まさかなさん@masa_kanagawaの2016年活動報告会。です 最後のおちさん@02320_ochi の感想に「何も盛らない情報の羅列」という言葉がありますが、確かに何も盛らないということの素晴らしさをこれでもかと見せていただいたように感じます。 また来年も是非!お願いしますね!まさかなさん!
2013-09-16 「 ムッキャアアアアアに始まりアインシュタインに至る冒険」 #サイエンス・ソーシャルカフェ「あたしのために」 9/7 早野先生お話会 とんでもなくすごい方をお呼びしてしまいました・・・。 東京大学大学院教授 早野龍五先生。twitterでおなじみの、あの@hayano 先生ですよ。 呼んじゃった・・・。 来てくださった・・・。 マジ?(゚Д゚;) ご本業である物理に関する中学生・高校生向けの内容です。 今回のお題は「五七五に始まりアインシュタインに至る冒険」。 メインの参加者であるこどもたち以上に、一緒に参加する親御さんたちの方が「物理?難しくない?わかるかな?」と心配されていました。 だって物理って難しいじゃない? 化学や生物は結構身近にあるけど、物理って正体がよくわからない。 でも、実際には、時間がわかるのも、今いる場所がわかるのもみんな科学(主に物理学)の
2013年4月20日、いよいよその「実験」を世に試す時がやって来た.理研の一般公開.理論物理学研究者そのものを展示する、という試みである. 展示中.「うぉーすげぇ、わけ分からん数式書いて英語でしゃべってる」「ひょえー、なにこれ」「科学者って必殺ワザ持ってるん?」「これカッコいいねぇ」「ぼくも黒板でさんすうするー」「がちガリレオ!?」 なぜこんな試みをしたか、少しその理由と顛末を書いてみよう. 通常、どこの研究所の一般公開へ行っても、科学の成果を分かり易く説明するコーナーがあふれている.子供をとりこにするような工夫があったり、大人を惹き付けるような仕組みがあったり.研究者も広報部も大変な努力を払って、世間の方々に科学の仕組みや効用を理解してもらいまた訴えている.僕はこのやり方に、かねてから少し、感覚的に疑問を持っていた. その疑問の理由が明確になったのは、去年の一般公開の時である.僕は、延與
https://readyfor.jp/projects/mushimushi?sns_share_token=
放射線に関する不安や恐れ、それから派生する差別etc。 もうない?まだある? あるのだとすれば、それ、そのままにしておいていいのかな、それとももう何もしないほうがいいのかな。 でも、「国や原子力ムラのすることは信じられない」って聞くと結構辛くない? 続きを読む
たとえ更新が遅くても気長に見てください。また、ここの特徴として、一旦書いた記事を修正して再投稿する事もあります。 コメントは承認制です。コメントを書いてもなかなか反映されない時には「コメントを見ている暇が無いのだな」と思ってやってください。 ===コメントされる方は、節度を守る様お願い致します。名無しやダブハン、マルチポストは御遠慮ください。頂いたコメントは、私の気まぐれにより無警告で削除したりしなかったりします。予めご了承ください。=== 初回公開日:2012年03月20日 最終更新日:2012年03月20日 1.ニセ科学批判は(少なくとも現状では)誰がやっても良い、どんな方法でやっても良い (ニセ科学批判とは、文字通り「ニセ科学を批判する行為」です。少なくとも私のブログでは、それ以上の意味は含ませていません) 現状におけるニセ科学批判は、組織立ったものではありません。ニセ科学批判を職業
TwitterとかFacebookで書いたものについて、ブログでも公開することにした。 第一弾は、「欠如モデル」と「欠如モデル批判」について。 とある原稿で「欠如モデル」について書くので、その下書きというかメモ。 (4月にFacebookに書いたもののコピーです。あしからず。。。) 一気に書きなぐった文章なので、まだ文章が硬すぎる・すっきりしない・分かりにくい。。。orz またちょっと長いので、もうちょっとシンプルにかつ短くまとめないといけないけれど、そのあたりはご容赦ください。 あくまでメモということで。 - 欠如モデル 「欠如モデル(Deficit model)」とは、一般の人々が科学技術を受容しないことの原因は、科学的知識の欠如にあるとして、専門家が人々に知識を与え続けることで、一般の人々の科学受容や肯定度が上昇するという考え方を指す。このような考え方は、1980年代までの「科学の公
九州大学の古賀徹准教授の非科学的な非科学狩りと云うエントリを読んだ。 先に言い訳しておくと、ちょっと感情的になりそうなのであまり親切に、丁寧に書けないと思う。 科学的に効果が証明されていない物質を摂取することで、より適切な手段がとられないなど、別の害が生じる可能性は存在する。しかしそれは、二つの手段のうちどれが可能性としてより適切かという比較の問題である。前者より効果的だと予測される手段があるのにそれが採用されていないという批判なら分かるが、前者が「非科学的」だからその手段をとるべきでないという批判は、多くの場合それ自体非科学的だといえよう。このひとは、ではどうすれば二つの手段のうちどれが可能性としてより適切かという比較の基準を共有可能にすることができる、と考えているのだろう。「非科学的」だからその手段をとるべきでないと云う基準を置くことは、まさに個人的な経験の範囲を超えて共有することので
大変な状況だからこそ、お互いの事を信頼し、前向きな遣り取りが出来る事をどらねこは願っています。そんな気持ちで思うところを正直に書いてみました。 ■ボクたちはそんな風に社会化された 小さい頃、『知らないおぢさん(人)についていってはイケナイよ』、そんなふうな話をされた記憶があります。知らない人が全部アブナイわけじゃない、中にはイイ人もいるのかもしれないけれど、知ってる人よりアブナイことはたしかです。子どもにはその人がアブナイ人なのかイイ人なのかの判断はとても難しい。だから本当はアブナイおぢさんじゃないのかもしれないけれど、知ってる人より知らない人のほうがアブナイのは事実だから、知らないおぢさんにはついていかないように、と教えることでリスクの回避を図るわけですね。でも、それってつまり、そう教えないと子どもは知らないおぢさんにでもついていくってことだよね。じゃあ、どうして知らないおぢさんでもつい
本エントリでは、「米のとぎ汁乳酸菌」に関わるやり取りを題材に、根拠のない健康対策やニセ科学・トンデモと呼ばれる情報を信じる方に対して、どのように意見を発信したらよいのか、どうやって問いかけをしたら聞いてもらえるのか……について考えてみたいと思います。 最近、放射能対策として「米のとぎ汁乳酸菌」というやり方が紹介されているのをあちこちで見かけます。お米をといだ汁にあれこれ加えて常温で熟成させ、乳酸菌を育成したものを噴霧・飲用などすると微生物が放射能を除去してくれるらしい――というものです。 このやり方については、効果が疑問視されているだけでなく、「腐ったものを摂取/吸引する」という行為自体の危険性について指摘されています。特に子供のいる家庭などでは、何が育っているのかわからない溶液を子供に飲ませることによる食あたりが、直接点眼したり吸い込んだりすることによる結膜炎や肺炎など、健康への悪影響が
注意点 事例として自然科学を取り上げているので「サイエンスコミュニケーション」という言葉を使っていますが、わかりにくければ「専門家と非専門家のコミュニケーション」と読み替えて大丈夫です。 僕自身は人文学の研究者です。 なんか仰々しいタイトルを付けてしまいましたが特に結論は無いです。あといつも通り長いです。 震災以降、特に放射線関係を中心に、サイエンスコミュニケーション*1やサイエンスコミュニケーターの重要さ・必要性が話題になることが多くなったような印象があります。もちろん僕はそういう方面に興味があるので単なるバイアスかもしれません。 これを機に、職業としてのサイエンスコミュニケーターやサイエンスライターの質・量がある程度確保されるような状況が出来上がっていくのなら、それはとても良いことではないかな、と思うのですが、いわゆる科学者/研究者自身はこれからどれぐらいの「サイエンスコミュニケーショ
外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。 いろいろ要求されると疲れるよねという話です。梨の暗黒面が噴出しているのでそれでもいいという方のみ推奨。 このまとめを読んで思ったことです。 Togetter - 「科学者への信頼は失われたのか?科学者達の努力と疲弊」 僕には関心のある数少ない科学者、サイエンスライターにこんなことを言っても彼らをより疲弊させるだけにしか感じられません。 大体、科学者の欠如モデル(一般人には科学的知識が不足している)では全然だめだという平川氏からして科学者にはコミュニケーション能力が不足しているという欠如モデルを使う始末。 コミュニケーションの専門家らしいですが、科学者側に伝える気あるんですかねぇ?相手はダメでも自分は使うなんてダブルスタンダードに見えますが。モチベーションの維持は科学者にゆだ
kikulog:少ないものをどれほど減らしても多いものには影響しないわけでのコメント#14#15がおもしろい。 >「事故で大量に流れた」ほうが圧倒的に問題なんです。 きくちさんは倫理学で言うところの「帰結主義」と呼ばれる立場を当然の前提としてとっておられるんだろうと思います。何をしたかではなく結果としてどうなったかが大事だ、という考え方です。この考え方をとるなら、大勢に影響のない行為で責められるのは確かに筋が通りません。 これに対して、倫理学でいうところの義務論という立場であれば、結果の如何に関わらず何をしたかで行為の善し悪しが問われ、徳倫理学と呼ばれる立場では、どういう動機、心情でやったかということが重視されます。倫理学では、帰結主義よりも、これらの立場の方がわれわれの「直観」、無意識のうちに受け入れている倫理観に沿っているということがよく指摘されます。 義務論の考え方からすれば、意図せ
kikulog 記事一覧 カテゴリー別記事一覧201410 2014/10/22 江本勝氏の死去 201409 2014/09/12 生協の「書評対決」の書評 201407 2014/07/04 「いちから聞きたい放射線のほんとう」サポートページ 201406 2014/06/04 「いちから聞きたい放射線のほんとう」訂正箇所 201404 2014/04/23 朝日新聞に書評が出るようです [kikulog 647] 2014/04/09 理研CDBの騒動について [kikulog 646] 2014/04/07 博士論文中での剽窃について [kikulog 645] 201403 2014/03/17 「いちから聞きたい・・」のあとがき [kikulog 644] 2014/03/03 論文: Structural flexibility of intrinsically disord
卒論生、大学院生、ポスドク、研究者の多くが、年末・年始に帰省されることと思います。ぜひ、帰省したらプチっとサイエンスコミュニケーションをしましょう。 ミッション あなたが行っている研究が意義あるものだということを親、兄弟姉妹、親族に理解してもらいましょう やり方 「最近、どうよ?」とか「お前、今、何やってんの?」という近況報告が求められたときがチャンス!さらっと挑戦してみましょう。 諸注意 大原則は「知らないことは罪じゃない」「話を理解してもらえない場合は説明する奴が下手くそ」の2つです。 大まかな理解をしてもらえればそれで良しとしましょう 授業ではなく、コミュニケーションです。相互理解が進めばそれでOK!テストはしません。話が脇にそれたとしても、にこやかに相手の知りたいことを説明してあげましょう。その余裕があなたに知識があるということを印象付けます 愚痴をこぼす良いチャンスですが、あまり
私の所属している筑波大学の機関で、「専門家と素人の対話」という継続的なセミナーを立ち上げましたので、お知らせします。 このセミナーは、専門家と素人(非専門家)間における情報伝達およびコミュニケーションの問題について主に人文社会科学的な視点から考えていく、ということを目的にしています。 セミナー「専門家と素人の対話」第一回:サイエンスコミュニケーションの現場 日時:2010/12/20(月)18:15〜20:00(明後日かよ!) 場所:筑波大学筑波キャンパス共同利用棟A103教室(筑波大学|アクセスマップ|中地区) (会場への詳しい行き方はもう少し下にあります。) 講師:亀尾敦氏(PSJ渋谷研究所Xの中の人) 主催:筑波大学人文社会科学研究科IFERI 第一回は、亀尾敦氏を招いて、雑誌・書籍・ブログといった異なる形態のメディアにおけるサイエンスコミュニケーションの問題について、具体的なエピソ
中原淳(東京大学准教授)のブログです。経営学習論、人的資源開発論。「大人の学びを科学する」をテーマに、「企業・組織における人の学習・成長・コミュニケーション」を研究しています。 すごいことを「仕掛け」ているそうである。 「はこだて国際科学祭」 仕掛け人の中心にいるのは、公立はこだて未来大学の美馬のゆり教授(教育工学・科学コミュニケーション論)だ。 はこだて国際科学祭 http://www.sciencefestival.jp/ はこだて国際科学祭・企画書 http://www.sciencefestival.jp/pdf/sci_fes20090529.pdf 美馬のゆり教授 http://www.fun.ac.jp/staff/staff_arch/mimanoyuri.html はこだて国際科学祭は、「地域のネットワーク・資源を活かして、科学する文化を創造すること」をめざしている、地域
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く