朝鮮戦争とベトナム戦争 アジア・太平洋戦争での日本の敗北によって、東アジア地域は東西の両陣営が鋭く対立する舞台に変わった。アメリカ、ソ連の超大国に中国もからみ、冷戦下で二つの戦争を出現させる。第8章は<二つの線が町の運命を変えた 鉄原1945〜1953>で朝鮮戦争、<韓国 軍も企業もベトナム参戦>でベトナム戦争を取り上げ、戦争が東アジアの人々に何をもたらしたかを探る。 二つの線が町の運命を変えた 鉄原1945〜1953 韓国 軍も企業もベトナム参戦 インデックスへ戻る
マッカーサー元帥の上陸地点には記念の像が立ち、観光地となっている=島北部パロ、四倉写す亡くなったディアスさんの首には日本兵に殴られた時のこぶが残っていたセビリャノさん ※写真をクリックすると拡大します 日本軍が「太平洋の天王山」と呼び、米軍のマッカーサー元帥が「アイ・シャル・リターン(私は戻ってくる)」の約束を果たす地と決めた太平洋戦争の決戦場、フィリピン・レイテ島。日米両軍の間でほんろうされ、大きな犠牲を払った島民の高齢化が進む。戦後65年の今夏、レイテ島の戦いを記憶にとどめる人たちを訪ねた。 ■母の前で襲われた娘 島北部の町レイテで草ぶきの簡素な家に住むフランシスコ・ディアスさんは95歳。首の後ろにある小さな握り拳ほどの大きさのこぶをさすりながら記憶をたぐった。 日本軍占領下の1943年。ディアスさんは日本兵に頼まれて仲間数人と川で水をくんでいた。そこに別の日本兵の一団が来た
抵抗と協力のはざま―近代ビルマ史のなかのイギリスと日本 [著]根本敬[掲載]2010年9月12日[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)■したたかに政治的自立探る 「ビルマ(現ミャンマー)近代史の学術書」と聞くと、読書家でもなかなか食指が動かないだろう。しかし本書をぜひ、手にとってほしい。ビルマ独立運動に従事した若き政治家・活動家が、植民地権力への「抵抗」と「協力」のはざまで苦闘した軌跡が見事に描かれているからだ。 本書が対象とするのは、イギリス・日本の統治から独立を勝ち取る時期のビルマ。初代首相バモオ、国民的英雄アウンサン、その暗殺者ウー・ソウといった政治エリートやビルマ共産党メンバー、行政エリートの歩みを丹念に追い、多様なアクターの主体性を浮かび上がらせる。彼らが懸命に植民地権力と渡り合い、時に妥協や協力を繰り返しながら、したたかなナショナリストとして独立を勝
60年前の出来事を詳細に語る元ソ連空軍パイロット、ニコライ・モトフさん=モスクワ州コロムナ市、西村写す元ソ連空軍パイロット、ニコライ・モトフさん。朝鮮戦争開戦直前に撮影中国にあるソ連のパイロットの墓。ニコライ・モトフさんの戦友も眠る=遼寧省大連市旅順口区、西村写す ※写真をクリックすると拡大します 「明日、私服に着替えて列車に乗るように」 モスクワ州コロムナ市在住のニコライ・モトフ(89)は1950年5月、突然、上官から命令を受けて列車に乗った。モスクワに近いカリーニン(現トベリ)にあった航空師団の戦闘機パイロットだった。 部隊に配備されていた約40機の戦闘機「ミグ15」も分解されて貨物列車に積み込まれた。当時の最新鋭だ。ワイシャツなどが政府から支給された。行き先も任務も一切不明だった。極秘の指令だと悟った。 シベリア鉄道を東へ走り、1週間後に着いた場所は中国・瀋陽。街では無数
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