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芸術と村上隆に関するcloserのブックマーク (4)

  • 村上隆をぶん殴りたい理由 - 脳髄にアイスピック

    結論:金持ちなんだからぶん殴りたくなるに決まってるだろ!! 結論が最初の一行で出たが、それだけじゃ侘しすぎるので、ダラダラと書き連ねる。 俺は現代アートの世界など何一つ知っちゃいないし、村上隆のフィギュアに何の価値も見出せないのだが、俺や世間の人々がどう思おうが、事実村上隆のフィギュアは海外では大いに評価されており、高値で取引されている。 資主義社会に生きる我々にとって、金を持っている奴が偉いのであり、その上、村上隆はベルサイユ宮殿で作品展を開く勝ち組である。嫉ましい。 結論2:勝ち組なんてダンプに轢かれちゃえ! 結論が再び出てしまったが、しかし待って欲しい。 世の中には金を持っている奴も勝ち組の人間もたくさんいるはずである。 なのに、何故このように村上隆に対して言いようの無い怒りがふつふつと湧き出てくるのか。冷静になって考える為に、村上隆人の発言を見てみよう。 なぜ村上隆がヲタクに叩

    村上隆をぶん殴りたい理由 - 脳髄にアイスピック
  • 村上隆時代の終わり、日本アート空白の時代の再来: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さて、そろそろ真面目に批評を書いておこう。 今回の件で露呈したのは、村上隆のアートがもはや時代遅れになってしまったという事実なのではないかと思っている。 東浩紀さんが簡潔にまとめているように、村上氏のアートは現代を映し出しているという意味において、はじめてアートとして有効に機能してきたといえます。 村上氏の美術活動の中心は、現代社会を満たしている商業主義的アイコンを借用し、パロディ化し、価値転倒を行うことにあります(と書くと左翼っぽいですが、現代美術はもともとそんなものです)。その戦略はアンディ・ウォーホルのオタク版アップデートとでも言ったもので、いままではおおむね有効に機能してきました。 そうなんです。DOB君は10数年前に誕生した作品です。 そして、それは「ゆっくり育て

    closer
    closer 2006/04/26
    "現代という時代を感じる感性を喪失したアーティストの姿"
  • 現代アートの超理論-『東大オタク学講座』第八講1997年9月26日版 ・1997.Toshio Okada

    村上隆氏は、現代アートの人だ。しかも、けっこう偉い人らしい。 が、アートが何なのかよく分からない僕は、現代アートと言われると、もっとよく分からないもの、という印象しかない。現代アートと言われて思い浮かぶイメージも、ソーホーのロフトで、ペインティングで、スノッブで、ドラッグで、セックスで、ラリパッパ、というオヤジ臭い凡庸な感想である。 そんな僕だったので、村上さんに会って、彼が評価する作品を見せてもらった時、その中に特撮映画とかアニメに通じるテイストがいっぱい入っているのを発見して、びっくりした。しかも、氏に講釈してもらった現代アートの見方は、何となくオタクがアニメやまんがをみる見方とよく似ているのだ。注目している方向は違うが、現代アートはどこかオタクの世界に通じるものがある。 僕は興味を持って、村上さんにあれこれ質問したり、自分なりに考えて「現代アートは何ぞや」という問の答えを組み立

  • 村上さん、必要以上に"既得権益"をもちだすなら逝ってよしですよ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 アートだと言い張る限り、"オリジナリティ"という主張はまだセーフなんだろう。 そんでものすごく大雑把にまとめると、「ゲージツ家が商業デザインをパクったりおちょくったりしてがっぽりお金儲けするのは、それは逆にすげえゲージツ的なことであり、単なるパクりを超えてオリジナルアートと化すわけだから許されるべきことだけど、企業がゲージツ的オリジナルアートをパクったりおちょくったりしてお金儲けすることは絶対許さないお! それは激しく著作権法違反だお! 損害賠償を請求するお!」ということかと。 しかし、1つ前のエントリーでも引用したように、村上氏自身が「キャラクターであると共にアート作品」と言った瞬間、つまりは「アート作品であるとともにキャラクター」であることを認めた瞬間、それは同じ商業デ

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