僕は今までご飯の上におかずを乗っけるスタイルで一つの椀に異種のものを同居させていた。 今日はお椀を一つ増やした。 そして気づく。 洗い物の手間が少なくなることに。 お椀を増やすことの合理性とカオス状態で力に任せて物を扱うことの差異を知った。 牡丹の花びらがまだむかれていないバナナに舞い落ちる台所より。
10代の頃は、大人ってもんになんとなく反発して、ブルーハーツ、聞いて、この世の中なんて腐ってるなんてこと言ってる。 浜崎あゆみを聞いて、あたしは孤独だなぁ、なんてヒロインきどってみたりする。 でも大学生になってセックスへの未知への恐怖を喪失して、あぁもうすぐ卒業ねって、社会に出ること考え出すと、大人ってのも現実を見なきゃなんないから大変だなって気づき始めて、10代の頃の棘が擦り切れてくる。 就職活動に勝つためなんてブログ読んだり、ビジネス書読んで、就活には、「ロジカルシンキング!論理力!英語力!」が重要なんて言葉ばっかに触れると、そうか論理の勉強しないと、英語の勉強しないとって思えてくる。でもさぁそんな自分に違和感感じることもあるんだよね。なんか大切なもん忘れてないかって。魂をさ。情熱をさ。 10代の頃は、今から考えるとマスコミに踊らされて、教師のことバカにして、親のことバカにして、ほんま
30代も半ばを過ぎましたが、毎週ファミ通の読者投稿欄を立ち読みしています。ゲームはやらないので、立ち読みですませています。申し訳ない。関係者各位。 読者投稿欄が面白い雑誌って今他にどんなのがあるんだろう。昔は読者投稿だけの雑誌もあったけど、今はなんだか下火な気がするなあ。読者投稿。ネットのせい?
今日何件書いたかぶっちゃけようぜ。 俺17件。 このエントリまでに書かれた本日のエントリ数 223 トラックバックで告白されたエントリ数 17 + 12 + 9 + 4 = 42 42/223
まあそんなこと増田で書いてもアレなわけですが。増田ですから。 ということでよしなしごとを。 近所の某コンビニでモノを買うと時々(主にホットケースに入ってる食い物が割引になってる時など)「○○ただいま三十円引きですがご一緒にいかがですか?」とか商品を勧められる事があるんだが、自分はかなり高い割合で「あ、じゃあそれもお願いします」と逝ってしまう。自分の気が弱くて断れないというのもあったり「せっかくだからそれも喰っとこう」と思うからというのもあるんだが、実は自分でも何でなのかよくわからない。単なる気まぐれだ。まあ店員、というかコンビニ側としては別に相手が買おうが買うまいがそういうキャンペーンをやってることを知ってもらえればそれでいい、という感じなんだろうが。 そういやここ札幌では雪が降ったり溶けたり降ったり溶けたりしてるんだけど、雪祭りはどうなんだろう。つかもう雪祭りって始まってたっけか。 札幌
雑誌の巻末占いが大好きである。特に週刊の女性誌や情報誌のものはこまめにチェックする。もちろん、当たりは期待していない。先週はあっちの雑誌が当たったかと思うと今週はこっちの雑誌が当たったかという具合に、ランダムに当たったような気にさせられるだけだ。なぜなら、結果をはっきりと検証できないためである。実際占いが当たっているかどうかを確かめるには、毎日項目別に(総合・仕事・恋愛というように)日記をつけ、占いと照らし合わせる作業が必要だろう。もちろんそんな暇なことをしている人が多いとは思えない。まあ、そういうお茶の濁しっぷりをじっくりと味わうのが巻末占い道なのである。あれね、うまいこと書いてるよ。まるで企業の謝罪文書のように、責任の所在が不明で。 ものすごく必要とされているわけではないのだろうけど、女性誌の巻末にはほとんど存在するあれは、占いという機能そのものより、「もう終わっちまったぜ(今回も内容
三年半前、ケージと一緒にハムスターを買った。 ジャンガリアンハムスター。サファイア。雌。 最初は隠れてばかりで、見ているときには回し車も使わなかった。 まぁ、たまに見ているだけで可愛いからいいと思っていたのだが、 そのうち指からひまわりの種などを食べるようになると、嬉しくなった。 新しいハムスターグッズを購入し、与えた。 ケージも広いものに替えて彼女が走り回れるようにした。 「もっと慣れたら手のひらに乗ってくれるだろうか」と これからのハムスターとの生活にワクワクした。 しかし、その後それ以上懐くことは無かった。 ある日、自分で持ち上げて手のひらに載せてみたがすぐに降りて逃げ出してしまい、 同じことを何度か挑戦するうちに指を噛まれたので諦めた。 臭いも気になり始めた。 最初のうちはよく消臭していたのだが、段々と億劫になり、 砂を替えるペース。おがくずと取り替えるペースが一日づつ遅れるように
実家近辺は、高校生の時に初めて町にマクドナルドがやってきた。 友達の間では、「マクド不味い」「マクドはナゲットだけ買うところ」と言われていたが、なんだかんだ言ってそれなりの頻度で通っていた。他に皆で立ち寄って溜まる場所もないし、他の店よりもましな味だったから。田舎というのは不味い店が競争で淘汰されないのだ。 ところが、数年後都会に出て、何かのついでにマクドで食べたら、これがうまいんだ。 まぁ、うまいといっても値段なりだが、明らかに実家のマクドよりうまい。その後、どの店に入っても同じくらいうまい。 マクドは世界中同じあの不味さじゃなかったのか! 観察してみると、都会のマクドはいつでも行列ができていて、作るやいなや売れていく。こんな光景は田舎では見たことがないから、作り置きが制限時間ぎりぎりまで保温器に置いてあることが多かったのではないかと思う。そういえばナゲットだけはいつも揚げたてだった。
私は埼玉県出身で、埼玉という郷土を愛している。 ただし、出身はさいたま市ではない。さいたま市のことはむしろ憎んでいる。 さいたま市が出来たときは、『さいたま』というひらがなの馬鹿さ加減に呆れたし、 それが埼玉県の県庁所在地ということになることに憤りを感じた。 当時、2ちゃんねるでは、さいたまを題材にしたフラッシュが数多く作られていた。 アンチさいたま市の私としてはそれらを楽しく見ていた。 ただ、よくよく見ると、それらフラッシュは『さいたま市』でなく『埼玉県』を題材にしているのだった。 フラッシュ製作者にとってみれば、さいたま市も埼玉県も同じ、馬鹿にすべき『ダサイタマ』だったわけだ。 それに気づいた時の私の意気消沈ぶりったらもう…。
以前、ロシアを「輝かしい昔が戻ってくる事を待ち続けている国」とした文章を読んだ。 軽く一読しただけなので全く文意が汲めていないかもしれないが、その時の私はそう読んだ。 それが輝かしくても真っ暗やみでも、もちろん昔は戻ってこない。 分からずにそうしているのか、分かっていて敢えてそうしているのか、ただ昔を待ち続ける。 私にもそういう所があるなと思う。 10年前ならどう思ったか分からないが、今は「それが本当の自分なんだ」とは思わない。 もしも戻れたらどうするんだろうと思う日があるだけだ。 あまり戻りたくはない。 でも、もしも戻れたらどうするんだろう。 戻りたくないと思いつつ、戻ったらどうするんだろうと考えてしまう。 駅からの道を歩きながら、今日はコレをネタにしようと思ったが匿名にしか書けない。
で、お風呂に入ったところ。 物凄く久々の会社がらみの飲み会で、酔っ払った勢いで、同僚や上司に結婚観や恋愛感についてなんとなく聞きまくった。ここのところの増田を見ていてなんとなく整理できない気持ちを抱えていたのだ。 代行車の運転手さんまで、話を振ったら物凄く突っ込んだ話をしてくれた。話を聞いていてすごく楽しかった。今思えば相手はシラフだよね。自然な感じに持っていったつもりだが、相手はきっと不自然だと思ったろう。 恋愛感とか、そういう事って人生において物凄く重要なことなんじゃないかと思った。じゃなくちゃあんなに語れない。 きっといろいろ悩んでそれなりに答えを出して今を生きているんだろうな。 僕にはそういう経験がない。それは人生において損失なんじゃないかとちょっと不安になる。その喪失感を実感するのもまた人生という気もするけど、と分かったようなこと書いちゃうのがなんかいけないような気がした。明日早
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