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批評に関するyanAoyamaのブックマーク (5)

  • 大塚英志緊急寄稿「企業に管理される快適なポストモダンのためのエッセイ」 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント

    星海社ウェブサイト『最前線』において6月中旬の開始を予定している大塚英志氏の新連載『角川歴彦とメディアミックスの時代』の公開に先駆けまして、大塚氏から緊急寄稿がありましたので急ぎ僕のブログを通じて公開いたします。タイトルは「企業に管理される快適なポストモダンのためのエッセイ」。 先日発表されたKADOKAWA・DWANGOの誕生が放つ巨大な重力から逃れて生きることは、ライトノベル漫画、アニメ、ゲーム、ネットなどのただ中で生きている僕たちにとってはほぼ不可能な状況になることでしょう。だからこそ、僕たちはたった今、個人個人が真剣にこのKADOKAWA・DWANGOの合併劇について考えるべきなのではないでしょうか。そういった意味で、この緊急寄稿は必読のテキストであると考えます。 また、新連載『角川歴彦とメディアミックスの時代』では、「メディアミックス」の誕生の原点とされる80年代史と角川源義、

    大塚英志緊急寄稿「企業に管理される快適なポストモダンのためのエッセイ」 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント
  • 「女たちの映画」としても観た『風立ちぬ』 - ピアノ・ファイア

    ブロガーの伊藤悠さん(漫画家の伊藤悠さんとは別人)と先日配信した『風立ちぬ』感想Ustから、「女たちの映画」として語った部分の書き起こしです。 全体では三時間ほど喋った内容のうち30分くらいを抜き出しています。 『風立ちぬ』という映画は「男(男の子)の映画」として解釈されやすくて、「女たちの映画」という視点は見過ごされがちだと思うんですが、むしろそういう風にも半分観ていた、という話をしています。 伊藤悠さんとの『風立ちぬ』感想Ustream - ピアノ・ファイア この録画の最初から30分ほどに該当 泉:泉信行 伊:伊藤悠(指輪世界/Twitter) 泉「町山智浩さんの感想の書き起こしがまとめられていて、それが男の話……ホントに男と男の子の映画として『風立ちぬ』を読んで、もの凄く明快に、いい映画だって風に語ってて。まぁぼくは、これに付け加えることは特にないなあ、くらい納得だったんですけど。町

    「女たちの映画」としても観た『風立ちぬ』 - ピアノ・ファイア
  • 「俺の邪悪なメモ」跡地

  • 佐々木敦×限界小説研究会トークショー | CINRA

    2009年7月、南雲堂より評論集『社会は存在しない ――セカイ系文化論』が刊行されたのを記念して、8月2日(日)、青山ブックセンターにてトークショーが行われた。登壇したのは、著者である限界小説研究会から蔓葉信博、渡邉大輔、そして1980年代以降の日思想について概観した『ニッポンの思想』を上梓したばかりの批評家・佐々木敦の各氏だ。トークショーでは、論集のテーマともなった「セカイ系」と呼ばれる、2000年代を代表するキーワードを巡り、白熱した議論が展開された。テン年代(2010年代)に批評が向かう道とはどこなのか、その方向性を示唆した貴重なセッションを、ぜひご一読いただきたい。 「限界小説研究会」って、なかなかカッコいいネーミングですよね?(佐々木) 『今日の日はさようなら』(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の挿入歌)の流れる中、登壇者たちが登場。 渡邉:なんか、この音楽を聴きながら登場する

    佐々木敦×限界小説研究会トークショー | CINRA
  • serious/unserious - hazumaのブログ

    文學界の連載でもいちど書いたネタなのですが、最近、「真面目」と「ふざけている」の境界についてよく考えます。 ■ そもそも批評家というのは詐欺師みたいなもので、どこまでマジでどこまでネタなのかよくわからない文章を生産するのが役割であるような変わった職業です。 しかし、それにしてもぼくは最近、ネットスターとかゼロアカとかやっているせいで、その混乱がますます進行している。たとえばぼくがネットスターで発している発言の多くはネタであるとして、しかしでは、ゼロアカで藤田くんやら坂上くんやらを褒めているのもネタなのか、ニコ動的生成力に批評の可能性が宿るとかいう発言もネタなのかといえば、ネタのような気もすればベタ(マジ)のような気もする。 逆に裏返せば、思想地図だってどれくらいマジなのか、自分でもよくわからない。客観的に観て自分の行動は「東はマジだ」と言われる水準をクリアしているとは思うけれど(したがって

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