僕は中学のころ、わりと勉強が得意だった。それで時々、クラスメイトに授業でわからないところを教えて欲しいと頼まれることがあった。人に教えるというのは、とても効率の良い勉強方法だと思う。どのように説明すれば相手に理解してもらえるだろうかと考えることが、自分自身の理解を深めることに役立つからだ。そのため、頼まれれば面倒臭がらずむしろ喜んで教えていた。 ある日、休み時間に一人の男子生徒(仮にAと呼ぶ)が僕のところにやってきて、質問したいことがあると言った。もちろん普段通り、いいよ何でも訊いてくれと答えたら、Aは次のように切りだした。 「あのさあ、『ザーメン』って何なのか教えて欲しいんだけど?」 僕の思考回路は一瞬、硬直した。コイツハ イッタイ ナニヲ イイダスンダ。明らかに授業の質問じゃないだろう、それは。 かろうじて、どこでそんな言葉を聞いたんだと問い返すと、Aはある男子生徒の名を挙げた。なんで
・漢字とラテン化 仲度(チュントー) 大衆語文(白話文が次第に大衆の実際の言葉から離れて、大衆にわかりにくくなって来たので、大衆の言葉で文章を書けという主張が陳子展らによって唱えられた)に反対する人は、主張者に向って得意げに命令して、「品物を出して見せろ!」という。すると一方には馬鹿正直な人もほんとにいて、相手が誠意か、それともからかっているのか少しも頓着せずに、さっそく必死になって標本を作る。 読書人が大衆語を提唱するのは、白話を提唱するよりも困難である。なぜなら白話を提唱した時は、よかれ悪しかれ、ともかく白話を使っていた。ところが今日大衆語を提唱している文章は大抵は大衆語でない。だが、反対者に命令を発する権利はないのだ。片輪でも、健康運動を主張する限りにおいては、絶対に間違っていない。しかしもしも纏足(てんそく)を提唱するとなれば、たとい天足(纏足をしない天然の足)の壮健な
今の自分は、出会った人や読んできた本によって、できあがっている あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、…
春の伊予国漫遊記。松山・今治と愛媛の魅力を満喫してきました。 法事を兼ねて愛媛観光へ 2024年のGWは、毎年恒例の名古屋帰省ではなく自宅でゆっくり過ごしておりました。というのも、4月に法事のため愛媛・松山に親族大集合というイベントがありまして、そちらをGWの旅行代わりにしたという理由です。法事は日曜日の予定ということ…
ルビ(ふりがな・よみがな)の付いた文章を、子どもたちと日本語の初学者に贈りたい。日本語の漢字は、読むのが難しいという事実を再確認したい。 【振り仮名廃止論】国語国字問題の観点から、振り仮名は早くから問題にされていたが、昭和十三年(一九三八)五月、山本有三は、その著『戦争と二人の婦人』のあとがきで、振り仮名廃止論を提唱した。主な論点は、振り仮名を廃止して難しい漢字の使用をやめる、やさしい言葉で文章を書く、印刷の能率を高める、目の健康を保護する等で、この提唱は広く反響をよんだ。これに対して、振り仮名廃止は大衆に不便をもたらし、通達を妨げる、読字力・読書力を低下させる、ことば制限・漢字制限には困難がある等の反対論もあったが、賛成論が圧倒的に多く、国語国字改良のための最も手近な、実行可能な方法であるとされ、その年、内務省警保局は、幼少年向き雑誌編集者に対し、振り仮名廃止を申し渡した。戦後、「ふりが
などとタイトルをつけてはいますが、どんなことが起こっているのかを説明するつもりはさらさらありません。あしからず。以下のお題に投稿するには余りに長くなったので、勝手ですがこちらを借りました。 『漢字はいらない!でひとこと - はてなハイク』 http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%EF%BC%81 上のようなお題がハイク内で立てられ、ちょっと盛り上がったので、以下、全力で釣られてみます。 漢字不使用によるデメリット既にいくつか指摘のあるとおり、表意文字としての漢字を日本語から引き算して表音文字としてのひらがな/カタカナへ統一することは、朝鮮半島でのハングル使用が少なくない同音異義語を産出し混乱を招いている現況と同様の事態を引き起こすだろうマイナス
life登校してぐだぐだしながら研究室で「眠いよねー最近」「春だもんねー」って中国人の友達と喋ってて、「あ、『春眠暁を覚えず』だもんねー」って言ったらいきなりすごく笑い出したので面白かった。手書きしてくれた。読みもメモった!中国では義務教育の間にたくさん詩を覚えさせられるそうです。これは小学校のときに習うものらしい。日本でそう読むのが新鮮だったみたい。「日本では、結構こうやって春にダルいなー、みたいなときに使うよー」って言ったらちょっとビックリな感じみたいだった。春、眠、不、覚、暁。チュン、ミェ、プゥ、チュエ、シャオ。おおー、賢くなった感じだ!これには続きがあるらしく、ちゃんと書いてくれた。春眠不覚暁処処聞啼鳥夜来風雨声花落知多少(「春暁」孟浩然 689-740)口語訳は今ぐぐったけどここが面白い感じかな。まあ、「春寝てるといつ朝になったかわからんなー。あーいろんなとこで鳥が鳴いてんのう。
id:namikawamisaki 僕が好きなイチローさんの言葉は(WBC日本練習を見に来た人たちのことを)「お客様と呼びなさい」(とあるテレビ取材者に)。身の回りをとりまく人々の立場を理解し、意識し、気配りができる人だと思った。 2009/03/25 はてなブックマーク - namikawamisakiのブックマーク / 2009年3月25日 イチローの他者への顧慮というのは日本にいた頃からそうで、そうして、彼はやはりすこし変わった人だからなのか「誰にでも」伝えるという技術は当時は少なくともなかったようで、ファン、それも地元のファンにはよく通じても、そうでない人には通じない発言というのが多かった。もう少し踏み込んでいうと、彼の顧慮というのには、野球選手としてのというよりは、神戸という街に住んで野球を職業にしているひとりの人間という視点からのものが多々あって、それは野球中継の中ではときに異
それは不安定なだけでなく人の心を折ることだろう。だけども物乞い以外で生計を支えられない人が出ることはこの世では避けがたく、そうした場面は、かつてもいまも数多く存在した。これからもそうだろう。その根絶は美しい夢だが、わたしはそこまで夢想家ではない。 エジプトに行く前、ふらっと立ち寄った本屋で見かけた書の一節を、さいきん折に触れて思い出す。「施しなさい。あなたは施せないほど貧しいのですか。ならば、乞いなさい」。カッパドキア生まれの4世紀の人、ニュッサのグレゴリオスの言葉だという。 司教と貧者―ニュッサのグレゴリオスの説教を読む 作者: 土井健司出版社/メーカー: 新教出版社発売日: 2007/06メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る 乞う人がいて、施す人がいる。施す人がいてこそ、乞う人もいて、そうして乞う人も飢えずにすむ。その違いはどこから来るのか――おそらく、そう大きな違
知的財産 | 先頃、村上春樹氏がイスラエルの文学賞である「エルサレム賞」を受け、その受賞スピーチが注目を集めました。日本の各紙を含めて多くの報道機関が部分的な引用のみにとどまった中、イスラエルのHaaretz紙のみが、氏のスピーチの全文を掲載しました。 これを受けて、日本のブロガーたちが次々とその全文翻訳を試み、配信し、多くの読者を集めたようです(村上春樹さんの受賞スピーチ、日本のブロガー陣がスピード翻訳 「ハルキ風」も (ITmedia))。一部では、日本の報道機関が全文を配信しなかったことについての批難の声も上がっていました。 インターネットが普及した今日、このような民間のボランティアによる知の共有に一定の利点があることは否定しません。しかし、あくまで現行の著作権法に照らした場合、このような行為は適法であるといえるのでしょうか? 現行の著作権法が、現在の著作物の利用実態に即したも
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