思潮と教育に関するfilinionのブックマーク (4)

  • 教科書記述、確定事実に限定 自民参院選政策集 - MSN産経ニュース

    自民党教育再生実行部の「教科書検定の在り方特別部会」(主査・萩生田光一総裁特別補佐)は16日、一部の歴史教科書に見られる偏向的な記述を是正するため、夏の参院選の総合政策集「Jファイル」に「確定した事実以外は文に記述しない」と明記する方針を決めた。教科書記述で中国韓国などのアジア諸国に配慮するよう求める「近隣諸国条項」については、昨年の衆院選政権公約と同じく、参院選公約でも「見直す」と強調する。 現行の教科書検定制度では、出所や出典を示せば、事実関係が不確かな南京事件の犠牲者数も通過させており、中国側が主張する誇大な「30万人説」も教科書記述として独り歩きしている。ただ、教科書執筆者の裁量を全面的に妨げるのは難しいため、政策集には「さまざまな意見を添付する」とし、参考資料などで複数説を併記することは認めることにした。 使用する教科書を地区ごとに選ぶ教科書採択制度については「長期にわたっ

    filinion
    filinion 2013/05/17
    「一部の歴史教科書に見られる偏向的な記述」…。信憑性が疑わしいエピソードを載せてる偏向した歴史教科書と言えば「つくる会」のことですねわかります。
  • 福音館書店|おしらせ

    当サイトでは目次機能にFLASHを使用し、Internet Explorer6.0での動作確認を行っております。 こちらから最新版のダウンロードが行えます。 このたび、読者の方より、月刊「たくさんのふしぎ」2010年2月号『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』に喫煙シーンが頻繁に描かれており、文にもタバコを礼賛する内容が記載され、WHOタバコ規制枠組み条約に違反する、また日たばこ産業株式会社の関与が疑われる、とのご指摘をいただきました。 弊社としましては、この問題を重く受け止め、以下の対応をいたします。 『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』は、主人公のおじいちゃんがタバコ好きという設定になっており、おじいちゃんがパイプをくわえ喫煙したまま孫たちと同席している場面も複数描かれています。これは、過去と現在をわかりやすい形で関係づける小道具として使用したものであり、喫煙を推奨した

    filinion
    filinion 2009/12/29
    該当の部分に「タバコの煙は、あなたの周りの人、特に乳幼児、子供、お年寄りなどの健康に悪影響を及ぼします」とか警告文を付記すればよくね?/MS社がフォントファイルから卍を削除するツールを発表、に似た印象。
  • 精神の救済を宗教に求めるのは勝手だが、それを他人に押し付ける奴は滅びろ - ミームの死骸を待ちながら

    昨日「宗教上の理由で」という表現がTLで(ネタとして)Buzzっていて、それに関連してちょっと昔のことを思い出していた。あんまし嬉しい記憶ではないし、読む人によっては不快感を感じるだろうし、なにより今日はとりわけ戯言なので、ヒマな人だけ読んでくれたらいいと思って垂れ流す。 ◆ 今となっては僕の宗教は讃岐うどん原理主義ぐらいのものだけど、物心ついたころ、我が家は"エホバ"だった。 「エホバの証人 - Jehovah's Witnesses」は世界に広く信者を擁するキリスト教系の新興宗教というかカルトで、駅前で冊子を配っていたり、勧誘がうっとうしかったり、輸血拒否で社会問題になったりしたアレだ。説明適当。 そう長く信仰していたわけではなく中学に上がる頃にはほとんど痕跡もなかった*1のだけど、宗教と聞くと最初に連想するのが、最も厳格だった小学生の頃の記憶だ。ごく普通の公立小学校に通っていた僕に初

    精神の救済を宗教に求めるのは勝手だが、それを他人に押し付ける奴は滅びろ - ミームの死骸を待ちながら
    filinion
    filinion 2009/08/04
    賛同。だがここで賛同する人も、自分が正しいと信じることを我が子にも信じて欲しいと願い、そう働きかけるはず。/自由な学びが筆者を救った。「誤った情報を遮断」するのがカルトの特徴。それだけはすまいと思う。
  • 「決断主義」は流行の最先端ではなく、ただ当たり前のことでしかない。

    http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/06/5_c5bd.html 善良な市民さん(以下、宇野さんと表記)がSFマガジン上で書いた「決断主義」に関して、Masaoさんが「時代遅れだ」「現実は軽くなってるじゃん」と反論しているのが上記リンク先の記事だ。しかしMasaoさんの感覚のほうがむしろ時代遅れというか、時代に逆行していると思う。娑婆はますます流動性と多様性とグローバリゼーションをきわめていて、容赦なきパワーゲームが先鋭化しつつある状況に若い世代は対応を済ませている、と宇野さんは言いたいんじゃないだろうか。そして「現実を軽くする」ことで娑婆に対応出来たと思いこむ感性に対して、「そんなんでサバイブできるの?」と疑問を投げかけているのではなかろうか。 流動性・多様性をきわめた現実をサバイブするには、分からないものは分からないと留保しつつ

    「決断主義」は流行の最先端ではなく、ただ当たり前のことでしかない。
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