東京(地区)への爆撃進入路は、その時の作戦により、いろいろなコースが取られています。 まずは、初期の基本的なコースが、質問者さんの言う「浜松経由」です。 これは、昼間高高度精密爆撃のためのコースでした。 南海での合流地点(後に硫黄島が有名になりますが、まだ占領前は避けてます)から一気に北上、浜松付近で上陸、富士山を回り込んで、編隊を固め、甲府付近から爆撃行に入り、房総方面などに抜けます。 精密爆撃をするには、編隊を組んで真っ直ぐに飛行し、一斉に投弾する必要があったから、そのために考えられたコースです。 初期に何度も襲われた中島飛行機武蔵製作所などの攻撃ではほとんどこのコース、天候不良により目標変更する場合も、甲府からの攻撃軸を変えて、ということがメインでした。 なぜ、他のコースではダメかというと、日本上空には強力な偏西風が吹いているので、それに乗って西から東へ飛行するルートしか、高高度での