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scienceと思想に関するesbeeのブックマーク (3)

  • 疑似科学批判者がしてはならないこと - 地下生活者の手遊び

    前回のエントリの続き。 疑似科学批判に対して文句をつけるにあたり、僕はドーキンスを念頭においていますにゃ。自然科学という知的体系を高く評価するがゆえに、「神は妄想である」のドーキンスが「自然科学を宗教のようなイデオロギーにしてしまっている」点、つまり確かにある種の疑似科学批判において、宗教と科学の区別がつかにゃーようなことになっているという理路を以下に示してみたいと考えますにゃ。 参考として ドーキンスの「神は妄想である」への直接的な批判エントリをリンクしておきますにゃ 「神は妄想である」書評(1 - 地下生活者の手遊び 「神は妄想である」書評(2 - 地下生活者の手遊び 「神は妄想である」書評(3 - 地下生活者の手遊び 自然科学は公的原理 政治という社会行為においては、司法・立法・行政のいずれにおいても自然科学の知見をシカトすることは許されにゃー。 例えば、いつどこで大規模な地震がある

    疑似科学批判者がしてはならないこと - 地下生活者の手遊び
    esbee
    esbee 2008/11/27
    一番良い支配は相手にそれと気づかれないように支配することor最強とは自分を殺しに来た相手と友達になること
  • 斎藤環と茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるのか」 第1信 「価値のクオリア」は存在するか?(斎藤環)

    斎藤環から茂木健一郎への手紙 はじめまして。 はじめておたよりします。斎藤環と申します。 茂木さんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その精力的な活動のすべては、とうていフォローし切れていない点をまずお詫びいたします。 そのかわりといってはなんですが、妙なエピソードからはじめさせていただきます。 じつは私は、茂木さんとこれまでに何度かニアミスしているんですよ。たとえば、私は2006年の夏休みにフライブルクに行ったんですが……(といえばピンと来るかも知れませんね)、ルフトハンザ機内で私たち家族の斜めうしろに茂木さんが座っておられました。驚いたのは、往路だけならまだしも、復路の機内でもほぼ同じ位置関係で、なんというか、この「偶有性」には驚かされました。思えばあの時点で、この企画は萌芽的かつ徴候的に成立しつつあったのかもしれませんね(笑)。 私の茂木さんへの親近感はこれに留まりません。私たち

    esbee
    esbee 2007/09/24
    『今や「脳」こそは、誰も反論しようのない「主体の座」としての位置を固めつつあります。しかし、ここにひとつの逆説がある。』   往復してNeeeee
  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1

    斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 日時: 3月6日(火) 14:00−16:00 場所: ユメンヌホール(大阪大学人間科学部東館 2階 207講義室) 概要: 脳科学ブームの昨今、脳で人間の心や社会が説明できるかのような言説がまかり通っている。 しかし実際には、現時点での脳科学は、人間の心や行動を整合的に説明できる学問たりえてはいない。 精神医学者アンリ・エイは、脳の障害と精神症状との間にギャップがあることをふまえて「器質−臨床的隔たり」と呼んだ。 この指摘はいまこそ有用である。 「階層性−非階層性」をキーワードとして、脳科学による心の解明において、設定されるべき限界について述べる。 聴講してきました。 同講演に参加されていた、谷川茂氏(双風社): 「斎藤環さんのセミナーにいってきました」 以下、音声ファイルや配布されたレジュメなどを元に、大まかな記録をアップします。

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1
    esbee
    esbee 2007/03/21
    引用:『人間というアプリケーションが動くハードだったら、人工的な脳髄であってもかまわない』
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