口淳一
意義ある挑戦、「人類よ前へ」 [10/02/23] 司会 尾関章編集委員 構成 東京科学医療グループ・松尾一郎、東山正宜 なぜ人類は宇宙に挑むのか――。昨年3月から4カ月半にわたり、日本人として初めて宇宙に長期滞在した若田光一さん(46)が、国際宇宙ステーション(ISS)で一緒だった米国、ロシア、カナダ、ベルギーの4カ国5人の飛行士とともに活動報告をするために来日し、16日、朝日新聞東京本社で座談会をした。宇宙での暮らしぶりや宇宙開発の意義など、話は約1時間半に及んだ。 ◇忙しくても食事は一緒に 尾関 宇宙での日常生活から、うかがいます。若田さんは以前、「ISSでは全員で食事をとるようにしていた」と語っていましたが、どんな意味があったんですか。 若田 それは、ISSの司令官だったゲナディ・パダルカさん(ロシア)の方針でした。どんなに忙しくても、3度の食事だけはなるべく
ご覧いただいているページに掲載されている情報は、過去のものであり、最新のものとは異なる場合があります。 掲載年についてはインタビュー 一覧、特集 一覧にてご確認いただけます。 Q. 山崎宇宙飛行士が搭乗するスペースシャトルSTS-131(19A)ミッションの目的と、山崎宇宙飛行士の主な任務を教えてください。 スペースシャトル・ディスカバリー号(提供:NASA) STS-131(19A)ミッションの目的は、国際宇宙ステーション(ISS)の完成に向けた組み立て作業を行うこと、そして、宇宙実験に必要な機材や試料、ISSに滞在する6名の宇宙飛行士の生活備品などを補給することです。また、実験が終了した装置など、ISSで不要になった物を地球に持ち帰ります。物資は多目的補給モジュール(MPLM)に入れられて運ばれ、ISSに取り付けて運び出された後に、ISSで不要になった物をモジュールに搭載します。地上か
きぼうの送風口を持つ深田政宏さん。開発の難しさに「あかんかったら、ケツまくって逃げようと思っていた」=川西市(撮影・三津山朋彦) 実験設備のそばで、男性が寝袋で休んでいる。場所は、地上400キロメートル。国際宇宙ステーション(ISS)にある日本初の有人実験施設「きぼう」の中だ。男性は宇宙飛行士、若田光一。空調設備を開発した川西航空機器工業(川西市)社長、深田政宏(71)は、その光景に胸が熱くなった。 ISSでは、高圧で新鮮な空気を施設内に供給する送風口の騒音が、飛行士のストレス源となっていた。深田は送風口に縦横に羽根を取り付け、羽根の角度を調節することで騒音の源である空気の振動を消し、「茶室にいる静けさ」を実現した。 「若田さんは、きぼうでないと眠れないと言っている。他国の飛行士もきぼうで寝たがっている」。評判を聞いて深田は、誇らしげだ。「世界最先端の技術が集まるISSで、きぼうが最高の環
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