東京大学大学院情報学環教授 北田暁大〔Kitada Akihiro〕 龍谷大学社会学部准教授 岸政彦〔Kishi Masahiko〕 岸 この対談は、「社会学はどこからきて、どこへ行くのか?」というテーマで進めたいと思います。社会学の現状を、研究環境や研究動向から、おおまかに捉えて、もういちど考えようと思っています。まず簡単に自己紹介から始めます。僕は2年前に、戦後の沖縄のことを論じた『同化と他者化――戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013年)という本を出版して、そのあと『街の人生』(勁草書房、2014年)という、生活史のインタビューをそのまま載せた本を書いていますが、本を書くようになったのはこの2年くらいです。このあとも何冊か、順次出ることになっています。北田さんは、僕から見ると若いときから世に出ていた方で、1970年前後生まれの同世代のなかでは、燦然と輝くスターです(笑)
『なぜ木村政彦は力道山を殺さなかったのか』を読んで知ったのは、明治大正昭和の財界人、ヤクザ、実業家、みんな若いころに柔道をやっていて、そのコミュニティでどんどん人脈が広がり、それで社会的に成功していったので、社会的な成功に『柔道がそれなりにできる』が必須だったこと。 勉強ができるだけでは駄目で、社会的成功には文武両道が求められていた時代だったのかな、と思う。柔道家の視点からのドキュメンタリーなのでそうでない部分も多かったと思うが、映画「風立ちぬ」でも主人公は柔道が強かったし、やはりそういうのがあったのだと思う。 それが昭和後期(戦後)になると野球やラグビーになって(これはGHQによって武道が禁止されたところが大きいと思う)そして、大企業への就職や、取引なので、どこどこ大学の野球部(ラグビー部の)だれだれ、という形で、人脈が作られて行ったのだと思う。社会的成功にスポーツが必須だった。 今はそ
序 「混住社会」というタームが使われ始めたのは一九七二年度の『農業白書』からだとされている。 七〇年代初頭の日本の農業は、世界に例を見ない六〇年代以降の高度経済成長の激しい照り返しを受け、非農業部門との土地や水などの資源利用をめぐる競合の激化、地価の高騰、農業就業者構成の老齢化、後継者の離脱と不足などの多くの深刻な問題が生じていた。 その問題のひとつが「混住社会」であり、それをタームの発祥の地である七二年の『図説農業白書』(農林統計協会)が次のように分析している。 今日の農村社会は、都市化が広範に浸透しつつあるなかで地域的に異なった様相を示しながら複雑な変ぼうを遂げつつある。大都市近郊地帯では、土地の農業的利用と都市的利用の混在や通勤兼業農家の増大等を通じて農村社会は専業農家、兼業農家および非農家の混住する地域社会へと変ぼうしつつあるばかりでなく、動植物の生育環境の悪化などに伴い農業生産活
新進気鋭の漫画家、山田胡瓜氏がテクノロジーをテーマに日常風景を描く。四季大賞作家。週刊チャンピオンで「AIの遺電子」を連載。「バイナリ畑でつかまえて」のKindle版も好評発売中! 半径300メートルのIT: SNSが加速する“デジタル孤独死”のリスクに、アナログで立ち向かう方法 今や誰もが使っているSNS。そのユーザーの多くは、自分のタイムラインに流れてくる投稿には気付いても、いつの間にか投稿をやめた人たちのことには気付きません。多くの情報がオンラインでやりとりされる今、私たちは互いの「生存確認」をどうすればいいのでしょうか――?(2018/12/18) よりぬきAIの遺電子さん: 近未来SFマンガ「AIの遺電子」出張掲載 第33話「労働のない街」 週刊少年チャンピオンで連載中の“近未来版ブラック・ジャック”こと「AIの遺電子」がITmedia NEWSに登場。今回は第33話「労働のない
またしても震災。久しぶりの本ブログの更新は、新年ならではの楽しくのどかな話題にしようと思っていたのに、能登半島付近を震源地とする震度7の大地震が、よりによって元日の雪国を襲った。それに二度と聞きたくもない津波という言葉が報道に含まれている。 ちなみに当日私は、都内で常磐線に乗っていたのだが、近くにいた一人の緊急地震速報らしきものが鳴っただけで、電車の揺れも感じなかったので、うかつにも間違いだったかと思っただけで自宅に戻ったら大変なことになっていた。帰宅のタイミングも悪く、大津波警報が出てから到達する予定時刻の間。早く逃げてくれと思うほか何もできない時間帯。 一夜明けて、現場の状況が明らかになるにつれ(まだその一部なのだろうが)、救助を待つ皆さん、救助に向かう皆さんの強運や努力を祈るのみ。それに水不足が伝えられているのも心配だ。つながっているライフラインを損なうような余震は来るな。寒いのだ。
◇棚は手作り ボランティア運営 琉球アサガオのツタに覆われた建物の入り口をくぐると、古書特有のにおいが漂ってきた。体を横にしてやっとすれ違えるほど狭い通路の両脇に並んだ書架には、本がうずたかく積まれ、「カンボジア」「ブータン」「台湾」など、手書きのラベルが差し込まれている。床には、未整理のままの段ボール箱の山。迷宮のようだ。 「こっちです」。声のする方に向かうと、奥の部屋から「事務局長です」という坂口勝春さん(70)が「本棚は私らで作ったんです。スギ板をノコギリで切ってね」と笑いながら、人懐っこい顔で出迎えてくれた。 「アジア図書館」。阪急淡路駅(大阪市東淀川区)から線路沿いに歩いて5分ほど、閑静な住宅街に隠れるように木造2階建ての古びた建物は立っている。坂口さんらが行政の助けを借りず、自力で築いてきた。 蔵書は約50万冊を数え、府立中之島図書館(北区)にも匹敵する。ほぼ全てがアジア諸国に
真魚八重子(映画文筆業。「映画秘宝」「キネマ旬報」「TRASH UP」ほかで執筆多数) 「文化系女子」という言葉は業が深い。非常に使い勝手のいい言葉であると同時に、深く考え始めると、なんだかその範囲がぼんやりしてきて(?)となってしまう。でも、なにか絶対的に揺らがない共通の芯があるような、ある種の女性たちを的確に捉えた言葉。もちろん、この言葉を使う人によって定義に微妙な差があるし、少女でもないのに「女子」という呼び方が使われることに、露骨な苛立ちを見せる人も多い。「文化系女子」と呼ばれている女性像へ無性に反発を覚えるかたや、女性のなかでもひとつの言葉で自分の存在をくくられてしまうのが、窮屈でたまらないひともいるだろう。 そもそも「文化系女子」というのはざっくりした総称だ。読書、音楽、映画、美術など、インドア派な趣味をもつ女性たちを呼んだ表現だが、当たり前だけれど、そのなかには多様性がある
ためし読み 2024/4/11 泉 賢太郎 化石を追求するロマン……だけじゃない研究の現場をお届けします! 『古生物学者と40億年』より本文の一部を公開
「太陽の季節」から57年。 坪内逍遙『小説神髄』に始まりを求めると、 この小説は、日本近現代文学史のちょうど中間あたり、ヘソに位置している。 以来、石原慎太郎は文学の一線に出ずっぱりであり、 芥川賞を見ても、石原以前の受賞者で存命であるのは安岡章太郎一人のみで、 「現役の作家」というしばりを加えると石原が最古ということになる。 つまり、石原慎太郎の歩みは、戦後日本文学全体とほぼ軌を一にしている。 良くも悪くも強烈な存在感を放っていながら、 しかし、石原の文学が正面切って扱われたことはごくわずかしかない。 作品数の膨大さも含めて、なにか対処に困るもの、とでもいわんばかりだ。 戦後日本文学を、まるで暗黒物質のように鬱然と覆う石原慎太郎の文学。 この深い暗黒を再び太陽でともすことはできるのか? ――それがこのイベントの問いであり試みである。 ※ウクレレ教室付き ――栗原裕一郎(
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