歴史に関するyuri_donovicのブックマーク (12)

  • いたばし花火大会に関して

    火事が起きて途中中止になったけど花火は最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。 でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田橋花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。 そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川の改修工事が元になっている。 荒川放水路工事と河道直線化赤羽の岩淵に岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流の荒川は大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは

    いたばし花火大会に関して
    yuri_donovic
    yuri_donovic 2023/08/07
    板橋区と戸田市の境、荒川の話。ときどきなんだこれレベルの物知りが出てきてびっくりする(裏取りは必要)。
  • 『続く道 花の跡 - ななせ悠 | 少年ジャンプ+』へのコメント

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    『続く道 花の跡 - ななせ悠 | 少年ジャンプ+』へのコメント
    yuri_donovic
    yuri_donovic 2023/06/16
    こちらも良い仕事。描写対象と同じく、血の通った仕事を積むことを自ら実践されている。→コンピューターと呼ばれた女性たち http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/computer.html
  • ダイエー写真集

    ひとつ この仕事を通じて、お客さま全てのより豊かな暮らしに奉仕致します。 ひとつ 真心を込めて、よい品をどんどん安く売る事を働き甲斐と致します。 ひとつ 人を愛し、店を愛して、日々美しい努力を続けます。

    ダイエー写真集
    yuri_donovic
    yuri_donovic 2023/04/10
    千舟店はどこだろうか。今ある阪神千船駅前のグルメシティとは違うようだが。愛媛県松山市千舟町にあったという千舟町店ではなかろうか。背景の山が松山城がある城山のようにも見える。
  • 熱海でしか見れない、ユニークな町並みがある

    熱海は日を代表する温泉地だ。 その名声は徳川家康の入湯からはじまり、かつての新婚旅行や社員旅行ブーム、バブル期のリゾートマンション建設、現在のレトロブームなど、時代を越えて栄えてきた。 そんな大熱海だけれど、まだあまり注目されていないユニークさがあると思う。 ここにしかないレトロな町並みだ。 レトロはレトロでも、ハードでソリッドでモダンな、純度の高い60年代の町並みである。 まずは見て欲しい、ありそうでない熱海の町並み 斜面に立ち並ぶリゾートマンションやホテル群。写真の中央、山の中腹に熱海駅はある 熱海は山から海へと駆けおりる、急な斜面につくられた街だ。 平地はすくなく、うねうねとカーブする坂道が海岸線へと続いていく。 1967年竣工の熱海第一ビルは50年以上、熱海駅前のランドマークであり続ける 今回とりあげる町並みは、そんな熱海駅から平和通り名店街を抜けて、ニューフジヤホテルへと下って

    熱海でしか見れない、ユニークな町並みがある
    yuri_donovic
    yuri_donovic 2022/12/08
    熱海温泉の発展史と建築。
  • https://twitter.com/chunghyunjeong/

    yuri_donovic
    yuri_donovic 2022/05/12
    「からゆきさん」関係の資料のヒントとして。
  • 【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web

    JR高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事現場から見つかった高輪築堤跡=いずれも東京都港区で、社ヘリ「おおづる」から 1872(明治5)年の国内初の鉄道開業時、東京湾の浅瀬に線路を敷設するため造られた「高輪築堤(ちくてい)」の遺構が、東京都港区の再開発現場から出土した。かつて「列車が海の上を走る」と東京名所に数えられたが、一帯の埋め立てで姿を消していた。遺構は断続的に約1.3キロメートルにわたり確認。保存状態も良好で、開業時の鉄道の様子や土木技術を知る貴重な手掛かりになりそうだ。(梅野光春)

    【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web
  • アメリカは「人種のるつぼ」ではない──世界最大級の遺伝子バンクの解析で判明

  • 「被差別部落民18人殺害、美作騒擾140年の沈黙に抗う~頭士 倫典」 ジャーナリスト・西村 秀樹 | シリーズ・ 抗う人

    の近代黎明期、明治政府の新政策への反対一揆が多発する。1873年岡山県で被差別部落民18人が殺され襲った15人が死刑という美作騒擾が勃発。なぜ政府反対運動が部落民を襲うのか。襲った百姓の子孫が真相究明に乗り出した。 《ベクトルは逆方向》 殺されたのは被差別部落民ばかり18人、襲った側は死刑が15人、処罰者数が2万7千人。 1873(明治6)年、岡山県北部美作(みまさか)地方でおきた騒擾事件は明治の同種の事件の中でも大規模なのに、正史ではほとんど扱われない不思議な事件である。正史には政治指導者の動きや制度などが記述され、民衆の運動は記録されないのが普通といってしまえばそれまでかもしれないが、一番の謎は、明治政府への反対運動がなぜ下層の民を襲ったのか。沈黙が140年覆う。 永き沈黙に抗い、岡山の地元で真相解明が始まった。 やっかいなことに事件の名称が定まっていない。実は先行する少数をのぞけ

  • 京都にも空襲があった! - Yagiken Web Site

    (クリックで拡大) 2005(平成17)年8月に建立された空爆被災記録碑(京都市西陣) <京都空襲の事実> 広島が63回目の「原爆の日」を迎える2008年8月6日の日経済新聞朝刊の文化欄には、京都育ちの当方にとってはショッキングな記事が出ていた。「京都にも空襲があった-無空襲神話に心痛む-」という表題が目に飛び込んだので、何?京都は空襲を受けなかった街ではなかったの?と一瞬視力老化による見間違いかと思った。 執筆者は京都西陣にお住まいの瓦店の会長さんである。京都は「空襲を免除された街」という社会通念が、神話のように根を下ろしており、旅先で京都から来たというと、「良い街ですね。日の伝統文化の中心で由緒ある寺院や神社が多く、お蔭で戦災にもあわなかったのですね」と判で押したように言われるという。 かくいう私も、1946(昭和21)年に東京から京都に移り、2年後に京都西陣に程近い紫野御所田町に

    京都にも空襲があった! - Yagiken Web Site
  • DIRECTOR'S WATCHING No.67:ペリーの白旗事件について再論する

    遅咲きの梅花のころ、北京から「衛三畏生誕200年シンポジウム」への招待状が届いた。このタイトルを見て、即座に「ペリーの白旗」事件を想起する読者は幾人おられるであろうか。寥々たるものに違いない。衛三畏とは、サミュエル・ウィリアムズが自ら選んだ漢字名である。サミュエルというファースト・ネームを「三つの畏れ」と訳すのは、いかにも敬虔なクリスチャンの人柄を想起させる。 私は朝河貫一の旧友ジョージ・クラーク宛の書簡の紹介に依拠しつつ、ペリーの通訳サミュエル・ウィリアムスは、引退後イェール大学に中国学を創設した大学者であること、その子フレデリックもイェール大学准教授になり、父の遺産を整理する仕事すなわちThe Life and Letters of Samuel Wells Williams:Missionary, Diplomatist, Snologueを編集・出版したこと、そののレビューを朝河

  • インドネシア大虐殺はなぜ起こったのか/倉沢愛子 - SYNODOS

    昨年、「アクト・オブ・キリング」という、世界各国で様々な賞を受賞した異色のドキュメンタリー映画が日でも上映され、センセーションを起こした。 それは50年前にインドネシアで起こった共産党関係者の大虐殺の際に、殺害に手を染めた人々が誇らしげにその時の状況を再現して見せるというもので、その設定の奇抜さが評判を呼び、また人を殺すという行為にまつわる心理を描いたものとして関心を集めたのであるが、同時に歴史を振り返る機会も与えてくれた。 映画を見た多くの人が「あんな事件当にあったとはまったく知らなかった」と語った。わずか50年前の、しかもインドネシアという比較的近い国において、である。 毎年何十万人もの日人が訪れているバリ島(バリもれっきとしたインドネシアのひとつの州である)でも起こっていたのだというと人々はもっと驚く。そしてインドネシア史を専門としているこの私は、人々が知らないというそのこと

    インドネシア大虐殺はなぜ起こったのか/倉沢愛子 - SYNODOS
    yuri_donovic
    yuri_donovic 2015/09/08
    ここでも不安と憎悪の喚起と残虐行為のそそのかしが。メディアの操作と統制、外部からの封鎖。軍、警察等、権力からの容認と支援。普通の人々が日常の延長として虐殺し日常に戻る。社会のストッパー解除の恐怖。
  • 昔の漁師が全裸で町を歩いていた理由 - 御光堂世界~Pulinの日記

    昔(昭和戦前頃まで)の漁師は全裸で作業したり町中を歩いたりしていた。自分は、それは粋や伊達でそうしていたものだと思っていた。(注1) だが、それだけではなかったことが、 @bandy_u バンディー http://twitter.com/#!/bandy_u 氏の調査結果で明らかになった。以下引用。 藁チン文化についてちょろっと調べてる。思った以上に奥深くて、ちょっと窮屈な感じ。 なんで全裸でチンポに藁1結んだだけの姿で漁に出たり、ましてや街中を歩くのか理解できなかったけど、「着る服を持つような身分不相応なことはしておりません」という低い身分、隷属的な立場の表明だったんだ。 勝手に網子(どこかの網元の下で働いている漁師)が、勝手に褌だの半纏だのを着て町を歩こうものなら、それは「許されざる行為」だったらしい。全裸でいるべき身分の人間が服を着て町を歩いたり電車に乗ったりしようものなら、警官か

    昔の漁師が全裸で町を歩いていた理由 - 御光堂世界~Pulinの日記
    yuri_donovic
    yuri_donovic 2015/09/04
    出典を知りたい……
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