官房長官に内定した藤村修衆院議員(61)は広島大卒業後、交通遺児育英会の職員などを経て、93年の衆院選で旧日本新党から立候補し初当選以降6回連続当選。幹事長代行に就任した樽床伸二氏らとともに日本新党の「三羽ガラス」と言われ、論客として鳴らした。 旧新進党を経て民主党に加わり、野田新首相の側近に。代表選への出馬を何度も要請されながら慎重だった野田氏に対し、松本剛明外相や馬淵澄夫前国土交通相らは次々と離れたが、藤村氏は野田新首相を支え続けた。 10年以上親交のある地元・大阪府吹田市の木村裕市議会議長(60)は「目立たない『普通のおじさん』だが、粘り強く、一切ぶれない人」と話す。 ライフワークの一つは交通・災害遺児らの支援だ。木村氏によると、学生時代からあしなが育英会で活動。知り合った当初から「高校授業料の無償化」を目標にしていた。3党合意に基づき見直しを迫られそうだが、「野田新首相と一蓮托生(