Perl 6 has been 15 years in the making, and is now due to be released at the end of this year. We speak to its creator to find out what’s going on. Larry Wall is a fascinating man. He’s the creator of Perl, a programming language that’s widely regarded as the glue holding the internet together, and mocked by some as being a “write-only” language due to its density and liberal use of non-alphanumer
先を歩むエンジニアへのインタビューを通してエンジニアのキャリアについて考える本連載、今回は古くからPerlコミュニティで活躍し、最近ではWebテクノロジ情報発信のポッドキャスト「Rebuild」が話題の宮川達彦さんにお話を伺いました。宮川さんは、筆者のクックパッドの同僚でもあります。 [撮影:平野正樹] プログラミングに興味を持ったきっかけ ──最初にプログラミングやエンジニアリングに興味を持ったのはいつでしょうか? 宮川:父親がプログラマだったので、コンピュータは小さいころから家にあったんですけど、プログラミングはしておらず、純粋にPCユーザとしてゲームとかで遊んでいました。プログラミングのきっかけは、東京大学に通い始めて、趣味でホームページや掲示板を作っておもしろいと思ったことですね。そのあと3年次に、理学部情報科学科を選択し学びました。それと前後して、大学の友達から「オライリー・ジ
質問の一つひとつに熟考して真摯に答えてくれる態度、深みと含蓄のある言葉、初対面の人間に対する優しい接し方……そして、返答に窮すると隣の奥さんに「どうだっけ?」と呼びかける夫婦仲のよさ。私はラリー・ウォールさんの大ファンになりました。もちろん、奥さんのグロリアさんのファンにも。
連載第2回目は、湘南にオフィスを構える面白法人カヤックにて、「こえ部」を担当する傍ら、ラボチームBM11に所属し、オープンソースソフトウェア「Ark」や「nim」などの開発を行うPerl Mongerである村瀬大輔氏(ネット上ではtypesterのほうが著名ですね)に会ってきました。 ちょうどgihyo.jpでの特集「ついに出た!最新Perlフレームワーク「Ark」徹底解剖」が一段落したタイミングで、Ark開発の裏側、さらに村瀬氏ご自身の開発に対するスタンス・考え方について迫りました。 聞き手:馮 富久(株式会社技術評論社、http://twitter.com/tomihisa) 村瀬大輔氏。1981年2月生まれ。2004年9月株式会社カヤックに入社。カヤックでは自社サービス「こえ部」を担当する傍ら、ラボチームBM11に所属し「Ark」「kamaitachi」といったオープンソースプロ
今回は、面白法人カヤックの技術陣を引っ張る村瀬大輔さんにお話をお聞きしました。村瀬さんは、若い頃からPerlのコミュニティに積極的に参加し、Shibuya.pm、YAPC::ASIA、Catalystなどのコミュニティでも大変有名なプログラマです。取材は、鎌倉のカヤックさんのオフィスで行い、テクニカルアドバイザーとして、株式会社ウェブキャリアの前田道昂氏に同席いただきました。 村瀬大輔さん (ハンドルネーム:typester) 1981年2月11日生まれ。 2004年9月株式会社クーピーにプログラマとして入社し、2005年4月にカヤックに移籍。 カヤックでは自社サービス「湘南Clip」や「こえ部」の開発を担当する傍ら、ラボチームBM11に所属し、IM APIやTTYShareなどニッチなサービスを多数リリース。 一方、「Shibuya.pm」(2006年、2007年参加)「YAPC::AS
もっと企業でPerlを使ってもらいたい――endeworksの牧大輔さんは社団法人JPA(Jpan Perl Association)を立ち上げ、Perlの企業利用を促進したいという。小さいころから海外で暮らし、ITベンダーのエンジニアも経験した。エンジニアとしての同氏を助けてくれたのは常にコミュニティだった。「自分が恩返しする番になっている」と語る。 この企画はokyuu.com編集部が現在のエンジニア像をリレー形式で追っていくものです。 (取材・文=編集部) 牧大輔(まきだいすけ) 1977年7月13日生 31歳 株式会社endeworks代表取締役 【略歴】 1999年 米Washington University卒業 2000年 Network Appliance入社 2004年 株式会社ライブドア入社 2004年 米Lehman Brothers入社 2005年 株
東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程中退。1996年に「有限会社オン・ザ・エッヂ」を設立。2002年に旧ライブドア社から営業権を取得し、2004年に社名を「株式会社ライブドア」に変更。2006年に証券取引法違反容疑で起訴されて一審、二審ともに有罪判決を受ける。現在上告中。1972年福岡県生まれ。 今、非正規雇用の増加やいわゆる「派遣切り」が社会問題になっていますけど、僕が前の会社(ライブドア)で社長をやっていたときは、技術者派遣やSI会社の常駐社員などは一切使わなかったし、逆に自社の社員を派遣することもしなかった。社内ではこうしたシステムを利用するようにかなり説得されたけど、ここだけは頑固に譲らなかった。 唯一、派遣会社を使ったのは受付の女の子たち。いろいろとあって押し切られてしまったのだけど、彼女たちが望めば正社員にしていたし、希望すれば総務や経理に異動もさせていた。ほかに社員でない人と
エンジニアにとって仲間とはどういう存在なのだろうか。極端なことをいえば、自分1人で作業が完結できてしまうエンジニアにとって、仲間とのコミュニケーションにはどんな意味があるのか。エンジニア同士のネットワークを通じて、エンジニアにとっての仲間とは何かを探る。 第3回|1 2|次のページ サイボウズラボ 竹迫良範氏(コミュニティは「知り合い系」から「出会い系」へ変化する)、モバイルファクトリー 松野徳大氏(松野徳大――「だまってコードを書けよ」)、KLab 廣瀬正明氏(ひろせまさあき――勉強会は「取りあえず行っちゃえ」)とつながったエンジニアの輪も、今回で4人目。前回の廣瀬氏から紹介されたのは、paperboy&co. 事業戦略本部 宮下剛輔氏だ。「YAPC::Asia」をはじめ、多くのカンファレンスや勉強会でスピーカーを務める宮下氏に、こうした活動をするようになった経緯を聞いた。 ■シャイなプ
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