タグ

思想に関するtomoyukixのブックマーク (4)

  • ネオコン派の台頭とその論理

    ネオコン派と呼ばれる人々 ブッシュ政権がすべてネオコン=Neo-Conservative(新保守主義)と呼ばれる人々によって支配されているかどうかは確かではないけれども、少なくともタリバン征伐を目的とするアフガン紛争や今次のイラク戦争を見る限り、アメリカの軍事・外交戦略がネオコン派と呼ばれる人々の大きな影響のもとに形づくられているのは明らかである。 ブッシュ政権は決して主知主義的ではないが、軍事・外交戦略にネオコンが持つ理論を摂取し、軍事・外交戦略に理論的な光彩を添えようとしているようにみえる。イラク戦争中のニューズウィーク誌に次のような記事が掲載されている。 ブッシュ政権が主知主義の温床でないことは周知の通りであるが、そのことが「ネオコン」、特に国防副長官のポール・ウォルフォウィッツ、政策担当国防次官補ダグラス・フェイス、副大統領首席補佐官I・ルイス・リビー(以前の政権においてウォルフォ

    tomoyukix
    tomoyukix 2014/03/05
    ネオコンの思想やそのルーツについて丁寧にまとめてある2003年の記事。イラク戦争から10年が経過して、ネオコンは軍事力ではなく、民衆扇動に基づく「自発的」なインスタント革命を目指すようになってる気がする。
  • ニーチェを搾取し、ビジネス書を売りさばく今の出版界は死すべきか?

    今、都内の大型書店に行くと必ず平積みで置かれ、文芸、人文思想界隈で話題となっているがある。佐々木中氏の『切りとれ、あの祈る手を <>と<革命>をめぐる五つの夜話』(河出書房新社)だ。哲学、現代思想、理論宗教学を専門とする佐々木氏が、文学(を読み、読みかえ、書き、書きかえること)が、これまでいかに革命を成し遂げてきたか、ルターやムハンマドなどを例に、思想・哲学の専門家にではなく、を愛するすべての人に語り下ろした良書だ。 今回、著者の佐々木氏に、「若者の活字離れ」「出版不況」が叫ばれる中で、出版点数だけは右肩上がりに増える日での「の消費のされ方」をテーマに話を聞いた。 ――まず、思想界に衝撃を与えた処女作『夜戦と永遠』(以文社)以来、2年ぶりとなる書を出版した経緯を教えていただけますか? 佐々木氏(以下、佐) 前作を出版してから、こんな不況のご時世にもかかわらず、ありがたいことに

    ニーチェを搾取し、ビジネス書を売りさばく今の出版界は死すべきか?
    tomoyukix
    tomoyukix 2010/12/22
    @bonite09さんによる佐々木中さんのインタビュー記事。佐々木さんの写真をはじめて見たが、なんとなく姿格好と雰囲気が鈴木謙介に似ている。(気を悪くしたらごめんなさい。)
  • 神話的暴力と神的暴力、あるいは「動物」たちの反乱 - 梶ピエールのブログ

    少し前の、稲葉振一郎氏のエントリより。 少し話は変わるが、人(認識・行為の主体)を殺すということは、ある意味で(すなわちその人にとっての)世界を終わらせるということであり、その意味で人を殺すという営みは神的である。レヴィナスが「殺人は不可能である」と言ったのは要するにそういう意味においてであるとは言えまいか。つまりより正確には「殺人を人として行うことは不可能である」ということであったのではないか。殺すことにおいては、人は実に簡単に神の真似事ができてしまうのである。 もちろんその対極の、いわば「神の真似事」の困難な極というものが考えられる。すなわち、世界を創造するということだ。しかしこうした作業でさえも「真似事」としてであれば十分に可能である、とは言えまいか。すなわち、ある人にとってはその外側、ほかの可能性(「可能世界」と呼んでしまうことはとりあえずは差し控えるとして)が想定できないような環

    神話的暴力と神的暴力、あるいは「動物」たちの反乱 - 梶ピエールのブログ
    tomoyukix
    tomoyukix 2010/11/20
    神話的暴力/神的暴力についての分かりやすい見取り図。
  • ホモナショナリズム批判について、あるいは、ジュディス・バトラーによるベルリン・パレードからのプライズ受賞拒否関連メモ - FemTumYum

    ご無沙汰しております。 そこここで既に情報が出ていることですけれども、2010年6月19日、ベルリンのChristopher Street Day(ベルリンのプライド)からおくられることになっていたCivil Courage Prize(勇気ある民間人に贈られる賞、という事のようです)を、ジュディス・バトラーが拒否する、という出来事がありました。受賞拒否スピーチがYouTube に上がっていて、これがまたきれいにまとまってそれなりに気持ちのあがるスピーチな上に、そもそも良い感じの落ち着いた声をしているバトラーがドイツ語で演説すると「ブッチすぎて萌え」 等という感慨も誘発したりしなかったりするわけですが、そんな事は勿論どうでも良くて。 勿論、バトラーというクィアスタディーズ業界での知名度とか業績とか影響力でいったら世界でもトップ数人に入るだろうというオオモノがこんな事をやったのね!というのは

    ホモナショナリズム批判について、あるいは、ジュディス・バトラーによるベルリン・パレードからのプライズ受賞拒否関連メモ - FemTumYum
    tomoyukix
    tomoyukix 2010/10/20
    今更ながらブクマ…。情報が遅いことを恥じました。
  • 1