世界最高峰の自動車レースF1=フォーミュラー・ワンの元レーサーで、1970年代から80年代にかけて3度、年間チャンピオンに輝いたオーストリア出身のニキ・ラウダ氏が20日死去しました。70歳でした。
電気自動車のF1「Formula E」が2014年に開幕、第1戦はリオデジャネイロ:これぞ“モーター”スポーツ 電気自動車(EV)フォーミュラカーのレースである「Formula E」が2014年に開幕する。第1戦は、ブラジルのリオデジャネイロでの開催が決まった。 国際自動車連盟(FIA)は2012年8月27日(欧州時間)、電気エネルギーだけで走行する電気自動車(EV)フォーミュラカーのレースである「Formula E」の商権(Commercial Rights)を、Formula E Holdings(FEH)にライセンスする契約で合意したと発表した。 起業家のEnrique Banuelos氏が出資するFEHのCEO(最高経営責任者)には、モータースポーツビジネスで長い経験を持つAlejandro Agag氏が就任する。 FEHは、プロモーターとしてFormula Eを開催する。2013
10月8日に行われた2011年 FIA F1 世界選手権シリーズの第15戦。 公式予選で1位となったセバスチャン・ベッテルのタイムは1'30.466で、2位のジェンソン・バトンのタイム、1'30.475とはわずか0.009秒差。 ごく僅かな違いが勝敗を決めた2人の走りを、同じタイミングで再生して比較した映像がこちら。 左がベッテル、右がバトン。
“盟友”の心の内に今も生き続ける真実のセナ像とは――。 没後10年が経った'04年3月、仏誌『レキップ・マガジン』に 掲載された、貴重なインタビューをここに抄録する。 「僕らは何年もバトルを繰り広げてきた。厳しい戦いだったが、好敵手として互いに相手を認めあっていた。アイルトンは、純粋にスポーツの観点から見たとき、僕が尊敬するただひとりのドライバーだ。僕らはどちらが欠けていても、キャリアと人生の持つ意味が、まったく違ったものになっていただろう」 1994年5月5日、サンパウロで行なわれたアイルトン・セナの告別式で、アラン・プロストはそうコメントした。だが、以降プロストは、セナに関して公の場で語ることはほとんどなかった。 それから10年。プロストは意を決して口を開いた。時を経なければ、咀嚼できないことがある。語れないことがある。長い沈黙の後に、最大の好敵手が明かしたセナの実像とは。 ――セナと
元F1ドライバーの片山右京氏(47)が27日午前2時(現地時間26日午後2時)、南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフ(標高4892m)への登頂に成功したと、オフィシャルサイトで発表した。同氏は昨年12月17日、ヴィンソン・マシフへの準備登山として富士山を登った際に遭難、同行した2人が死亡した。 片山氏は今月11日に日本を出発。チリ経由で16日に南極大陸に上陸した。18日にはベースキャンプを出発して、4000メートルのハイキャンプに到着。約1週間、悪天候のため仲間5人と待機し、晴天となった27日に残り900メートルを5時間で登りきって登頂に成功した。 片山氏は今回の登頂で、7大陸最高峰のうち5座を制覇した。
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