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ブックマーク / blog.tatsuru.com (451)

  • フリーライダーの効用 - 内田樹の研究室

    高齢者の集団自決が高齢化対策の秘策であると公言した若い経済学者の発言が話題を呼んでいる。 彼の言う「人間は引き際が重要だと思う」ということにも「過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎる」という事実の摘示にも私は同意する。でも、使えないやつは有害無益だから、集団から追い出すべきだという論には同意しない。人道的な立場からというよりは組織人としての経験に基づいてそう思うのである。 組織に寄生して、何も価値を生み出さず、むしろ新しい活動の妨害をする「フリーライダー」はどのような集団にも一定数含まれる。この「無駄飯い」の比率を下げることはたしかに集団のパフォーマンスを向上させることにある程度までは役立つだろう。ただし、「ある程度」までである。というのは「無駄飯いの排除」作業に割く手間暇がある限度を超えると、その作業自体が集団のパフォーマンスを著しく低下させるからである。 組

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    PEH01404 2024/03/11
  • 道徳教育について - 内田樹の研究室

    道徳教育を教える先生たちの研修会に招かれた。話をする前に「梗概」を送って欲しいと言われたので、こんなことを書いた。 私見を述べるなら、「道徳」というのは「人として」ものごとにどう適切に対処するかという「行動知」のことであって、教科書的な知識として理解するものではないように思う。むろん「行動知」も、多くの場合は言葉を経由して入って来る。だが、その言葉は子どもたちの頭に入るのではなく、身体に浸み込む。 どうして、ある行為は適切で、ある行為は不適切なのか、その基準を子どもは知らない。知らないから「子ども」なのである。言葉で説明してもわからない。頭ではわからないことをわからせるためには身体に浸み込ませるしかない。 子どもにも子どもなりのこだわりがあり、良否の判断基準があり、好悪がある。それをいったん「棚上げ」にしてくれないと、他人の言葉は身体に入ってこない。子どもに「自分を開いて」もらうためには、

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    PEH01404 2024/03/07
  • - 内田樹の研究室

    Q:以前ご返信をいただいた「きげんをよくすること」の中で、「救難信号を聴き取ってくれそうな甘さ」というお話がありました。わたしも、そういう方々に幾度となく甘えさせてもらったかわからないな...と内田先生やたくさんのお世話になった方々のお顔を思い浮かべながら、ふと感じたことがありました。 救難信号を受け取れてしまう方々は、「聴こえちゃう」から、その人たちにばかり救難信号が届いて、てんてこまいになってしまうのでは...と。 ちょっと話が違うかもしれないのですが、きげんよくしている人や元気な人に、「あいつ元気そうやし、こんくらい(あるいはこういう類の)仕事させても、いけるやろ」的な発想で、仕事がガサガサと振られるようなケースです。 そうして仕事がバンバン飛んできても、サクサク捌ける人だと問題ないと思うのですが、仕事が増えすぎると、そういうふうにできない状態になってしまうこともあると思うんです。

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    PEH01404 2024/02/07
  • 「維新的民主主義」 - 内田樹の研究室

    ある新聞にときどき寄稿しているコラムの今月号にこんなことを書いた。 ある雑誌から「大阪でどうして維新はあれほど支持されているのでしょうか」という取材を受けた。同じ問いは10年以上前から繰り返し受けている。そのつど返答に窮する。維新は地方自治では失政が続いているし、党員の不祥事も止まらないのに選挙では圧勝するからである。 コロナ禍で大阪府は死者数ワースト1だった。看板政策の大阪都構想は二度否決された。全長2キロ「道頓堀プール」で世界遠泳大会を開催した場合の経済波及効果は「東京五輪を超える」と堺屋太一氏は豪語した。でも、資金が集まらず最後は80メートルにまで縮小されたがそれもかなわずに放棄された。学校と病院の統廃合が進み、公立学校と医療機関は今も減り続けている。管理強化の結果、教員志望者が激減して、学級の維持さえ難しくなっている。市営バスの運転手の給与カットは橋下市長が最初に行った「公務員バッ

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    PEH01404 2024/01/29
  • 朴先生からのご質問「内田の政治的立場は何か?」 - 内田樹の研究室

    韓国では、内田先生は「リベラル知識人」として広く知られています。実際に多くのマスコミでは、内田先生のことを「リベラル知識人」として紹介されています。 しかし、およそ十年以上先生のほとんどのご著作を読みふけるだけでなく、新聞・雑誌・Webメディアなどの媒体に寄稿された文章を読んだり、先生が出演されているラジオ番組などを聴いている者としては、内田先生のことを「リベラル知識人」として簡単に決めつけてしまうのはちょっと違うのではないかと思われます。 たとえば、先生の「教育論」などを読んでいると、 「学校教育は惰性の強い制度であり、社会の変化に即応すべきではない。変化しないことこそが教育の社会的機能なのである」というフレーズをよく目にいたします。こういう先生の「教育」についての知見は明らかに「保守的な」考え方ですよね。 そうしているうちに先日、 中島岳志さんが書いた『「リベラル保守」宣言』という

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    PEH01404 2024/01/15
  • メンターはどうやって見つけたらいいのでしょう? - 内田樹の研究室

    韓国のある出版社から「韓国オリジナルの」を出すことになった。先方から質問を送ってもらって、それに僕が答えて、それで一冊にするという趣向である。 その中に面白い質問があった。「メンターはどうやって見つけたらいいのでしょう?」というものである。 「最近はオンラインでのコミュニケーションが活発になったおかげで物理的に遠く離れている人をメンターとする人もいたりします。 韓国では「オンライン先輩」「オンラインメンター」というような言葉もあります。良いメンターとメンティ、あるいは望ましい師匠と弟子の関係とはどのような形なのでしょうか?」 以下が私からの回答。 メンターにはいろいろな種類があります。生涯師として仰ぎ見て、ずっとその後についてゆく人もいるし、一時的にA地点からB地点まで移動するときの道案内をしれくれただけの人もいます。例えば、広い川の前に来た時に、渡し船が来て船頭さんに「乗るかい?」と誘

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    PEH01404 2023/10/23
  • 「歴史戦」という欺瞞 - 内田樹の研究室

    ある媒体から「関東大震災と朝鮮人虐殺」についての特集を組むのでインタビューをしたいという依頼があった。私は近代史の専門家ではないので、この出来事については通り一遍の知識しかない。けれども、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に歴代都知事が送ってきた追悼文を現職の小池百合子知事が送付を拒絶していることは歴史に対する態度として間違っているということは申し上げた。 知事は追悼文を送らない理由を「何が明白な歴史的事実か確定していないから」としている。しかし、私たちがタイムマシンで過去に遡ることができない以上、「明白な歴史的事実」を確定することは権利上誰にもできない。 その場で現にそれを目撃したという人がいても、「話を作っているのではないか」「記憶違いではないか」「それとは違う証言が他にある」というような「反証」を突きつければ「明白な歴史的事実」の確定を妨げることは可能である。 日中戦争中の南京での市民虐殺

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    PEH01404 2023/09/25
  • 宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て - 内田樹の研究室

    私は宮崎駿の映画のかなり熱烈なファンである。これまでいくつかの宮崎駿作品について映画評を書いてきた。宮崎作品を観た後は、いつでも語りたいことが湧き上がってきて、語らずにはいられないのである。 今回の『君たちはどう生きるか』についても、何かを語らずにはいられないことに変わりはないのだが、それはこれまでのように自分が観た映画について語ることを通じて「さらなる愉悦」を引き出すためではない。「これは一体どういう作品なのか」を何とか言葉にしてみないと、自分が何を観たのかがよくわからないからである。 これまでの宮崎作品なら、物語は完結し、ラストで伏線は回収され、映画の「メッセージ」も別に解釈の手間をかけずにもすんなりと伝わってきた。映画を楽しむためには、それで十分だった。そして、映画をたっぷり楽しんだ上で、「果たして物語はあれで完結しているのか?」「伏線はほんとうに回収されているのか?」「あんな『わか

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    PEH01404 2023/08/22
  • 豊かな社会とは - 内田樹の研究室

    『診療研究』というコアな雑誌に標記のような原稿を寄稿した。いつもの話ではあるけれども、こういうことは何度繰り返し語っても足りないのである。 これまでずいぶん長く生きてきたけれども、日の国力がこれほど低下した時期は過去になかった。パンデミック、異常気象、ウクライナ戦争、人口減...など地球的規模での大きな問題が目白押しのところに、国内では、政治とメディアの劣化がとめどなく進行し、経済は衰退局面を転がり落ち、国民生活の最後の支えである教育と医療も気息奄々というありさまである。どこにも希望が見られない。 それでも気を取り直して、よくよく見れば、日の国力にはまだまだ余力がある。列島には豊かな山河がある。温帯モンスーンの温和な気候と肥沃な土壌と豊かな水資源に恵まれ、植物相・動物相は多様で、温泉や桜や紅葉の名所や神社仏閣のような観光資源はいたるところにあり、文化もエンターテインメントも伝統芸能も

  • 岸田政権は何をしようとしているのか - 内田樹の研究室

    ある媒体からインタビューのオファーがあった。岸田政権の新年度予算成立を受けて、「なぜ政権はこれほど性急に防衛予算の拡大に進むのか」について訊かれたので、次のように答えた。 今回の防衛費増額の背景にあるのは岸田政権の支持基盤の弱さだと思う。 彼にとって喫緊の課題は二つだけである。一つは国内の自民党の鉄板の支持層の期待を裏切らないこと。一つは米国に徹底的に追随すること。日の将来についての自前のビジョンは彼にはない。 今回の防衛予算や防衛費をGDP比2%に積み上げるのも、米国が北大西洋条約機構(NATO)に求める水準に足並みをそろえるためであって、日の発意ではない。日が自国の安全保障戦略について熟慮して、必要経費を積算した結果、「この数字しかない」と言ってでてきた数字ではない。アメリカから言われた数字をそのまま腹話術の人形のように繰り返しているだけである。 国民がこの大きな増額にそれほど違

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    PEH01404 2023/04/03
  • 『アメリカは内戦に向かうのか』バーバラ・F.ウォルター - 内田樹の研究室

    原題はHow civil wars start 「どのようにして内戦は始まるのか」。アメリカのことだけを論じているわけではない。「内戦論」である。さまざまな国におけるこれまでの内戦を統計的に分析して、どういう条件が整うと内戦が始まるのかを解説する。 これまでの世界各地の内戦を分析する箇所での筆致は学術的で抑制的である。しかし、ひとたび話題がアメリカに及ぶと、文体がいささか感情的になってくる。学術的な書き物の場合、筆者が個人的な恐怖や不安をあらわにすることはふつうしない。個人的感情を抑えて論文は書かれなければならないと大学院では教える。もちろん筆者ウォルターも大学教師だから、そういうルールは熟知しているはずである。でも、内戦の切迫が彼女の自制心を乱している。「アメリカにおける第二の南北戦争勃発の危険性に危機感を募らせるようになった」(21頁)からである。 でも、私はそのことをこの書物の瑕疵だ

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    PEH01404 2023/04/01
  • ある共産党員への手紙 - 内田樹の研究室

    共産党員で、私のの愛読者でもあるというSさんという方から手紙を頂いた。松竹伸幸さんの「共産党党首公選」をめぐる論争で私が松竹さんの行動を支持していることについてである。共産党の党規約はよくできていて、党運営も民主的であるのだから、松竹さんは「意見があるなら、党内でドンドン発言しなさい」という『しんぶん赤旗』の読者投書を引いて、私の行動をやんわりと批判するものだった。それに対してこんな返信をした。 Sさま はじめまして、内田樹です。 お手紙と投書拝見しました。ご指摘ありがとうございます。 松竹さんの件については、実は僕も困惑しています。 僕は非党員ですから、共産党の党規約というものがどんなものだか知りません。共産党の党内民主主義の実相についても存じ上げません。 松竹さんは現役の共産党員であり、長く党中枢にいた人で、僕が実際に存じ上げて、人間を信頼している方ですので、その方から「党首や党幹部

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    PEH01404 2023/03/28
  • 複雑系と破壊のよろこび - 内田樹の研究室

    年頭にはよく「今年はどうなる」という予測を求められる。予測が外れても失うほどの知的威信もないので、気楽に予測を語ってきた。十年スパンの国際情勢についての予測などはそこそこ当たるけれど、一年くらいのスパンでの政治についての予測はだいたい外れる。それは政治が複雑系だからである。 「複雑系」というのは「北京で蝶がはばたくと、カリフォルニアで嵐が起きる」というカラフルな喩えから知れるように、わずかな入力差が巨大な出力差として現象するシステムのことである。そして、政治や経済は複雑系である。 ロシアウクライナ侵攻はプーチン大統領の脳内に兆した「主観的願望」がスイッチになった。冷静なテクノクラートが側近にいて「大統領、それほど簡単にウクライナは降伏しませんよ。長期戦になるとロシアは失うものが多すぎます」と諫言していれば、プーチンも再考したかも知れない(しなかったかも知れない)。でも、この選択によって世

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    PEH01404 2023/01/20
  • 小田嶋さんの思い出 - 内田樹の研究室

    小田嶋隆さんの訃報が届いたのは、禊祓いの行をしている途中だった。メールを読んでから道場に戻って行を続けた。小田嶋さんは、こういうのが大嫌いな人だったと思いながら、身勝手ながら供養のつもりで祝詞を上げた。 僕が最初に小田嶋さんの文章を読んだのは70年代終わりか80年代初めの、東京の情報誌『シティーロード』のコラムでだった。一読してファンになった。「若い世代からすごい人が出てきたな」とか「端倪すべからざる才能である」とか思って驚いたわけではない。ただ、「この人のものをもっと読みたい」とだけ思った。それだけ中毒性のある文章だった。それから彼の書くものを探して、むさぼるように読むようになった。 実際に拝顔の機会を得たのはそれから20年以上経ってからである。当時毎日新聞社にいた中野葉子さんが憲法九条をテーマにしたアンソロジーを編みたいというので僕に寄稿を依頼してきた。他に誰か書いて欲しい人がいますか

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    PEH01404 2023/01/01
  • アメリカと中国のこれから『月刊日本』ロングインタビュー - 内田樹の研究室

    ― アメリカバイデン大統領と中国の習近平国家主席がそれぞれ新体制をスタートさせ、米中覇権争いは新たな局面に突入しました。 内田 世界のこれからについては三つのシナリオがあります。「アメリカ一人勝ち」と「米中二極論」と「多極化・カオス化」の三つです。ここ数年は「米中二国が覇権を競う」という二極論が支配的でしたけれど、僕は「多極化しつつ、米中の競争ではアメリカ優位」というシナリオが現実的ではないかと思っています。アメリカが抱えている最大の問題は「国民の分断」ですけれど、これについてはアメリカに過去にいくども分断を克服した「成功体験」がある。この点で言えば、危機に対する「レジリエンス」(復元力)は中国よりアメリカのほうが強いように見えます。 アメリカは建国以来「自由」と「平等」という二つの統治原理の葛藤に苦しんできました。自由と平等はもともと相性が悪い。「水と油」の関係です。個人が最大限の自由

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    PEH01404 2022/11/21
    構造主義を知悉した哲学者の卓見だとおもった。複雑な世界をザックリかつ正確に切り分けるために哲学が使えるという好例。
  • 統一教会、安倍国葬について他 - 内田樹の研究室

    あるネットメディアからインタビューを受けた。もう公開されているので、少し長い別ヴァージョンをあげておく。 ―これから安倍系右翼はどうなると思いますか? 内田 おっしゃっている「安倍系右翼」という言葉の定義を僕は知らないのですけれど、言いたいことは何となくわかります。それが「安倍晋三という個人の求心力やカリスマ性に依存して存在感を発揮していた政治勢力」という意味でなら、その人たちはこの事件をきっかけに力を失い、弱体化すると思います。 実際に安倍元首相の死後、彼の庇護下でこれまで「いい思い」をしてきたネット論客たちはいまほぼ沈黙状態にあります。どういうスタンスでこの事件に向き合って良いのかについての組織的な合意形成ができていないのでしょう。もともと安倍晋三個人が手作りしたネットワークですから、ハブが不在になると、合意形成のための場も、ルールもない。代わりを務めることのできる人がいない。ですから

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    PEH01404 2022/09/12
  • 安倍政権を総括する - 内田樹の研究室

    辞任後に『週刊金曜日』に寄稿したもの。 政権の功罪について、私から指摘したいのは一つだけにしておく。それは「道徳的インテグリティ(廉直、誠実、高潔)」の欠如ということである。 政治指導者は道徳的なインテグリティを具えているべきだと私は思っている。少なくとも、そのような人間であると国民に信じ込ませる努力をするべきだと思っている。安倍政権の最大の特徴は、このような努力をまったくしなかったことである。 それどころか、権力者であるということは、道徳的な規範に従う必要がないということだという「新しい判断」をメディアを通じて全国民に刷り込んだ。私はこれ安倍政権のもたらした最大の災禍だったと思う。 私たちは今はもう政治家であれ、官僚であれ、財界人であれ、指導者たちが「国民全体の福利」をめざして行動しているということを信じていない。彼らは自分の仲間、手下、支持者、縁故者、そしてもちろん自分自身の利益のため

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    PEH01404 2022/09/02
  • アメリカにおける自由と統制 - 内田樹の研究室

    「自由論」という論集に寄稿を依頼された。こんなことを書いた。 まずアメリカの話をしようと思う。自由を論じるときにどうしてアメリカの話をするのかと言うと、私たち日人には「自由は取り扱いのむずかしいものだ」という実感に乏しいように思われるからである。私たちは独立戦争や市民革命を経由して市民的自由を獲得したという歴史的経験を持っていない。自由を求めて戦い、多くの犠牲を払って自由を手に入れ、そのあとに、自由がきわめて扱いにくいものであること、うっかりすると得た以上に多くのものを失うかも知れないことに気づいて慄然とするという経験を私たちは集団的にはしたことがない。「自由」はfreedom/Liberté/Freiheitの訳語として、パッケージ済みの概念として近代日に輸入された。やまとことばのうちには「自由」に相当するものはない。ということは、自由は土着の観念ではないということである。 私たちは

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    PEH01404 2022/08/20
  • 共感にあらがえ - 内田樹の研究室

    はじめて永井陽右君に会ったのは朝日新聞のデジタル版での対談だった。もう3、4年前だと思う。ひさしぶりに「青年」というものに出会った気がした。デジタル版だったので1時間半くらいの対談内容がそのまま掲載された。それを再録しておく。 永井:私は仕事としてテロ組織から降参した人のケアや社会復帰の支援などをやってきました。しかし、国際支援の分野での対象者や対象地に関する偏りがどうも気になっていて。難民だとか子どもだとかそういう問題になると情動的な共感が生まれるのに対して、「大人で元テロリストで人殺しちゃいました」とかだと、それがまるで真逆になる。抱えている問題が同じだとしても、「なんでそいつまだ生きてるんですか?」て話になってしまう。そこが問題意識としてもともとありました。 今の日社会をみると、共感がすごくもてはやされていて、その状況に違和感を持っています。ただ同時に、「共感」の欠点を自分のなかで

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    PEH01404 2022/08/14
  • 複雑な話は複雑なまま扱うことについて - 内田樹の研究室

    「複雑な現実は複雑なまま扱い、焦って単純化しないこと」というのは私が経験的に学んだことの一つである。「その方が話が早い」からである。話は複雑にした方が話が早い。私がそう言うと、多くの人は怪訝な顔をする。でも、そうなのだ。いささか込み入った理路なので、その話をする。 私は人も知る病的な「イラチ」である。「イラチ」というのは関西の言葉で「せっかち」のことである。どこかへ出かける時も、定時になったらメンバーが全員揃っていなくても置いてでかける。宴会でも時刻が来たら来賓が来ていなくても「じゃあ、乾杯の練習をしよう」と言ってみんなに唱和させる(来賓が着いたら「乾杯の儀に粗相があってはならないので、繰り返しリハーサルをしておきました」と言い訳する)。 そういう前のめりの人間なので、当然ながら話をする時も最優先するのは「話を先に進めること」である。ぐずぐずと話が停滞することも、一度論じ終わったことを蒸し

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    PEH01404 2022/08/13