integrity「総合性・一貫性・誠実性」の良心を貫いた戦後初の真正保守思想家である西部邁先生が2018年1月21日に自裁されました。謹んで哀悼の意を表します。 生前における最後の番組収録では何が語られたのか?西部邁とは何者だったのか。 視聴者に日本人のcommon senseを伝えたいと10年目を迎えた番組の司会者で評論家の西部邁先生による生前最後の特別講義は「現代の日本社会」。常に総合性・一貫性・誠実性を持ち、ユーモア交え真剣な正論を発し続けて来たゼミナール長は何を語ったのか。 「テレビ」の原義はtelevisionであり「tele」〔遠くから〕「vision」〔像を見る〕ことだ!兎角、粗雑になりがちな言葉遣いにおいても、日本人の感覚や知覚、認識を含むものcommon sense「良識」を最後まで大事にしていた西部邁による生前最後のメッセージ。 価値ある物事の考え方を世に広める
あの伝説的フュージョンバンド・カシオペアのキーボードとして、一時代を築いた向谷実(60)。現在は「音楽プロデューサー」「作曲家」だけではなく、「実業家」「コメンテーター」の顔を持ち、「鉄道タレント」としても活躍する彼はどのような思いで80年代を駆け抜けたのか?そう尋ねると、驚くほどクールな語り口であの熱狂の時代を振り返るのだった―― ⇒【写真】カシオペア時代の向谷氏 ――まずは80年代に突入する以前、1977年に向谷さんがキーボード担当としてカシオペアに参加した当時、日本の音楽事情はどういった様子だったのでしょう? 向谷:まだ「歌のないバンド」が、リスナーだけじゃなく業界内でも珍しい存在とされる時代でした。ましてや全国ツアーまでやるなんて、あり得なかった。テレビに出たら「今日の歌のお客様です」と紹介され、「歌はないんですけど……」とオチがつき、ラジオに呼ばれたら「ボーカルは誰ですか?」と
「テレビはつまらない」「テレビ離れ」など、テレビにまつわる話にはネガティブなものが多い。 しかし、いまなお、テレビは面白い! そんな話をテレビを愛する「テレビっ子」たちから聞いてみたいというシリーズ連載の4人目のゲストは、元フジテレビのアナウンサーで現在はフリーとして活躍する八木亜希子さん。 報道や情報、音楽、トーク、バラエティ番組はもちろん、朝ドラや大河といったドラマまで、あらゆるジャンルのテレビ番組に出演している「テレビの申し子」と言っても過言でない存在です。 第2回は、フジテレビ時代にかかわった番組や、クリスマスの風物詩『明石家サンタ』で共演する明石家さんまさん、『笑っていいとも!』でのタモリさんら、共演者たちにまつわる話をお伺いしました。 ◆ 有賀が「F1」、景子が「ニュース」、私が「笑っていいとも!」 ―― 初めてついたレギュラー番組は『笑っていいとも!』ですか? 八木 そうです
Facebookへ移動のお知らせ posted on2013年07月14日12:54 bydrecom_onomichi_masa Permalink » drecom_onomichi_masa 2Comments » no trackbacks 尾道再生! 夏合宿2013 ~土の中で暮らそう!小さな隠れ家土の家づくり~ posted on2013年07月13日08:34 bydrecom_onomichi_masa Permalink » drecom_onomichi_masa no comments no trackbacks Category :夏合宿 尾道建築塾たてもの探訪編2013、予約受付開始しました! posted on2013年04月08日02:41 bydrecom_onomichi_masa Permalink » drecom_onomichi_masa 3Co
時の流れというのは早いもので、2013年ももう5ヶ月過ぎた。 いつもこの時期になると聞こえてくる言葉の一つに「5月病」というものがある。意味は知っている方も多いと思われるが、簡単に説明すると意気揚々と4月に飛び込んだ新しい環境に馴染めず鬱状態になったり「本当に今のままでいいのだろうか」とやけに軽く焦ってきたり(これはもしかして僕だけだったのだろうか)する精神状態のことを言うらしい。 何分僕もその頃、まだ若いというのに人生の意義や今後の進路について過剰に煩悶していた張本人であった。当時、高校1年生の頃だった。そして、なんと勝手に地方から東京に出、結果的に約3年間を無駄と化してしまったのである。 これから僕が書くのは「懺悔」の文だ。と同時に、今頃僕と同じ、正確には3年前のあの頃の僕と同じ精神状態に陥っている高校生(もしかしたら中学生も含むかもしれない)への、ちょっとした戒めの文でもある。稚拙な
「言葉の力」という言葉を、たまに耳にします。 その度に、こんなに気持ちの悪い言葉も中々ないよなと思う。ザワザワします。それがもしコピーライターが使っている言葉だとしたらなおのこと。その違和感を強く感じたのは、ちょっと昔の朝日新聞の広告でした。 言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。 それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。 ジャーナリスト宣言。 どうですかなんとなくモヤモヤする何かがありませんか?僕も最初は、そのモヤモヤの在処を突き止めることはできなかったのですが、小田嶋さんがとてつもなく鋭く射抜いてくれました。それがこの「コラムニスト宣言」です。とても好きな文章です。一部を引用します。 マジレスをすると、言葉を信じることより、言葉のうさんくささを自覚して、常に自らをいましめることが、ジャーナリストたる者が持つべき心構えの第一条だと思う。…中略…そう。言葉の残酷さを、言葉のせいにしては
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