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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (19)

  • 『週刊現代』「わが人生の最高の10冊  No Books, No Life」没仮想インタビュー - shinichiroinaba's blog

    講談社の『週刊現代』から、異例に失礼な扱いを受けたためにここに公表させていただく。 == 9月27日に、『週刊現代』ライターのXさんよりメールで当該誌読書欄の「わが人生の最高の10冊  No Books, No Life」の取材依頼を受けた。以下、依頼メールより適宜引用する。 「お好きな10冊について1時間ほどお話をお伺いし、編集部でまとめさせていただきます。 稲葉先生の読書歴について、興味を持っております。」 「稲葉先生の「10冊」と「最近読んだ1冊」をお教えください。 取材日の1週間前くらいまでに、お教えいただきたいと考えております。 「仕事の糧になった10冊」「学生時代に読んだ10冊」など、10冊の範囲を設定いただいてもかまいません(特に、設定いただかなくても、かまいません)。 漫画や洋書、絵、現在は絶版になっているを選んでいただいてもかまいません。 ただ、読者層が高齢のため(6

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  • ベーシックインカムとベーシックキャピタル――と金融屋 - shinichiroinaba's blog

    主義が嫌いな人のための経済学 作者: ジョセフ・ヒース,栗原百代出版社/メーカー: エヌティティ出版発売日: 2012/02/09メディア: 単行購入: 20人 クリック: 834回この商品を含むブログ (16件) を見るを読んでいて著者ヒースが「ベーシックキャピタルよりベーシックインカムの方がまし」という主張を「双曲線割引」というか「あぶく銭は身につかない」効果から説明している(北米先住民居留地における一時金や、宝くじ高額当選者の事例などで補強している)のを見て少し考えた。 言われてみればかなりもっともらしいのだが、ここに金融セクターは必ずやビジネスチャンスを見出すはずである。 ベーシックインカムが導入されれば、その受給権は将来にわたる担保として機能するので、既存の消費者金融はそこに新たなフロンティアを見出すであろう。 ベーシックキャピタルが導入されれば、これを預かって人のかわり

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  • 「占有」について - shinichiroinaba's blog

    いい加減なノート。やっと立岩理論の意義と限界が見えてきた感あり。 ============================ 昨今の「市民社会」ブームの中ではほとんど忘れ去られていた、戦後日マルクス主義の一ウィングとしての「市民社会派」はマルクス『経済学批判要綱』の用語法で言うところの「領有法則の転回」を資主義理解の鍵となし、「労働に基づく領有」から「蓄積された労働=資に基づく領有」への転回を、来の市民社会からその頽落形態としての資主義社会への転化の態と考えた。そして剰余労働の搾取に基づく資主義社会は否定しても、「労働に基づく領有」を基軸とする市民社会は肯定しようとし、そこにおける所有をマルクスの用語法に従い私的所有とは区別される「個体的所有」と呼んで、社会主義革命をその再建、すなわち所有の否定ではなく変容、来のあり方への回帰として理解しようとした。 このような理解に対して、

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  • 今更ながら疑似科学について - shinichiroinaba's blog

    以前にも触れたが、今回にせよ、菊池さんの粘り腰には当に頭が下がるのだが、ここでいくつか備忘録的に思い出したことを書き留めておきたい。とりあえず断片的な記憶を断片のままに走り書きで引きずり出すだけなので、ピンときた方がおられれば、めいめい補足、補完していっていただきたい。 党派的な話を持ち出して恐縮なのだが、たしか安齋先生は日科学者会議で活躍しておられて、古い言葉でいうと代々木系、日共産党寄りの立場を取られていたと思う。そしてさらに古い言葉を使うと、70年代から80年代にかけて日でもその立場を確立させた「科学批判」「反科学」は反代々木系、「反戦平和」、ノンセクトラディカルの系譜に連なる人々に支えられていたはずだ。故高木仁三郎氏などはその代表であり、この時代以降の反原発運動の理論的バックボーンを提供していたのも、こうした人々であろう。米昌平氏もまた、こうした人脈に連なる一人であったは

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    Nihonjin
    Nihonjin 2011/10/25
  • これはひどい - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090616 この人に幻滅してずいぶんになるが今回はちょっと違う意味でもひどい。 あのさ、村木局長人は、まだ単なる容疑者に過ぎないんだよ? 検察と正面切って対決して、否認を続けてるんだよ? 真相はまだ全然明らかじゃないんだよ? 事実無根だったらどうするのさ? このエントリ取り下げてきちんと謝るの?

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  • 「職場」というマジックワード/バズワード - shinichiroinaba's blog

    これまでの日の労働問題研究で用いられてきた主要な分析の枠組は,重工業大経営での労務管理や労使関係に注目する際に,職場のあり方に焦点を当てて分析を行うという特徴を持っていた.職場はいくつかのレベルで捉えられ得るが,これまでの研究は職長(作業長)といった第一線の監督者に率いられた職場単位に目を向けて,そこで新技術導入によって旧来の熟練が解体される姿や,OJTによって新しい熟練が形成される姿を描きだし,そうした熟練のあり方をベースにして職場秩序を明らかにし,さらには職場のあり方から事業所レベルの労使関係を説明してきたのである.甚だしい場合は,特定の職場秩序を取り上げることで,当該企業のみならず,その企業が属する産業の「労働問題」が説明されさえした.いささか誇張すれば,研究は代表的な単一職場の中にその時代の労働問題を明らかにする鍵が隠されているとの分析視角から進められたのである. こうした観点の

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  • 積読解消 - shinichiroinaba's blog

    掠奪の法観念史―中・近世ヨーロッパの人・戦争・法 作者: 山内進出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 1993/03/01メディア: 単行 クリック: 11回この商品を含むブログ (5件) を見る いや、基だし。基。渡辺『日近世の起源』を読んだので。 ヨーロッパにおける「奴隷」観念は戦争と切り離せないのね。 あとやはり「ホモ・サケルがどーたら」というのは歴史学的に見れば所詮視野の狭い、ぬるい議論だったんだなー、と。『「公共性」論』書く前にちゃんと読んどくべきだった。

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  •  「無能な者たち」をめぐって - shinichiroinaba's blog

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e7c7.html 「無能」にまつわる小玉重夫の議論は言うまでもなく田崎英明『無能な者たちの共同体』を踏まえたものであるが、田崎の語り口は小玉のそれに比べるともう一段ガードが堅い。 小玉の語り口は余りにも見え見えというか、謙虚なそぶりをした傲慢、無防備なルサンチマンの露出という弱点がある。もちろん小玉による「無能」論は田崎のそれと無縁というわけではなく、韜晦気味の田崎の議論をわかりやすくパラフレーズしたものであるといってよいが、田崎の表現はもっと不気味なものだ。小玉の議論がわかりやすく謙虚なそぶりにおいて、すなわち「無能」に対する「有能」の優位をとりあえず認めつつそれを脱構築し逆転するという形で論が示されているのに対して、田崎はより直截に臆面もなく、「無能」の「有能」に対する優位を

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  • 娘の中学受験 - shinichiroinaba's blog

    小島さんや吉田君も報告されているので私めも。 「ゆとり教育」の薄さと横浜の児童福祉・公教育の惨状(保育園は少ないし児童館はそもそも存在しないしそもそも中学校で給がないってどういうことなの)に恐怖して私立受験準備を開始したのは割と早かったわけですが人が嫌がったので塾には通っていない。基は某Z会。 渡米前4年生終わりには某日能研の模試で偏差値55程度を叩き出すも、1年間の渡米が災いして帰国直後6年生4月に受けた模試では40を切る。 どうせ塾に入れても選抜クラスには入れないし、それだったら在宅受験でもかわらないし、意外と金もかかるし、というので思い切ってプロ家庭教師にお願いする。娘もなつき、来の時間を大幅に超えて熱心にやってくださったが、正味の時間の半分くらいしか狭い意味での「受験勉強」はしていなかった。せっかく家にゲームがない状況なのに娘にDSやらせないでください先生。 模試の偏差値は

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    Nihonjin
    Nihonjin 2011/10/24
    横浜か。
  • 和田一夫『ものづくりの寓話』(名古屋大学出版会) - shinichiroinaba's blog

    ものづくりの寓話 -フォードからトヨタへ- 作者: 和田一夫出版社/メーカー: 名古屋大学出版会発売日: 2009/08/10メディア: 単行購入: 1人 クリック: 24回この商品を含むブログ (7件) を見る まだ途中までしか読んでいませんが、とにかく産業研究に興味のある人は必読。これを読むとフォードやトヨタについてのイメージが一新される――というわけでは必ずしもないにせよ、格段に深まるはず。 「大量生産」「流れ作業」あるいは「かんばん方式」「ジャスト・イン・タイム」といった言葉で来何が意味されていたのか、それが歴史的なキーワードとして継承されて(すなわち「神話(寓話)化」されて)いった中で何が忘却されたのか、を丹念に明らかにしていく。「大量生産」にせよ「トヨタ生産方式」にせよ、狭い意味での「現場」、生産ラインだけを特権的にクローズアップしてもその質は見えてこない。全社的、更には

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    Nihonjin
    Nihonjin 2011/10/24
    「「大量生産」「流れ作業」あるいは「かんばん方式」「ジャスト・イン・タイム」といった言葉で本来何が意味されていたのか(…)何が忘却されたのか、を丹念に明らかにしていく」
  • 「占有」って何? - shinichiroinaba's blog

    遠藤著を読んでいると、「占有権」というものをどう考えるかというのが実は民法上のみならず憲法上もすごく重要であるような気がしてきたのだが……。 結局のところ人権というのはある種の身分のことに他ならず、身分というのは財産と不可分である。(身分とは単なる人の地位のことではない。生態学的な言い回しを使えば「ニッチ」であり、つまりはその地位ゆえに利用可能となり、その存在を支える社会的・自然的な資源−−つまりは排他的所有物をその典型とする「財産」とのセットなのだ。) 自然権としての人権という概念に危うさがあるとすれば、人権を支えるこの意味での財産とは何なのか、が見えにくいところにある。『「資」論』での拙論を延長すれば「労働力=人的資」がそれだということになるのだろうが、やはりそれではどうにもパンチに欠ける、というか足りない。 そこで居住権を含めた占有権ということについて少しまじめに考えてみた方がよ

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    Nihonjin
    Nihonjin 2011/10/24
    「結局のところ人権というのはある種の身分のことに他ならず、身分というのは財産と不可分である」
  • コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』(早川書房) - shinichiroinaba's blog

    ザ・ロード (ハヤカワepi文庫) 作者: コーマック・マッカーシー,黒原敏行出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2010/05/30メディア: 文庫購入: 11人 クリック: 54回この商品を含むブログ (67件) を見る 『ブラッド・メリディアン』に対しては『ウォッチメン』のような、隔掻痒な気分を覚えたのだが……これは来る。特に子持ちには来る。 核戦争という設定は二義的なものに過ぎない。

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  • ベンヤミンのいう「神話的暴力」と「神的暴力」の違いは - shinichiroinaba's blog

    要するに オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: 太田出版発売日: 2005/02/26メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 16回この商品を含むブログ (49件) を見るでいうところの時空犯罪とその不可能性にあたるわけね。 改めて気づきました。 しかしそれって――形而上学的かつ神学的には――まさにそれこそがすべてであると同時に、実践的には何の役にも立たないよね。 「人間は平等である」というテーゼと一緒。 弔いの哲学 (シリーズ 道徳の系譜) 作者: 小泉義之出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 1997/08メディア: 単行 クリック: 6回この商品を含むブログ (18件) を見るなんのかんの言ってこれは今なお「神的暴力」についてのもっとも正しい議論(「「暴力批判論」におけるベンヤミンは、政治思想や宗教思想に屈して、

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  • 20年来の宿題 - shinichiroinaba's blog

    をようやく果たせそうな気がしてなお果たせない。 教会・公法学・国家―初期カール・シュミットの公法学 作者: 和仁陽出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 1990/03メディア: ハードカバー クリック: 15回この商品を含むブログ (13件) を見る 日英独仏伊西の文献を広く渉猟して書かれた思想史研究の手。理想。これを読むとシュミットのすごさとこけおどしの両方がある程度分かって距離がとりやすくなると思うのだが、いまだに読みこなせない。

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    Nihonjin
    Nihonjin 2011/10/24
    「教会・公法学・国家―初期カール・シュミットの公法学」和仁陽
  • カール・シュミットの「例外状態」だの「決断」だのといったレトリックについて - shinichiroinaba's blog

    政治神学』冒頭の、「主権者とは非常事態についての決断者である」という命題には、実はごまかしがある。ここでの「決断者」とは、実は「決断権者」である。 シュミットはこの命題において、革命的状況の中で、誰が闘争に勝利して決断を下すかという事実の経過を論じているのではない。シュミットが論じているのは、旧秩序が非常事態に直面し、「法規範」では対応できなくなったが、なお「秩序」としては対応できる状況において、(一種の不文法の授権を受けて)法秩序を停止する権限を有する誰がいるはずだということであり、その者を主権者と呼んでいるのである。 この議論の前提には、「原理上無限定の権能」(prinzipiell unbegrenzte Befugnis)がある者に賦与されると「法は退く」、即ち、無制約的な授権規範は法規範でないという彼独特の用語法がある。しかし筆者のようなケルゼンの徒から見れば、授権規範も規範で

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  • 名著なので復刊を煽ってみる - shinichiroinaba's blog

    人口圧と農業―農業成長の諸条件 作者: エスター・ボズラップ,安沢秀一,安沢みね出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 1991メディア: ?この商品を含むブログ (1件) を見る人口と技術移転 作者: エスターボーズラップ,尾崎忠二郎,鈴木敏央出版社/メーカー: 大明堂発売日: 1991/02メディア: 単行 クリック: 1回この商品を含むブログ (2件) を見る めっちゃ高騰中。 原著はThe Conditions of Agricultural Growth: The Economics of Agrarian Change Under Population Pressure 作者: Ester Boserup出版社/メーカー: Routledge発売日: 2005/06/01メディア: ペーパーバックこの商品を含むブログ (1件) を見るPopulation and Tech

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    Nihonjin
    Nihonjin 2011/10/24
    「人口圧と農業―農業成長の諸条件」エスター・ボズラップ
  • 「神的暴力」について - shinichiroinaba's blog

    たしかレヴィナスが「形而上学に倫理学が先行する」という趣旨の発言を何度かしていたと思うが、それはあまり正確ではない、あるいは今日風の言い回しとは違う、という気がしている。あえて言うならばそれは「形而上学と倫理学に神学が先行する」とでも言うべきなのではないか。もちろんここでいう「神学」とはキリスト教など特定宗教の教義学というわけではなく、今日風の学問区分なら哲学の中のそのまた形而上学ということになるのだろうけれど。 形而上学、この文脈では「存在論」と言い換えた方がよいのだろうけれど、レヴィナスが『全体性と無限』などで「形而上学(よく知られているように「全体性」はこちらに対応する)は倫理学(「無限」はこちらに対応する)に先立たれている」と主張することの含意は、いくつかの解釈を許容するだろうが、それ自体そうわかりにくくも突飛でもない。少し飛躍するがたとえば今日の宇宙論における「人間原理」をめぐる

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  • 増税論について - shinichiroinaba's blog

    「増税論者にせよリフレ派にせよこの非常時にかこつけて平時以来の年来の自分に主張を更に押し込もうとする火事場泥棒だ」というお叱りを頂戴しておりますが。 「リフレ派」と目されている人の一部に現状を慨嘆するあまり「革命でもせなだめだ」と毒を吐いているものがおりますが、これは基的には心が弱ったせいでの愚痴であって気でとっていただきたくはない。「リフレ派」の基調は反「根病」の石橋湛山主義であり根っからの日和見改良主義である。 むしろ、日ごろの原理原則を三百代言でごまかしつつ貫徹しようとするあくどい革命論者はどちらかといえば増税派の方である。 一部の左派や社民の方々には、福祉国家を充実するための増税論に革命的主体としてコミットしておられた向きもおられるだろうが、現下の状況が果たして、皆さんの理想とする「革命」にふさわしいかどうか、今一度よく考えていただきたい。ある意味でこの「非常時」はどさくさに

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    Nihonjin
    Nihonjin 2011/04/24
    石橋湛山の本を何か読んでみようかな。
  • なぜ私はローマ法にろくな素養もないのに突撃をかけようとしているのか - shinichiroinaba's blog

    自分でもよくわかっているわけではないのだがたとえば(これはあくまでも一例でしかない、自分はホームレス問題について深刻な関心を持ってはいない)、ホームレスの公園「占拠」を巡る事件において、事実としてではなく権利としての「占有」の意義が下手をすれば浮上しかねない、といった話が妙に頭の隅に引っかかっている。 そして木庭顕先生は、あろうことか「法の核心は占有にあり」ととんでもないことをおっしゃる。世界のどこにでも普遍的にある広い意味での「法」ではなく、今日の我々の実定法、市民法と司法のシステムとそれを支える学理としての「法」の核心は、もちろん「人権」などではないがさりとて「所有」でもなく、今やほとんど死にかけてその意味も見失われている「占有」である、と。しかしそのことはローマ法、それも「所有」概念とともに爛熟期を迎えた帝政期のではなく、共和政期のそれを見なければわからない、とも先生はおっしゃる。

    なぜ私はローマ法にろくな素養もないのに突撃をかけようとしているのか - shinichiroinaba's blog
    Nihonjin
    Nihonjin 2011/01/24
    内容とまったく関係なくて申し訳ないですが、「法と経済学」を「ローエコ」というのは欺瞞。「法経(ほうけい)」と言うべきだ! さあ、声に出して読みたい日本語。
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