日本語の使い方と近代社会崩壊と自然科学に関するwakabaroomのブックマーク (1)

  • 恐山あれこれ日記: 「仏教は科学」ではない

    「仏教は科学」ではない あるものがそのようなものであることの根拠、これを「実体」と言うなら、仏教はそれを認めません。その「実体」を「我(アートマン)」と呼ぶとすれば、すべての存在は「非我」だと言うことは、人間はいかにしても「我」を認識できないという意味になり、認識できないならそれを論じることは全く無意味でしょうから、もはやそれは無いも同然、すなわち「無我」ということになるでしょう。 この「非我」「無我」「空」という考え方は、仏教のごく初期、ゴータマ・ブッダの言葉にも表現されている教説ですが、この教説が陥りやすく、かつ最もわかりやすい解釈は、要素分割主義的なアイデアです。 すなわち、「車」そのもに「実体」はなく、部品の寄せ集めで「車」になっているように、この世のあらゆる存在は、五蘊(色・受・想・行・識)の寄せ集めに過ぎない、と考えるのです。この考え方は、ゴータマ・ブッダの弟子とされる者もすで

    恐山あれこれ日記: 「仏教は科学」ではない
    wakabaroom
    wakabaroom 2014/06/20
    "初期経典の翻訳(中村元訳)が原文に忠実なら、どうみても要素分割主義的理解はダメでしょう。結局、翻訳文のようなアイデアの理論化は、ナーガールジュナの登場を待たなければならなかったのです。"
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