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戦争に関するPROOFのブックマーク (2)

  • 被爆者講話 校長が遮る - NHK長崎県のニュース

    未登録の場合は「登録」ボタンをクリックします。 登録したい都道府県を地図から選択します。 確認ボタンをクリックすると登録が完了します。 ※登録した都道府県を変更するには「変更」ボタンをクリックします。 去年7月、島原市の中学校で行われた平和学習の中で、被爆体験を語った被爆者が日戦争責任や、東京電力・福島第一原子力発電所の事故について触れたところ、校長がやめるように求めていたことが分かりました。 これは、31日、長崎市の被爆者、末永浩さんが(79)記者会見して明らかにしました。 それによりますと、末永さんは、去年7月1日、島原市の中学校で行われた平和学習で、全校生徒およそ340人に対し、原爆投下直後に親せきなどの安否を確かめようと長崎の爆心地近くに入って被爆した自身の体験について話したということです。 そのあと、中国韓国の博物館が旧日軍による侵略に関するものとして展示している写

    被爆者講話 校長が遮る - NHK長崎県のニュース
    PROOF
    PROOF 2015/08/01
    自虐史観ってなんだよwwwこれが中立か?右も左も自分の都合にいい時にだけ中立とか使う。歴史的客観的事実とデータだけしか完全な中立ってなくね?
  • 【戦後70年特別企画】「昭和陸軍」の失敗。エリート軍人たちは、どこで間違えたのか(週刊現代) @gendai_biz

    第二次大戦時、アメリカと日の国力には12倍の差があったと言われる。巨大な敵に、先人たちは気で勝てると考えていたのだろうか。戦後70年のいまこそ、昭和陸軍の「戦略構想」を問い直す。 カギを握る4人のエリート 「満州事変以降の『昭和陸軍』をリードしたのは陸軍中央の中堅幕僚グループ『一夕会』。満州事変の2年前の1929年に結成されました。メンバーは東条英機、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一ら約40人。 一般的には東条が日を破滅に導いたように思われていますが、昭和陸軍の戦略構想を立てたのは永田と、石原、武藤、田中の4人。東条は彼らの構想に従って動いたに過ぎません。 永田を中心にした彼ら4人とも、単なる軍事エリートではなく、当時の日社会では知性と教養を併せ持つ知的エリートでした。戦前の陸軍は何も考えずに暴走したと思われがちですが、そうではなかったのです」 川田稔・名古屋大学名誉教授はそう

    【戦後70年特別企画】「昭和陸軍」の失敗。エリート軍人たちは、どこで間違えたのか(週刊現代) @gendai_biz
    PROOF
    PROOF 2015/07/27
    どこかで絶対という気持ちがあったんだな。絶対負けない。絶対勝つ。リスク管理できてなかった。100%なんてないのに。今も変わらんか。
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