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人生に関するtennootoのブックマーク (244)

  • 自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また

    子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私はを読むのが大好きだったし、父はよくを読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理レシピくらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、

    自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 新聞の投書欄の「別れた彼氏が亡くなった」の相談に対する返答の助言の切れ味が尖すぎて話題に!「キレッキレ」「私も気をつけよう」

    鈴木祐介🐳 @7_color_world 彼のためではなく、悲劇のヒロインのように、自分のために泣いているだけ。愛ではなく、自己愛でしかないと。その自己憐憫を露呈させる鋭い助言。素晴らしい。 2017-05-31 23:11:11

    新聞の投書欄の「別れた彼氏が亡くなった」の相談に対する返答の助言の切れ味が尖すぎて話題に!「キレッキレ」「私も気をつけよう」
  • 猫の思い出 - 夜明けの心臓

    最初に断っておきますが、これは飼っていたの追悼のためのエントリーであり、超個人的な内容です。ひたすら冗長で特にオチもございません。よろしくお願いします。 アビシニアン♀のむーちゃん(仮名・以下、彼女とする)は、すごいだった。 彼女に会ったのは17年前で、まだ灰色がかった青い瞳をしていた。離乳が完了してないので(!?)、餌は缶詰と湯でふやかしたドライフードだった。いなばのCIAO・こしひかり入りまぐろ缶と、ヒルズ・サイエンスダイエットのドライフード。 わたしの20歳の誕生日に飼ったから、2000/03/23生まれの彼女はこのとき生後2ヶ月にも満たなかったことになる。今はこんなに未熟な赤ちゃんの売買はできないと思うけど、ま、17年前の話だからね……。 実家でもを飼っていた。と言っても、田舎の農村部のことだから放し飼いだ。 は小鳥や虫を取ってべ、気まぐれに家にやってきては焼き魚のおこ

    猫の思い出 - 夜明けの心臓
  • うちの両親の馴れそめは結構笑える ―はてな匿名ダイアリー

    うちの両親の馴れそめは結構笑える 母親は東大出の学者で大学教授。専門分野では今では結構名の知れてる博士 父親は高卒で町のクリーニング屋の3代目でチョイワルぶってる親父、かなりの格差婚 親父は、若い頃はワルで馬鹿だったけど、ちょっとハンサムってことで商店街では人気者 母親は、頭がめっちゃ良くて、良い学校に特待生で入学したりと、地元の期待の星だった 年が同じで、実家が近所だったが(ちなみに東京の下町)、別に幼なじみというほどでもなく 親父にとって母親はずっと高嶺の花の憧れのお嬢様で、恥ずかしくてまともに口も聞けなかったと 時は流れ、両親26歳のとき、院生だった母親に病院長の息子とかのお見合い話が来た その頃はもう真面目なクリーニング屋だった親父はその噂を聞いて大ショック 「失うものは何もない」と覚悟を決めて、母親に猛アタックをかけた 母親はまだ結婚するつもりなんてなかったし、よく知らなかった親

    うちの両親の馴れそめは結構笑える ―はてな匿名ダイアリー
  • 学校が辛いあなたのためのお話 - 発達障害就労日誌

    とても辛い連絡が来ました とにかく学校が辛くて辛くて仕方が無い。居場所もなく、自分はまるでいないものとして扱われている。時々かかる声はからかいや嘲りのみ。そして、発達障害(ADHD)という診断も受けていて、二次障害のも発病しつつある。学校に通い続けるのはもう限界かもしれない。死にたい気持ちも強くなってきた。そういう状況にある中学2年生の方からご相談がありまして、直接返すには少し内容が長くなり過ぎるので、こちらで応答させてもらいます。ついでに、同じような状況にある人にも届けばいいなぁと思います。 まず、なんですけど。とてもその気持ちはわかります。僕は中学校はまだマシでしたが、高校は完全にその状態で非常に辛かったことを覚えています。小学校も辛かったですね。グループを作る授業、体育、音楽の授業の共同演奏など当に苦痛でしかないですよね。どこにも居場所がなく、授業中が一番気が休まる。そういう状態

    学校が辛いあなたのためのお話 - 発達障害就労日誌
  • こゆるぎ岬

    いちどだけ自殺しようと思ったことがある。中2の時。俺はクラスでかなりハードなイジメに遇ってた。家に帰れば両親は離婚寸前でもめてるし、とにかく最悪だった。 当時、神奈川県の中学では2年次にAテストというのがあって、高校入試にめちゃめちゃ影響する重要なテストと言われてた。俺はその結果も散々だった。勉強なんかできる精神状態じゃなかったのだ。3才から一緒に暮らしてた犬も死んじゃうし、かわいいなと思ってた女子から「バイ菌」と呼ばれるし、もう死ぬしかねえと思った。 文学にかぶれていた俺は、太宰治にあやかって鎌倉のこゆるぎ岬で死のうと思った。太宰が心中に失敗した場所だ。 俺は太宰みたいに睡眠薬を持ってなかったので、家中の薬をかき集めて持って行った。でたらめに飲んでやるつもりだった。 こゆるぎ岬に着いて岩畳の上でぼんやり突っ立ってたら「おい」と呼ぶ声がした。 振り返ると、ネプチューン名倉みたいな妙に濃い顔

    こゆるぎ岬
    tennooto
    tennooto 2017/05/24
    病院では厄介な患者かもしれない。出会いとそのタイミングってすごく大事。
  • 担任がイエモンの吉井和哉と知り合いだったらしいんだけどさ・・・・・・ - オトニッチ

    その先生は嫌われていた 自分が中学3年生の頃の担任は、驚くほどクラスのみんなに嫌われていた。 何故嫌われていたかというと、まず見た目が悪かった。 ハゲてる。 青ひげが目立つ。 申し訳ないが、顔もかなりブサイク。 思春期の中学生には中年でその見た目だと、それだけで嫌われる。 あと生徒に対して厳しかったことも嫌われていた理由。 制服を少しでも着崩していれば呼び出され、遅刻をすれば怒鳴られた。 もちろん、生徒が悪いことなのだが、思春期の中学生だ。 反抗したい年頃の生徒たちは、厳しい教師を嫌わざるを得ない。 でも、自分はその担任が嫌いではなかった。 好きというわけでは無かったけど、そこまで嫌な奴でもないだろうなと思う程度だけれど。 それは、担任が音楽の教師で音楽の話をよくしてくれたからだ。 しょっちゅう音楽の話をする担任 放課後のホームルームでは担任が話をする事が多かった。 音楽の教師だった担任。

    担任がイエモンの吉井和哉と知り合いだったらしいんだけどさ・・・・・・ - オトニッチ
  • ばあちゃんと自転車

    俺、老人苦手。 「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。 老人慣れしてるヤツってスゴイ。 電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。 年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。 敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。 胃が痛くなる。 親がいなくなると、話題ゼロ。 田舎帰るの嫌い。 で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。 高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。 ところが、 去年、じいちゃんが死んだ。 葬式はさすがに帰省。 正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。 ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。 それから一年。 親父がいきなり 「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」 発言。 いやい

    ばあちゃんと自転車
  • 同じような洋服のコーデでも値段とか質感がこれだけ違うという話「シンプルなものほど値段がわかる」「見た目と金額は比例しない」

    うい @ah__oui 身だしなみ綺麗でナチュラル清楚だと思って結婚したら実はめっちゃ金かかってて詐欺だ!とかいう男性の話を見たな… 綺麗な黒髪はカラーリングこそしてないものの月一でカットとトリートメントをしていて服もシンプル高級路線だったみたい 2017-05-14 11:13:43 リンク はてな匿名ダイアリー 地味清楚系だと思って結婚した嫁の金遣いが荒かった ちょっと愚痴。俺の器が小さいのかもしれないが。仕事柄、華やかな女性が多い社内でも嫁はかなり地味、というか素朴なタイプだった。海外旅行… 532 users 241

    同じような洋服のコーデでも値段とか質感がこれだけ違うという話「シンプルなものほど値段がわかる」「見た目と金額は比例しない」
  • 夫婦関係を円満に続けていく秘訣を描いた漫画に「これ大事」「人間関係全てに使える」

    副部長代理補佐 @Kaz_1125 これ、大事やな〜。付き合って慣れてくると当たり前だろって傲慢な考え方になってきちゃうけど、付き合いたての気遣う心を持ってれば、いつまでも付き合いたての頃のように仲良くできると思う。 twitter.com/tricolorebicol… 2017-05-17 09:46:23 ミッキー・スミス @mickeysmith_go 自分以外は他人だし、も他人だし子供も他人だし、基的に『ママに向かって話す』ような『重要項目は伝えていないけど察してボクにとって都合のいいようにやってよね!』みたいな舐めたコミュニケーションは取らないほうがいい。 2017-05-17 10:05:08

    夫婦関係を円満に続けていく秘訣を描いた漫画に「これ大事」「人間関係全てに使える」
    tennooto
    tennooto 2017/05/17
    他人=自分ではない別の人格を持った人間 ぐらいの意味かな。
  • マタハラの話。| £ | note

    この漫画は私と友人の体験を骨子に、フェイク・創作込みでまとめたものです。当初はtwitterで「マタハラされたんじゃなくて、した話」で公開していましたが、前述の通り途中から設定に複数人の意見を取り入れたことから、タイトルをのちにより一般的な「マタハラの話」に切り替えています。

    マタハラの話。| £ | note
  • 4本の指でうまれてきた私が、【自分なんて】と悩むあなたへ伝えたいこと

    はじめまして、大塚悠と申します。 私は1983年6月23日、栃木県で生まれました。 両親も兄も両手の指は5ですが、 そんな家族のなかに生まれてきた私の右手の指は4でした。 -今の私の右手- その原因は、まだはっきりしていません。 これまでに私は2人の娘を出産しましたが、次女にこの手が遺伝しました。 そしてそれが原因で、離婚をしています。 いじめ・挫折・離婚・挑戦を経て― 「あなたはあなたのままでいい」と伝えたい 2万人に1人という偶然により右手の指が4で生まれ育ってきた自分は、 「みんなと違う」という壁に何度もぶち当たってきました。 今のようにインターネットの普及していない時代、 世界中にたった一人だと感じることもありました。 とても孤独な時もありました。つらい時もありました。 けれど、私は今とても幸せです。4の指でよかったと心から思います。 -娘たちと水族館にて- 「4の指で良

    4本の指でうまれてきた私が、【自分なんて】と悩むあなたへ伝えたいこと
  • 谷山浩子、45年の音楽人生は世の中の既成概念との対峙

    今年、音楽活動45周年を迎えた谷山浩子が、自身“初”となるシングルコレクション『HIROKO TANIYAMA 45th シングルコレクション』を発売する。職業作家を目指した中学生の頃の作品から現在までの楽曲が収録された、これぞ、正真正銘のオールタイムベストである。 ◆45年で世の中の価値観や観念は大きく変化 1972年にアルバム『静かでいいな~谷山浩子15の世界~』でデビュー以降、唯一無二の世界観を構築してきた谷山浩子が今年、音楽活動45周年を迎えた。西洋の童話や日の民話をモチーフにして描かれた楽曲は、谷山がデビューした70年代当時は珍しく、異質なものとして受け止められたかもしれない。それは人の認めるところでもある。 「昔は周囲からは少し異端のように見られていたのかもしれません。歌詞のなかに度々出てくる“”や“森”などは絵や童話の世界の道具立てであり、当時は子どものものと考えられ

    谷山浩子、45年の音楽人生は世の中の既成概念との対峙
  • 「金正恩は豚野郎」脱北ラッパーが歌う“壮絶な半生”に衝撃が走る

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

    「金正恩は豚野郎」脱北ラッパーが歌う“壮絶な半生”に衝撃が走る
  • サイゼで泥酔したオッサンが店員に「美しい絵、美味しい食事…素晴らしい」と話しかけていた出来事からわかること

    z i e ~絶対零度の天使~ @ageha327 サイゼで泥酔したオッサンが店員に「あなたの店で飾られている絵、当に美しいですね。美しい絵に美味しい事…素晴らしい……」とか話しかけてて周りの客失笑してたんだけど俺は何故かスゲぇ感動して泣きそうになってた 2017-03-29 23:54:14 z i e ~絶対零度の天使~ @ageha327 最近何かと沈みがちだったんだけどちょっと希望が見えた気がする。みんながオッサンのような感性を持っていたら争いや憎しみは無くなるんじゃないのか 2017-03-29 23:58:10 SSSS.真弓ヽ(-3-)ノ @MayumiPla これに似た経験したことが。京急で彼と並んで座っていたら向かいの席のちょっと酔ったおじさんが「仲がいいねぇ。うるわしいなぁ」などと話しかけてきて、「麗しい」という言葉を使うところにちょっと感動した。(そのあと色々と会

    サイゼで泥酔したオッサンが店員に「美しい絵、美味しい食事…素晴らしい」と話しかけていた出来事からわかること
  • 男性保育士に「うちの子を着替えさせないで」。保育園の様々な問題を、現場に行って色々見てきた | SPOT

    男性保育士問題、待機児童問題、保育園不足問題など、何かとメディアで取り上げられることの多い「保育園問題」。実際に保育士はどんな仕事をし、このような問題をどのように感じているのでしょうか。実際に保育園に赴き、保育士の仕事実情を探ってみました。 こんにちは。子どもに絵を読み聞かせながら失礼します。 ライターの長橋と申します。27歳、独身です。 日はとある保育園にお邪魔しているのですが、たくさんの子どもたちに囲まれてパニックになりそうです。 「ねえねえねえ!ぼくの家の車、8人乗りなんだよ!」 「聞いて聞いて!こないだ新幹線に乗ったんだけどね〜〜!」 「あのねー!今日は窓から富士山が見えたんだよー!」 「この絵読んでー!」 「すっごーい!カメラだー!撮って撮って~~~~!」 「おじさん、今日はなにしに来たの?」 などと、5人以上の子どもたちが同時に話しかけてくるので、混乱状態になりかけます。

    男性保育士に「うちの子を着替えさせないで」。保育園の様々な問題を、現場に行って色々見てきた | SPOT
  • 「『うちの嫁が』と言う男性には違和感しかない」 土井善晴さんが訴える、家の仕事の再認識

    その数十年後、息子である土井善晴さんは「一汁一菜」という新しいスタイルを提案することで、家庭料理の形をアップデートした。 「土井勝の息子ということで、伝統的なものを踏襲する料理研究家なんだろうと思われることもあるんですけど、そうじゃない。私は料理界でも異端児みたいなもんですよ(笑)」

    「『うちの嫁が』と言う男性には違和感しかない」 土井善晴さんが訴える、家の仕事の再認識
  • 登山の始め方

    2017-03-07 01:00 追記しました(一番下)山はいいぞ!(挨拶) 今年になって登山に目覚め、初心者なりに色々と日帰り登山を楽しんでいるのだけれど、 なんというかこう…ネット上の情報が、微妙に使いづらいといいますか。 山を舐めるなおじさんによる初心者見下し登山服ブランドによるファ板的なヤバさ登山服・登山道具の高額なものをアフィって儲けたい金の亡者みたいな人たちが集ってきて三重苦状態で、 「なんとなく登山に興味があるんだけど、どうやって初めたらいいのかな?」という人が スムーズに参入できにくいように感じて、実際自分も多少困ったので、 その知見を共有しておきたいと思います。 まずは高尾山に行け(関東の人限定。他の地方の人に代わりになる適した山を誰か教えてください) ちょっと前に、ヒートテックで登山はヤバイみたいな話がホッテントリに載ってた記憶がありますが、 高尾山程度であれば何着てて

    登山の始め方
  • 自分の思う通りにいかなかったからでしょうね。 思う通りってのはつまり、..

    自分の思う通りにいかなかったからでしょうね。 思う通りってのはつまり、仕事から疲れて家に帰ってきたら、何もせずにあったかいご飯がべられる状態になっているってこと。 ところが今夜はがライブなんぞに出かけたので飯が冷えていたので、仕方なくビールのみで空腹をごまかすしかなかったの。 このみじめな状況に至ったのはのせい、それをわかっているくせに飯をさっさとあたためず、ビールを仕方なく飲んでることに申し訳なさも感じてないに憤慨してるのね。 はっきりいって頭おかしいわ。 大の大人が自分で自分の飯をあっためることもできないなんて、そしてそれを誰かのせいにしているなんて恥ずかしいわ。 メールだかラインだかがきた時点で家に帰った時自分でやらなきゃならないって心構えしないといけないはずじゃない。 なのにそれをできずに子供みたいに駄々をこねてる夫は、異常と言っていいと思うわ。 たぶん人もそれを、無意識

    自分の思う通りにいかなかったからでしょうね。 思う通りってのはつまり、..
  • 教師との恋愛という罪の告白

    先生と出会ったのは、わたしが中学生の時です。彼は大学院を卒業後、国語の非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長は10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。 当時のわたしは、授業中は寝ているか、教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生。わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。 気持ちが変わったのは、制服のシャツが半袖に変わり始めた頃で

    教師との恋愛という罪の告白